風来坊だよ。 | eteko屋スタジオ

eteko屋スタジオ

勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

 

風来坊だよ。

 

この曲もetekoのオリジナルだよ。

 

40年前近くの学生時代に作ったよ。

 

etekoは学生時代、音楽サークルに属してたよ。

 

協調性皆無のetekoは、他のサークルメンバーとバンドを組むことはなかったよ。

このサークルはシング・アウトとサークル・メンバーでバンドを組んで、コンサートや学際なんかで、人前でライブ?をやってたよ。

同じような他の大学のサークルと合同コンサートやったりしたよ。

日比谷の野音とか九段会館でコンサートやったりしたよ。

そのステージにシングアウトでステージに立ったよ。

この頃、デビュー前の青山学園のサザンと同じステージに立て居たような気もする。

 

そんな音楽サークルの中で、ひとりでやってたのは、etekoだけだった。

ひとりで、自作・自演のシンガーソングライターをやってたよ。

 

40年前、3年生まではサークル活動に参加してたよ。

4年生になると、サークルは引退で、サークルのOBあつかいだよ。

 

「風来坊」と「ぬかるみ」は、4年生の時に作ったよ。

そんなもんで、人前で歌う事はなかったよ。

大学を卒業して社会人になってからも、発表する機会はなかったよ。

 

大学を卒業してからは、地元の会社に潜り込んだよ。

2年くらいは、地元の社会人バンドに入って、音楽活動をしてたんだけど、自作の曲を発表するようなバンドではなかったよ。

 

最初の社会人バンドは、社交ダンスのバックバンドだよ。

そこで、etekoは、サイ・ドギターとVoを担当してた。

Voと言っても、曲は、サンタナのブラック・マジック・ウーマンだけだよ。

その後が、キャロルのコピーバンド。

ここでは、リード・ギター担当だった。

そして最後が、高中のコピーバンド。

ここでは、サイド・ギターだった。

 

そんなのをやってたんだけど、会社の仕事がやたら忙しくなてきて、ギターも弾けなくなっちゃったよ。

ここから、30年近く、音楽活動は休業だよ。

 

ギターも、全く弾かなくなっちゃった。

 

リスナーと言うか、etekoは音楽を聞くだけの人になっちゃったよ。

 

忙しい会社を25年近く勤めてたけど、自己リストラ?したよ。

とりあえずは、日立製作所の最初の早期退職制度って言うのに乗っかって、まともな会社?を辞めちゃったよ。

ここから、etekoのヤクザ人生が始まったよ。滝汗

 

暇ができたんで、若い頃に購入したギターを弾き始めたよ。

その内に、大学生時代に作ったオリジナル曲を形に残したいって思いが強くなってきたよ。

 

10年くらい前から、人前で歌ったり、自主製作のCD、DVDを作って、500円/1枚で売りつけたり、配ったりしたよ。

 

でも、3.11の震災以降は、警備員のバイトとか始めちゃって、指を骨折したりで、ギターが弾けなくなったりと音楽活動は停滞してるよ。

 

還暦になった今年に、etekoは思ったよ。

夢も希望も金も愛もないetekoに残ってるのは、ギターを弾くことだけだってね。口笛