
会津若松と小出をつなぐJR只見線は、鉄道マニアの間で評価が高い。JR全線の普通列車が乗り放題になる「青春18きっぷ」を特集した本では、「オススメの路線」として必ず名前が挙がる。『旅と鉄道』2016年5月号「好きなJRローカル線ランキング(東日本編)」では第1位になった。
日本経済新聞の土曜版「NIKEEIプラス1何でもランキング」でも、上位に顔を出している。2003年11月29日「冬景色のきれいなローカル線」で第3位(第1位はJR釧網本線、第2位はJR五能線)、2008年10月11日「紅葉が美しい鉄道路線」で第1位、2016年9月17日「行楽の秋 鉄道橋へ出発進行!」で第一只見川橋梁が第3位(第1位は瀬戸大橋、第2位は奥大井レインボーブリッジ)に選出された。
しかし、実際に乗車してみると、車内はガラガラということが多い。青春18きっぷの利用期間(春夏冬の年3シーズン、計約120日)の土日祝は乗客がそこそこいるが、それ以外の時期は朝夕を除くと、1車両(2両編成で運行)に乗客が1~2人ということもある。沿線の人口減と車社会の到来がこうした事態を招いた。JR東日本の一員だから存続しているが、JR北海道の一員だったら持ちこたえられなかっただろう。
只見線は、福島側と新潟側が別々に建設された歴史がある。
福島側は1926年10月、会津若松-会津坂下間(21.6㌔㍍)が最初に開業した。続いて会津坂下-会津柳津間(11.7㌔㍍)、会津柳津-会津宮下間(12.1㌔㍍)、会津宮下-会津川口間(15.4㌔㍍)、会津川口-只見間(27.6㌔㍍)が順次開業した。会津川口-只見間は、電源開発田子倉発電所専用鉄道としてレールが敷設され、後に国鉄に譲渡された。
一方、新潟側は1942年11月に小出-大白川間(26.0㌔㍍)が開業。1971年8月に只見-大白川間(20.8㌔㍍)が開業し、会津若松-小出間が1本のレールでつながった。県境にある六十里越トンネルは全長が6359㍍。開通時は、国鉄在来線では5番目の長さだった。
会津柳津は、フジテレビ制作のドラマ『秋の駅』の舞台になった。脚本は山田太一、演出は河毛俊作。出演は田中好子、布施博、益岡徹、村田雄浩、小倉久寛、金山一彦らである。田中は、同駅のキオスクで働くシングルマザーの役だった。布施は駅員の役。1992年の秋に現地ロケが行われ、俳優やスタッフが約1カ月にわたって滞在した。
その合間、田中はフジテレビ系『笑っていいとも!』に出演し、司会のタモリに「言葉がおかしいよ」と指摘されるハプニングがあった。ドラマで会津弁の訓練をしていたので、抜けなくなったのだ。田中は布施を紹介したが、布施も電話で会津弁を口にした。
このドラマは「福島テレビ開局30周年記念」として企画された。山田が県内各地を視察し、柳津町を舞台に選んだ。嫁不足問題や高齢者問題などを浮き彫りにする内容で、エンディングでは会津柳津を発つ列車が映し出された。フジテレビ系「金曜ドラマシアター」の枠で1993年3月5日に放送された。
只見線は、2011年7月の新潟・福島豪雨に直撃された。全長135.2㌔㍍のうち、会津坂下-小出間の113.9㌔㍍が不通になった。JR東は段階的に復旧を進めたが、会津川口-只見間は手をつけなかった。3つの橋梁が流失し、1つの橋梁が大きなダメージを受けたからだ。復旧に約85億円の費用がかかると試算されたため、JR東は廃止を匂わせながら、代行バスの運行を始めた。運行業務を請け負ったのはジオ・サイクル(只見町)だ。
只見線の平均通過人員(1㌔㍍あたりの1日平均旅客輸送人員)は、被災前の2010年度が370人だった。これはJR東の在来線67路線中66番目だ。最下位の岩泉線は、2010年7月の土砂崩れでバスへ移行したので、鉄道では只見線が最下位ということになる。
只見線のうち、会津若松-会津坂下間は平均通過人員が1000人を超えている。全体で同370人になったのは、この区間の稼ぎがあったからだ。会津川口-只見間に限定すると、同49人だった。今年3月末に廃止されたJR西日本の三江線は同66人なので、それよりも少なかったことになる。
只見線の中でも、会津川口-只見間は特に落ち込みが激しい。1988年は平均通過人員が184人だったが、2010年度は前述したように同49人になった。22年間でほぼ4分の1に減ったことになる。只見線全体ではほぼ半減なので、同区間の減少率の高さは際立っている。
同区間の2009年度の営業収入は約500万円だった。営業費(列車運行にかかる経費や固定資産税など)は約3億3500万円で、営業損益は約3億2900万円だった(小数点以下を切り捨てているので、合計値は合わない)。
輸送人員から判断すると、同区間はバスで十分に対応できる。鉄道を復旧させても、運行経費が増えるだけ。代行バスであれば、運行経費は年5300万円で済む。代行バスによる営業収入は年約300万円なので、営業損益は約5000万円に抑えられる。JR東が復旧に手をつけず、廃止に傾いたのは民間企業として当然の判断だ。
移動手段として見ると、鉄道より代行バスの方が利便性が高い。会津川口-只見間の運行本数は鉄道時代、1日3往復だった。代行バスは同6往復半。運行経費が安いので、鉄道時代の倍以上にしてもお釣りが来る。
鉄道駅は集落の外れにあったが、代行バス停留所は集落の真ん中に設置された。乗客の多くは高齢者なので、乗り場までの距離短縮は体力的な負担を軽くするメリットがある。
代行バスは、運転手と乗客の距離も近い。高齢者は運転手が話し相手になってくれるので、退屈しのぎになる。鉄道の乗務員は、乗客と切り離された位置にいるので、話しかけるのは不可能だ。
所要時間は、鉄道も代行バスも大して変わらない。鉄道が44分、代行バスが50分なので、その差は6分にすぎない。積雪による運休は、むしろ代行バスの方が少ない。
しかし、福島県と会津17市町村は、鉄道の復旧を強く望んだ。只見線は地域の生命線であり、観光振興の起爆剤という立場をとったのだ。新潟県と魚沼市もこれに同調し、沿線が一体となって復旧活動に取り組んでいくことになった。
両県と18市町村、それに会津総合開発協議会など関係団体は「JR只見線復興推進会議」を設立し、復興に向けて連携を図ることにした。JR東に復旧を要請するときは、同協議会として行うことが多かった。
福島県と沿線7市町(会津若松市と会津美里、会津坂下、柳津、三島、金山、只見6町)は、推進会議の下に検討会を設けた。こちらはより実務的な話をする場で、国土交通省とJR東がオブザーバーとして参加した。
福島県と金山、只見2町は復興の機運を高めるため、イベントやシンポジウムなどを開催した。輸送人員を増やすためのツアーも企画した。沿線の柳津、三島、金山、只見4町と魚沼市、それに沿線に近い昭和村は「只見線に手を振ろう条例」を制定した。列車を見たら、笑顔で手を振ることを促すという内容だ。
只見町は2014年7月17日、東京・大手町のサンケイビルで「六角精児×只見線トークイベント」を開催した。乗り鉄として知られる俳優・歌手の六角を招き、只見線について語ってもらおうという趣旨だ。サブタイトルは「黙々として語れ、その鉄道愛を~秘境ローカル線への愛の告白大集会~」。六角はその第2弾として、2016年6月11日にJR只見駅前広場で「只見線縁結びLIVE」を開催した。これがきっかけとなり、六角は「只見線のうた」まで制作した。
復旧費用は、前述したように約85億円と試算された。JR東はこの費用を単独で負担するのは困難という見解を明らかにした。このため、福島県は「只見線復旧復興基金」を設立し、復旧費用の積み立てを始めた。会津17市町村や民間にも協力を求めた。この活動に賛同した東邦銀行(福島市)は同基金に1000万円を寄付した。
【文と写真】角田保弘









