2020年東京五輪の野球・ソフトボールの一部試合が福島県内で開催されることになった。11月9日の東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(会長:森喜朗元首相)の理事会で了承されたもので、ただちに森から内堀雅雄福島県知事に伝達された。同委員会の遠藤利明副会長(前五輪相)が同席した。内堀は「心から感謝申し上げる。引き続き関係機関と連携しながら、一生懸命取り組んでいきたい」と回答した。
開催地については福島(県営あづま球場)、郡山(開成山野球場)、いわき(いわきグリーンスタジアム)の3市が立候補している。各球場ともナイター施設を完備しており、プロ野球公式戦の開催実績も豊富だ。同委員会と福島県が協議して、11月下旬までに3市の中から1つに絞り込む。12月上旬の国際オリンピック委員会(IOC)の理事会で正式決定する。メーン会場は横浜スタジアムに内定しており、福島県内では予選リーグの日本戦が開かれる予定。

東京五輪の一部競技を福島県内に誘致する構想は、2014年12月に内堀が打ち出した。 東京電力福島第一原発の事故により、「FUKUSHIMA」という地名は世界的に有名になった。同時に風評被害も深刻になった。内堀はこのマイナスイメージを払拭するため、「復興五輪」を謳う東京五輪に相乗りしようと考えたのだ。
これを受けて、福島、郡山、いわきの3市が「野球・ソフトボール競技を当市で!」と表明し、誘致合戦を始めた。3市は、2013年プロ野球オールスター戦の誘致でもしのぎを削った。このときはいわき市が誘致に成功し、同年7月にいわきグリーンスタジアムで第3戦が行われた。
今回の誘致合戦は、その第2弾である。福島市は「『FUKUSHIMA』で競技を開催すれば、国内外に復興をアピールできる」、郡山市は「福島県の中央にあり、首都圏とのアクセスが良い」、いわき市は「プロ野球オールスター戦や野球U-15W杯の開催実績がある」という点をそれぞれ強調した。

IOCは今年8月に総会を開き、野球・ソフトボールを追加競技とすることを正式に決定した。これを踏まえ、内堀は森に野球・ソフトボールの一部試合を福島県内で開催するよう要請した。森は「IOCからは任せると言われている。われわれとしても作業を始める」と応じた。
IOCのトーマス・バッハ会長は10月に来日し、安倍晋三首相と官邸で会談した。この席で、東京五輪の複数種目を東日本大震災の被災地で実施する構想を提案した。安倍は「歓迎したい」と答えた。バッハは会談後に取材に応じ、福島県内で開催が検討されている野球・ソフトボールについて「それも選択肢の一つだ。例えば日本チームが参加する野球の最初の試合をやれば、パワフルなメッセージの発信につながる」と述べた。

野球・ソフトボールの一部試合を福島県内で開催することは、IOCも前向きな姿勢を見せている。となると、ポイントは1つ。3市のうち、どこを開催地に選出するか、である。これについては、福島・県営あづま球場が有力視されている。

福島民報と福島民友新聞は9月21日付1面で「福島市が軸!東京五輪『野球・ソフト』あづま球場開催を検討」と報じた。
《2020年東京五輪の追加種目に決まった野球・ソフトボールを本県で開催する案を巡り、会場の候補として名乗りを上げている福島、郡山、いわきの3市のうち、福島市の県営あづま球場での開催を軸に検討が進んでいることが20日、関係者への取材で分かった》
両紙とも文章が同じなので、共同通信の配信記事と見られる。
これに続き、読売新聞福島版が9月28日付で「五輪 福島市開催で調整」と報じた。
《政府などが福島市を県内開催の本命とするのは、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故からの復興を世界にアピールするうえで、「FUKUSHIMA」の名前が効果的だと判断しているためだ。東北新幹線で首都圏との行き来がしやすく、政府関係者は「復興の姿を見てもらい、風評を払拭するためにも、福島市で開催することに意味がある」と語る》

福島が有力視される理由は、主に2つある。1つは新幹線が通っていること、もう1つは球場の収容人員が多いことだ。
3市の中で東京に最も近いのは、福島県の南端にあるいわきだ。ただ、新幹線が通っていないので、時間的な距離は福島、郡山より遠い。乗り心地も新幹線と在来線では比較にならない。しかも、新幹線は外国人にとって、サクラ、富士山、温泉旅館と並ぶ日本の代名詞だ。それ自体が1つの観光資源なので、開催地は新幹線の沿線でなければならない。

各球場の収容人員は、あづまといわきグが各3万人、開成山が1万8200人とされている。ただ、これは「外野の芝生席に観客を立った状態でスシ詰めにした」と仮定した場合の推計値だ。実際にそんなことしたら、怪我人が続出して大騒ぎになる。
3万人収容と言えば、千葉マリンスタジアムの規模だ。あづま、いわきグのスタンドは、同スタジアムのそれより明らかに小さい。その現実を無視して「3万人収容」と称するのは無理がある。開成山の「1万8200人収容」も誇大な数字だ。

プロ野球の観客数が実数発表になった2005年以降、各球場では定期的にプロ野球の試合が開催されている。その中で最も観客数が多かった試合は次の通り。
▽あづま=2006年6月13日「巨人対オリックス」=1万9442人
▽開成山=2013年8月6日「横浜DeNA対巨人」=1万4598人
▽いわきグ=2005年4月5日「楽天対日本ハム」=1万8794人
芝生席は1人ひとりのスペースが区切られていないので、観客がどれだけ入るのか判断が難しい。例えば、ひと昔前は私設応援団がブルーシートを敷いて、人数分以上の面積を占拠していた。そうした集団がいくつも存在すると、見込んでいた観客数を収容できなくなる。

2008年5月の広島対阪神(金沢・石川県立野球場)では、前売り券を持っているファンが入場を断られるというトラブルが起きた。興行主の北国新聞社は、外野席(石段)の収容人員6000人に対して前売り券5289枚と当日券約200枚を販売。計算上は約500人分の余裕があったが、試合開始時に超満員になった。試合の途中で収容不能になり、足止めを食らったファンが警備員に「仕事を切り上げてきたのに、どうなっているんだ!」と詰め寄った。北国新聞社は入場できなかったファンに平謝りし、約150枚の払い戻しを行った。

こういうことが稀(まれ)にあるので、主催者は発券枚数を抑えぎみにせざるを得ない。ぎゅうぎゅう詰めはトラブルの原因になる。チケット売り場に「完売」の表示が出ても外野席にすき間があるのは、そうした事情による。
県内3球場の最も観客数が多かった試合は、前述した通りである。これにすき間分(500~1500人)をプラスした人数が、実際の収容人員となる。あくまでも推計値だが、あづまが2万1000人、開成山が1万5000人、いわきグが2万人ぐらいではないかと思う。

開催地の絞り込み作業で最初に脱落したのは、新幹線が通っていないいわきと見られる。福島と郡山は新幹線が通っている。東京との距離は福島より郡山の方が約50㌔㍍近い。とはいえ、新幹線では15~20分の距離だから、大した違いではない。
違うのは、むしろ駅と球場の距離だ。JR郡山駅と開成山の距離は約2㌔㍍。これに対して、JR福島駅とあづまの距離は約10㌔㍍。開成山は市街地にあるが、あづまは郊外にある。開成山は試合の熱気を街全体に伝えやすいが、あづまは伝えづらい。郡山が福島県のほぼ中央にあることを加味すると、地理的な条件は福島より郡山の方が上だ。

一方で、開成山はあづまより収容人員が6000人ほど少ない。中継ブースは、あづまの5に対して、開成山はたったの1つ。これは決定的な差だ。
五輪となれば、テレビとラジオの中継が必ずある。試合は2カ国で行うので、実況ブースは少なくとも4つ必要になる。 あづま球場はその要件をクリアしているが、開成山はクリアしていない。開成山は2010年に大規模な改修をしたのに、なぜ1つしか作らなかったのか。理解に苦しむ。テントを張って仮設ブースを設置するという方法もあるが、五輪会場でそれをやるのは対外的にイメージが悪い。収容人員を加味すると、施設面は郡山より福島の方が上ということになる。
施設が整っている福島と地理的な条件がよい郡山。ここでは1勝1敗だが、関係機関は施設面を重視して、福島に傾いたのだろう。あづまが開催地になれば、隣接する陸上競技場や体育館でイベントが開催できる。陸上競技場には大型ビジョン(映像装置)もあるので、パブリックビューイングも可能だ。

【写真の説明】
・福島がスタート地点になった東京オリンピック・パラリンピックのフラッグツアー
・一部試合の誘致に成功した内堀雅雄知事
・東京2020ライブサイトin2016(上野恩賜公園)
・在来線のみのJRいわき駅。首都圏との距離は3市の中で最短だが…
・福島市の郊外にある県営あづま球場
・郡山市の市街地にある開成山野球場
・実況ブースが5つある県営あづま球場
・実況ブースが1つしかない開成山野球場
・大型ビジョンがある県営あづま陸上競技場。奥にあるのは県営あづま球場



『週刊ポスト』2016年11月11日号に「『地方都市』仁義なき大戦争~あの街だけは許せねェ!」という記事が載っている。ライバル意識が強い2つの都市に焦点を当て、対立の原因を探るという内容だ。具体例として挙がったのは、①札幌市と函館市②新潟市と金沢市③松山市と高松市④長野市と松本市⑤前橋市と高崎市⑥福島市と郡山市⑦旧浦和市と旧大宮市⑧山口市と下関市⑨岡山市と倉敷市⑩長崎市と佐世保市⑪四万十市(高知県)と四万十町(同)―の11組だ。
⑥は福島県の2大都市だ。距離は約50㌔㍍。人口は福島が28万2000人、郡山が33万6000人となっている。福島は「県都」、郡山は「経済県都」「商都」を自任している。郡山は明治、大正、昭和の各年代に県庁移転を目論んだが、いずれも失敗に終わった。そのシコリが残っているので、お互いにライバル意識が強いのは事実。だから、この特集で取り上げられるのは当然だと思うが、内容に違和感を抱いた。

記事によれば、福島側は次のように主張するのだという。
「仙台に買い物に行くなら、福島の方が近くて便利。東北大学にだって下宿せず通学できる」
これに対して、郡山側は「東京により近いのは郡山」と反論した上で、福島を「仙台市福島区」と揶揄するのだという。
すると、福島側は「郡山はアクセスが良いと言うけど、県の中心部にあるから、会津やいわき方面への電車が止まるだけ」と皮肉を口にするのだという。
このやり取りを踏まえ、記事は「お国自慢の争いではなく、『仙台に近い』『東京に近い』で争う、当事者不在の『代理戦争』と化している」と締めくくられている。

福島と仙台の距離は約80㌔㍍。通学できる範囲にあるが、東北本線や高速バスだと約1時間20分かかる。実際は周りが思うほど近くない。もちろん、仙台に通学している人もいるが、だからと言って、それを郡山側に誇示するだろうか。仙台に依存しているという印象を与えれば、福島の主体性のなさが浮き彫りになる。それこそ、福島が「仙台市福島区」であることを認めたようなものだ(買い物については別の機会に述べる)。
郡山側に対する皮肉もリアリティに欠ける。郡山は福島県のほぼ中央にあり、磐越東線(いわき方面)、磐越西線(会津若松方面)、水郡線(石川・棚倉方面)の起点になっている。それが、郡山のセールスポイントである。「県庁を郡山に!」という声が根強いのも、立地条件が良いからだ。その状況で福島側が「郡山は県の中心部にあるから、会津やいわき方面への電車が止まるだけ」と指摘すれば、皮肉どころか、墓穴を掘ることになる。郡山の優位性を認めたことになるからだ。
郡山側の反論もピンと来ない。東京との距離は、郡山が約220㌔㍍、福島が約270㌔㍍。これが50~100㌔㍍の範囲なら、どちらがより近いかという話になるだろう。しかし、200㌔㍍以上になったら、50㌔㍍の差は五十歩百歩だ。その程度の差でどちらが優位かを争うのは、ナンセンスだ。

この記事は、福島県民の一般的な感覚にマッチしていない。相当なズレがある。地域対立の話が盛り上がるインターネットの掲示板でさえ、「福島は仙台に近い」「郡山は東京に近い」という書き込みは皆無だ。この記事は現実離れしているので、半ばフィクションと受けとめた方が良い。
「福島VS郡山」を主題にして記事を書くなら、やはり県庁をめぐる争いに焦点を当てるべきだった。インターネットを検索すれば、いくらでも参考資料が出てくる。せっかくいいネタがあるのに、なぜ、わざわざ「仙台や東京との距離で争っている」という話を持ち出したのか。『週刊ポスト』のセンスを疑いたくなる。

県庁移転は福島県にとって、古くて新しい問題だ。過去を振り返ると、県北地方と相馬地方が移転に反対し、それ以外の地域が賛成に回ることが多かった。県会は1885年に郡山への県庁移転を可決し、上申書を旧内務省に提出した。しかし、旧内務省はこれを却下し、翌1886年に福島から最も遠い東蒲原郡を新潟県に編入させた。

昭和末期から平成初期にかけての時代は、県立美術館とふくしま国体メーン会場をめぐる争いがあった。両方とも建設地は福島が有力とされていたが、郡山側が「土地を福島県に提供する」という条件を提示し、誘致を表明した。危機感を抱いた福島側が巻き返しを図ったため、誘致合戦がヒートアップした。結果は両方とも福島に建設され、郡山の敗北に終わった。郡山はその後、市立美術館を建設し、県立美術館の代替施設とした。

郡山の県庁移転にかける情熱は、平成になっても消えていない。近年は山口勇(元県議会議長・郡山市)が同市内数ヵ所に「福島県庁を郡山市へ」という看板を設置し、その必要性を訴えてきた。2011年9月には「福島県庁を郡山市に移転推進する会」が設立され、高木厚保(元若松ガス会長、元会津若松商工会議所会頭)が会長に就任した。
同会は翌2012年5月、郡山市公会堂でフォーラム「ふくしまの復興・未来は県庁移転から~県庁・県警本部はど真ん中に!~」を開いた。同会最高顧問の根本良一(元矢祭町長)がコーディネーター、原正夫(郡山市長)=当時=、川田昌成(県議・須賀川市)、渡部英敏(会津美里町長)、猪狩利衛(元富岡町議会議長)、辺見美奈子(元白河市議)、小平太(小平自動車工業社長・須賀川市)の6人がパネラーとして発言した。この中で、辺見は「へその部分に県庁を置くべきだ。私たちは距離や時間の面で長年不便を強いられてきた」と強調。また、小平は「県庁が福島市にあると所要時間がかかり過ぎて、無駄や浪費がかさむ」と指摘した。
同会は現在、目立った活動をしていない。会長の高木が2013年8月に亡くなったことに加え、県庁移転より復興の方がより重要な課題になったからだ。同会のホームページを見ると、会長はいまだに高木のままになっている。他の欄も更新されてないので、2012年に開いたフォーラムが事実上、最初で最後の活動になりそうだ。

福島県の復興をめぐっては、2つのグループが旗振り役を演じた。1つは大友良英(ミュージシャン)が率いる「プロジェクトFUKUSHIMA」、もう1つは箭内道彦(クリエイティブディレクター)が率いる「風とロック」だ。両者は2011年にそれぞれ活動を始め、大規模なイベントを開催した。同じような活動を別々にやっていたため、2人は知り合いに「君たちは仲が悪いのか?」とよく聞かれたという。
2人の不仲説が流れた理由は他にもある。大友が福島育ち、箭内が郡山出身だったので、周りは「やっぱりな…」と解釈したのだ。
それぞれの仲間も見逃せない。大友は同じ福島高校OBの遠藤ミチロウ(スターリン)、和合亮一(詩人)の2人をプロジェクトFUKUSHIMAに引き入れた。一方の箭内は安積高校OBだ。震災直後に会津高校OBの山口隆(サンボマスター)、双葉高校OBの渡辺俊美(TOKYO_No.1_SOUL_SET)、白河高校OBの松田晋二(THE BACK HORN)の3人と猪苗代湖ズの活動を再開し、NHK紅白歌合戦にも出場した。「福島VS郡山・会津・双葉・白河連合」という構図は、県庁移転をめぐる争いと全く同じ。だから、余計に「大友と箭内は不仲」と見られたのだ。

実際は不仲ではなく、それまで接点がなかっただけだった。2人は2014年にラジオ番組で共演したことなどから意気投合し、箭内が「フェスティバルFUKUSHIMA!2014納涼!盆踊り」(福島・街なか広場)、大友が「風とロック芋煮会2014」(郡山・開成山野球場)にそれぞれ友情出演した。箭内はフェスティバルFUKUSHIMAのステージ上で「福島と郡山は仲良くしなければならない。郡山は県庁移転なんて要求しない」などと言った。
箭内がフェスティバルFUKUSHIMAに出演したのは2014年の1回限りだった。ただ、義理堅い性格のようで、2015~2016年は会場に協賛広告(名入りのぼり旗)を出した。「箭内道彦」と書かれたその広告は、ステージ正面の最も目立つ位置に掲げられた。

【写真の説明】
・福島市の中心部(JR福島駅東口)
・郡山市の中心部(国道4号)
・JR郡山駅のホームで待機する磐越西線の電車
・信夫山の麓に建設された県立美術館
・ふくしま国体のメーン会場となった県営あづま陸上競技場
・「フェスティバルFUKUSHIMA2014」で顔を合わせた大友(左)と箭内
・協賛広告(名入りのぼり旗)を出した箭内

秋の収穫を祝い、悪霊を追い出すイベント「ハロウィン!!ふくしま!!2016」は10月29日、福島市の街なか広場で行われた。福島市商店街連合会と福島市商店街連合会青年部の主催で、今回が3回目。悪霊だけでなく、原発事故による風評被害も追い出して、街に元気を取り戻そうという目的もある。
アメリカのハロウィンは、子どもがお化けの格好をして「トリック・オア・トリート!(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!)」と大人に要求するイベントである。それが日本に持ち込まれ、近年になって盛り上がりを見せている。市場規模はバレンタインデーを上回ると言われる。
日本では街なかでコスプレをするイベントになっている。主役は若い女性で、東京・渋谷ではナースやミニスカポリスに扮する人もいる。目立ったモンが勝ちというムードが広まっているので、当然のように肌の露出度が高まりつつある。一方、男性はヒーローやアニメのキャラに成り切る人が多い。

ハロウィン!!ふくしま!!ではコスプレをした人たちがステージに上がり、藤原カズヒロ(FMふくしまパーソナリティ)のインタビューを受けた。仮面をつけたり、特殊メイクで悪霊になった人が多かった。お姫さま、ピエロ、ドナルド・トランプの格好をした人もいた。「わらじまつり」の担ぎ手も登場した。福島テレビの取材陣が現れると、子どもたちはすぐさまカメラの前で「ワー!キャー!」と騒いだ。
続いて駅前商店街をパレードし、Uターンするときに記念撮影した。カートに乗ったマリオが先導役を務めた。参加人数が多かったため、パレードは2組に分けられた。この写真は11月下旬に発行されるタウン誌『シティ情報ふくしま』に載る予定。参加者はそれに写りたくて、ド派手な格好をしてきたのだ。人生の記念品をつくるために…。


このほか、ステージではサンドウィッチマンのライブが行われた。午前はFMいずみ「ラジオやらせろ!」の公開録音、午後はFMポコ「まいどくん参上」の公開生放送を兼ねていた。単独ライブではなく、午前は福島市のお笑いコンビWドリブル、午後は福島市の商店街キャラまいどくんと絡んだ。
ラジオやらせろ!は、伊達みきおと富澤たけしの2人がFMいずみがある仙台市泉区出身という縁でスタートした。初回放送は2007年7月。その直後にサンドウィッチマンはM-1で優勝し、知名度が全国区になった。それでも2人は降板せず、スケジュールの合間を縫って番組録音に臨んでいる。
同番組は、売れない時代が長かった2人にとって、初めての冠番組だった。FMいずみに「ラジオ(のパーソナリティを)をやらせてください!ギャラなしでかまいません」と直談判し、レギュラーの座をゲットした。番組名は、そのときのセリフに由来している。その恩があるので、売れっ子になってもギャラをもらっていない。現在はFMいずみをキーステーションに、東北26、茨城1の計27局がネットしている。いずれもコミュニティFMだ。

サンドウィッチマンは、福島県との縁が深い。伊達はサラリーマン時代の3年間、郡山市に住んでいた。その名字が示すように「独眼竜政宗」で知られる伊達氏の分家の末裔にあたる。伊達氏の発祥地は伊達市。このため、同市は今年8月、合併10周年記念として創設した「伊達なふるさと大使」第1号にサンドウィッチマンを任命した。富澤は伊達氏の末裔ではないが、同市に富沢という地名があるため、大使にふさわしいとされた。委嘱状の交付式は同市保原総合公園で行われ、仁志田昇司市長が2人に委嘱状を手渡した。

ハロウィーン!!ふくしま!!の午後のステージでは、お菓子が話題になった。まいどくんが「福島のお菓子では何が好きですか?」と質問すると、伊達は「いもくり佐太郎」と回答した。さつまいもを使ったスイートポテトに白あんと栗を練り込んだ和風のお菓子だ。フジテレビ系「とんねるずのみなさんのおかげでした」の食わず嫌い王選手権で関根勤が紹介し、有名になった。関根の妻が福島出身なのだという。
ステージの机の上には酪王カフェオレ、ペヤングヌードル、カルビーポテトチップスいかにんじん味が置かれた。酪王カフェオレは酪王乳業(郡山市)が製造しており、全国に熱烈なファンがいる。ネット上に「福島酪王カフェオレ会」が立ち上がり、2013年に東京・秋葉原で「酪王カフェオレファンの集いin秋葉原」 が開催されたほどだ。サンドウィッチマンの2人も「大好き」と公言している。ペヤングヌードルはまるか食品(群馬県伊勢崎市)が製造しており、サンドウィッチマンがそのコマーシャルに出演している。

カルビーポテトチップスは、誰でも知っているブランドだ。ただ、いかにんじん味は地域限定発売なので、知る人ぞ知るだろう。
いかにんじんは、福島県の郷土料理だ。千切りにしたスルメとにんじんをしょうゆ漬けして、昆布とかつおぶしで風味を出した。主に秋から冬にかけて作られるが、スーパーでも完成品が販売されている。タレントの佐藤B作(福島市飯坂町出身)が10年ほど前にテレビ番組で紹介し、郷土料理として売り出そうという気運が高まった。
この味をポテトチップスで再現できないかと考えた人がいる。カルビーの伊藤秀二社長兼COO(福島市飯野町出身)その人だ。福島市の小林香市長と懇談しているとき、郷土料理をポテトチップスの題材にすることを思いつき、いかにんじんに白羽の矢を立てた。子ども頃から馴染みのある味だったからだ。

福島市職員に試食してもらいながら改良を繰り返し、10カ月後に完成。今年5月9日に約15万袋が青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城、栃木、群馬、長野、新潟の計11県で発売され、すぐに売り切れた。6月20日に約29万袋が同じ11県で再発売されたが、これもすぐに売り切れた。8月8日に約40万袋が同じ11県で再々発売され、またもや売り切れた。カルビーポテトチップスの地域限定商品が再々発売まで行くのは異例だ。
サンドウィッチマンは、カルビーポテトチップスいかにんじん味を知らなかった。その場で口にして、「おいしいですね~」と感想を口にした。