△安倍晋三首相と亀岡偉民候補

そこはJR福島駅から西に約12㌔㍍の位置にある。吾妻山連峰の麓の水田地帯。地名は福島市佐原三下原という。佐原自体はあづま総合運動公園や四季の里があるので、福島市民の間では割りと有名だ。ただ、三下原は佐原の中心部から西に約1・6㌔㍍入った場所なので、現地の人々以外は福島市民でもめったに足を運ぶことはない。
この佐原が10月10日、厳戒体制に包まれた。福島県警の車両が道路をひっきりなしに行き交い、上空ではヘリコプターがバタバタという音を立てて飛んだ。要所では仁王立ちになった警官が道行く車を目で追い、県外ナンバーの場合は停めてドライバーに職務質問することもあった。

佐原がこれだけ物々しい雰囲気になったのは、1995年のふくしま国体以来だろう。秋季大会の開会式が行われた県営あづま陸上競技場に天皇皇后両陛下が来場したからだ。このときは両陛下の来場が広く告知されたので、地元住民は物々しい雰囲気の理由が分かった。今回は住民も理由が分からなかった。ある人は「暴走族が走り回っていて、県警が取り締まりに乗り出したのかな?」と思ったという。
この人は政治好きで、10日に福島市で安倍晋三首相が街頭演説することを知っていた。それは新聞などで告知されていた。ただ、福島市のどこで何時から演説するのかまでは知らなかったので、10日の朝に自民党福島県連に問い合わせの電話をかけた。すると、「安倍首相は昨日、北海道の札幌に行き、夜遅くに東京に戻った」と言われたという。質問内容に応じた回答ではなかったので、この人は「何を言ってんだ? 人をバカにしてんのか」と激怒した。

△警察車両が行き交う福島市佐原

10日は衆院選の公示日である。自民党総裁でもある安倍は、国政選挙のたびに福島県に足を運んでいる。2012年12月の衆院選は福島市で第一声を上げた。2013年7月の参院選は福島市で第一声を上げ、続いていわき市で街頭演説した。2014年12月の衆院選は、相馬市で第一声を上げた。2016年7月の参院選は熊本市で第一声を上げたあと、飛行機と東北新幹線で福島県に移動し、郡山市と須賀川市で街頭演説した。選挙戦の終盤で再び福島県を訪れ、喜多方、田村、二本松、福島の4市で街頭演説した。
今回の衆院選でも、福島市で第一声を上げると告知された。ただ、前述したように福島市のどこで何時からやるのかは明らかにされず、東京・秋葉原での「辞めろコール」がトラウマになっていることをうかがわせた。
秋葉原の辞めろコールは、2016年7月の都議選最終日に起こった。安倍がJR秋葉原駅電気街口で演説を始めると、聴衆の一部から「(首相を)辞めろ!」「帰れ!」というヤジが飛んだのだ。怒った安倍は「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と言い返した。この映像がユーチューブなどで流され、「首相の言動としてはいかがなものか」という非難が噴出。自民党は都議選で惨敗を喫し、森友・加計学園問題で支持率が低下する安倍はさらに大きなダメージを受ける格好になった。

△会場近くは路上駐車する車が続出

安倍は9月28日、臨時国会の冒頭で衆院を解散した。それを決断した理由については、25日の記者会見で「核実験・弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮と少子高齢化対策への対応」を挙げた。その上で今回の解散を「国難突破解散」と命名したが、北朝鮮のミサイル発射も少子化も最近になって始まったことではないので、解散の理由としては説得力に欠けた。
安倍は公示前、全国各地で街頭演説をした。9月30日は京都府舞鶴市、10月3日は栃木県のさくら市と鹿沼市、4日は茨城県のつくば市と水戸市、5日神奈川県川崎市、6日は東京都の国分寺市と立川市、7日は千葉県の柏市と市川市。4日までは日程が事前に公表されたが、5日以降は公表されなくなった。東京周辺は日程を公表すると、反安倍派が集結し、秋葉原の辞めろコールが再現されかねないと思ったのだ。

柏市では辞めろコールこそ起こらなかったが、約20人が「お前が国難だ!」というプラカードを掲げた。どこかで街頭演説の情報を入手したらしい。5日の川崎市の街頭演説は、当日になって会場が小田急新百合ケ丘駅前から向ケ丘遊園駅前に変更された。これも反安倍派が集結し、辞めろコールを起こされそうな気配を感じたからだ。
安倍はヤジにナーバスになっているが、石破茂元自民党幹事長はこれに批判的な見方をしている。7月7日放送のフジテレビの番組では「私も都議選で『お前の話は暗い』とヤジられた。それに反応したら負けだ。言論を仕事にする者は気をつけないといけない」と語った。

△テレビ局の中継車が5台並ぶ

10日の公示日。安倍は福島市のどこで何時から街頭演説するのか。過去の事例からすると、中合前、AXC(旧長崎屋福島店)前、街なか広場の3カ所が候補として頭に浮かぶ。いずれもJR福島駅東口から5分以内なので、大した違いはない。場所と時間が事前に公表されない場合は、とりあえず午前8時30分ごろ、JR福島駅東口に行くしかない。
…そんな展開を思い描いていた9日の夜、自民党がとうとうツイッターで安倍の10日の日程を発表した。
「安倍晋三総裁10:35踊る小馬亭向かい広場(福島市佐原)」
福島市佐原? なぜ、そんな市街地から離れた場所でやるのか。あづま総合運動公園なら、まだ理解できる。敷地内にある県営あづま球場が、東京オリンピック・パラリンピックの野球ソフトボール競技の会場になるからだ。しかし、同じ佐原でも「踊る小馬亭」は、どこにあるのか分からない。名前からすると、飲食店のようだ。ネットで調べると、四季の里の裏(西)側にあることが分かった。
「反安倍派が集まると困るので、福島駅から遠い場所で第一声をやるんだろう。安倍は北朝鮮に対しては強いことを言っているが、自分自身は小心だ。ヤジを飛ばされるのは政治家の宿命と受けとめるべき。ましてや、安倍は日本の最高権力者だ。楽天イーグルス前監督の星野仙一は『東北のファンはやさしすぎる。選手が変なプレーをしたときは、容赦なくヤジを浴びせてもらいたい。ファンが選手を育てるんだ』と言っていた。安倍も星野に鍛えてもらえばいいんじゃないのか」
そんなことを考えながら、カメラとノート・ペンをショルダーバッグに入れた。警官に職務質問され、持ち物検査をされる可能性もあるので、余計なものは持っていかないことにした。(つづく)

【文と写真】角田保弘

△NHK福島放送局の看板

ラジオ福島は平日の午前7時から9時30分までの2時間30分、「朝から全開」という情報番組を放送している。この中に「全開朝ゼミ」という6分ほどのコーナーがあり、福島県の各界各層で活動している人たちが日替わりで出演している。
このうち、金曜は三春町福聚寺住職で、芥川賞作家の玄侑宗久に固定されている。他の曜日は月ごとや週ごとに出演者が交代する。今月の火曜は福島大学人間発達文化学類の半沢康教授が出演している。半沢教授は方言の研究者で、この番組では主に福島県内の方言について解説している。

半沢教授は数年前、この番組で「『仲間はずれ』を意味する方言が県内各地にある」と指摘した。その上で「県内の一部地域では1970~80年代にノバという言葉が仲間はずれの意味で使われていた」と明かした。この話を聴いて、大笑いした。私自身が高校時代、ノバという言葉を使っていたからだ。
最初は「あいつはいつも好き勝手なことをやっている。言ってもダメだから、野放しにしておくしかない」というニュアンスの話だった。そのうち、野放しがノバと短縮され、仲間はずれと同義語になった。
仲間はずれというと言葉がきついが、実際は「相手にしない」という意味だった。一時は何かというと、みんなでノバという言葉を使っていた。学校内の流行語になっていたのだ。学校外では通用しない言葉だと思っていたので、卒業後は全く口にしなくなった。進学で地元を離れたことも、口にしなくなった理由の一つだ。

それから約10年後、社会人になった私が帰省したとき、10歳下の妹が突然、ノバという言葉を口にした。親戚が10人ぐらい集まったときのことだ。その中にいた女の子(私たちきょうだいの従妹)が騒いでいる姿を見て、冗談半分でこう言ったのだ。
「○○ちゃんはもう手に負えない。遊び相手になっていると、疲れる。ノバっ子にするしかない」
私は、すぐさま妹に「なぜ、ノバという言葉を知っているんだ?」と聞いた。妹は不思議そうな顔で「仲間はずれという意味で普通に使っているよ」と答えた。このとき、私はこの言葉が世代を超えて広く使われていることを知った。

そんな経験があったので、私はこの番組でノバという言葉を聴いた直後、半沢教授の研究室宛に「ノバという言葉を高校時代に使っていました」とメールした。面識はなかったが、気持ち的に言わずにいられなかったのだ。数日後、半沢教授からメールで返信があり、ノバについての解説が書いてあった。親切な先生だと思った。
方言のおもしろさは、地元にいるときは気づかなかった。地元を離れ、都会に出て各地の人と話しているうちに興味がわいてきた。あとになって、方言が学問の対象になっていることを知った。私が今、高校生だったら、勉強して福島大学に進学し、半沢ゼミに入りたいと思うほどだ。それが無理なので、ラジオ福島で半沢教授の話を暗記するぐらいの勢いで聴いているのだ。

△会津若松市の鶴ケ城

半沢教授は、9月19日放送の番組でNHK連続テレビ小説『ひよっこ』を題材として取り上げた。このドラマは、架空の山村「奥茨城村」が物語のスタート地点になっている。その地名からすると、茨城県大子町周辺がモデルになっていると見られる。方言的に言えば、福島県との共通点が多い地域だ。
ドラマには2人の若い女性が登場する。主人公の谷田部みね子は高校卒業後に村に残るつもりだったが、失踪した父親を探すことと貧しい一家を支えるため、上京して働くようになる。そこで、いわき市小名浜出身の青天目(なばため)澄子に出会う。青天目も家が貧乏で、中学卒業後に上京し、谷田部と同じ会社で働くことになる。谷田部役の有村架純は兵庫県、青天目役の松本穂香は大阪府出身だ。それを頭に入れた上で半沢教授の話を聞いてみよう。

以下は文字おこしだ。
5月のこのコーナーでも少しお話ししましたが、NHKの朝の連続ドラマで今、茨城弁が飛び交っています。主演の有村さんは関西出身なので、茨城弁の無アクセントという独特の話し方に苦労されているようです。福島も無アクセント地域で、私はネイティブなんですが、その立場からすると、違和感があるなと思いながら拝見しています。
ドラマは高度経済成長期、「金の卵」と呼ばれた日本各地の子どもたちが東京に働きに出るという、その時代の話です。最近は出番がないんですが、東北のいろんな県から東京に働き行っているという女の子たちも出て来ます。その中にいわきの小名浜出身という設定の女の子が1人います。その娘の方言が、どう聞いても会津弁だよなという言葉なんです。いわきの皆さんは変だと思いながらご覧になっているのではないでしょうか。

△JRいわき駅

例えば、相手に何かを聞くときに、その娘は「~がよ」というセリフをよく口にします。これは会津の方言の典型です。いわきだったら「~けー」とか「~げー」と言うはずです。他にも「~だけれども」というのを「~だげんぢょも」とその娘は言っています。これも濁るのは会津特有です。中通りや浜通りでは濁らないで「~だげんちょも」と発音するのが普通だと思います。
なぜ、こうなるのか理由はちょっと分かりませんが、おそらく福島弁の方言指導をされている方が会津のご出身なのではないかと思います。同じ県内なので、方言も同じと思っているのではないでしょうか。NHKも私に一言言ってくれれば、指導ができるんですが…。ただ、ドラマの方言指導というのは、方言を知っているだけではダメなんだそうです。演技の素養も必要だというので、そうなると、私は無理かなと思います(笑)。

△JR相馬駅

なんでこうなるかと言うと、福島は県域が広いからです。しかも、江戸時代にいろんな藩があり、それらが合わさって成立したという経緯があります。同じ県内でも方言差が大きいわけです。先ほども話しましたが、相手に質問するときの文末の言い方は、会津だと「~がよ」となったり、あるいは目上の人だったら「~がし」という言い方をします。これが中通りに来ると、「~がい」という言い方に変わります。この「~がい」は元々は敬語で、目下の人には「~がー」と言うのが普通でした。使い分けがあったんですが、今はあまりなくなって来ました。先ほど言ったいわきの「~げー」という言い方は「~がい」が変化したものです。これは北関東の茨城や栃木でもよく聞かれる言い方です。
同じ浜通りでも、相馬は目上も目下も区別しないで「~がー」という言い方をします。中通りの人にとっては、相馬の「~がー」という言い方が乱暴な物言いに聞こえたりします。同じ県内でも方言の敬語の仕組みが少し違うので、誤解が生じるということも起きたりします。

以上が半沢教授の話だ。同じ福島県であっても、方言は地域によって違いがある。その違いを無視して、「福島弁」として1つにまとめるなという主張である。
半沢教授は「福島弁の方言指導をされている方が会津のご出身なのではないかと思います」と指摘した。福島県の場合、ドラマの舞台になるのは、歴史的な資産に恵まれている会津が多い。NHKでは2013年に大河ドラマ『八重の桜』が放送された。
しかも、会津若松市は演劇活動が盛んで、複数の劇団がしのぎを削っている。俳優の佐藤慶(故人)は会津若松市役所に勤務しながら、劇団で俳優をしていた。そういう土地柄なので、福島弁の方言指導が会津出身者になってしまうのだろう。

【文と写真】角田保弘


△二塁から三塁に向かう岩村

9月10日にヨーク開成山スタジアムで行われた「福島ホープスVS武蔵ヒートベアーズ」の7回戦。ホープスのスタメンは次の10人だった。
打順/名前/守備/球歴/出身地
①岩村 明憲(D)ヤクルト、愛媛
②岸本竜之輔(二)東北福祉大、大阪
③岡下 大将(遊)BC石川、奈良
④Jボーカー(一)巨人・楽天、米国
⑤高橋  祥(右)IL徳島、岩手
⑥西井 健太(左)米独立L、和歌山
⑦福士 史成(三)東洋学園大、東京
⑧笹平 拓己(捕)BC信濃、鹿児島
⑨川上 祐作(中)千葉工大、千葉
‐間曽 晃平(投)IL香川、神奈川

△西会津町の「丞神デナー」も来場

岩村の打席を振り返ってみよう。
1回裏は、先頭打者として打席に入り、セカンドゴロに倒れた。2回裏は、1アウト満塁のチャンスでセカンドゴロを放ち、併殺打となった。
5回裏は、ノーアウト二塁一塁の場面でレフト前にヒットを打った。ランナーがそれぞれ進塁し、満塁となった。このチャンスで岸本が二塁打を放ち、三塁ランナーの笹平、二塁ランナーの川上が次々と本塁に帰還。岩村は三塁まで進んだが、後続の岡下、高橋、西井が凡打に終わったため、得点することはできなかった(ボーカーは四球)。

△ジェット風船を打ち上げる観客

7回裏は先頭打者として打席に入り、センター前にヒットを放った。次の岸本が犠打を決め、岩村は二塁へ。ここで宮之原健(東京学芸大、鹿児島)を代走に指名し、ベンチに退いた。21年間の現役生活が終わった瞬間である。宮之原と交代した岩村がベンチに向かうとき、スタンドの観客から拍手がわき起こった。
1アウト二塁で試合が再開。この場面で打席に入った岡下は、ピッチャーゴロに倒れた。続くボーカーは四球を選び、2アウト二塁一塁となった。次の高橋はライト前にヒットを打った。二塁ランナーの宮之原は三塁を蹴り、本塁に突入。しかし、ライトの返球が良かったため、タッチアウトになった。

△本塁に滑り込む代走の宮之原

試合は3-3で引き分けとなった。ホープスは後期最終戦を勝利で飾ることはできなかったが、通期で東地区2位となり、3季連続で地区チャンピオンシップ進出を決めた。
東地区チャンピオンシップは9月16日から3日間、前橋市民球場で行われる。対戦相手は、東地区で前後期とも優勝した群馬ダイヤモンドペガサス。リーグ規定により、ダイヤモンドペガサスには2勝のアドバンテージが与えられる。ホープスがダイヤモンドペガサスを破り、リーグチャンピオンシップに進出するためには3戦3勝が絶対条件になる。1敗した時点で敗退が決まる。16日の第1戦は、ホープスがダイヤモンドペガサスを7-1で破った。

△NPB時代の岩村のユニフォーム

10日の試合は、後期最終戦&岩村選手引退試合だった。このため、試合終了後にそれぞれのセレモニーが行われた。
最初にリーグ戦終了のセレモニー。福島県の鈴木正晃副知事がマイクの前に立ち、岩村に感謝の言葉を述べた。
「福島ホープスに来てくださり、ありがとうございます。岩村監督は日本だけでなく、アメリカでも活躍されました。選手としては今日で終わりますが、引き続きやっていただきたいことがあります。福島県の子どもたちや県民に力を与えていただけるよう、今後ともよろしくお願いいたします。福島ホープスのみなさん、岩村監督、県民のご健勝を期待いたします」

△感謝のメッセージを出す観客

続いて、ホープスを運営する福島県民球団の扇谷富幸社長があいさつした。
「今季のリーグ戦は今日で終了です。3年連続でプレーオフ進出という結果になりました。地域と地域の子どもたちのために県民球団を立ち上げました。本日の試合は、これまでで最多の入場者数でした。県民球団を引き続き育てていただきたいと思います。今日はありがとうございました」
最後に球団代表を兼ねる岩村監督があいさつした。
「ファンのみなさん、今季、あたたかい応援ありがとうございました。開幕当初は苦しい戦いが続き、正直、悩みました。しかし、ファンのみなさんの応援で持ち直すことができました。プレーオフは全力を尽くして、勝ち上がりたいと思います」


△メッセージを送る敬士とマドン

次に岩村選手引退セレモニー。スコアボードの大型ビジョンに岩村と交流のある人々の映像(メッセージ)が流された。岩村敬士(実兄)、THE BACK HORN(ロックバンド)、広橋公寿(東北楽天ジュニアコーチ)、嶋基宏(東北楽天)、石川雅規(東京ヤクルト)、岩隈久志(米マリナーズ)、アレックス・ラミレス(横浜DeNA監督)、ジョー・マドン(米カブス監督)の8人(組)だ。
敬士は、宇和島東高時代の1993年に春夏連続で甲子園出場を果たした。日本体育大に進学したが、大学生活に馴染めずに中退。野球の道を諦めかけたが、その才能がスカウトの目にとまり、1996年のドラフトで近鉄から7位指名を受けた。明憲も同年にヤクルトから2位指名を受けたため、兄弟揃ってプロ入りした。現在は水産会社と飲食店を経営している(本ブログ「福島ホープスの岩村監督が日経新聞にコラムを執筆」2017年1月31日付参照) 。


△ビジョンに流れる岩村の映像

THE BACK HORNは、球団の応援歌「魂のアリバイ」を制作した。メンバー4人のうち、松田晋二と菅波栄純の2人は福島県出身。松田は猪苗代湖ズのメンバーでもある。
広橋、嶋、岩隈の3人は東北楽天時代の同僚だ。広橋と岩隈は義理の親子という関係にある(岩隈の妻まどかは広橋の長女)。石川とラミレスの2人は東京ヤクルト時代の同僚。ラミレスは、同じBCリーグのダイヤモンドペガサスでプレーした経験もある。
マドンは、米レイズ監督時代に岩村を指導した。2008年にレイズをアメリカンリーグ優勝に導き、ワールドシリーズ進出を果たした。2016年はカブスを71年ぶりのナショナルリーグ優勝、108年ぶりのワールドチャンピオンに導いた。岩村が尊敬する指導者の1人だ。1月28日にS-PAL福島で行われたトークショーでは「監督室を常にオープンにしていた。いつ入って来てもいいという姿勢だった。選手とコミュニケーションを図るのがうまい」と語った。

△レフトスタンドではフラッグが

続いて、岩村自身の過去の映像が流された。ヤクルトに入団したときの記者会見は、制服に坊主頭だった。入団当初は背番号48をつけていたが、4年間の活躍が認めれて2001年から1をつけるようになった。同年にヤクルトはリーグ優勝し、岩村は立役者の1人になった。
2005年に8月26日に母親が亡くなり、岩村は若松勉監督に帰郷を勧められた。しかし、横浜戦(神宮球場)を控えていた岩村は「プロとして試合を放棄するわけにはいきません」と出場を志願。左腕に喪章を付け、3番・三塁手で先発出場し、2本塁打を放った…。
映像が流れているときのBGMは、矢沢永吉 「止まらないHA~HA」と長渕剛「絆-KIZUNA-」だった。


△グラウンドを1周する岩村

このあと、岩村がマイクの前に立ち、深々と頭を下げた上で次のようにあいさつした。
「21年間のプロ生活でしたが、今、振り返ると、早かったと思います。(ビジョンで流された)映像を見ながら、みなさんの前で何を言おうかと考えていました。1996年のドラフトでヤクルトに指名されて、プロ野球の世界に入りました。全く分かっていない自分に野球を教えてくれたヤクルトの先輩に感謝しています。また、野球界に限らず、いろいろなところで支援してくれた方々に感謝しています。日本のみならず、アメリカでもプレーさせていただきました。WBCに2回出させてもらい、世界一になることもできました。それは今日、ここに来てくれた方々の熱い声援のお陰だと思っています。自分1人の力ではできなかった。ファンのみなさんと一緒に歩んだ野球人生でもありました」
「21年間もプロでできたのは、両親が強い身体に生んでくれたからです。母親が亡くなったとき、家に帰らず、試合に出ることを選びました。『親不孝な息子だ』『母親に会わせる顔がない』と思いました。集中力を欠いた中で2本のホームランを打てたのは、母親のお陰です。母親が打たせてくれたんだと思います。自分は母親が大好きでした。試合に出たのは、大切な母親を失ったという淋しさをまぎらわせたかったからだと思います」

△選手たちに胴上げされる岩村

「21年間、突っ走って来ました。次の時代につなげていくのが、自分の使命だと思っています。(今日の試合の)1打席目と2打席目を言い訳するつもりはありません。プレッシャーに負けそうになりました。悔しかった。選手たちもそれは同じ。監督の引退試合というプレッシャーの中で戦い、プレーオフ進出を決めてくれました。全選手を誇りに思います。ファンのみなさんの声援が選手たちを後押ししてくれました。だからこそ、3季連続でプレーオフ進出を果たすことができたのです」
「選手としての岩村明憲は引退し、これから第2の野球人生を歩みます。日米で経験したことを選手たちに伝えていきたいと思います。21年間、ありがとうございました」
レフトスタンドではこの間、観客の1人が岩村のイラスト入りフラッグを振っていた。

△手を振ってベンチに向かう岩村

続いて、ホープス主将の岸本らが岩村に花束を贈呈した。美幸貴夫人と2人の子どもがグラウンドに登場し、4人でマウンド付近に立った。岩村に打撃を教えた中西太や八重樫幸雄も球場に駆けつけ、教え子の勇姿を見守った。
最後に岩村は手を振りながら、グラウンドを一周した。ライトスタンドの前に差し掛かると、試合後も残っていたヒートベアーズの応援団が岩村コールで出迎えた。観客はスタンドの最前列に駆け寄り、ネット越しに手を振った。最後の最後、マウンド付近で選手たちに胴上げされた岩村は、涙をぬぐいながらベンチに姿を消した。

【文・写真】角田保弘