△険しい表情のゴージャス松野

11月4日に福島市国体記念体育館サブアリーナで行われた「東日本大震災復興イベント~ゴージャス松野レスラーデビュー15周年記念~DDTプロレス福島大会『ゴージャスナイト』」。第四試合の後は、約15分の休憩に入った。観客は会場の隅に設営されたグッズ売り場の前に移動し、Tシャツやタオルを買い求めた。試合を終えたばかりの男色ディーノやチェリーもグッズ売り場に顔を出し、Tシャツなどにサインした。
ディーノは休憩中、男性ファンにキスを迫ることもなく、普通にハイタッチなどをしていた。ゲイを演じているのは試合中だけ。学生プロレスのリングに上がり始めた頃はストロングスタイルを標榜していたものの、リングネームに合わせて芸風を変更してきた。強さよりもキャラで勝負するレスラー。その言動がプロレスファンにウケて、インディーズ団体の選手としてはトップクラスの知名度を誇る。

△グッズ売り場の男色ディーノ

グッズ売り場の近くに募金箱を持った若手レスラーがいた。その姿を目にした観客たちは、いくらかのお金を次々と投入した。貯まったお金は、寝た切り状態になった高山善廣の治療費に充てられることになる。
高山は身長196㌢㍍、体重125㌔㌘の大型レスラー。UWFインター、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、新日本プロレスなど各団体で活躍した。PRIDEのリングでは、ドン・フライと足を止めて壮絶な殴り合いを展開し、男を上げた。2016年9月にDDTのリングに初めて上がり、それ以降も定期的に参戦していた。

△募金箱を手にする若手レスラー

高山がアクシデントに見舞われたのは今年5月のことだった。DDT大阪・豊中大会でヤス・ウラノに回転エビ固めをかける際に頭部を強打。大阪市内の病院に緊急搬送され、頸髄損傷および変形性頚椎症と診断された。手術を受けたものの、回復の見込みはなく、首から下が動かない状態になった。長期の入院生活が避けられないため、プロレス界が団体の垣根を超えて募金活動を行い、高山を支援することになったのだ。

△リング上で歌い踊る若手レスラー

休憩明けは「福島の歌姫」こと田代純子が『羅臼』『風が吹いてた』などを熱唱し、場内をわかせた。
続いて、セミファイナル、30分一本勝負「HARASHIMA×MAO」。本大会6試合中、唯一のシングルマッチだ。試合に先立って、リング上で派手なパフォーマンスが行われた。選手数人がリングに上がり、試合に出場する2人と共に歌って踊ったのだ。DDTの若手レスラーはアイドル路線が徹底している。
ただ、試合そのものは昭和の新日本プロレス風だった。寝技から入り、徐々に立ち技に移るというオーソドックスな展開が続いた。昭和のプロレスでは欠かせないコブラツイストも出た。それぞれのドロップキックは打点が高く、練習量の多さと身体能力の高さを伺わせた。最後はHARASHIMAが膝を使った打撃技の蒼魔刀でMAOから3カウントを奪った。

△リングに勢揃いする坂口征夫ら

メインイベントはゴージャス松野レスラーデビュー15周年記念!福島名物スペシャル6人タッグマッチ30分一本勝負「竹下幸之介&彰人&ゴージャス松野×坂口征夫&高梨将弘&岩崎孝樹」。まずは坂口組の3人がリングに登場。続いて、竹下、彰人の2人が登場し、最後に金の巨大わらじと共に松野が現れた。
福島市では毎年8月、わらじまつりが開催されている。市内を縦断する国道13号を通行止めにして、巨大なわらじを担ぐというものだ。江戸時代から300年以上の歴史がある信夫三山暁まいりをベースにして、1970年に福島市と福島商工会議所が中心になって始めた。東北6県の夏祭りが勢揃いする東北六魂祭にも参加している。

△会場に運び込まれた金のわらじ

この金のわらじは11月4日、東北中央自動車道の福島大笹生IC―米沢北ICの開通式で初披露された。それを当日中に会場に運び込んだのだ。ゴージャスナイトのために。
松野が入場する際、リングサイドではブラック牛マンの遺影が掲げられた。松野と盟友関係にあった覆面レスラーだ。本名は佐藤誠で、福島市を本拠地にするアマチュアのプロレス団体「SED」を主戦場にしていた。しかし、体調を崩して入院生活をしいられ、2016年4月に死去。50歳の若さだった。松野はその遺影を受け取って、リングインした。

△紙テープが投げ込まれるリング

松野がリングの中央に立つと、四方八方から紙テープが投げ込まれた。さらに、松野ファンクラブの会員たちが次々とリングに上がり、松野に花束を贈呈した。対戦相手の坂口は、その様子を不快そうな表情で見守った。
その儀式が終わると、坂口が「ジジイ、デビュー15周年おめでとう!」と言いながら、花束を差し出した。松野と仲の悪いはずの坂口が祝福の言葉を口にしたため、客席から「オー!」と歓声が上がった。ところが、よく見ると、坂口が差し出したのは葬式用の菊だった。松野は「ふざけるな、この野郎!」と叫びながら、坂口に掴みかかった。これを合図にしてゴングが鳴り、試合開始となった。

△豪華な花束を手にする松野

△菊の束を差し出す坂口

坂口は、「世界の荒鷲」と呼ばれた坂口征二(新日本プロレス)の長男だ。中学・高校時代は柔道部で活躍。27歳で空手を始め、総合格闘技のリングに上がった時期もある。一級土木施工管理技士免許を持っており、東日本大震災の直後は、いわき市小名浜で水道管の復旧にあたった。根はいいヤツだが、松野を異常に敵視している。自分と同じように日焼けした肌を売り物にしていることが気に入らないらしい。
坂口に先制攻撃を仕掛けた松野だが、地力の差はいかんともしがたい。すぐに切り返され、殴る蹴る絞められるのフルコースを浴びた。こうなると、プロレスというより、単なるいじめである。客席からは「老人虐待だ!」「坂口、もう勘弁してやれ!」という声が飛んだ。

△松野の身体を押さえつける坂口

△3人かがりの攻撃を受ける松野

本大会の会場は、松野の地元・福島市である。しかも、主催は松野が社長を務める松野プランニング。普通のレスラーなら、松野に花を持たせようと考える。しかし、坂口は空気を読まず、松野を痛めつけた。タッグを組む高梨、岩崎の手も借りて、3人がかりで攻撃することもあった。松野は自軍のコーナーに手を伸ばし、タッチを試みたが、届かなかった。
坂口は松野の首に腕を回し、スリーパーホールドで絞め落とそうとした。松野は一瞬の隙を突いて、逆にスリーパーホールドを仕掛けた。形勢逆転。しかし、すぐに切り返され、再びスリーパーホールドで絞められた。松野は顔をしかめて、耐え続けた。


△スリーパーホールドの攻防

松野はフラフラになりながら、ようやく自軍の選手にタッチした。その後はリングサイドでしばらく休んでいた。松野は筋肉質の身体をしているが、プロレスラーとしては細すぎる。見た目はボクサーやキックボクサーのようだ。体脂肪率は1ケタ。歌手も兼ねているので、スマートな体形を維持しなければならない事情もあるようだ。
体力を回復した松野は、再びリングインした。今度はやられっ放しではなく、攻撃技を繰り出した。岩崎の背中に乗り、両腕を羽上げるパロスペシャルも披露した。その後、松野は若手2人に主役の座を譲り、自らは脇役に回った。最後は竹下が岩崎にラリアットを浴びせ、サプライズローズで3カウントを奪取。松野は竹下、彰人の2人と勝ち名乗りを上げ、ガッツポーズをとった。

△強烈なグーパンチを浴びる松野

△パロスペシャルを決める松野

試合を決めた竹下はマイクを握り、「ゴージャスナイトにご来場の皆さん、ありがとうございます。そして松野さん、15周年おめでとうございます!」と言った。松野は「2人の力で記念すべき試合を勝利で終えることができました。本当にありがとうございます!」と返答。気をよくした松野は、田代をリングに上げて、デュエット曲『心酔わせて』を歌った。リングサイドには観客が次々と押し寄せ、松野にご祝儀を手渡した。

△観客に感謝の言葉を述べる松野

歌い終えた松野は、観客に改めてお礼を言った。
「プロレスラーとしてデビューして、おかげさまで15年が経ちました。ゴージャスナイトの開催も10回目になりました。最近は身体がキツくなって、もうやめようかなと思って会場に入るようになりました。ただ、お客さまのすばらしい笑顔を見ると、『まだまだ頑張らなければならない』と考え直します。56歳になりましたが、今後も身体を鍛え、試合に出ても恥ずかしくない状態にしたいです。年齢を重ねると身体を隠すコスチュームになることが多いですが、私はあえて出していこうと思います。これが出せなくなったら、リングから降りなければならないと思っています。生涯このままでいきたいと思っています」
スポットライトを浴びた松野は、そう宣言して、深々と頭を下げた。

【文と写真】角田保弘


△派手な衣裳で歌うゴージャス松野

「東日本大震災復興イベント~ゴージャス松野レスラーデビュー15周年記念~DDTプロレス福島大会『ゴージャスナイト』」は11月4日、福島市国体記念体育館サブアリーナで行われた。松野プランニングの主催、ゴージャス松野ファンクラブの共催、福島民報社、福島民友新聞社、福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島、ラジオ福島、ふくしまFMの後援。今大会は2004~2008年、2012年、2013年、2015年、2016年に続いて通算10回目の「ゴージャスナイト」となった。
大会の主役は、言うまでもなくゴージャス松野だ。41歳でプロレスデビューし、56歳になった現在もリングに上がり続けている。同時に歌手活動もしており、大会の冒頭では『お前のバラード』を熱唱した。作詞は白川ユメノ、作曲は加東竜次。2016年5月に発表されたオリジナル曲で、昭和感が漂うムード歌謡だ。「ゴージャス」のリングネームにふさわしく、松野はド派手な衣裳でリングに登場した。

△リングで歌い踊る若手レスラー

続いて、場内に設置されたスクリーンに映像が流れた。松野の波瀾万丈の人生をまとめたVTRだ。沢田亜矢子との結婚と離婚。それに関連する裁判。ホストへの転身、プロレス挑戦。飲酒中に倒れ、命を落としかけたこともあった。それでも松野はリングに上がり続けている…。松野の生命力は尋常ではない。この男を見ていると、どんな困難に直面しても、「人生は何とかなる」と気持ちが軽くなる。

△若手レスラーのシリアスな攻防

DDTは、松野が出場することからも分かるように、エンターテイメント色の強い団体だ。主に大都会の小規模な会場で興行を行い、固定ファンを掴んでいる。若手選手は試合前、リング上でアイドルのように歌ったり、踊ったりしている。一方、ベテラン選手はキャラを明確にし、観客を笑わせるような試合をしている。男女混合マッチも取り入れており、チェリーと赤井沙希の2人は団体の目玉的な存在になっている。

△赤井(左)とチェリーも参戦

今大会は次の6試合が組まれた。
【第一試合】30分一本勝負「高尾蒼馬&上野勇希×大石真翔&勝俣瞬馬」
【第二試合】DDTメガトン級4WAYマッチ30分一本勝負「マッド・ポーリー×大鷲透×樋口和貞×アントーニオ本多」
【第三試合】30分一本勝負「佐々木大輔&遠藤哲哉×マイク・ベイリー&ディエゴ」
【第四試合】30分一本勝負「男色ディーノ&石井慧介&チェリー×高木三四郎&平田一喜&赤井沙希」
【セミファイナル】30分一本勝負
「HARASHIMA×MAO」
【メインイベント】ゴージャス松野レスラーデビュー15周年記念!福島名物スペシャル6人タッグマッチ30分一本勝負「竹下幸之介&彰人&ゴージャス松野×坂口征夫&高梨将弘&岩崎孝樹」

△トップロープを使った反則攻撃

第一試合に出場した6人は、いずれも若手レスラーだ。試合前にジャニーズ事務所のアイドルのように歌い、踊った。人前でパフォーマンスを演じ、お金をもらうという行為は、アイドルもプロレスラーも全く同じ。ステージにロープが張ってあるかどうかの違いだけだ。
第二試合に出場したアントニーオ本多は、本名が本多宗一郎。本田技研工業の創業者・本田宗一郎とほぼ同じだ。父親は俳優の渡辺哲。試合の途中で創作昔話を披露することが多い。今大会では「嘉永6年にペリーの黒船が来航」と前置きし、「戊辰戦争が…」と言い始めた。話が唐突すぎるため、観客の反応はいまひとつだった。
第三試合は、オーソドックスなタッグマッチになった。昭和風のプロレスである。お笑い的な要素の多いDDTだが、それだけではないということを示した格好だ。

△創作昔話を披露するアントニーオ

第四試合は、一転してお笑い的な要素が満載だった。DDT名物の男女混合マッチ。ただ、さすがに男女が寝技で身体を密着させる場面は皆無。かつぎ上げて叩き落としたり、打撃技でダメージを与えるというパターンが多かった。
男色ディーノはゲイという設定になっている。入場する際、観客に好みの男性がいるとキスを迫る習性がある。このため、場内に「(男性の観客は)自分の身は自分でお守りください」というアナウンスが流れる。プロレスラーというより、パフォーマーに近い。「LGBT(性的少数者)に配慮する社会をつくろう」という声が高まっているが、DDTはそれらとは一線を画している。

△DDTで選手兼任社長を務める高木

高木はDDTの選手兼任社長。学生時代にイベントプロデューサーを始め、そのときに身につけたセンスが現在の仕事に生かされている。「小さなプロレス団体」のビジネスモデルは、高木が確立したと言ってもいい。その資質を見込まれ、武藤敬司率いるWRESTLE-1の経営を任された時期もある。
赤井は、元プロボクサーで俳優の赤井英和の娘だ。身長174㌢㍍。モデルも兼ねているので、スラリとした体形を維持している。2006年に旭化成せんいキャンペーンモデル、2009年にK-1イメージガールを務めた。長い足を利用した回し蹴りが得意技だ。

△モデルとしても活躍する赤井

試合前、ディーノは不敵な笑みを浮かべながら、次のように宣言した。
「ゴージャス松野のデビュー15周年ということで、この試合で俺たちが勝ったら、福島県はゲイカントリーになる」
対戦相手の高木は、すかさず「俺たちが負けるわけねえだろ! ゲイカントリーなんかに絶対させん!」と反論。赤井も「福島県をゲイタウンにはさせへんで!」と関西弁で語った。
しかし、高木&平田&赤井には難点があった。平田の目立ちたがりな性格だ。自分が試合を決めるという意識が強すぎて、個人プレーに走ってしまうのだ。しかも、試合の途中でダンスをしたがる。せっかく攻め込んでいるのに、そこでダンスをするので、流れが止まってしまう。この試合も例外ではなく、ダンスをしている間に相手チームに反撃され、形勢逆転という展開が目立った。

△ゲイという設定の男色ディーノ

ディーノは試合中によくお尻を出す。Tバックを履いているので丸出しではないが、「縦の線」はかなり細い。前方の布も小さく、若い女性は目のやり場に困るのではないかと思う。
この試合でもコーナーポストに上がり、お尻を出した。ディーノとタッグを組む石井はすかさず赤井をかつぎ上げ、顔をそのお尻に近づけた。これは地獄門という技で、相手に精神的なダメージを与えることを目的にしている。赤井は顔をしかめ、身体をバタバタさせて必死に逃げようとした。

△「地獄門」の餌食になる赤井

試合は結局、チェリーが平田から3カウントを奪った。平田がチェリーに首固めを仕掛けて、切り返されたのだ。試合に勝ったディーノは、観客にこう言った。
「僕が『ゲイカントリー福島!』と叫んだら、皆さんはわらじ祭りの要領で『ワッショイ!』と反応してください。いいですか、いきますよ」
ディーノ「ゲイカントリー福島!」
観客「ワッショイ!」
調子に乗ったディーノは「福島県は来年の『ゴージャスナイト』までゲイカントリーだ。文句はゴージャス松野に言え!」と憎まれ口を叩いて、リングを後にした。

【文と写真】角田保弘



世間的に見れば「あの人は今」状態かもしれない。松野行秀。芸名はゴージャス松野。福島市出身の56歳だ。一時は芸能マスコミに追われる存在だったが、最近は見向きもされなくなった。ただ、今年は船越英一郎と松居一代の離婚騒動が話題になったことから、松野の名前も久々にクローズアップされた。泥沼離婚は、松野と沢田亜矢子の夫婦が元祖と認識されているからだ。
松野はもともと東宝芸能の社員で、沢口靖子や斉藤由貴のマネージャーを務めていた。在社中に芸能界で孤立していた女優の沢田の相談を受け、ボランティアでマネージメントを請け負った。次第に沢田と親密な関係になり、1995年5月に結婚。これを機に松野は東宝芸能を退社し、芸能事務所を設立した。松野が社長兼マネージャーで、沢田が所属タレントになった。

しかし、2人の夫婦関係は2年半で破綻した。1997年12月に離婚問題が表面化し、2人は芸能マスコミのターゲットになった。翌1998年1月に沢田が「髪の毛を掴まれ、引きずり回された」「生き地獄だった」と証言したことから、松野は国民的なヒールになった。2人の離婚問題は裁判に持ち込まれ、「泥沼離婚」と呼ばれるようになった。
芸能界で居場所を失った松野はその後、アルバイトで収入を得ようとした。運送会社や喫茶店の面接を受けたが、顔と名前が知られていため、採用されなかった。アルバイトを諦め、整形手術をしてホストに転身。果ては「地獄を見た男・沢田亜矢子の夫」という旗を立てて人生相談を行った。糊口を凌ぐため、アダルトビデオに男優として出演したこともあった。

松野は2001年にIWAジャパン社長の浅野起州と知り合った。浅野は宮城県岩沼市出身。当時はプロレス団体のオーナーを務める傍ら、東京・新宿歌舞伎町で飲食店を経営していた。浅野に「うちのリングに上がらないか」と誘われた松野は、2つ返事で承諾した。子どもの頃からプロレス好きだったからだ。
タイガー・ジェット・シンのマネージャーとなり、ゴージャス松野を名乗るようになった。試合中にレスラー同士の抗争に巻き込まれることも多く、そのうちマネージャーという枠に収まらなくなった。松野はレスラーになることを目指し、身体を鍛えた。

翌2002年10月にプロレスラーとして初めてリングに上がった。IWAジャパンの東京・国立代々木競技場第二体育館大会だ。当時41歳で、スポーツ選手としては遅すぎるデビューだった。最初は一方的にやられるだけで、攻撃ができなかった。しかし、試合をしているうちにコツを掴み、やられ役から脱却した。身体もできてきた。
2004年にDDTプロレスへ移籍し、9月に地元の福島市で初めて大会を開催した。これが恒例行事になり、2005、2006、2007、2008年と5年連続で開催。プロレスラーとしての活動を続けたことで、松野は離婚騒動の悪いイメージを払拭していった。

しかし、いい時期は長く続かなかった。2008年11月に飲食店のトイレで倒れ、心肺機能が停止。救命措置に当たった医師は、付き添いの田代純子(福島市在住の演歌歌手)らに「手を尽くしましたが、残念です…」と言った。
しばらくすると心臓が動き出し、意識も回復した。2人の医師は「奇跡的が起きた」と驚嘆。松野は3週間後に退院し、リング復帰を目指したが、精神的な問題が長引いた。
命を落としかけたのは、持病のために服用していた薬剤にアルコールが反応したことが原因だった。その副作用で肝臓がダメージを受け、急性肝不全になったのだ。

松野の持病というのは、うつ病である。当時の松野は母親や実兄と財産争いをしていた。4歳上の実兄は東京の新聞社に勤務していたので、福島市飯坂町の実家は松野が継ぐことになっていた。ところが、実兄が土地・建物を所有する母親を抱き込み、松野の追い出しを図った。実兄は市役所に「弟が高齢の両親を虐待している。共同生活の相手にふさわしくない」と報告。身に覚えのない松野が立ち退きを拒否したことから、裁判沙汰になった。

福島地裁は松野に建物明渡仮処分命令を下した。「1週間以内に家屋を明け渡せ」というのだ。松野は不満があったものの、実家を出て福島市内のマンションに引っ越した。
松野は、沢田との離婚騒動で裁判自体には慣れていた。しかし、血のつながった者と争うのは、精神的な負担が大きかった。そのうちうつ病になり、薬剤を服用。飲酒の機会も増えたため、肝臓が耐えられなくなった。奇跡的に助かったが、長期離脱を余儀なくされた。

リング復帰を目指していた2011年3月に東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起きた。福島市在住の松野は自らも被災したが、田代らと避難所を訪問し、歌などで被災者を励ました。その過程でプロレスラーとしての魂が蘇り、同年5月の東京・後楽園ホール大会で約3年ぶりにリングへ復帰した。
翌2012年にプロレスデビュー10周年を迎えた。同年11月に「東日本大震災復興イベント~がんばろう福島~ゴージャス松野10周年記念ゴージャスナイト」を福島市国体記念体育館サブアリーナで開催し、メインイベントで勝利を収めた。2013、2015、2016年も福島大会を開催し、復興イベントとして定着した。
2017年の大会は、11月4日に「東日本大震災復興イベント~ゴージャス松野レスラーデビュー15周年記念~DDTプロレス福島大会『「ゴージャスナイト』」として開催された。松野はメインイベントの6人タッグマッチに出場し、ライバルの坂口征夫に痛めつけられた。

【文と写真】角田保弘