△トロロッソ・ホンダのマシン

F1世界選手権の第21戦「アブダビGP」の決勝は11月25日、アブダビのヤス・マリーナ・サーキットで行われた。今季の最終戦で、全10チームの計20台が出走。1周5.554kmのコースを55周し、総走行距離305.355kmで順位を争った。すでに5度目の年間総合優勝を決めているルイス・ハミルトン(イギリス、メルセデス)がポールポジョンから飛び出し、危なげないレース運びで優勝。今季11勝目、通算73勝目を挙げた。
日本関連ではトロロッソ・ホンダの2台が出走し、ブレンドン・ハートレー(ニュージーランド)が12位、ピエール・ガスリー(フランス)がパワーユニットのトラブルでリタイアに終わった。年間のポイントランキングは、ガスリーが15位、ハートレーが19位。ガスリーは来季、レッドブル・ホンダの一員としてF1に参戦する。ハートレーはトロロッソ・ホンダのシートを失うことが決定した。

△エンジンを供給するのはホンダ

トロロッソ・ホンダは今年3月17日、東京・六本木の六本木ヒルズアリーナで「Red Bull Toro Rosso Honda DAY in TOKYO」を開催した。開幕前の景気づけのイベントで、ドライバー2人、フランツ・トスト監督、山本雅史本田技研工業モータースポーツ部長の計4人が出席し、マシンの前でトークライブを繰り広げた。会場には約2500人のファンが詰めかけた。
イベント終盤に質問コーナーが設けられ、女性ファンからドライバー2人に「マシンに名前は付けますか?」という問いがあった。ガスリーは「僕のマシンは『ガスモビル』かな」と回答。ハートレーは「まだ付けていない」と前置きし、「オススメの名前があったら、ツイッターに投稿して」と要望した。
これに鋭く反応したのが、監督のトストだ。「採用された人は日本GP(10月6~7日)に招待するよ」と公約。山本も追随し、その場でプレゼント企画が決まった。


△福島県観光物産館で販売される赤べこ

これを機にハートレーのツイッターには多くの案が寄せられた。8月のベルギーGPの際、ハートレーはその中から「赤べこ(Akabeko)」を選んだ。同じ案を複数の人が提案したので、抽選で(@yujiro0102)が日本GPのトロロッソ・ホンダのパドックにペアで招待されることになった。鈴鹿サーキットまでの交通費と宿泊費もトロロッソ・ホンダが負担すると表明した。
赤べこは、会津地方の郷土玩具である。「べこ」は東北地方の方言で、牛を意味する。吉幾三(青森県出身)が『俺ら東京さ行ぐだ』で「東京でベコ飼うだ♪」と歌ったので、東北以外の人もそれなりに知っている方言だ。トロロッソはイタリア語で「赤い雄牛(レッドブル)」を意味するので、「赤べこ」という案が選ばれた。

△福島ユナイテッドFCの試合に出現

赤べこは縁起物である。1611年に会津地方は大地震に見舞われ、只見川沿いの柳津も被害を受けた。虚空蔵堂や僧舎・民家は倒壊し、多くの死者が出た。その6年後の1617年に初めて虚空蔵堂の本堂は現在の巌上に建てられた。
本堂再建に使われた大材は、只見川上流の村々からの寄進を受け、川を利用して運ばれた。そこから大材を巌上に運ぶのは黒毛の牛の役目となったが、作業は難航した。そのとき、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、黒毛の牛を助けた。作業は一気に進み、巨大な虚空蔵堂を建てることができた。

後に大材を運んでくれた牛に感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」である。作業を手伝った赤毛の牛は「赤べこ」と呼ばれ、多く人々に親しまれるようになった。
その後、会津地方で伝染病が流行したとき、赤べこの人形を持っていた人は病気にかからなかったという言い伝えがある。このため、災難を回避したり、願いを叶えたりするお守りとして用いられるようになった。

△JR磐越西線の車両に赤い牛が…

会津若松市の室井照平市長は10月上旬、トロロッソ・ホンダのマシンに「赤べこ」という名前が付いたことを知った。気をよくした室井は、ハートレーに赤べこをプレゼントしようと考えた。胴体部分に金色で「必勝」の文字が入った赤べこを制作。赤べこの由来と激励の手紙を同封して、本田技研工業の本社に発送した。山本部長がそれを持って渡米し、アメリカGPに臨むハートレーに渡した。
このニュースは、福島民報(10月23日付)と福島民友新聞(同)で大きく取り上げられた。民友の記事には「赤べこに守られ、いい記録が出ることを期待している。会津の情報発信につながってほしい」(室井市長)、「日本のファンには親しみやすい名前。海外でも広まってくれればうれしい」(ホンダ広報担当者)というコメントが載った。

△JR郡山駅のホームにある看板

縁起物の赤べこを手にしたハートレーだったが、今季の成績がいまひとつだったので、前述したようにトロロッソ・ホンダのシートを失った。来季については未定。29歳という年齢を考えると、来季、別のチームでF1に参戦する可能性は少ない。
ならば、日本のスーパー・フォーミュラやスーパーGTへの参戦を検討してみてはどうか。人柄の良さは定評があるし、親日家なので、ホンダもシートの喪失を残念がっている。何より赤べこの知名度をアップさせた立役者だ。日本のサーキットでF1経験者の中嶋一貴、小林可夢偉、ジェイソン・バトン(イギリス)らとしのぎを削れば、モータースポーツファンは歓喜するはずだ。

【文と写真】角田保弘