TBC東北放送ラジオ(仙台市)は平日午前、「COLORS」という番組を放送していた。「した」と過去形で表現したのは、番組改編で今年9月末に終了したからだ。放送時間は9~12時の3時間で、パーソナリティーは日替わりだった。10月以降は同じ時間帯に「En voyage(エン・ボヤージュ)」(フランス語で「旅の途中」という意味)を放送している。内容に大きな変化はないが、パーソナリティーは大幅に入れ替わった。ただ、フリーアナウンサー兼薬剤師の佐々木真奈美だけは10月以降も続投になった(担当は木曜から水曜に移動)。
佐々木は「COLORS」時代、方言のコーナーを設けていた。タイトルは「真奈美とみなさんの方言ネットワーク」。宮城・東北の方言を語り合おうという内容で、佐々木はリスナーの方言に関するメッセージをぼやき口調で読むことが多かった。文字にしてある方言を読むのは至難の業だが、登米市(旧津山町)出身の佐々木はそれを難なくやってのけた。

このコーナーに3カ月ほど前、リスナーから次のようなメッセージが寄せられた。
《かつて「アップダウンクイズ」という番組がありました。1問正解するごとにゴンドラが1つ上がり、10問正解した出場者にはハワイ旅行がプレゼントされました。この番組に宮城県北部の人が出演し、9問正解まで行きました。あと1つ正解が出れば、夢のハワイ旅行です。次の問題は「人間の体の中で、名称が「し」で始まる最も重要な部分は?」。宮城県の人がいち早くチャイムを鳴らし、勢いよく「し、しじゃかぶ!(膝)」と答えました。会場に「ブー!」という鈍い音が流れ、その人が乗ったゴンドラは急降下。途中でその人は「しまった、しぇなが(背中)だった」と呟きましたが、正解は心臓でした》
メッセージを読んだ佐々木は、笑いながら「へー、そんなことがあったんだ!」と言った。

アップダウンクイズは、1963年10月6日から1985年10月6日まで22年間にわたって放送された。視聴者参加型のクイズ番組で、MBS毎日放送(大阪市)が制作。ロート製薬がスポンサー、日本航空が協賛していた。放送開始から1975年3月30日放送分まではNET(現・テレビ朝日)系列局がネットしていた。同年4月6日放送分以降はTBS系列局がネットした。これは、毎日放送がNET系列からTBS系列にネットチェンジしたからだ。

アップダウンクイズの出場者が方言で回答したという話は、私も耳にしたことがある。インターネットが普及していない昭和末期のことだった。
知り合いが缶コーヒーを手にしながら、私にこう言った。
《アップダウンクイズに福島の人が出て、9問正解まで行った。あと1問(正解)でハワイ旅行だった。次の問題は「人間の体の中で頭に『し』がつく部分は?」だった。その人は『しじゃかぶ』と答えたが、正解は心臓だった》
私は「面白い話だ」と前置きした上で「それは都市伝説か何か?」と聞いてみた。彼は「実話」と回答。「アップダウンクイズで『頭に○○がつく部分は?』などという子供のなぞなぞのような問題が出るのか」と問うと、彼は「それもそうだな」と言った。
彼は、この話を知り合いから聞いたという。つまり、伝聞であって、自分が番組でそのシーンを目にしたわけではなかった。

それから約30年がすぎ、ラジオで「アップダウンクイズに~」という話を再び耳にすることになった。福島県だけでなく、宮城県でも同じような話が流れていたのだ。
試しにネットで検索すると、この話は青森、岩手、宮城、福島、新潟の5県で流れていることが分かった。方言で回答したとされる出場者は、各県とも「県内の人」。同じ東北でも、秋田、山形の2県は、話が流れていないようだ。理由は容易に想像がつく。この2県は、ネット局の関係でアップダウンクイズが放送されていなかったのだ。
東北・新潟の各局がこの番組をネットしたのは、1975年4月6日放送分以降である。青森県はATV青森テレビ、岩手県はIBS岩手放送、宮城県はTBC東北放送、福島県はFTV福島テレビ・TUFテレビユー福島、新潟県はBSN新潟放送がネット。福島県はTBS系列のTUFが1983年12月4日に開局したため、ネット局が変わった。

5県で流れている話は似たり寄ったりだが、中身を検証すると、県ごとに微妙に違う。青森・岩手では、話が次のようになっている。
《青森(または岩手)の人が9問正解まで行った。あと1問正解すればハワイ旅行。次の問題は「人間の体の中で、名称が『へ』で始まる部分は?」だった。その人は「へなか(背中)」と答えたが、ブーと鳴った。すぐさま「へじゃかぶ(膝)」と言い直したが、正解は「へそ」だった》
宮城・福島・新潟では、出場者が「しじゃかぶ」「しぇなが」と言ったことになっている。キーワードは、青森・岩手が「へ」、宮城・福島・新潟が「し」だ。

方言で回答したとされる出場者については、県ごとに次のような説が流れている。
【青森】青森の人、八戸の人、青森市役所職員、青森のミス・リンゴ
【岩手】岩手の人、岩手出身のAさん、私の母校(小学校)の先生
【宮城】宮城の人、仙台の六角和太郎
【福島】福島の人、須賀川出身のオジサン
【新潟】朝日村(現・村上市)の人、旧A村で食堂経営のIさん

アップダウンクイズは言うまでもなく、県単位のローカル番組ではない。毎日放送が制作し、各局が同じものを放送していた。それなのになぜ、方言で回答したとされる出場者について、「青森市役所職員」「(岩手の)学校の先生」「仙台の六角和太郎」「朝日村の食堂経営者」などと複数の説が出てくるのか。

△中島に赤丸をつけて「六角和太郎」へ

「仙台の六角和太郎」は『なぜ仙台人は仙台弁を話さなくなったのか?』というウェブサイトに名前が載っている。仙台初の出場者になった六角(当時67歳)が全国放送のアップダウンクイズで「しじゃかぶ」と回答し、大恥をかいた。これがきっかとなって、若者の間で仙台弁を捨てる動きが加速したという。
このウェブサイトには、そのときの写真が掲載されている。6人の出場者がゴンドラに乗っている場面。右端が六角和太郎だという。
しかし、実際は違う。この6人は左から
清水興、野村義男、石田長生、忌野清志郎、有山じゅんじ、中島らもである。これはユーチューブの動画で確認できる。ミュージシャン6人が出場したときの写真をどこからか拝借し、右端に座っている中島に赤丸をつけて六角和太郎と名付けたのだ。

クイズの正解は、青森・岩手では「へそ」、宮城・福島・新潟では「心臓」になっている。ここで疑問なのは、「人間の体の中で、名称が○○で始まる部分は?」という出題の仕方である。夏休みの小学生大会ならともかく、方言で回答したとされる出場者は「市役所職員」「先生」「オジサン」「食堂経営者」と大人ばかりである。
出場者が大人の場合は、出題文の中で機能の説明をするはずだ。へそであれば「胎児期に母親から栄養や酸素の供給を受けていた管の痕跡は?」、心臓であれば「全身へ血液を送るポンプの役割を果たす臓器は?」といった具合である。「名称が○○で始まる部分は?」という出題の仕方はリアリティーに欠ける。それは、前述したように子供同士のなぞなぞである。

この都市伝説(東北なので田舎伝説?)はデマの可能性が高い。ネットの掲示板には「そのシーンをリアルタイムで見ていた」という書き込みも散見されるが、眉唾である。デマによる被害者がいないし、笑い話になっているので目くじらを立てる必要もないが、デマであることは抑えておくべきだ。この話を「実話」としてネットに書き込むと、デマの拡散に荷担したことになる。
気になるのは、この話を誰が創作したか、そしてネットがない時代にどうやって東北・新潟に広まったか、である。普通に考えれば口コミということになるが、県域を超えて話が広まったというのは興味深い。それだけインパクトが強かったのだろう。

【文】角田保弘


△トロロッソ・ホンダのマシン

F1世界選手権の第21戦「アブダビGP」の決勝は11月25日、アブダビのヤス・マリーナ・サーキットで行われた。今季の最終戦で、全10チームの計20台が出走。1周5.554kmのコースを55周し、総走行距離305.355kmで順位を争った。すでに5度目の年間総合優勝を決めているルイス・ハミルトン(イギリス、メルセデス)がポールポジョンから飛び出し、危なげないレース運びで優勝。今季11勝目、通算73勝目を挙げた。
日本関連ではトロロッソ・ホンダの2台が出走し、ブレンドン・ハートレー(ニュージーランド)が12位、ピエール・ガスリー(フランス)がパワーユニットのトラブルでリタイアに終わった。年間のポイントランキングは、ガスリーが15位、ハートレーが19位。ガスリーは来季、レッドブル・ホンダの一員としてF1に参戦する。ハートレーはトロロッソ・ホンダのシートを失うことが決定した。

△エンジンを供給するのはホンダ

トロロッソ・ホンダは今年3月17日、東京・六本木の六本木ヒルズアリーナで「Red Bull Toro Rosso Honda DAY in TOKYO」を開催した。開幕前の景気づけのイベントで、ドライバー2人、フランツ・トスト監督、山本雅史本田技研工業モータースポーツ部長の計4人が出席し、マシンの前でトークライブを繰り広げた。会場には約2500人のファンが詰めかけた。
イベント終盤に質問コーナーが設けられ、女性ファンからドライバー2人に「マシンに名前は付けますか?」という問いがあった。ガスリーは「僕のマシンは『ガスモビル』かな」と回答。ハートレーは「まだ付けていない」と前置きし、「オススメの名前があったら、ツイッターに投稿して」と要望した。
これに鋭く反応したのが、監督のトストだ。「採用された人は日本GP(10月6~7日)に招待するよ」と公約。山本も追随し、その場でプレゼント企画が決まった。


△福島県観光物産館で販売される赤べこ

これを機にハートレーのツイッターには多くの案が寄せられた。8月のベルギーGPの際、ハートレーはその中から「赤べこ(Akabeko)」を選んだ。同じ案を複数の人が提案したので、抽選で(@yujiro0102)が日本GPのトロロッソ・ホンダのパドックにペアで招待されることになった。鈴鹿サーキットまでの交通費と宿泊費もトロロッソ・ホンダが負担すると表明した。
赤べこは、会津地方の郷土玩具である。「べこ」は東北地方の方言で、牛を意味する。吉幾三(青森県出身)が『俺ら東京さ行ぐだ』で「東京でベコ飼うだ♪」と歌ったので、東北以外の人もそれなりに知っている方言だ。トロロッソはイタリア語で「赤い雄牛(レッドブル)」を意味するので、「赤べこ」という案が選ばれた。

△福島ユナイテッドFCの試合に出現

赤べこは縁起物である。1611年に会津地方は大地震に見舞われ、只見川沿いの柳津も被害を受けた。虚空蔵堂や僧舎・民家は倒壊し、多くの死者が出た。その6年後の1617年に初めて虚空蔵堂の本堂は現在の巌上に建てられた。
本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、川を利用して運ばれた。そこから大材を巌上に運ぶのは黒毛の牛の役目となったが、作業は難航した。そのとき、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、黒毛の牛を助けた。作業は一気に進み、巨大な虚空蔵堂を建てることができた。

後に大材を運んでくれた牛に感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」である。作業を手伝った赤毛の牛は「赤べこ」と呼ばれ、多く人々に親しまれるようになった。
その後、会津地方で伝染病が流行したとき、赤べこの人形を持っていた人は病気にかからなかったという言い伝えがある。このため、災難を回避したり、願いを叶えたりするお守りとして用いられるようになった。

△JR磐越西線の車両に赤い牛が…

会津若松市の室井照平市長は10月上旬、トロロッソ・ホンダのマシンに「赤べこ」という名前が付いたことを知った。気をよくした室井は、ハートレーに赤べこをプレゼントしようと考えた。胴体部分に金色で「必勝」の文字が入った赤べこを制作。赤べこの由来と激励の手紙を同封して、本田技研工業の本社に発送した。山本部長がそれを持って渡米し、アメリカGPに臨むハートレーに渡した。
このニュースは、福島民報(10月23日付)と福島民友新聞(同)で大きく取り上げられた。民友の記事には「赤べこに守られ、いい記録が出ることを期待している。会津の情報発信につながってほしい」(室井市長)、「日本のファンには親しみやすい名前。海外でも広まってくれればうれしい」(ホンダ広報担当者)というコメントが載った。

△JR郡山駅のホームにある看板

縁起物の赤べこを手にしたハートレーだったが、今季の成績がいまひとつだったので、前述したようにトロロッソ・ホンダのシートを失った。来季については未定。29歳という年齢を考えると、来季、別のチームでF1に参戦する可能性は少ない。
ならば、日本のスーパー・フォーミュラやスーパーGTへの参戦を検討してみてはどうか。人柄の良さは定評があるし、親日家なので、ホンダもシートの喪失を残念がっている。何より赤べこの知名度をアップさせた立役者だ。日本のサーキットでF1経験者の中嶋一貴、小林可夢偉、ジェイソン・バトン(イギリス)らとしのぎを削れば、モータースポーツファンは歓喜するはずだ。

【文と写真】角田保弘



△デサントのTシャツを着る塚原直貴

スポーツ用品大手のデサントが窮地に陥った。筆頭株主である大手総合商社の伊藤忠がデサント株を買い増しし、保有比率を25.01%(7月時点)から29.84%(10月時点)に高めたからだ。伊藤忠はデサントとの関係を強め、子会社にすることを検討している。石本雅敏社長(デサント創業家出身)の解任も視野に入れている。
一方のデサントはこれに反発し、対決姿勢を強めている。ただ、企業規模に格差があるため、デサントができることは限られている。現状では伊藤忠の出方を待つしかなく、後ろ楯になってくれそうな企業も見つかっていない。

伊藤忠とデサントは、もともと蜜月関係にあった。きっかけは、伊藤忠が経営危機に陥ったデサントに助け船を出したことだ。
話は1980年代に遡る。デサントはゴルフ用品ブランド「マンシングウェア」がブームになり、業績が昇り調子にあった。しかし、1984年にそのブームが去り、大量の在庫を抱えた。赤字は約156億円に膨らみ、自力での再建は困難になった。
このとき、先代の石本恵一社長(雅敏の父)は、大口取引先だった伊藤忠に助けを求めた。伊藤忠は株の取得や役員を派遣するなどして、3期連続赤字のデサントを立て直した。

△デサントの屋台骨を支えたアディダス

派遣された役員の中に伊藤忠衣料本部長代行の飯田洋三がいた。デサント常務に就任し、手腕を発揮。1994年に社長に昇格し、恵一は会長になった。
1996年に電通勤務だった石本雅敏が「将来の社長候補」としてデサントに入社した。その2年後の1998年に大きな試練が訪れた。デサントの屋台骨を支えていたブランド「アディダス」が突然、ライセンス契約を打ち切ったのだ。
アディダスは2002年の日韓サッカーW杯を見据えて、自前のアディダス・ジャパンを設立。一方、デサントはアディダス日本総代理店の看板を失った。これにより、デサントの売り上げは約1000億円から約600億円に減少した。業界では「アディダス・ショック」と呼ばれ、ライセンスビジネスの危うさを象徴する出来事として語り継がれている。

デサントはこの危機を乗り越えるため、約500人の社員を削減した。ブランドの育成にも乗り出した。オリジナルブランド「デサント」に加え、地域限定で商標権を買い取った「ルコックスポルティフ」「アリーナ」「アンブロ」「マンシングウェア」の周知を図った。
海外にも目を向けた。重点地域と位置づけたのは韓国で、スポーツウェアではなくカジュアルウェアというイメージを強調した。日本では存在感の薄いシューズの販売にも力を入れた。現地仕様を徹底するため、釜山に研究所を開設。この戦略が功を奏し、韓国で売り上げが急上昇した。

△デサントのトレーニングウェア(左)

2013年度は売り上げが1099億円となった。1000億円台を回復したのは16年ぶり。このうち海外の売り上げは511億円で、韓国が452億円を占めた。
社長はこの間、飯田(在任期間は1994~2002年)、田尻邦夫(2002~2007年)、中西悦朗(2007~2013年)の3人が務めた。いずれも伊藤忠からデサントに派遣された人物。社内では「そろそろ自前の社長がほしい。いつまでも伊藤忠の植民地ではいられない」という不満が強まった。2012年に恵一が肝臓がんで亡くなったことで、創業家への大政奉還を望む声が上がり始めた。

翌2013年にその声が具現化した。中西が取締役会の緊急動議で解任され、後任に石本雅敏が選出されたのだ。先代の恵一が社長を退任したのは1994年なので、19年ぶりに創業家出身者が社長に就いたことになる。中西は、社長経験者の指定席だった相談役に就かず、そのまま会社を去った。
石本は伊藤忠の関与を嫌い、自主経営路線を打ち出した。伊藤忠は自社出身の中西が追い出された上、石本が「脱・伊藤忠」を図ったため、苛立ちを強めた。

△レースで自社をPRする伊藤忠グループ

伊藤忠が経営に関与したがるのは、デサントの将来に不安を抱いているからだ。2017年度の売り上げは過去最高の1411億円。そこだけ取り上げれば、アディダスショックから完全に立ち直ったかのように見える。しかし、中身を見ると、韓国への依存度が年ごとに高まっている。全体の半分に当たる719億円が韓国での売り上げだった。
伊藤忠は「市場規模の小さい韓国に依存するのは危険」と判断し、経済成長が著しい中国市場を開拓するように求めた。しかし、デサントの反応は鈍く、韓国頼みの経営が改善される様子はない。それも伊藤忠を苛立たせる要因になった。

両社のトップ会談が2018年6月25日、伊藤忠東京本社で行われた。出席したのは、伊藤忠側が岡藤正広会長兼最高経営責任者、デサント側が石本社長。会談時間は約40分。その録音を入手した『週刊文春』は、11月1日号に「伊藤忠のドン岡藤会長のデサント『恫喝』テープ」という記事を掲載した。

△週刊文春が記事にした岡藤・石本会談

この記事によると、2人は次のようなやり取りをしたという。
岡藤「伊藤忠の信用だけ借りてな、『独立独歩でやります』と。ここまでナメられたら、やってられへん。俺のことを馬鹿にしているのかと言うとるがな」「(株を)売るとしたらライバル会社か中国かファンドやわな。それしかないわな。そうやろ?」
石本「この1年の間に、(株を)増やすか減らすかを必ず決めるということですか? このまま一緒に何かをやっていくことを考えるのではなく、増やすか減らすかのどちらかということですか?」

石本にとって理想的なのは、伊藤忠とつかず離れずの関係を維持することである。経営に関与されるのも困るが、離れられるのも困る。岡藤はその態度に怒り、「ここまでナメられたら、やってられへん」と言ったのだ。

デサントの取締役は次の10人。
△中村一郎(取締役会長)△石本雅敏(代表取締役社長)△田中嘉一(取締役専務執行役員)△三井久(取締役常務執行役員)△羽田仁(同)△辻本謙一(同)△金勲道(同)△清水源也(取締役)△井伊雅子(同)△朱殷卿(同)
中村と清水の2人は伊藤忠からデサントに派遣された。中村は会長だが、代表権はない。清水は非常勤の取締役。井伊と朱の2人は社外取締役だ。石本は創業家出身。あとの5人はデサントに社員として入り、実績を残して取締役になった。10人のうち、デサント側が6人、伊藤忠側が2人、中立(社外取締役)が2人という色分けになる。

△デサントのグラブを使う楽天の選手

デサントの経営に関与したい岡藤は、伊藤忠出身の取締役を増やすように要求した。しかし、石本は「社内取締役を8人から4人に減らし、伊藤忠出身の取締役も2人から1人にしたいと思います」と回答した。
2人のやり取りを再び文春の記事から引用する。
岡藤「今の経営体制っていうのは、それはもう、会社の社長としたら我々は認められないわ。な?」
石本「なぜ私がこのまま経営者でやっていくのが認められないのですか?」
2人の主張は平行線をたどり、物別れに終わった。

伊藤忠はこの会談後、冒頭で述べたようにデサント株の買い増しを始めた。企業が他の企業の株を買い増しする場合、関係悪化を招かないように事前に知らせることが多い。しかし、今回はその知らせがなかったため、デサントの反発を招いた。

△デサントのバットを使う八百板卓丸

デサントはこの圧力に対抗するため、8月末にワコールHD(ホールディングス)と包括的な業務提携を結んだ。内容は、① 事業領域の垣根を超えた新規事業の創出② 両社の強み “モノ創り”の力を掛け合わせた商材の開発③ 両社の保有するアセットの有効活用-の3点だ。この業務提携は、伊藤忠が派遣している2人の取締役には事前に知らされなかった。
ワコールHDとデサントの業務提携が資本提携に発展することはないのか。業務提携の記者会見でその可能性を問われたワコールHDの安原弘展社長は「視野にも入れていません」と完全否定した。この発言からすると、ワコールHDがデサントの後ろ楯になることはなさそうだ。

伊藤忠はM&Aで業績を伸ばし、三菱商事の売り上げを抜いて業界トップになった。今年4月に持ち分法適用会社のユニー・ファミマHDを子会社にすると発表。株式公開買い付け(TOB)で出資比率を41.5%から50.1%に引き上げるとした。TOBは7月17日から8月16日までに実施され、買い付け予定数を上回る応募があった。取得額は約1200億円だった。
次のターゲットはデサントだ。伊藤忠は水面下で買収提案をしたが、デサントが拒否したため、株の買い増しを始めたとされる。現在はそれが一段落したところだが、今後はどうなるのか。このまま買い増しを続け、デサントに圧力をかけるのか。それとも「自主経営がやれるならやってみろ!」と途中で売ってしまうのか。デサントは、伊藤忠の攻勢にどう対抗するのか。両社の攻防はまだまだ続きそうな気配にある。

【文と写真】角田保弘