菅原文太さん死去、81歳 映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」
映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズで知られる俳優、菅原文太さんが死去していたことが1日、分かった。81歳だった。仙台市出身。2007年にぼうこうがんが見つかったが、患部の切除手術と温存療法で完治。その後は元気な姿を見せていたが、今月7日に埼玉・行田市で予定していた講演を体調不良を理由に中止していた。
日本映画界を牽引(けんいん)してきた名優が、また1人天国へ旅立った。
関係者によると、菅原さんは06年2月に風邪をこじらせ、同3月公開の舞台出演を辞退。翌年にはぼうこうに3センチ程度の腫瘍が見つかったが、内視鏡手術で患部を除去し、放射線治療と抗がん剤を組み合わせた温存療法で完治させた。
今年10月下旬にニッポン放送の「菅原文太 日本人の底力」(日曜前5・30)の収録に参加。11月1日には沖縄・那覇市内で行われた同県知事選の候補者・翁長雄志氏(64)の支援集会に出席し、元気な姿を見せていたが、同21日に今月7日に埼玉・行田市で予定していた講演を体調不良を理由に中止すると発表していた。
仙台市出身の菅原さんは早大中退後の58年に新東宝にスカウトされ、同年の「白線秘密地帯」で本格デビュー。67年に東映入りし、69年の「現代やくざ・与太者の掟」で初主演を果たした。
映画スターの地位を築いたのは、73年の主演映画「仁義なき戦い」。主人公を美化した任侠(にんきょう)映画の常識を覆す現実的な悪役を好演。同映画はシリーズ化され、大ヒットし、国民的スターだった高倉健さん(享年83)に比肩する人気を得た。
75年の義理と人情に厚いトラック運転手をコミカルに演じた「トラック野郎」もシリーズ化され、同年度のブルーリボン賞主演男優賞を受賞。以降、79年の「太陽を盗んだ男」、81年の「青春の門」など数多くの映画に出演。69年には主演映画「関東テキヤ一家」の主題歌「関東テキヤブルース」で歌手デビュー。80年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」への出演以降はジャンルを広げ、同「武田信玄」(88年)、声優としてアニメ映画「千と千尋の神隠し」(01年)にも出演した。
私生活では66年に文子夫人と結婚し、長男で俳優の加織さん(享年31)を始め、2女が誕生。98年4月に生活の拠点を岐阜・清見村(現在の高山市清見町)に移した。菅原さんは家族思いでも知られており、01年10月に加織さんを電車事故で亡くし、ショックのあまり、芸能活動を自粛したこともあった。
また、農業政策に関心を持ち、09年に山梨・北杜市で農業を開始。これを機に農業に重点を置くようになり、12年11月の講演会で56年に及んだ俳優業から引退することを表明。世間を驚かせた。
原発問題への関心も高く、12年の衆院選では脱原発を掲げた新党「日本未来の党」を支持。今年2月の東京都知事選では細川護煕元首相(76)、11月1日の沖縄県知事選では翁長氏の支援演説を行うなど最後まで熱心に活動していた。
「トラック野郎」で、etekoが耳にしたエピソードがあるよ。
8月頃の現場で、休憩時間が多く取れる現場があったよ。
そこは、テトラポットの置き場だよ。
ここから、10トンダンプにテトラポットを2つ積んで、JR日立駅の前の橋梁の下に運ぶって言う現場があったよ。
ダンプは7,8台で、出ていくと20分以上の待機時間ができるよ。
この時に、プレハブの待機室で、オイラと作業員さん3人が、ダンプが戻ってくるまで、待機してるよ。
作業員さんは、クレーンのオペレータと、テトラポットにワイヤーを掛ける鳶だった。
クレーンのオペレータは、60過ぎの爺さん。
玉掛の職人は、ベテランの爺さんと、4か月前に、この仕事を始めたと言う、19歳の若者だった。
この時、玉掛の鳶の爺さんが面白い話しをしたよ。
「俺は、昔は、ダンプの運転手をしてたよ。その頃は、菅原文太の「トラック野郎」の映画が始まったのよ。北茨城市には、デコトラを装飾する職人がいっぱいいたよ。もともとは、漁船の大漁旗を作る職人さんだよ。それが、デコトラが出てから、全国から北茨城市の職人さんに、トラックのデザインや文字を入れてもらうトラックが集まったよ。
その頃、俺のトラックもデコトラにしたよ。
そしたら、トラック野郎の映画スタッフから、そのトラックを貸してくれって言う依頼がきたよ。
1シリーズで、1年近く貸して、何百万て言うリース料を貰ったよ。
それだけで、食えて生きたよ。
俺の貸し出したトラックは映画に何度もでてくるよ。北茨城市内でも、よくロケしてたよ。」
そんな話を、今年の夏に聞いた。
高倉健さんで、菅原文太さんかあ。
昭和の時代も、あっちの世界に半分以上は移ってるね。
オイラもその内に、あっちの世界に移っていくよ。