複雑時計の特にカレンダー系は
維持が大変だ。メンテにかかる金も
さることながら、ここで言いたいのは
動かし続けるモチベーションと労力。
永久カレンダーは所有以前は、
その機構の複雑性と、機構名の響き
そしてそこにオタとして描くロマンに
憧れる。また、コレクションの到達点
としての達成感や満足感等ひたすら夢見る。
一方で、その排他的方向にあるのが、
所有前から理屈でわかってはいるのが
動かし続けてカレンダーとに生きることの
努力と苦労。これは所有者各々の背景による
ところが大きいから一概には言えぬ。が、
少なくとも私の場合、同じ想像(想定)上
のロマンや夢が、苦労に優って
永久カレンダー所有に至ったわけだが、
現実問題としては、日々の生活のサイクルで
これを回し続ける困難が今は優っている。
なら、開き直って外してそのままにして、
装着する時だけ調整すれば‥‥
なのだが、この驚くべき精度の時計を
動かさず、装着時だけ永久カレンダー❗️
って、誰に対してそう訴える❓
他人?いや、最初から他人に見せようなと
微塵も思ってはいない。
自分❓
それを突き付けられた自分は
耐えられぬ。というより、
この珠玉の、かつ至高の芸術的機械
に対して失礼以外の何物でもない。
中途ハンパは出来ない。機械に対して、
そして所有に至った自分自身に対して、
屈辱的仕打ちとなる。
永久カレンダーとどう付き合っていくのか。
それは入手のビフォー・アフターで
かくも異なる景色として目に映るとは
思ってもみなかった。
永久カレンダー機の維持、これを
永久に維持
って、何だかなー
(by 阿藤快)