△二塁から三塁に向かう岩村

9月10日にヨーク開成山スタジアムで行われた「福島ホープスVS武蔵ヒートベアーズ」の7回戦。ホープスのスタメンは次の10人だった。
打順/名前/守備/球歴/出身地
①岩村 明憲(D)ヤクルト、愛媛
②岸本竜之輔(二)東北福祉大、大阪
③岡下 大将(遊)BC石川、奈良
④Jボーカー(一)巨人・楽天、米国
⑤高橋  祥(右)IL徳島、岩手
⑥西井 健太(左)米独立L、和歌山
⑦福士 史成(三)東洋学園大、東京
⑧笹平 拓己(捕)BC信濃、鹿児島
⑨川上 祐作(中)千葉工大、千葉
‐間曽 晃平(投)IL香川、神奈川

△西会津町の「丞神デナー」も来場

岩村の打席を振り返ってみよう。
1回裏は、先頭打者として打席に入り、セカンドゴロに倒れた。2回裏は、1アウト満塁のチャンスでセカンドゴロを放ち、併殺打となった。
5回裏は、ノーアウト二塁一塁の場面でレフト前にヒットを打った。ランナーがそれぞれ進塁し、満塁となった。このチャンスで岸本が二塁打を放ち、三塁ランナーの笹平、二塁ランナーの川上が次々と本塁に帰還。岩村は三塁まで進んだが、後続の岡下、高橋、西井が凡打に終わったため、得点することはできなかった(ボーカーは四球)。

△ジェット風船を打ち上げる観客

7回裏は先頭打者として打席に入り、センター前にヒットを放った。次の岸本が犠打を決め、岩村は二塁へ。ここで宮之原健(東京学芸大、鹿児島)を代走に指名し、ベンチに退いた。21年間の現役生活が終わった瞬間である。宮之原と交代した岩村がベンチに向かうとき、スタンドの観客から拍手がわき起こった。
1アウト二塁で試合が再開。この場面で打席に入った岡下は、ピッチャーゴロに倒れた。続くボーカーは四球を選び、2アウト二塁一塁となった。次の高橋はライト前にヒットを打った。二塁ランナーの宮之原は三塁を蹴り、本塁に突入。しかし、ライトの返球が良かったため、タッチアウトになった。

△本塁に滑り込む代走の宮之原

試合は3-3で引き分けとなった。ホープスは後期最終戦を勝利で飾ることはできなかったが、通期で東地区2位となり、3季連続で地区チャンピオンシップ進出を決めた。
東地区チャンピオンシップは9月16日から3日間、前橋市民球場で行われる。対戦相手は、東地区で前後期とも優勝した群馬ダイヤモンドペガサス。リーグ規定により、ダイヤモンドペガサスには2勝のアドバンテージが与えられる。ホープスがダイヤモンドペガサスを破り、リーグチャンピオンシップに進出するためには3戦3勝が絶対条件になる。1敗した時点で敗退が決まる。16日の第1戦は、ホープスがダイヤモンドペガサスを7-1で破った。

△NPB時代の岩村のユニフォーム

10日の試合は、後期最終戦&岩村選手引退試合だった。このため、試合終了後にそれぞれのセレモニーが行われた。
最初にリーグ戦終了のセレモニー。福島県の鈴木正晃副知事がマイクの前に立ち、岩村に感謝の言葉を述べた。
「福島ホープスに来てくださり、ありがとうございます。岩村監督は日本だけでなく、アメリカでも活躍されました。選手としては今日で終わりますが、引き続きやっていただきたいことがあります。福島県の子どもたちや県民に力を与えていただけるよう、今後ともよろしくお願いいたします。福島ホープスのみなさん、岩村監督、県民のご健勝を期待いたします」

△感謝のメッセージを出す観客

続いて、ホープスを運営する福島県民球団の扇谷富幸社長があいさつした。
「今季のリーグ戦は今日で終了です。3年連続でプレーオフ進出という結果になりました。地域と地域の子どもたちのために県民球団を立ち上げました。本日の試合は、これまでで最多の入場者数でした。県民球団を引き続き育てていただきたいと思います。今日はありがとうございました」
最後に球団代表を兼ねる岩村監督があいさつした。
「ファンのみなさん、今季、あたたかい応援ありがとうございました。開幕当初は苦しい戦いが続き、正直、悩みました。しかし、ファンのみなさんの応援で持ち直すことができました。プレーオフは全力を尽くして、勝ち上がりたいと思います」


△メッセージを送る敬士とマドン

次に岩村選手引退セレモニー。スコアボードの大型ビジョンに岩村と交流のある人々の映像(メッセージ)が流された。岩村敬士(実兄)、THE BACK HORN(ロックバンド)、広橋公寿(東北楽天ジュニアコーチ)、嶋基宏(東北楽天)、石川雅規(東京ヤクルト)、岩隈久志(米マリナーズ)、アレックス・ラミレス(横浜DeNA監督)、ジョー・マドン(米カブス監督)の8人(組)だ。
敬士は、宇和島東高時代の1993年に春夏連続で甲子園出場を果たした。日本体育大に進学したが、大学生活に馴染めずに中退。野球の道を諦めかけたが、その才能がスカウトの目にとまり、1996年のドラフトで近鉄から7位指名を受けた。明憲も同年にヤクルトから2位指名を受けたため、兄弟揃ってプロ入りした。現在は水産会社と飲食店を経営している(本ブログ「福島ホープスの岩村監督が日経新聞にコラムを執筆」2017年1月31日付参照) 。


△ビジョンに流れる岩村の映像

THE BACK HORNは、球団の応援歌「魂のアリバイ」を制作した。メンバー4人のうち、松田晋二と菅波栄純の2人は福島県出身。松田は猪苗代湖ズのメンバーでもある。
広橋、嶋、岩隈の3人は東北楽天時代の同僚だ。広橋と岩隈は義理の親子という関係にある(岩隈の妻まどかは広橋の長女)。石川とラミレスの2人は東京ヤクルト時代の同僚。ラミレスは、同じBCリーグのダイヤモンドペガサスでプレーした経験もある。
マドンは、米レイズ監督時代に岩村を指導した。2008年にレイズをアメリカンリーグ優勝に導き、ワールドシリーズ進出を果たした。2016年はカブスを71年ぶりのナショナルリーグ優勝、108年ぶりのワールドチャンピオンに導いた。岩村が尊敬する指導者の1人だ。1月28日にS-PAL福島で行われたトークショーでは「監督室を常にオープンにしていた。いつ入って来てもいいという姿勢だった。選手とコミュニケーションを図るのがうまい」と語った。

△レフトスタンドではフラッグが

続いて、岩村自身の過去の映像が流された。ヤクルトに入団したときの記者会見は、制服に坊主頭だった。入団当初は背番号48をつけていたが、4年間の活躍が認めれて2001年から1をつけるようになった。同年にヤクルトはリーグ優勝し、岩村は立役者の1人になった。
2005年に8月26日に母親が亡くなり、岩村は若松勉監督に帰郷を勧められた。しかし、横浜戦(神宮球場)を控えていた岩村は「プロとして試合を放棄するわけにはいきません」と出場を志願。左腕に喪章を付け、3番・三塁手で先発出場し、2本塁打を放った…。
映像が流れているときのBGMは、矢沢永吉 「止まらないHA~HA」と長渕剛「絆-KIZUNA-」だった。


△グラウンドを1周する岩村

このあと、岩村がマイクの前に立ち、深々と頭を下げた上で次のようにあいさつした。
「21年間のプロ生活でしたが、今、振り返ると、早かったと思います。(ビジョンで流された)映像を見ながら、みなさんの前で何を言おうかと考えていました。1996年のドラフトでヤクルトに指名されて、プロ野球の世界に入りました。全く分かっていない自分に野球を教えてくれたヤクルトの先輩に感謝しています。また、野球界に限らず、いろいろなところで支援してくれた方々に感謝しています。日本のみならず、アメリカでもプレーさせていただきました。WBCに2回出させてもらい、世界一になることもできました。それは今日、ここに来てくれた方々の熱い声援のお陰だと思っています。自分1人の力ではできなかった。ファンのみなさんと一緒に歩んだ野球人生でもありました」
「21年間もプロでできたのは、両親が強い身体に生んでくれたからです。母親が亡くなったとき、家に帰らず、試合に出ることを選びました。『親不孝な息子だ』『母親に会わせる顔がない』と思いました。集中力を欠いた中で2本のホームランを打てたのは、母親のお陰です。母親が打たせてくれたんだと思います。自分は母親が大好きでした。試合に出たのは、大切な母親を失ったという淋しさをまぎらわせたかったからだと思います」

△選手たちに胴上げされる岩村

「21年間、突っ走って来ました。次の時代につなげていくのが、自分の使命だと思っています。(今日の試合の)1打席目と2打席目を言い訳するつもりはありません。プレッシャーに負けそうになりました。悔しかった。選手たちもそれは同じ。監督の引退試合というプレッシャーの中で戦い、プレーオフ進出を決めてくれました。全選手を誇りに思います。ファンのみなさんの声援が選手たちを後押ししてくれました。だからこそ、3季連続でプレーオフ進出を果たすことができたのです」
「選手としての岩村明憲は引退し、これから第2の野球人生を歩みます。日米で経験したことを選手たちに伝えていきたいと思います。21年間、ありがとうございました」
レフトスタンドではこの間、観客の1人が岩村のイラスト入りフラッグを振っていた。

△手を振ってベンチに向かう岩村

続いて、ホープス主将の岸本らが岩村に花束を贈呈した。美幸貴夫人と2人の子どもがグラウンドに登場し、4人でマウンド付近に立った。岩村に打撃を教えた中西太や八重樫幸雄も球場に駆けつけ、教え子の勇姿を見守った。
最後に岩村は手を振りながら、グラウンドを一周した。ライトスタンドの前に差し掛かると、試合後も残っていたヒートベアーズの応援団が岩村コールで出迎えた。観客はスタンドの最前列に駆け寄り、ネット越しに手を振った。最後の最後、マウンド付近で選手たちに胴上げされた岩村は、涙をぬぐいながらベンチに姿を消した。

【文・写真】角田保弘