東京電力福島第一原発の事故に伴い、国の避難指示区域以外から福島県内外に避難した人々がいる。一般的には「自主避難者」と呼ばれている。避難先では住宅が無償提供されているので、本人が家賃を負担する必要はない。とはいえ、この特例措置が来年3月末に打ち切られるので、自主避難者は今後、どこにどうやって住むかを決めなければならなくなった。
選択肢は、次の3つが考えられる。①避難する前の居住地に戻る②家賃を自己負担して避難先に住み続ける③避難する前の居住地と訣別して、避難先に自宅を構える。
経済的な負担を考えると、最も現実的な選択肢は①だ。ただ、放射線に対する考え方がシビアな自主避難者にとって、最も選択したくないのが①である。
経済的に余裕のある人は②を選べばよい。さらに一歩進んで、生活の拠点を完全に移す③のような選択もある。

一方で、この特例措置を来年4月以降も継続してほしいと訴え、その実現を呼び掛けている人々もいる。「原発事故被害者団体連絡会」(通称:ひだんれん)のメンバーだ。
彼らは11月28日から12月2日までの5日間、福島県庁で特別措置の継続を訴えた。28日は県庁本庁舎2階の知事室に向かったが、秘書課の手前で職員に行く手を阻まれた。定例の記者会見に臨む内堀雅雄知事が近くを通りかかると、メンバーは「直訴」と書いた封筒を渡そうとした。しかし、職員に阻止され、渡すことができなかった。内堀に代わって生活拠点課の職員が応対。メンバーは引き続き「直訴」と書いた封筒を手にし、なおも内堀との面会を要求した。職員は封筒を受け取り、知事に報告すると明言したが、メンバーは納得しなかった。そうしたやり取りの末に、メンバーは1時間半後にその場を後にした。

翌日以降は毎朝、福島県庁前に立ち、出勤する職員らに向かって「内堀知事は被害者の声をきけ!」「住宅の無償提供の延長を!」「住まいを奪うな!」といったプラカードを掲げた。職員らはそれらの光景をチラッと目にしながら、素通りした。12月1日は生活拠点課、翌2日は秘書課の職員と話し合ったが、内堀との面会は実現しなかった。 
新聞各紙は、これらの活動をあまり報道しなかった。毎日新聞福島版(29日付)と河北新報(同)は28日の「騒動」を写真付で取り上げたが、地元紙の福島民報と福島民友新聞は完全にスルーした。
避難者の動向をウォッチしている「民の声新聞」というウェブサイトがある。鈴木博喜発行人は、前述した内堀の記者会見に出席し、自主避難者に対する方針を質そうと考えた。しかし、会見への参加は認められたものの、質問と写真撮影については記者クラブ幹事社、県広報課の双方から「前例がない」という理由で禁じられたという(11月29日付)。

ひだんれんは12月4日、福島県教育会館(福島市上浜町)で「原発事故被害者を切り捨てるな!」と題する集会を開いた。避難者や支援者ら約130人が参加し、「来年4月以降も住宅無償提供を継続しろ!」「放射線リスクを回避しようとするのは、人として当然の権利だ!」などと訴えた。
このあと、参加者は福島市の中心部をデモ行進した。和製パンクバンド「切腹ピストルズ」が太鼓を打ち鳴らして先導した。コースは約3・5㌔で、AXC(旧長崎屋福島店)前やJR福島駅東口など人通りが多い場所も通過した。出発して1時間半後の午後4時にゴールの福島県庁前に到着。ここでメンバーは握手などを交わし、解散した。
翌5日付の新聞各紙を確認してみた。この集会&デモを報道したのは毎日新聞福島版と福島民友新聞だけだった。毎日は写真付、民友は2面にベタ記事(文字のみ)。この手の話題に関心が高いはずの朝日新聞、11月29日付で避難者の「直訴」を取り上げた河北新報は共にスルーした。

ひだんれんは、地元メディアの対応をフェイスブックで次のように批判している。
《今回の集会とデモは、事前に記者会見して周知したにもかかわらず、地元紙や地元テレビ局の取材はありませんでした。私たちは12月県議会に住宅無償供与継続の請願を出す、前ぶれとしてこの集会とデモを計画したのですが、地元メディアが避難を継続しようとする県民の切り捨てに対し抗議する動きを報道しないのは、どういうことなのでしょうか?》
福島市内で約1時間半のデモを行っても、それをじかに目にするのはせいぜい1000人程度だ。仮に目にしても、プラカードを凝視しなければ、何のデモなのか分からない。デモは報道されて初めて効果を発揮する。報道されないデモは、自己満足のパフォーマンスに等しい。

地元メディアはなぜ、ひだんれんの活動にこれほど冷淡なのか…。理由は1つ。福島県全体に自主避難者を敬遠するムードが漂っているからだ。
避難指示区域以外に住んでいる県民の大半は、原発事故後も居住地を変えていない(進学や就職など個人的な事情による転居は除く)。放射線リスクが云々されても、避難せず、そのまま踏みとどまった。原発事故から5年8カ月がたった現在は、日常生活を取り戻しつつある。
だから、ひだんれんの「原発事故の被害者を切り捨てるな!」という主張が理解できない。「住宅無償提供の打ち切りに反対するぐらいなら、避難生活をやめて、元の居住地に戻ればいいではないか」と受けとめているのだ。
理解できないどころか、反感を抱いている人も多い。
「あいつらは自分の行動を正当化するために、避難先で『福島県は放射線リスクが高い。帰還するなんてとんでもない』などと触れ回っている。福島県民のくせに、復興の妨げになるようなことをしている。風評被害の元凶はあいつらだ」と。
同じ場所に住んでいながら、一方は避難し、一方は踏みとどまった。放射線リスクに対する認識の違いが、それぞれの行動を分ける形になった。最初は小さな違いだったが、原発事故から時間がたったことで、両者の間に深い溝ができた。同じ県民でありながら、相容れない関係になったのだ。

知事の内堀は、踏みとどまった派である。風評被害の払拭を図る立場なので、福島県庁に押し掛けたメンバーを批判したい気持ちもあるだろう。しかし、立場上、それはできない。何か言えば彼らを怒らすだけなので、あとは面会を拒否し、沈黙を守るしない。
地元メディアも立場は同じ。デモを大きく取り上げれば、メンバーの主張に賛同したと解釈されかねない。それを避けるためには、黙殺するのが一番だ。
知事やメディアでさえ、こうなのだ。デモをじかに目にして、それが自主避難者の集団だと知った一般人の反応は実に冷ややかだった。中には「◯◯◯◯」という差別用語を口にした人もいた。デモの参加者にとって、今の福島県は完全な敵地。目立つことをすれば、同情されるどころか、かえって反感を買うという構図になっている。

TBC東北放送ラジオは平日朝、「Goodモーニング」という情報番組を放送している。メーンパーソナリティは、月曜と火曜が松尾武(TBCアナウンサー)、水曜~金曜が飯野雅人(同)。番組の中に「ニュースクローズアップ」というコーナーがある。日替わりのゲストコメンテーター(仙台の大学教員、ジャーナリストなど)が、その日の朝刊で取り上げられたニュースを解説するという趣向だ。
8月29日放送の同番組では「原発避難、住宅支援打ち切り撤回を(山形)」が話題になった。ニュースソースは河北新報の記事である。
《東京電力福島第1原発事故の影響で福島県から山形県に移り住んだ自主避難者や支援者が28日、「住宅支援の延長を求める会」を設立した。山形県米沢市内で発足式を同日開き、来年3月で自主避難者に対する住宅無償提供を打ち切る方針を示している福島県に方針撤回を求めるとともに、支援の輪を山形県内外に広げていくことを確認した(以下略)》
この記事を読んだゲストコメンテーター(大学教員)は、福島県の方針に疑問を呈し、「住宅無償提供を継続すべきだ」とコメントした。それを聴いて「解説になっていない」と感じ、このブログに書いたようなことを約100字にまとめて番組にメールした。スタッフがそれをゲストコメンテーターに見せたかどうかは分からない。

原発事故は、福島県にさまざまな被害をもたらした。避難の途中に亡くなった人もいるし、窮屈な仮設住宅暮らしで体調が悪化した人もいる。風評被害で農産物は売れなくなるし、経営環境の激変で事業が成り立たなくなった会社も多い。除染は進んだものの、中間貯蔵施設の用地確保が遅れているため、汚染土壌が依然として仮置き場に山積みになっている。
県民同士のいがみ合いも深刻だ。補償金を得なかった人は、補償金を得た人をやっかみ、「あいつらは遊んで暮らしている」などと陰口を言っている。放射線リスクに対する認識の違いは、県民を自主避難者と踏みとどまった派に二分し、これまで述べてきたような対立を引き起こした。
これもまた原発事故の後遺症である。福島第一原発の廃炉に要する時間は30~40年と言われるが、壊れた人間関係の修復にも相当な時間がかかる。原発が立地する道県はこうした現実を踏まえた上で、再稼働に同意するかどうかを判断した方がよい。









放送事業者は、放送法第6条第1項に基づき、放送番組審議機関の設置が義務づけられている。放送番組の適正を図るためで、審議会は放送事業者の諮問に応じて答申や意見を述べる。事業者はこれを尊重し、必要な措置をとるよう定められている。
委員は、事業者に任命された学識経験者らが務めている。人数は、地上波テレビ局が7人以上、それ以外が5人以上となっている。NHKについては、全国放送を対象にした中央放送番組審議会が15人以上、地域放送を対象にした地方放送番組審議会が7人以上、NHKワールドを対象にした国際放送番組審議会が10人以上となっている。
第三者機関のような体裁をとっているが、委員を任命するのは事業者だ。厳しい指摘をするうるさ型は事前に排除されるので、必然的に「与党委員」ばかりになる。番組の質や内容に踏み込むことは少なく、あってもなくても大して変わらないというパターンに陥りやすい。

私が住む福島県には民間テレビ局が4局ある。フジテレビ系の福島テレビ(FTV・1963年開局・福島市)、日本テレビ系の福島中央テレビ(FCT・1970年開局・郡山市)、テレビ朝日系の福島放送(KFB・1981年開局・郡山市)、TBS系のテレビユー福島(TUF・1983年開局・福島市)だ。
法律にしたがって、各局は放送番組審議機関を設置している。委員の人数は、福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送が各8人、テレビユー福島が7人となっている。委員長は、福島テレビが高城俊春県芸術文化団体連合会長、福島放送が阿部亜巳弁護士、テレビユー福島が諸橋英二諸橋近代美術館長(ゼビオ創業者一族)。福島中央テレビは、委員長というポストを設けていない。
審議会は、各局とも概ね1カ月に1度の割合で開催している。その内容は各局のホームページで公表されている。要約なのではっきりしたことは言えないが、事業者に厳しい意見をぶつける委員は少ないようだ。

福島放送は11月30日、郡山市桑野の本社において第333回番組審議会を開催した。出席委員は、阿部亜巳委員長(前出)、桑野聡副委員長(郡山女子短期大学准教授)、橘あすか委員(福島インフォメーション&マネジメント社長)、森北喜久馬委員(朝日新聞福島総局長)、続橋英一委員(JA全農福島副本部長)、満田美幸委員、三浦謙一委員(大東銀行取締役営業企画部長)の7人。福島放送からは、福家康宣社長、和知隆寿取締役、関山吉宣取締役報道制作局長、吉田光利報道制作局報道部長の4人が出席した。
この日の議題は、11月14から18までの5日間に放送された「ふくしまスーパーJチャンネル第3部」。夕方の情報番組のローカル部分だ。
委員からは「原稿の読み方がゆっくりで、忙しい時間帯でも聞きやすい」「一日の出来事がわかりやすく伝えられている」という評価の一方で「事実関係を伝えるだけでなく、違う切り口でも伝えてほしい」「横浜のいじめ問題は、全国ニュースとは違う視点で掘り下げて欲しかった」などの意見があった(同局のホームページより)。
いずれもありがちな意見で、特に目新しいものはない。

番組審議会の模様は、同じグループ会社の朝日新聞福島版でも紹介されている。第333回番組審議会は12月3日付の紙面に載っている。
《この週は、原発事故で横浜に自主避難し、いじめにあった中学生の問題を3日取り上げた。審議委員からは「他県でのできごとをローカル枠で扱ったことは評価できる」との声も出たが、「中央のニュースを繰り返しているだけ」「福島の放送局として、もっと掘り下げる方法はあったはず」と批判が多かった》
福島放送のホームページに比べると、文章の書き方がストレートだ。これを読むと、番組審議会に対する印象も変わる。名ばかりの審議機関と思っていたが、実際は事業者に厳しい指摘をする委員もいるのだ。
同じ紙面には、委員のこんな話も載っている。
《番組全体としては「他局、特にFCTに比べて暗く、ださい。キャスターの表情や服装も含め、もっと楽しい雰囲気作りをしてほしい」「天気だと気象予報士の斎藤恭紀さんが出ているFTVを見てしまう。夕方のニュースならKFBを見ようという目玉コーナーを増やすことが必要」など他局と比較した苦言が相次いだ》
辛らつな意見である。そこまで言うか?と福島放送に同情したくなるほどだ。

あいにく、私は地デジ完全移行(福島県は2012年3月31日)と同時にテレビにサヨナラしたので、最近の福島放送が暗くてださいのかどうか、さっぱり分からない。だから、これについてはコメントができない。
天気予報で引き合いに出された斎藤恭紀は、東北放送キャスターから衆院議員(旧民主党)になった。1期で引退し、2014年から福島テレビに出演するようになった。私は福島テレビの斎藤を知らないが、東北放送時代の斎藤は知っている。東北放送ラジオによく出演していたからだ。「TBC夏祭り」で実物を見たこともある。斎藤が立っていると、周りに人垣ができた。「えらく人気があるな…」と思ったものである。今は福島県で人気者になりつつあるのだろうか。

アナウンサーは放送局の顔である。視聴者はアナウンサーを通じて、その局の好き嫌いを決める傾向がある。福島放送が暗くてださいとすれば、アナウンサーにも多少の責任はある。
福島放送の現役アナウンサーは次の10人だ。
△安藤桂子(福井県鯖江市出身)△池田速人(東京都出身)△飯田麻菜美(八王子市出身)△今泉毅(田村市出身)△猪俣理恵(会津若松市出身)△内田智之(神戸市出身)△笠置わか菜(高松市出身)△新田朝子(札幌市出身)△樋口陽一(さいたま市出身)△山崎聡子(東京都出身)
このうち、私がテレビで見た記憶があるのは池田、今泉、猪俣、笠置の4人だ。池田とは会話したこともある。県営あづま陸上競技場(福島市)で東京電力女子サッカー部「マリーゼ」の試合が行われたときだ。東北放送のアナウンサーが次々と国会議員になっている時期だったので、「池田さんは選挙に出ないんですか?」と聞いた。池田は苦笑いした。笠置も実物を見たことがある。参院選の投票日(7月10日)、増子輝彦の選挙事務所に居た。増子に当確が出ると、マイクの束を持って壇に上がった。
新田はテレビで見たことはないが、実物を見たことはある。昨年11月に福島市で開催された「ももりんダッシュ2015」のキャスター対決に出場したからだ。

内田は、取材を受けたような記憶がある。2012年8月に二本松市で開かれた黒川清国会事故調査委員長の講演会。私は挙手して、黒川に質問した(事前に質問内容を主催者にファックスしていた)。講演会が終了すると、「福島放送ですが…」と名乗る男性にマイクを向けられた。短髪で、肌が浅黒かった。カメラマンが同行していた。「私の話は過激なので、番組では使えませんよ」と遠回しに取材を拒否すると、男性は「編集しますから…」と回答した。私が「黒川委員長の話はおかしい。私の質問をはぐらかした。信用できない」と指摘すると、男性は「すいません。やはり使えません」と言った(本ブログ2013年1月14日付「国会原発事故調査委員会の黒川清委員長が二本松市で講演~質問をした私のところに福島放送の取材陣が…」参照)。あのときの男性は、内田ではないかと思う。

全国的に見ると、「県名+放送」を社名にしているのは、多くの場合、その県で最も歴史のある民間放送局だ。筆頭株主は地元紙で、AMラジオとテレビの兼営局というケースが多い。その中で、福島放送は例外的な存在だ。県内では3局目と後発で、AMラジオ局も併設していない。福島県はラ・テ兼営局がなく、代わりに地方では珍しいAM単営のラジオ福島(福島民報社系)がある。
これは、2つの地元紙(福島民報社と福島民友新聞社)が並び立っているという福島県の特殊事情による。現在の福島テレビが開局するとき、両地元紙は経営権をめぐって争った。福島民報社が経営権を手にすれば、ラジオ福島がラ・テ兼営局になり、「福島放送」と改称していただろう。しかし、福島民友新聞社も譲らなかったため、調整がつかず、テレビ局の開局が遅れに遅れた。痺れを切らした県民は「いつまで争っているんだ!早くやれ!」と激怒。傍観できなくなった福島県が仲裁に入り、そのまま福島テレビの筆頭株主になった経緯がある。

テレビ朝日系列(フルライン)は全国に24局ある。このうち、青森朝日放送、岩手朝日テレビ、秋田朝日放送、北陸朝日放送(金沢)、長野朝日放送、山口朝日放送、愛媛朝日テレビ、長崎文化放送、熊本朝日放送、大分朝日放送、琉球朝日放送の11局は1989年以降に開局した平成新局だ。TBS系列に比べると、テレビ朝日系列は後発局が多い。
後発局は社名を見ただけで、それと分かる。県名と放送(テレビ)の間に、既存局との違いを打ち出すための2文字が入っているからだ。テレビ朝日系列局は、その部分に「朝日」を入れることが多い。全24局の中で老舗局風の社名(県名+放送)を名乗っているのは、福島放送と鹿児島放送の2局だけ。鹿児島県は、1局目が南日本放送(TBS系)、2局目が鹿児島テレビ(フジテレビ系)という社名をつけたので、3局目が鹿児島放送を選択した。ちなみに、4局目の社名は鹿児島讀賣テレビ(日本テレビ系)だ。

福島放送の番組審議会は事業者に厳しい見方をするが、ときには誉めることもある。10月26日に開かれた第332回番組審議会では、議題になった9月25日放送「希望のレール~被災しへ燃料を!鉄道マンの挑戦記~」を高く評価した。
この番組は、福島放送開局35周年記念として制作された。主役は、横浜から郡山まで貨物列車で燃料を輸送した鉄道マンだ。
東日本大震災により、福島県は燃料不足が深刻になった。ガソリンスタンド前には車の長い行列ができ、ストーブの灯油もこと欠いた。そのとき、国土交通省や経済産業省からJR貨物に「燃料を運んでほしい」という要請があった。ただ、JX日鉱日石エネルギー根岸製油所(横浜)から備蓄タンクのある郡山に燃料を運ぶのは困難な状態になっていた。東北本線が大きなダメージを受けたからだ。苦肉の策として、JR貨物は新潟を経由し、磐越西線で燃料を運ぶことを思いついた。同線も震災でダメージを受けたが、東北本線よりは軽傷だった。レールを管理するJR東日本は復旧に全力を挙げ、震災から2週間後の3月25日に全線を開通させた。磐越西線は一部区間の傾斜がきつく、しかも2007年以降は貨物列車を運行していなかった。このため、JR貨物はJR東日本と協議し、何度もシミュレーションをした上で貨物列車を運行した。

福島放送は、当時の再現シーンや関係者へのインタビュー、映像などを交えながら、困難に立ち向かう鉄道マンたちの姿を描いた。郡山市出身の女優・芦名星がナレーションを務めた。
《委員からは「内容が濃く、丁寧な作りで当時の大変な状況が伝わってきた」「絵本の朗読、インタビューや再現ドラマ、それぞれがバランスよく描かれていた」という評価の一方で「運転士だけでなくそれ以外の人たちの苦労も掘り下げてほしかった」「運転士を確保する大変さがわかりにくかった」などの意見があった》(同局のホームページより)

一方、朝日新聞福島版(10月29日付)は番組審議会の模様を次のように紹介している。
《「あっという間の1時間だった」「胸を熱くした」など評価する声が相次いだ。(中略)審議会では「盛りだくさんの内容ながら、よく整理されていた」「鉄道に関心のない人にも分かりやすく伝えるくふうがされていた」など肯定的な意見が多く、「ぜひ再放送を」という声も複数の委員から出た》
テレビのない私は、この番組も見ていない。ただ、鉄道好きなので、おもしろい内容だったことは容易に想像できる。極端に言えば、誰が番組制作を担当しても感動ドラマにできる題材だ。それに目をつけたことが、福島放送の勝因だ

【写真の説明】
・郡山市の新興商業地にある福島放送本社
・開成山野球場に掲げられたテレビ各局の看板
・県営あづま球場に横づけされた福島放送の中継車
・開成山野球場に横づけされた福島放送の中継車
・亀岡義尚民進党福島県連幹事長にインタビューする笠置アナウンサー
・ももりんダッシュ2015に出場した新田アナウンサー(中央)
・ももりんダッシュ2014に出場した内田アナウンサー(右端)

第28回市町村対抗県縦断駅伝競走大会(通称:ふくしま駅伝)は11月20日、白河市総合運動公園をスタート、福島県庁前をゴールとする16区間95.1kmのコースで行われた。福島陸協、福島民報社の主催、福島県、福島県教委、ラジオ福島、テレビユー福島の共催。県内59市町村のうち、52市町村は単独チームで参加した。人口が少ない三島、金山、檜枝岐、湯川、昭和、川内、葛尾の7町村は連合チーム「希望ふくしま」としてオープン参加した。
総合・市の部は会津若松が5時間59秒で2年連続3度目の優勝を飾った。2位の郡山に4分39秒の大差をつけた。町の部は石川が5時間15分24秒、村の部は平田が5時間19分50秒でそれぞれ初優勝した。総合では石川が7位、平田が11位だった。平田は前回の総合21位から一気に順位を上げた。希望ふくしまは5時間41分32秒と健闘した。オープン参加なので順位はつかなかったが、総合では29番目に相当するタイムだった。

全16区間のうち、最長の10区(9.3Km)には各チームのエース級がエントリーした。区間賞候補は、星創太(会津若松)、圓井彰彦(鮫川)、遠藤日向(郡山)の3人。社会人と高校生のトップ選手が同じ土俵で勝負をする機会は少ない。その少ない機会の1つが、ふくしま駅伝だ。実業団で活躍する星、圓井に対して、高校生の遠藤がどこまで食い下がることができるか…。陸上ファン注目の区間になった。

星は会津工高―駒澤大―富士通というコースを歩んだ。高校時代は目立つ存在ではなかったが、高校の先輩でもある大八木弘明監督が率いる駒大に進学して頭角を現した。同期の宇賀地強(コニカミノルタ)、深津卓也(旭化成)、高林祐介(トヨタ自動車)と共に「駒澤最強世代カルテット」を形成した。卒業後は富士通に入社。2013年の日本選手権5000mに出場し、鎧坂哲哉(旭化成)、上野裕一郎(DeNA RC)らを抑えて優勝した。5000mの自己ベストは、2014年のホクレンディスタンスチャレンジ北見大会で記録した13分38秒46。

圓井は田村高―法政大―マツダというコースを歩んだ。高校時代は、原町高の今井正人(トヨタ自動車九州)とライバル関係にあった。大学時代は今井が「山の神」になったため、差を広げられた。箱根駅伝は、1年時が1区で8位、2年時が1区で12位、3年時が欠場、4年時が2区で18位だった。卒業後はマツダに入社。田村高の卒業生は社会人で伸び悩む傾向があるが、圓井は例外的な存在だ。30代になっても第一線で活躍し、主将としてマツダを牽引している。5000mの自己ベストは、2015年のホクレンディスタンスチャレンジ網走大会で記録した13分39秒71。

遠藤は学法石川高3年。現役高校生では最強のランナーと言われている。郡山四中3年時に全中陸上競技選手権大会3000mで優勝。高1年時の日体大記録会5000mで13分58秒93を記録した。高校1年が14分を切ったのは史上初だ。国体は、高1年時に少年B3000m、高2年時に少年A5000mで優勝した。今年のいわて国体の同種目でも優勝し、国体3連覇を達成。また、2年時に酒田市秋季長距離記録会3000mで高校新記録となる8分01秒95を叩き出した。従来の記録は、佐藤悠基(日清食品グループ)の8分05秒82。卒業後は住友電工に入社する。5000mの自己ベストは、今年の世田谷陸上競技会で記録した13分48秒13。
遠藤がふくしま駅伝に出場するのは、今回が最後になると見られる。実業団の選手になると、社業を優先せざるを得ないからだ。従来は高校生区間にエントリーしていたが、今回は監督に「一般区間の10区が走りたい」と申し出た。ラストの大会なので、最長区間を走ってチームに貢献したいと思ったのだ。

9区から10区にタスキがわたった時点で、トップは郡山、2位は会津若松だった。タイム差は53秒。星は前半から飛ばし、遠藤を猛追した。ラジオ福島の中継で解説を担当した斎藤一夫は「アッという間に差が縮まりました。星選手の姿が目に見えて大きくなって来ました」と言った。
トラックをヨーイドン!で5000mを走ったら、遠藤にも勝ち目がある。ただ、ロードで10Km近い距離になると、星の方に分がある。星はトップに立つことはできなかったが、郡山の貯蓄残高を一気に少なくした。10区から11区にタスキがわたった時点で、郡山と会津若松の差は5秒になった。星は48秒の短縮に成功したことになる。遠藤が駅伝でこれだけ差を詰められるのは珍しい。社会人と高校生が一緒に走るふくしま駅伝ならではである。

区間タイムは、1位の星が26分25秒、2位の圓井が26分33秒、3位の遠藤が27分13秒だった。遠藤は26分台を狙っていたが、星に追われて焦り、リズムを崩した。遠藤はレースについて、「振り向いたら一気に差が詰まっていた。仲間がつくった貯金を無駄にして申し訳ない」(福島民報21日付より)と言った。
会津若松は11区で郡山に追いつき、追い越した。12区以降の選手も安定した走りを見せ、リードを広げた。郡山は絶対エースの遠藤が星に差を縮められたことで、11区以降の選手が動揺した。これで勢いを失い、会津若松の独走を許す結果になった。

県庁前のゴールテープをトップで切ったのは、会津若松の五十嵐拓也(中央学院大2年)だ。五十嵐には大会特別協賛のサントリーフーズからドリンク「GREEN DA・KA・RA」がプレゼントされた。プレゼンターは、同ドリンクのテレビCMに出演しているグリーンダカラちゃんとムギちゃんが務めた。
10区を走った星も県庁前に姿を現した。安西秀幸が付き添っていた。安西も会津若松出身。会津高から駒大に進み、3年時に陸上競技部駅伝主将に就いた。4年時は陸上競技部主将となり、箱根駅伝5区を走って区間2位になった。安西の好走が効いて、駒大は3年ぶり6回目の総合優勝を飾った。卒業後はJALグランドサービスに入社したが、廃部になったので日清食品グループに移った。昨年3月末に退社し、家業の安西商会を継いだ。ふくしま駅伝に出場するために練習を再開し、昨年はゴールテープを切る役割を担った。今年は第一線を退き、裏方に回った。

区間賞を獲得した星は、テレビユー福島の取材を受けた。アナウンサーの小野美希にマイクを向けられると、「復調につながる走りができました」と回答した。そのとき、安西は松田和宏(学法石川高監督)と話し込んでいた。
星のインタビューが終わると、会津若松の監督や選手が整列し、関係者と一緒に記念撮影した。カメラマンのリクエストに応えて、みんなでガッツポーズをした。裏方の安西は、最後列に並んだ、
安西は11月30日放送のラジオ福島「かっとびワイド」にゲストとして出演する予定。6月の「ホタル祭りinきたあいづ」で鏡田辰也(ラジオ福島アナウンサー)と同席し、知り合いになった。30日は水曜なので、本来のゲストは漫才コンビの母心だ。ただ、この日は所用で出演できないため、安西に声がかかった。箱根駅伝に詳しい鏡田が何を質問し、安西がどんな回答をするのか。見もの…いや、聞きものである。

11区でトップが入れ代わったことは前述したが、抜いた大塚理央(会津若松)も抜かれた阿比留悠奈(郡山)も同じ学法石川高の陸上競技部員である。今大会には同高の部員60人がエントリーし、各市町村の主力選手としてタスキをつないだ。少し前は田村高勢がふくしま駅伝の主役だったが、今は学石勢がその役を担っている。実業団でも活躍した松田(前出)が監督に就任したことで、県内の有力な中学生が学石に入学するようになった。
昨年は男子チームに5000m13分台の選手が3人いた。遠藤日向、阿部弘輝、相沢晃だ。わかやま国体800mと和歌山インターハイ1500mを制した田母神一喜もいた。このため、年末の全国高校駅伝の優勝候補に挙げられたが、結果は7位だった=本ブログ2015年12月17日付 「全国高校駅伝の優勝候補に躍り出た学法石川」参照。阿部は明治大、相沢は東洋大、田母神は中央大に進学して、競技を継続している。

田母神は箱根駅伝の常連校である中大に進学したが、中距離が専門なので、「箱根駅伝に出場する気はない」と公言している。箱根駅伝は1区間の距離が約20kmなので、自分には合わないと考えているのだ。
ただ、藤原正和監督の意向により、6月に駅伝副主将に就いた。主将は同じ1年生の舟津彰馬。上級生に覇気が感じられないので、藤原は高校時代に全国大会で活躍した1年生コンビを主将・副主将にして、チームを牽引させようとしたのだ。この体制で10月の箱根駅伝予選会に挑んだが、結果は11位に終わり、本戦出場の道を閉ざされた=本ブログ10月19日付「箱根駅伝の連続出場記録が87回で途切れた中央大学」参照。田母神は予選会に出場しなかった。

田母神は郡山出身。今大会の最終16区を走る予定だったが、直前で回避した。郡山のチームメイトと共に県庁前に顔を見せ、記念の写真を撮っていた。その際、遠藤を含む4人で意味不明のポーズをとっていた。ついでに学石の後輩たちとじゃれ合っていた。
遠藤もいろいろな人と写真を撮っていた。田村高の佐藤修一監督とも撮っていた。佐藤はいわき総合高の監督時代、柏原竜二(富士通)や撹上宏光(コニカミノルタ)を育てた。田村高では住吉秀昭(国士舘大)を育てた。学石と田村はライバル関係にあるが、そこは気にしないらしい。

ふくしま駅伝は、福島県の長距離選手の育成につながっている。中学時代に部活動で野球やサッカーなどをやりながら、週に何度か長距離の練習をして、ふくしま駅伝に出場。高校に進学して本格的に長距離に取り組むというパターンが多い。藤田敦史(清陵情報高)以下の世代の福島県出身選手は、ほぼ全員がふくしま駅伝に出場したと言ってよい。
ふくしま駅伝は今年が28回目となった。回数を重ねたことで、この大会で育った選手が指導者になりつつある。来年1月の箱根駅伝は、出場20校(関東学生連合除く)中5校の監督が福島県出身だ。東洋大の酒井俊幸(学法石川高)、駒沢大の大八木弘明(会津工高)、早稲田大の相楽豊(安積高)、国士舘大の添田正美(岩瀬農高)、日本大の武者由幸(田村高)…。大八木以外の4人は、ふくしま駅伝を走った世代である。

大八木の下では藤田がコーチを務めている。藤田は現役引退後に富士通のコーチをしていたが、大八木が駒大に呼び寄せた。藤田、酒井、添田の3人はそれぞれ別の高校を卒業したが、同じ学年(1976年4月~1977年3月生まれ)である。

【写真の説明】
・ゴールを目指す五十嵐拓也(会津若松)
・会津若松を懸命に追う小林哲平(郡山)
・7町村合同チーム「希望ふくしま」
・2年連続で総合優勝を飾った会津若松
・町の部で初優勝した石川
・ボードを掲げて記念撮影する棚倉
・ランナーを出迎えるグリーンダカラちゃんとムギちゃん
・小野アナウンサーのインタビューを受ける星(富士通)
・松田監督と話し込む安西(画像を一部加工)
・集合写真を撮る学法石川高の陸上部員
・県庁前で談笑する遠藤(左)と田母神
・県庁に掲げられた順位変動表