昨日は西山堂病院に行って来た。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

昨日は4時に西山堂病院に行って来たよ。

17日がナカちゃんの店員の日だった。

大みか病院から西山病院だった。

日立市から隣の常陸太田市にある西山病院への転院だった。

 

午前の10時に来て下さいとの事で、10時に頃に行ったよ。

 

寝たっきりの老人になったナカちゃんは。ベットに寝たっきりだから、何処に行っても変わらないよ。

 

大みか病院で、次の転院先を紹介されたよ。

田尻ガ丘病院、久慈浜の港病院、そして西山堂病院だった。

田尻が丘と久慈浜の病院は日立市内なんだけど気が進まなかったよ。

そんな訳で、隣りの市にある西山堂病院にしたよ。

 

田尻が丘病院は、田尻の家から一番近いけど、あんまり評判が良くないよ。

結局は動けない老人ばかりで介護体制も投げやりみたいだ。

入院した老人にたまらないみたい。

 

久慈浜の病院も同じみたいだよ。

ただここは、10年ちょと前に、親父が亡くなった病院だよ。

ここもいい加減だよ。

そのいい加減さを実体験したよ。

 

親父が亡くなった年は、etekoが社会人になってからずーと務めてた会社を辞めた年だったよ。

20年以上勤めてたよ。

etekは、20年以上サラリーマンだったよ。

 

一様、日立製作所系列の会社に所属してた事になるのかなあ。

入社した時は、就職難の時代だったけど、何とか親のコネ?で潜り込んだよ。

 

その頃は就職難だったけど、日立製作所自体はずーと右肩上がりのいけいけだったよ。

だから、etekoみたいな使えない人間でも潜り込めたよ。

 

そんな会社を辞めた年の12月に親父は亡くなったよ。

それまでも親父は若いころから喘息持ちで、ステロイド系の薬をいつも吸引してたよ。

そして、発作が酷くなると近場の町医者に来てもらって、注射を打ってもらってたよ。

この薬の駐車も自分で打ってた時もあったよ。

年に一回くらいは喘息の発作が酷くて入院してたよ。

 

家に注射器とか薬のアンプルとか置いてあったよ。

etekoが幼稚園とか小学校の1,2年生の頃だよ。

 

昭和の30年代後半の頃だよ。

その頃の、etekoのボロ屋敷には注射器とか怪しい薬があって、それを親父か゛自分で打ってたよ。

清原と同じだよ。

でもそれは喘息の薬だけどね。

 

そんな親父が、50代の頃に胃がんで切開したよ。

胃を三分の二くらい切り取ったよ。

胃がんの方は再発はしなかったけど、それからガリガリに痩せ始めたよ。

喘息の発作はたまに出るよ。

それからは働けなくなっちゃったよ。

部屋に寝てることが多くなったよ。

毎日、部屋のテレビを点けて、朝から晩まで寝るまで見てるよ。

見てたのかどうかは分からないけど、テレビからの音は、親父の部屋からずーと聞こえてたよ。

そんな中、たまに脳卒中で動けなくなるよ。

etekoが救急車を呼んで病院に緊急入院だよ。

親父が亡くなるまでに、そんなことが⒌,6回あったなあ。

i入院先は、日立総合病院か多賀病院だったよ。

 

 

 

あれれれれーだよ。

下書き保存しようと思ったらまちがってみんなに公開しちゃった。

 

この記事の続きは後につづくだよ。えー