祖父の形見 | 秋色コスモの 機械式時計と趣味のブログ

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美しいもの、大切なもの、
ありのままに‥‥


祖父からもらった時計

セイコークラウン   ダイアショック21石
手巻き   金張り   カイマン革ベルト

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表情は良い意味で「昭和」感満載。
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秒針は打ち抜き、時分針は立体感があるけれど、もしかしてこれ、真ん中で接合してるのかな?


サイドから見ると、プラスチック風防のエッジが丸味を帯びていて、これまたレトロ。
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裏蓋にもSEIKO CROWNの刻印と
シリアルNo.が。
金張りの上層は徐々に薄くなっている。
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カイマンというワニ革の背の部分。
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もともと祖父が買ったものには、
似たようなワニの背の模様の
革ベルトがついていた。
他で目にすることもなく、
子供ながらに高級品だと思っていた。

祖父からこの時計を譲り受けた時、
オリジナルはかなりくたびれていた。
で、祖父の他界を機に交換しようと考えた。
いろいろ捜し求めた結果、
「世界一」という銘で日本の職人さんが
作っていたものと判明。
御徒町ガード下の店で見つけて、
つけてもらった。

灯台下暗し。後日、地元の行きつけの
時計屋店主に話すと、
「世界一はストックたくさんあるよ」と、
おもむろに取り出した箱に、
わんさかと入っていた。ただ、
もう生産していないとのことで、
御徒町での購入価格を言ったら、
「そりゃ、お買い得だ。わかってりゃ、全て買い占めたよ!」とのこと。

左が御徒町版、右はオリジナル。
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尾錠にも「世界一」と刻印。
ただし、尾錠はプラ製でメッキですよ。


竜頭付近のアップ。レトロ感、レトロ感!
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竜頭周辺の不自然な面の凹みは、
祖父の愛用の証し。
永年手で巻いて、擦れてこうなった。
手で触れて使い込む、
手巻きならではの暖かさがここにも。



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独特の柔らかい表情。大きくて大らかで、
優しかった祖父を思い出す。

手元のコレクションは、
けっこう素性を調べたりするが、これは例外。
戦後のけっこう大変な時、当時の月給の
何ヶ月分みたいな高い時計だったとか。
家族の話だと、祖父はけっこう
ヘソクリを持っていたらしい。
どういうお金、どういう思いで
購入したのかも含め、必要性がなければ
あれこれ詮索せず、祖父の遺志を大切にしたい。
(したがって、多少記事の記載に不正確な部分があっても大目に見てください。当時の価格なども含め、あえて裏を取っていない内容もあります)

95年2月、病床にあった祖父が
ある日虫の知らせか、
覚悟を決めて私に遺言を代筆させた。
その紙を自ら手に取り、再度私に読ませて
内容確認をした後だった。
「お前にこれをやる。」
病床でも腕にしていた大切な時計を、
この私に手渡したのだった。

「でも、じいさんが治って退院して、またはめるんだから‥‥」
と言って私は戻そうとしたが、
祖父は突っぱねた。
この時計は幼い頃から、
私の中では祖父自身だった。
祖父の覚悟を知った。

その時祖父の話を聞き、思いを共にした時計。
あれからこの時計もまた歳を重ねた。
今は老齢なのでいたわっている。
腕にはめることはほとんどない。

たまに、
懐かしい人に会うが如く、取り出して
祖父が巻いたのと同じように私も巻き、
しばしこの時計に命を吹き込む。
時を刻むロービートのコチコチという音に、
なんだか祖父と対話するような
暖かみを感じる。

今日を生きてる私は、
この時計に、いや、祖父に
明日へのエネルギーをもらうのだ。