とうとう病院に行ってきた。その2 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。


写真は左手の中指に痛風君がやってきて暴れてた時だった。
7月の事だったよ。
ギターが弾けなくなっちゃちた。

自業自得の見本だよ。

もう、楽しみはギターを弾くことしかないのにね。

7月は家に引きこもりと言うか、桜川と田尻の家を、行ったり来たりして、家庭菜園のお世話だよ。
お世話と言っても、除草と水撒きだよ。
そして、ちょこっと収穫だよ。

左中指は腫れて曲がらないけど、痛風独自の痛みはなかった。
オイラが痛風に鈍感になったのかなあ。

腫れがひいてきなあと思ってたら、痛風君が左足首にやって来た。
都知事選の後半の頃だった。

小池さんが決まった。

8月に入って、左足首が痛くなってきた。
痛風の痛みだ。
そして、8月の3日には、歩行困難になっちゃった。

そんなもんで、病院に行くことにした。

オイラの頭には、このままだと、桜川と田尻のeteko農園に行けなくなるよ。
水を撒かないと、作物が干からびてしまうよ。

何とか、歩けるようにしないと、

その思いで、病院に行った。

前回の記事では、近場の石川外科クリニックに行ったら定休日た゜ったよ。
しょうがないんで、ちょっと離れた島崎病院に行った。

ここは、前に、オイラが左指を骨折した時に、1年くらいお世話になったよ。
その間、痛風がでちゃって、薬なんかも出してもらった。

でも、病院に着いたのが、12時30分だったよ。
玄関を入る、午前中の受付は、12時で終了だよ。
午後の受付開始は、13時30分からだってさあ。
受付で診察票を貰うのに1時間以上またなくちゃあいけないよ。

etekoはあきらめて、家に帰ることにした。

外はくそ暑いよ。
30度を下回らない。

家に帰って、また行こうかと思いながら、3度寝。
目が覚めたら、16時になってた。
受付は、17時までだよ。
明日、出直そうか、そうすれば近場の石川外科にも行ける。
でも、痛み止めと炎症止めの薬をゲットしないといけないよ。

とにかく、歩けるようにならんと、

杖をつきながら、キッチンの裏口から、プリちゃんに向かう。
こっちの方が距離が短いよ。
部屋を5時30分に出たはずなのに、プリちゃんに乗って,時刻表示を見たら。
16時45分だよ。

うそー。

そうだよ、部屋の時計は電池がへたってきて、5分くらい遅れてるよ。
それにしても,10分近くかかったのかい。
プリちゃんに乗り込む時も手間がかかった。
5,6か所、むき出しの両手を蚊に刺されちゃったよ。
かゆい、かゆいよ。

プリちゃんを走らせ、島崎病院に向かう。
この時間だと間に合わないよ。
間に合わなかったら、田尻の家に行こうと思った。
病院は明日、また出直しだと思ってた。
16時50分頃の6号国道なんて渋滞だよ。
でも、奇跡が、
10分で島崎病院の入り口に付けた。
島崎病院に着いたのは、16時55分だった。

駐車スペースは空きがあったけど、玄関から遠いと、17時までにたどり着けないよ。

etekoはひらめいたよ。

玄関側にある、車椅子マークの書いてある駐車スペースに車を止めて、玄関まで向かった。
玄関まで、10メートル弱だよ。
車を降りて、杖をつきながら、よちよち歩いて玄関に向かう。
玄関まで半分くらい進んだら、玄関のガラスの地頭扉が開いた。
中から、若い小さな受付の事務員がでてきて、「車椅子を持ってきます。」
そう言って、玄関の横に、5台くらい置いてある車椅子を運んできた。
オイラは、車椅子に乗った。
女子事務員さんに押されて、受付の前まで行った。

そこで、診療票を出してもらった。
そして、問診票を書かかされた。
オイラが最後の外来みたい。

問診票を書いてる時に、今日、2度目の軌跡が訪れた。
小柄な爺さんと大柄なばあーさんが並んで入ってきた。
あれは、Sさんだよ。
Sさんは、年末のお泊り忘年会のメンバーだよ。
オイラ達は、「おじさんの会」と呼んでる。
1年に2日間しか顔を合わせないよ。
去年の11月か12月に、いわきのセントヘレナGCでゴルフをやって、夜は小名浜の旅館に一泊したよ。
旅館では、宴会やって、徹マンしたりしたよ。

この時の旅館は、いつもの旅館が、工事関係者の作業員の宿舎になってるって事で、とれなかったよ。
夜の繁華街よりは、少し離れたとこになっちゃったよ。
よく覚えてるのは、この旅館が鹿島道路の山の方にちょっと言って、右側にちょっと入った所だよ。
この旅館が印象に残ってるは、止まったその週の、月、火曜日だと思うんだけど、鹿島通りの交差点の信号取り換えの現場に立ってたよ。
警備員の仕事でね。
あの頃は、警備員のバイトで、いわきに飛ばされてたなあ。
etekoは、週に4日も、いわきの空の下にいたよ。

Sさんは、オイラより、2,3こ上だよ。
大柄のバアーさんは、Sさんのかみさんだよ。
かみさんの方が年上だったような気もする。
かみさんは、Sさんがいた部署の女子事務員だった。
Sさんと一緒になったと言うのは、オイラが会社を辞めてて、「おじさんの会」に参加するようになってから知った。

Sさんも、オイラに気付き話しかけてきた。
「親指、人差し指辺りをこっせつしちゃて、リハビリだよ。半年くらい通ってるよ。」だって、
半年といっても、もう8月だよ。
ことしになってやらかしたのかあ。

オイラは、指の骨折の先輩として、いろいろレクチャーしたよ。
リハビリの時間が迫ってるので、あまり長くは話せなかった。

Sさんがリハビリ室に消えていくのと同時に問診室の前に呼ばれる。
問診室には、一人、患者さんがはいってるみたい。
それが終われは、次はオイラだよ。
10分ぐらいして、直ぐ呼ばれる。

中にはベテランの看護師のおばちゃんがいて、書いた問診票を見ながらいろいろ説明を求める。
オイラは痛風の発作で歩けくなったと説明する。
痛み止めの薬を出してもらいたいと言う。

レントゲンを撮りますかと進めるけど、原因が分かってるから、拒否したよ。

問診が終わると3つある診察室の1つのドアの前に連れて行かれる。
etekoは、車椅子に乗ったままだよ。
ここも、一人待ちだった。
医師の名札を見ると、D医師になってた。
D医師は、指を骨折してた時期に島崎病院に来た時にいつもお世話になった医師だ。
10分くらい待ってたけど、モニターの番号が変わらない。
診察室に入ってくださいと言う表示にならない。

そしたら、横から看護師が出てきて、向こうの診療室に入って下さいだって。
奥の診療室に連れて行かれた。
中に入ると若い医師が座ってた。
若いと言っても、30代かなあ。
医大を出てから、あんまりたってないよ。?

靴下を脱がされて、痛風君がやって来た左足首をみせる。
「腫れてますね。何時からですか。骨折したのかもしれませんね。黴菌が入ったのかもしれませんね。炎症してますね。」と問いかける。

「レントゲンを撮りますか、採血をしますか。?」

オイラは、拒否する。
痛風の発作だって言うのは分かってるよ。
レントゲン撮ったて、骨折してる分けがないよ。
採血したって、尿酸値が高くなってるかどうかわからないよ。

尿酸値が高いからって、痛風の発作が来るとは限らないよ。
去年は、胃潰瘍で入院してた時に、痛風の発作がきたよ。
その時は、禁煙、禁酒、絶食してる時に、痛風君がやってきたよ。
今回も、痛み出してから禁酒してる。
痛風君がやって来た時よりは、尿酸値は下がってるはずだよ。

高かったとしても、もう、etekoには、痛風君がやってきてるよ。

無駄な検査してお金を取られたくないよ。

何しろ、etekoは無職なのだ。

おかげで、この日は、診療費が、1050円
1週間分の薬代が、950円で済んだ。

でも、計2000円なりか。

病院に行けば、最低でもこれだけは取られちゃうんだね。



お金のないetekoが病院に出向いたのは、eteko農園の世話をしないといけないからだ。
この夏場は、散水しないとだめだよ。
2日も散水しないと干からびちゃうよ。
田尻の農園では、2日開けたら、その被害が顕著に表れたよ。
それと、種を蒔いたホウレンソウと白菜?が、密集して発芽した。
これも、毎日、散水しないとだめだよ。

写真は、田尻。
その下が桜川だよ。

これは、大分前に撮った写真だよ。
今は大分育ってるよ。
これも株分けというか、広い土地に移してやらないといけないよ。

でも、土地がないか。
桜川の方はいっぱいだよ。
田尻の方は、ちよこっと開墾できるかなあ。