週刊文春が1月25日号(1月18日発売)で音楽プロデューサー小室哲哉(59)の不倫疑惑を報道した。タイトルは「小室哲哉『裏切りのニンニク注射』~療養中の妻を実家に帰し、自宅に泊めた看護師の正体は?」。これを受けて、小室は翌19日に記者会見を行い、「僕なりにこの騒動のけじめとして、引退を決意しました」と表明。すると、ネット上で文春批判が巻き起こり、「文春を潰せ」「不買運動をやろうぜ」などと過激な書き込みが続出。米大リーグのダルビッシュ有や実業家の堀江貴文らもツイッターで文春批判を展開した。
文春は著名人の不倫報道に力を入れており、近年はタレントのベッキー、衆院議員の宮崎謙介、同じく衆院議員の山尾志桜里、フジテレビアナウンサーの秋元優里をターゲットにした。その結果、ベッキーは活動休止、宮崎は議員辞職、山尾は離党、秋元は番組降板に追い込まれた。小室の引退もその流れに沿っているが、今回は世間の反応が違った。小室に同情的な声が強く、前述したように文春自身が被弾する格好になったのだ。

新聞各紙は、この現象を大きく取り上げた。東京新聞「『あら探し』文春砲炎上」(1月24日付)、毎日新聞「文春砲炎上潮目変化?」(1月26日付)、産経新聞「彼の苦悩は今に通ずる」(2月2日付)、朝日新聞「文春に反感のワケは」(2月10日付)といった具合である。
当の文春は、この逆風をどうとらえているのか。各紙の取材に対して「特に申し上げることはございません」(東京新聞)、「お答えしていない」(毎日新聞)と回答。一方で、編集長の新谷学は1月27日、カンニング竹山(ベッキーと同じサンミュージック所属)とのトークイベントで「大変な介護の中で息抜きもしたくなるよなという、介護の理想と現実というものを伝えたかった」などと説明した。

小室は1990年代にヒット曲を連発し、「時代の寵児」と崇められた。その存在自体が社会現象になったほどである。ダンスミュージック調のメロディに乾いた歌詞を乗せるというパターンが多く、カラオケでもよく歌われた。小室がプロデュースを手掛けた安室奈美恵、篠原涼子、華原朋美、TRF、globeらは「小室ファミリー」と呼ばれた。
シングルの売上枚数は、安室の「CAN YOU CELEBRATE?」が229万枚、globeの「DEPARTURES」が228万枚を記録した。その仕事ぶりは、小室の収入に反映された。1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位になったのだ。1997年の納税額は11億7000万円で、推定所得は約23億円だった。

その小室が1997年4月、福島県中島村を訪問した。村が整備した「童里夢公園なかじま」の竣工式に出席するためである。公園内にからくり時計を寄贈した小室は主賓として招かれ、テープカットなどを行った。
小室の祖父・徳次は同村出身である。父・修一は東京出身だが、戦時中に同村に疎開し、学法石川高校を卒業した。小室自身も少年時代、同村に何度か足を運んだことがあり、故郷のような感情を抱いていた。
同村の村長は1995年から2010年までの16年間、小室康彦が務めた。徳次と従兄弟の関係にあり、小室が「時代の寵児」と言われ始めたときに村長になった。
徳次は、すでに故人になっていた。このため、康彦は長男の修一に「哲哉さんの活躍はわれわれ村民の誇りだ」と伝えた。その話を修一から聞いた小室は感激し、「祖父と父の故郷にお礼がしたい」と考え、からくり時計の寄贈を申し出た。総工費は一千数百万円。当時の小室にとっては、ポケットマネーというレベルの金額である。

同公園の竣工式に合わせて、からくり時計の除幕式が行われることになった。超多忙な小室に代わり、修一が代理出席すると発表された。ところが、竣工式の直前になって、小室本人も出席すると発表された。康彦が修一にダメ元で「哲哉さんも出席してほしい」と頼み込み、OKの返事をもらったのだ。
同村は、東北新幹線の新白河駅から車で20分ほどの距離にある。東京からの所要時間は片道2時間、往復4時間。竣工式・除幕式が2時間とすると、トータルでは6時間になる。当時の小室がその分のスケジュールを空けるという大変なことである。祖父・父の故郷で、なおかつ康彦が親戚でなければ絶対に無理である。

当日は小雨が降っていた。小室は予定の時刻を過ぎても、姿を現さなかった。1時間たっても同じ。その間、2万5000人(主催者発表)の見物人は待ちぼうけを食らった。佐藤栄佐久知事、小室康彦村長、そして父の修一も小雨の中で待機した。場内に「小室さんはこちらに向かっています」というアナウンス が何度かあったものの、空振りを重ねたことで、そのうち信用されなくなった。
見物人が「天才は気まぐれだから」「親父(修一)はちゃんと小室に伝えたんだろうな」「(恋人と噂された)華原朋美も一緒に来ないかな」などとヒソヒソ話をしていた頃、白いワンボックスカーが到着。スライドドアが開き、車内から小室が出てきた。黄緑(うぐいす色)のスーツを着て、茶色の長い髪をちょんまげのように縛っていた。2時間ほど遅刻したことになるが、小室はカリスマ的な音楽プロデューサーである。それまでイライラしていた見物人も態度を変えて、「ワッー」「キャー」という歓声を上げた。



スプリントのカヤックは、主に上半身でパドルを漕ぐので、腕力が物をいう。体重による階級制を導入しているわけでもないので、必然的に体の大きい選手が有利になる。男女ともハンガリー、ポーランド、ドイツ、イタリアなどの欧州勢とカナダ、米国などの北米勢が強豪国として君臨している。アジア勢では北京五輪を見据えて競技力の向上を図った中国が強い。
日本人は体が小さく、カヌー競技がメジャーというわけでもない。条件に恵まれていないので、世界選手権で上位に入るのはほぼ不可能。現実的に考えれば、アジア地区最終予選会で優勝するという道しかない。

スプリントのカヤックが日本人に向いていないことは、歴史が証明している。五輪の男子カヤックシングル1000mに出場した日本人は、ミュンヘン大会(1972年)の佐藤忠正(勢能体育用品)が最後である。
五輪の男子カヤックペア500mに出場した日本人は、ロサンゼルス大会(1984年)の小池一守(大正大学職)柳沢尚久(上九一色村役場)組が最後である。五輪の男子カヤックペア1000mに出場した日本人は、同じロサンゼルス大会の小池・柳澤組が最後である。

2011年10月にテヘランで行われたロンドン五輪のアジア大陸最終予選会。男子カヤックペア200mで松下桃太郎(和歌山県教)渡辺大規(ユニー)組が優勝し、五輪出場枠を獲得した。スプリントの男子カヤックでの五輪出場はロサンゼルス大会以来、28年ぶりとなった。
200mであれば、まだ可能性がある。体重の軽い日本人は、スタートダッシュで外国勢に差をつけ、そのまま逃げ切るという展開に持ち込めるからだ。しかし、鈴木が得意にする1000mはスタートダッシュでリードしても、そのまま逃げ切るのは難しい。

2008年5月に石川県小松市で行われた北京五輪のアジア大陸最終予選会。鈴木はカヤックシングル500mに出場し、3位に終わった。日本人では最上位だったが、五輪の出場枠を獲得することはできなかった。滋賀レイクスターズのブログ(2008年5月12日付)に鈴木のコメントが載っている。
「結果はカザフスタン、ウズベキスタンに次ぐ3位。オリンピック出場条件であるアジア予選1位になる事ができず、非常に悔しい。レース運びとしては、中盤で追いつき、後半で勝負を仕掛ける予定が、実際には相手にスタートで予想以上に離され、中盤でリズムを崩してしまった。後半で差を縮めたものの、追いつけないままレースは終わってしまった。このレースで改めて、身体的にも精神的にも更なる成長が必要であると実感した」
鈴木は普段、1人で練習していた。自分では懸命にやっているつもりだが、コーチの必要性を感じることもあった。外国勢と一緒に練習し、その実力を肌で感じたいと思うこともあった。

1人での練習に限界を感じた鈴木は、思い切った行動に出た。2008年8月にフランス・アメリカ・ベルギーのナショナルチームが小松市で行っていた北京五輪の最終調整合宿に単身で乗り込み、参加を直訴したのだ。紹介者のいない飛び込みだったが、鈴木は参加を許可された。合宿では外国勢との実力の違いを痛感。一方で、フランスのコーチにパドルの使い方や水の捕らえ方を教えてもらうなどの成果があった。
鈴木は翌2009年1月、滋賀県体育協会の支援を受けてオーストラリアへ渡った。 現地では北京五輪男子カヤックシングル500mで優勝したケン・ウォーレスと同じメニューをこなした。コーチからは肩周辺の筋力の弱さや腕力に頼った漕ぎ方を 指摘され、全身を使ったフォームを伝授された。(つづく)

【文】角田保弘



朝日新聞1月9日付の1面にスクープ記事が載った。見出しは「ライバルの飲料に薬物」「カヌー五輪代表候補が混入」。
〈昨年9月に石川県小松市であったカヌー・スプリント選手権で、カヤックシングル(1人に乗り)に出場した男子選手(32)が、別の男子選手(25)の飲み物に禁止薬物を入れ、レース後のドーピング検査で入れられた選手が陽性になっていたことがわかった。2人とも昨夏にチェコであったスプリント世界選手権の日本代表で2020年東京五輪代表入りを目指すトップ級選手だった〉(リード文より)
この記事を読んで「日本にこんな卑劣なことをやる選手がいるのか…」と呆れ返った。加害選手の名前が伏せられていたので、「どこのどいつだ?」とも思った。ネットを活用して実名を割り出そうかとも考えたが、そのまま記事を読み続けることにした。

社会面に関連記事が載っていた。加害選手は「カヌー・スプリントで五輪に出場した妻」がいて、「スポーツジムを経営」しているという。
これだけヒントをもらえれば、ネットを活用しなくても、加害選手の名前は頭に浮かぶ。二本松市在住の鈴木康大だ。妻は、北京五輪カヌー・スプリント日本代表の綾香(旧姓・久野)。経営しているスポーツジムは「Dream」。県内では有名なアスリート夫妻なので、今回の問題が県スポーツ界に大きな衝撃を与えるのは必至。県民の1人としては、残念と言うしかない。

朝日のスクープを受けて、日本カヌー連盟は9日に記者会見を行い、専務理事の古谷利彦が詳細を明かした。加害選手は鈴木康大(福島県協会)、被害選手は小松正治(愛媛県協会)。小松の陽性反応を知った鈴木が昨年11月、電話で混入を認めた。禁止薬物を含むサプリメント錠剤は昨年8月、海外遠征中にインターネットで購入した。
カヌー競技においては、2010年頃から国内大会や日本代表の海外遠征中にパドルの破損や紛失、現金の盗難などが繰り返し発生していた。鈴木は一部について関与を認め、小松以外の選手に対しても妨害行為をしていた。重大な違反を犯した鈴木について、同連盟は定款で最も重い除名処分とする方針。3月の理事会に提案する。

鈴木は千葉県小見川町(現・香取市)出身。カヌーと出会ったのは小学3年生のときだった。地元のB&G小見川海洋センター(現・香取市海洋センター)にカヌー教室があり、母親が勝手に申し込んだのだ。鈴木自身はあまり気乗りしなかったが、実際に乗ってみると、意外と面白かった。水に浮いているという感覚は、日常生活では味わえないからだ。その才能はすぐに開花し、練習を始めて数カ月で普及艇の部で優勝するまでになった。

小見川中学、銚子商業高校時代は全国大会で優勝した。その実績を引っ提げて立命館大学に進学。すぐさま1000mのスペシャリストとして頭角を現した。全日本選手権や全日本大学選手権などで優勝し、国際大会に日本代表として出場。4年生のときは主将を務めた。
卒業後は滋賀レイクスターズに入団した。総合型地域スポーツクラブで、バスケットボールチーム(当時はbjリーグに加盟)などを運営している。鈴木が所属していたのはパドリング部門で、練習の拠点は大津市の琵琶湖漕艇場。海外遠征に行くときは、地元企業に費用を援助してもらった。自分の試合や練習がないときはバスケットボールチームの運営を手伝った。試合会場では駐車場の交通整理や場内整備などを担当した。

カヌー競技は「スプリント」と「スラローム」の2つに分類される。鈴木が取り組んでいたのはスプリントの方だ。湖や池など静水面にコースを設営し、決められた距離(200m、500m、1000m)を直進して着順を競う。「カヤック」と「カナディアン」の2部門があるが、鈴木はカヤックの選手だった。体を艇の進む方向に向けて座り、ブレード(ヘラ)が両端についているパドル(オール)を左右交互に漕いで進む。クルー(乗組員)の数により、シングル(1人)、ペア(2人)、フォア(4人)の区別がある。
鈴木は、前述したように1000mのスペシャリストだった。この距離なら、32歳になった現在も国内トップレベルの実力を持っている。ただ、これまで五輪とは縁がなく、「オリンピアン」の肩書きを手にすることはできなかった。カヌー競技は、日本選手権で優勝しても、五輪に出られるとは限らないからだ。
カヌー競技で五輪の出場枠を獲得するためには、五輪が開催される前年の世界選手権で上位に入らなければならない。その大会で出場枠を獲得できなかった場合は、アジア大陸最終予選会で優勝しなければならない。チャンスは2度あるが、いずれも狭き門である。(つづく)

【文】角田保弘