
『週刊現代』2017年5月20日号に「『熱討スタジアム』井上陽水『夢の中へ』を語ろう」という記事が載った。陽水ファンの残間里江子(プロデューサー)と齋藤孝(明治大学教授)、それに駆け出し時代の陽水と仕事をした川瀬泰雄(音楽プロデューサー)の3人が名曲『夢の中へ』を語り尽くそうという内容だ。
陽水は、吉田拓郎と並ぶフォークソング界の巨匠だ。現実離れした歌詞は、その分、聴き手に強いインパクトを与える。流れるようなメロディは、天才でなければ作れない。日本語の歌詞を英語のように歌うが、桑田佳祐や桜井和寿ほど過剰ではないので、文字起こしは容易だ。1990年9月にリリースされた『少年時代』は、平成の時代にあっては数少ない「誰でも知っている歌」に属する。同じ福岡県出身のタモリと仲がよく、フジテレビ系『笑っていいとも』に出演したこともある。

陽水は1969年9月にアンドレ・カンドレの芸名でデビューした。翌1970年10月までにシングルを3枚リリースしたが、さっぱり売れなかった。本名の井上陽水(ヨウスイという読み方は芸名。本名はアキミと読む)に戻して再起を図り、1972年3月に初めてのシングル『人生が二度あれば』をリリースした。初老の年代に差し掛かった両親の人生を歌ったもので、父親については「仕事(歯科医)に追われ、このごろやっと、ゆとりができた」、母親については「子どもだけのために年とった」などと表現している。
同年5月に初めてのスタジオ・アルバム『断絶』をリリース。この中に収録された『傘がない』を2カ月後の7月に2枚目のシングルとしてリリースした。都会では自殺する若者が増加しているが、雨の日に彼女と会わなければならない自分にとっては傘がないことの方が重大な問題という歌詞だ。当時は学生運動が衰退期を迎えていたため、「若者の関心が社会的な問題より個人的な事象に向いていることを風刺した歌」と解釈された。

同年12月に2枚目のスタジオ・アルバム『陽水Ⅱセンチメンタル』をリリースした。この中に収録された『東へ西へ』は1992年5月に本木雅弘がカバーし、三共製薬「Regain」のCMソングとして使われた。サビの「頑張れ、みんな頑張れ」という歌詞がサラリーマンの応援歌に適していると捉えられたのだ。この歌がヒットしたため、本木は同年末のNHK紅白歌合戦に初出場した(シブがき隊時代は1982年から1986年まで連続5回出場)。
この歌は『傘がない』に似ている。明日は花見の会場で彼女に会うが、眠れないので、寝坊する恐れがある。花見の会場に向かう電車はすし詰め状態なので、乗っているだけで体力が低下する…。彼女と会うのは容易でないという視点が『傘がない』と共通する。違うのは、『傘がない』は傘がなくて彼女に会いに行けないが、『東へ西へ』は困難を乗り越えて会えることだ。ハッピーエンドの展開なので、『傘がない』のような閉塞感はない。

翌1973年3月に3枚目のシングル『夢の中へ』をリリースした。陽水はこの歌で初めてオリコン20位以内に入り、20万枚を売り上げた。これで勢いがついた陽水は、7月に初めてのライブ・アルバム『もどり道』、9月に4枚目のシングル『心もよう』を相次いでリリースした。12月に3枚目のスタジオ・アルバム『氷の世界』をリリースし、日本市場のLPレコードでは史上初となる売り上げ100万枚を記録した。
陽水にとって、『夢の中へ』はホップ、ステップのステップになる歌だった。これで知名度を高めなければ、『氷の世界』の大ジャンプもなかった。1977年9月に大麻所持容疑で逮捕され、懲役8カ月、執行猶予2年の判決を受けたが、その才能が枯れることはなかった。1980年代は安全地帯、1990年代は奥田民生とコラボして、ヒットを飛ばした。

川瀬によると、『夢の中へ』は最初から映画の主題歌になることが決まっていたという。
「この曲は栗田ひろみ主演の『放課後』(1973年、森谷司郎監督)という映画の主題歌でした。実は、レコード会社・ポリドール側のプロデューサーだった多賀英典さんが東宝側と話をつけてきて、曲ができる前に既に主題歌を歌うことが決まっていたんです。
それで井上陽水の名前で再デビューしてから2年目で、まだシングルのヒットのなかった陽水に、『この映画に合うキャッチーな曲を作ってきてくれ』と頼んだ。それで陽水が九州に里帰りして実家で作ってきたのが、この曲でした」
陽水の歌はそれまで、重苦しいものが多かった。『人生が二度あれば』と『傘がない』はその典型だ。ところが、『夢の中へ』は一転してノリノリの曲調になり、陽水の作風が意外と幅広いことを示した。
探しものは何ですか。カバンのなかも机のなかも探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか。それより僕と踊りませんか…。
カバンや机のなかを探すという情景からすると、探しものはカギやキャッシュカードのような小さな物質ということになる。ただ、作詞したのは陽水である。そんなストレートな歌詞を書くはずがないし、『夢の中へ』というタイトルにもマッチしない。探すのをやめて夢の中へ行こうと誘っているわけだから、対象物が目に見える物質ではあまりにも単純で現実的すぎる。それこそ、夢がない歌詞になる。
1番の歌詞を読むと、探しものは本人が自主的に行っていると解釈できる。一方で、2番の歌詞には「休むことは許されず、笑うことはとめられて」とある。自主的な面もあるが、周りにやれと強制されている面もあるようだ。

陽水は高校卒業後、父親のあとを継ぐため歯科大に進学しようとした。歯科医になろうとしたのは自主的な面もあるが、3人きょうだいの長男(他の2人は姉と妹)なので、強制された面もある。浪人時代は勉強の傍ら、趣味で音楽活動もしていた。結局、受験に3回失敗し、歯科大への進学を断念した。
川瀬の話にあるように、陽水は実家に里帰りして、『夢の中へ』を作った。それを考慮すると、探しものをしているのは、陽水自身ではないかと思う。音楽活動をやりたいが、休むことは許されず、笑うことはとめられて勉強していた浪人時代の自分である。

この歌の主役は、一心不乱に探しものをしている人である。ただ、その人は歌の中では何も語っていない。あれこれと語っているのは、その姿を背後で見守り、途中で「それより僕と踊りませんか」と声をかける人だ。
この人は、どこの誰か…。おそらく歯科大進学を断念し、シンガーソングライターとしての道を歩み始めた陽水だろう。現在の自分が過去の自分に「歯科大進学だけがお前の進路ではない。『父親のあとを継いで歯科医になってほしい』という周りの期待に応えなければならない理由もない。いったん立ち止まって、進路について改めて考えてみたらどうか。もっと肩の力を抜いて生きた方がよい」とアドバイスしているのだ。

『夢の中へ』は『傘がない』のアンサーソングだと思う。傘がないと嘆いている人に「そんなものは大した問題ではない。今日にこだわらず、次の機会に会えばよい。約束をすっぽかしたら、彼女に嫌われて、別れ話に発展する? そのときはそのときだ。縁がなかったと思って、諦めろ。彼女だけが女ではない。次に出会った女が、運命の人かもしれない」とアドバイスするような歌だ。
陽水は歯科大の受験に3回失敗したからこそ、将来の目標をシンガーソングライター一本に絞った。仮に合格していたら、シンガーソングライターの陽水は誕生しなかった可能性が高い。人間、何が幸いするか分からないという話である。
※写真のテーマは「後ろ姿」
【注】本ブログ「中島みゆき『ホームにて』の歌詞をどう解釈するか?」(2016年12月31日付)に書き間違いがある。
中盤に「帰郷ラッシュが起こるのは、前述したように年3回だ。このうち、『ホームにて』の時期は正月休み前と断定できる」とあるが、これを「帰省ラッシュが起こるのは~」に訂正する。

































