△山形出身の栗原1軍打撃コーチ

前号に続いて、楽天の2017年シーズンを振り返ってみよう。
楽天は5月31日の巨人戦(koboパーク宮城)で勝利し、貯金を20とした。快進撃はその後も続き、パ・リーグ首位に君臨。7月23日のオリックス戦(同)で勝利し、貯金を30とした。3日後の26日のソフトバンク戦(同)で勝利し、貯金を31に増やした。
その後は勝ったり負けたりを繰り返したため、貯金が増えることはなかった。ただ、貯金を大きく減らすこともなく、ソフトバンクと激しい首位争いを演じた。8月13日のオリックス戦(京セラD大阪)で勝利し、貯金を再び30とした。

快進撃にブレーキがかかったのは、8月15~17日の西武3連戦(メットライフD)がきっかけだった。15日は8-17で完敗。16日は0-5で完封負け。17日は0-3でサヨナラ負け(西武・栗山巧の代打サヨナラ3ランで決着)。続く18~20日のソフトバンク3連戦(koboパーク宮城)も3連敗し、トータルで6連敗となった。
22日のロッテ戦(ZOZOマリン)で勝利し、ようやく連敗がストップした。しかし、翌23日のロッテ戦(同)から連敗が再スタート。9月3日のソフトバンク戦(福岡ヤフオクD)で敗れ、1分けを挟んで10連敗となった。

楽天が10連敗以上を喫するのは、球団創設1年目の2005年に11連敗を2度経験して以来12年ぶり。最大31あった貯金は15となり、優勝争いから完全に脱落した。
9月5日の日本ハム戦(富山アルペン)で敗れると、球団ワースト記録の11連敗に並ぶことになる。この状況で先発の藤平尚真が好投し、打線の援護もあって6-1で勝利した。藤平は2勝目。前回は8月22日のロッテ戦で先発し、プロ初勝利を手にした。高卒ルーキーながら、2度にわたってチームの大型連敗を止めたのだ。

シーズン全体の成績は77勝63敗3分けで、勝率が.550だった。貯金は14。優勝したソフトバンクに引き離され、西武にも逆転を許して3位に終わった。優勝した2013年以来4年ぶりのAクラス入りだったが、前半戦の快進撃を考慮すると、不本意な順位だった。
日本シリーズ進出を懸けたクライマックスシリーズのファーストステージは、西武を2勝1敗で退けた。続くファイナルステージはソフトバンクに2連勝したものの、その後は3連敗し、2勝4敗(ソフトバンクの1勝のアドバンテージ含む)で敗退した。

2018年シーズンは開幕から調子が上がらず、球団創設1年目のような苦しい戦いが続いた。開幕戦は勝利したものの、2試合目から5連敗を喫し、借金生活が常態化。4月30日時点の成績は6勝19敗1分けで、借金が早くも13となった。勝率は.240で、首位の西武とは13.5ゲーム差となった。
低迷の原因は、主に打撃陣にあった。チーム打率は.216、チーム総得点は78で、いずれもリーグ断トツの最下位。梨田は選手の入れ替えや打順の組み換えを試みたが、復調の兆しは皆無だった。このため、球団は4月30日、1軍と2軍のコーチの配置転換を決断した。高須洋介1軍打撃コーチと栗原健太2軍打撃コーチ、立石充男1軍内野守備走塁コーチと真喜志康永育成コーチをそれぞれ入れ替えるという人事だ。高須は、打撃不振の責任をとらされた格好だ。

楽天は球団創設1年目も、同じような配置転換を行った。メーンは山下大輔ヘッドコーチと松井優典2軍監督の入れ替えだった。また、駒田徳広1軍打撃コーチが2軍打撃コーチ、橋上秀樹2軍外野守備走塁コーチが1軍外野守備走塁コーチ、広橋公寿1軍外野守備走塁コーチが1軍打撃コーチ、上川誠二2軍打撃コーチが2軍内野守備走塁コーチ兼2軍監督補佐に異動。野村克也に近い松井と橋上が1軍コーチになったことで、「来季(2006年)の楽天監督は野村か」と言われ始めた(結果は周知のように野村が監督になった)。

話を2018年に戻す。
楽天は5月25日のソフトバンク戦(福岡ヤフオクD)で勝利した。試合後、梨田は三塁側のベンチ前でウイニングボールを受け取り、笑顔を見せた。監督通算800勝を達成したからだ。監督生活12年目の快挙で、近鉄で344勝、日本ハムで301勝、楽天で155勝を挙げた。史上16人目。梨田は「バファローズもファイターズもイーグルスも、そういうチャンスを頂いての800勝なので、本当にありがたい。関係者の皆様に感謝したい」と語った。

そして迎えた6月16日の阪神戦(楽天生命パーク宮城)。先発投手は、楽天が則本昴大、阪神が岩貞祐太だった。試合は投手戦となり、8回表が終了した時点で両チームとも無得点だった。
試合が動いたのは8回裏。先頭打者の嶋基宏がレフト線に二塁打を放ち、チャンスをつくった。二塁走者は嶋から島井寛仁に交代。続いて打席に入った田中和基はセカンドゴロを打った。三塁に向かった島井は塁間に挟まれ、ランダウンプレーの末にタッチアウト。この間、田中は二塁に到達した。

続いて打席に入った藤田一也はライト前にヒットを放ち、1アウト一塁三塁となった。阪神の投手は岩貞から桑原謙太朗に交代。チャンスで打席に入った今江年晶はライト線にタイムリー二塁打を放ち、楽天が1点を先制した。
楽天は1アウト二塁三塁と追加点のチャンス。この場面でディクソンは空振り三振を喫し、2アウトになった。続く島内宏明はファウルフライに倒れ、3アウトチェンジ。楽天は追加点が取れず、1点に終わった。これが後に響いた。

9回表。楽天は則本をそのままマウンドに送った。投球数は、8回表が終了した時点で120球。完封目前とはいえ、投球数を考えれば、リリーフ陣にマウンドを譲ってもおかしくない場面だ。しかし、今季はクローザーの松井裕樹が絶不調に陥り、6月7日に2軍落ち。他の投手も不安要素を抱えていたことから、則本に最終回を任せることにした。捕手は足立祐一に代わった。
この判断が裏目に出た。則本はコントロールが定まらず、先頭打者の伊藤隼太にストレートの四球を与えた。一塁走者は伊藤から熊谷敬宥に交代。続いて打席に入った鳥谷敬は送りバントを決め、阪神は1アウト二塁のチャンスをつくった。

この場面で打席に入った中谷将大は、センターオーバーのタイムリー二塁打を放った。阪神は同点に追いつき、なおも1アウト二塁のチャンス。阪神は梅野隆太郎に代わって、原口文仁を打席に送った。
原口は、期待に応えてレフト前にヒットを放った。1アウト一塁三塁となり、打者は植田海から高山俊に交代。高山はレフト前に勝ち越しタイムリーヒットを放ち、阪神が1点をリードする展開になった。ここで則本はようやく降板。投球数は136球だった。代わって、高梨雄平がマウンドに上がった。

1アウト一塁二塁の場面。糸原健斗はセカンドゴロを打ち、一塁走者の高山がアウトになった。2アウト一塁三塁に移行。楽天の投手は、高梨から福山博之に交代した。阪神はリードを広げるチャンスだったが、俊介がピッチャーゴロに倒れ、3アウトチェンジになった。
9回裏。阪神の投手は、桑原から藤川球児に交代した。1点を追う楽天はアマダーと茂木栄五郎が連続三振し、あっさり2アウト。ここから銀次のセンター前ヒット、聖澤諒の四球で2アウト一塁二塁のチャンスをつくったが、得点には至らず、ゲームセットになった。

これにより、楽天の成績は21勝41敗1分けとなった。前半戦で借金が20に達したことから、梨田は球団に「成績不振の責任をとる」として辞任を申し入れた。立花陽三社長(47)は引き留めを図ったが、梨田の決意は固く、辞任を受諾した。
梨田は「6月で借金20は責任をとるライン」「本拠地の仙台で7勝24敗は監督の責任」と強調。則本に最終回を任せたことについては「引っ張り過ぎた。でも9回も投げてほしい気持ちはあった」と振り返った。これを受けて、今季の残り試合は平石洋介ヘッド兼打撃コーチ(38)が監督代行として指揮を執ることになった。

梨田を楽天に招聘したのは、球団副会長の星野仙一である。星野は2017年11月28日に東京、12月1日に大阪で「野球殿堂入りを祝う会」をそれぞれ開催した。しかし、年明けに体調が悪化し、1月4日に亡くなった。球団は楽天生命パーク宮城に献花台を設け、ユニホーム姿の星野の遺影を掲げた。梨田は9日に同所を訪れ、黙とうと献花を行った。
そのとき、「3球団目の優勝、そして日本一。いよいよその時が来たなと」と決意を語った。
星野と梨田は、監督としての経歴がよく似ている。
星野は中日と阪神を優勝に導いたが、日本一の経験はなかった。2013年に楽天で優勝し、さらに初の日本一になった。3球団で優勝したのは、三原脩、西本幸雄に続いて史上3人目。
一方、梨田は近鉄と日本ハムを優勝に導いたが、日本一の経験はなかった。楽天で優勝し、日本一になれば、星野と同じ立場になる。2017年は8月中旬までソフトバンクと優勝争いを演じたが、終盤で失速し、3位に終わった。それが頭にあったので、星野が亡くなった直後に強い決意を披露したのだ。

ふたを開けてみれば、2017年とは正反対の展開になった。開幕直後から最下位を独走し、交流戦に突入した後も借金は膨らみ続けた。貯金20が1年後に借金20になることを誰が予想しただろうか。この落差に楽天ファンは戸惑うばかりだ。

【文と写真】角田保弘



△ファンにあいさつする楽天ナイン=2016年6月、開成山野球場

プロ野球・楽天の梨田昌孝監督(64)が6月16日、辞任を表明した。同日の阪神戦(楽天生命パーク宮城)で敗れ、今季の成績が21勝41敗1分となった。前半戦で借金が20に達したことから、球団に「成績不振の責任をとる」として辞任を申し入れ、受諾された。今季の残り試合は、平石洋介ヘッド兼打撃コーチ(38)が監督代行として指揮を執る。
楽天監督は梨田が6人目。歴代監督の在任期間は、初代の田尾安志が1年、2代目の野村克也が4年、3代目のマーティ・ブラウンが1年、4代目の星野仙一が4年、5代目の大久保博元が1年だった。1年と4年が交互に続くという法則があったので、「梨田の在任期間は4年になるのでは?」と予想された。

梨田は島根県出身。浜田高からドラフト2位で近鉄に入団し、すぐさま正捕手の座を掴み取った。300勝投手のエース鈴木啓示がマウンドに立つときは有田修三に出番を譲ることが多かったが、対外的なイメージは「近鉄の捕手=梨田」だった。
捕手は地味キャラになりがちだが、梨田はアグレッシブだった。福本豊(阪急)の盗塁を阻止するために、あらかじめ右足を引き、身体をやや斜めにしてミットを構えるという方法を編み出した。打席で両腕をクネクネさせる姿は「こんにゃく打法」と呼ばれた。女性に人気があり、独身時代はバレンタインデーになると、梨田がもらったチョコレートの数がスポーツ紙のネタになった。

1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーは、梨田の現役最後の試合だった。
その第1試合に梨田は代打で出場した。9回表、二死二塁の場面。得点は3-3の同点だった。マウンドにいたのは牛島和彦、キャッチャーは
小山昭吉から袴田英利に交代した。
1ボールからの2球目、梨田はセンター前に落ちるヒットを打った。二塁走者の鈴木貴久は三塁を回って本塁に突入。センターからの返球が袴田に届き、クロスプレイとなった。鈴木は本塁に滑り込んでセーフ。鈴木はすぐに立ち上がり、両腕を広げて出迎えた中西太コーチに抱きついた。2人は抱き合ったまま倒れ、グラウンドを転げ回った。そのとき、梨田は二塁ベース上でガッツポーズをした。

ロッテと近鉄は、対照的な立場で試合に臨んでいた。ロッテはすでに最下位が確定しており、ダブルヘッダーで連勝しても、順位に変動はなかった。一方の近鉄は西武と優勝争いを演じており、このダブルヘッダーが天王山だった。近鉄が連勝すれば優勝、1分でもすれば西武に優勝をさらわれるという状況だった。
当時、ダブルヘッダーの第1試合は「延長なし」というルールだった。9回裏が終了して同点なら、試合は引き分けになった。だから、近鉄は9回表に勝ち越し点を入れなければならなかったのだ。
梨田があの場面でガッツポーズをしたのは、優勝に望みをつなぐ一打を放ったからだ。仮りに凡打して3アウトチェンジになっていたら、その時点で近鉄の優勝はなくなり、ダブルヘッダーの第2試合は消化試合になっていた。
テレビ朝日『ニュースステーション』は毎年、年末になると、特別番組を放送していた。その年の重大な出来事を検証するという企画で、1988年は「10・19ロッテ対近鉄」が検証テーマに選ばれた。
この番組に出演した梨田は、あの場面を次のように振り返った。
「僕はあまりああいうことをしないんですが、あのときは自然に腕が挙がりましたね」
梨田そう言いながら、ガッツポーズの動作をした。

1988年限りで引退した梨田は、野球評論家を経て、近鉄に戻った。バッテリーコーチや2軍監督を経験したあと、2000年に監督へ。就任2年目の2001年にリーグ優勝したが、日本シリーズではヤクルトに1勝4敗で敗退した。
2004年は球界再編問題が持ち上がり、近鉄はオリックスとの合併を決定。梨田はオリックス監督に内定した仰木彬にヘッドコーチ就任を打診されたが、「選手や裏方の所属先が決まらない中で、監督の自分がユニホームを着続けるわけにはいかない」と断り、2005年は野球評論家に戻った。
2008年に日本ハム監督へ。就任2年目の2009年にリーグ優勝し、クライマックスシリーズも勝ち抜いて日本シリーズに進出した。2001年に逃した日本一の座を狙ったが、巨人に2勝4敗で敗退。2011年限りで退任し、2012年は野球評論家に戻った。

2016年に楽天監督へ。就任を要請したのは、球団副会長の星野仙一だった。梨田は「断る理由がない」として、この話を受諾した。
楽天は梨田にとって、思い入れのある球団だった。現役時代に所属した近鉄はオリックスと合併し、事実上、球団経営から撤退した。その穴を埋めたのが楽天で、近鉄出身の礒部公一、岩隈久志、藤井彰人、吉岡雄二、高須洋介、福盛和男らがチームの主力になった。近鉄のスタッフ数人は、楽天に移った。近鉄ファンの多くは、楽天ファンにくら替えした。それを踏まえ、梨田は楽天を「(近鉄の)生まれ変わりだと感じている」と語った。

楽天は2013年にリーグ優勝と日本一を達成した。しかし、大エースの田中将大が米ヤンキースに移籍すると、チームは一気に弱体化した。2014年と2015年は2年連続で最下位に沈み、田中頼みのチームだったことを露呈した。これをどう立て直すかが、梨田の役目となった。
就任1年目の2016年は5位だった。2年目の2017年は開幕ダッシュに成功し、首位の座をキープし続けた。5月31日の巨人戦(koboパーク宮城)は、塩見貴洋→福山博之→森原康平→ハーマン→ 菅原秀の完封リレーで勝利。通算成績は32勝12敗となり、貯金を20に乗せた。開幕から44試合までに貯金20としたのは、パ・リーグでは1990年の西武以来27年ぶり。「日本シリーズで巨人に4連勝した年の西武以来」と表現すれば、その凄さが理解できるはすだ。

快進撃の理由は、得点力のアップだ。1番・茂木栄五郎、2番・ペゲーロ、3番・ウィーラー、4番・アマダーという打順が機能した。2番は小技のできる打者というイメージが強いが、楽天は2~4番に外国人を3人並べて、クリーンナップと位置づけた。ペゲーロは「恐怖の2番打者」と呼ばれ、前述した巨人戦では右翼場外にホームランを放った。
梨田が近鉄、日本ハムを優勝に導いたのは、前述したように監督就任2年目だった。優勝したのは、近鉄が2001年、日本ハムが2009年だった。このため、「梨田監督は就任2年目が当たり年」「8年サイクルで優勝する監督」という説が流れた。

梨田にとって、 2017年は楽天監督2年目だった。2009年から8年が経ち、優勝サイクルに当たる年でもあった。加えて、5月末で貯金20という快進撃。ファンは「日本一になった2013年より強い」「今年はイケるかも」と受けとめ、ワクワクしながらkoboパーク宮城に足を運んだ。
梨田が楽天を優勝に導けば、3球団で優勝となる。過去にこれを達成したのは三原脩(巨人、西鉄、大洋)、西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)、星野仙一(中日、阪神、楽天)の3人だけ。梨田は、史上4人目の3球団優勝監督になる可能性が出てきた。

【文と写真】角田保弘


『週刊女性』が松井裕樹(22)と石橋杏奈(25)の交際を報じた。松井は楽天の左腕投手、石橋はホリプロのタレント。2人は5月28日夜、都内のホテルで待ち合わせし、同じエレベーターに乗り込んで高層階に姿を消した。そのまま一夜を過ごし、翌29日は時間差でホテルを出た。石橋は地下鉄で家路に就き、松井はチームメイトと一緒にバスに乗り込んだ。
松井が都内のホテルに居たのは、29日から横浜スタジアムでDeNAと楽天の3連戦が予定されていたからだ。チームの宿舎に石橋を呼んだことになる。石橋は正体がバレないようにマスクをつけてホテルに入ったが、同誌のカメラマンに狙われていることに気づかなかった。

松井は横浜市出身。桐光学園高時代は毎試合のように2ケタ奪三振を記録し、知名度が全国区になった。2年時は、夏の甲子園1回戦で22奪三振という快投を演じた。2013年のドラフト会議では目玉選手の1人になり、楽天、日本ハム、ソフトバンク、横浜DeNA、中日の5球団から1巡目で指名された。交渉権を獲得したのは楽天で、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円という条件で入団した。背番号は1。
一方の石橋は福岡県岡垣町出身。榊原郁恵、堀ちえみ、井森美幸、山瀬まみらを輩出したホリプロスカウトキャラバンに応募し、応募総数3万8224人の中からグランプリに選ばれ、芸能界に入った。2008年に映画『きみの友だち』に出演し、第30回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。雑誌『セブンティーン』の専属モデルを務めたため、女性ファンも多い。福岡県出身なので、プロ野球はソフトバンクファンである。

2人は昨年、共通の知人が開いた食事会を通じて知り合ったという。共に独身なので、交際に支障はない。プロ野球選手とタレントの組み合わせも珍しくない。男性より女性の方が年上というのは、プロ野球界ではお約束のようなものだ。
外形的に見れば、お似合いのカップルである。文句のつけようがないように思えるが、楽天ファンの推定75%は松井に文句をつけている。タレントといちゃいちゃしているから、相手チームのバッターに打たれるんだと。

松井はプロ5年目。1年目の2014年は先発としてマウンドに上がり、4勝8敗の成績を残した。2年目以降はクローザーに回り、2015年が3勝2敗33セーブ、2016年が1勝4敗30セーブ、2017年が3勝3敗33セーブだった。3年連続で30セーブを達成したため、昨年12月の契約更改で年俸が前年より5000万円増の1億4000万円になった。
松井がきちんと仕事をしていれば、誰と交際しようが、楽天ファンは何も言わない。しかし、今季の松井は開幕から不調で、年俸1億4000万円に見合う仕事をしていない。クローザーなのに、1イニングを無失点に抑えることが少ない。5月31日のDeNA戦でも延長10回裏に1失点し、敗戦投手になった。
復調の見込みがないため、6月7日に登録抹消となった。この時点で24試合に登板し、0勝5敗2セーブ、防御率は5.01だった。

代わりに右腕投手の今野龍太が1軍に昇格した。松井と同じ1995年生まれで、同じ2013年のドラフトで楽天に指名された。ただ、今野は9巡目で、育成選手を除いたドラフト全体で最後(76番目)の指名だった。背番号は99(現在は98)。ドラフトの指名順位といい、背番号の数字といい、利き腕といい、松井とは正反対の投手だ。

楽天は、プロ入り前に知り合った女性と結婚する選手が多い。嶋基宏と聖澤諒は大学、青山浩二と今野龍太は高校、井坂亮平(OB)は中学時代の同級生とそれぞれ結婚。川口隼人(同)は大学、則本昴大は高校の後輩とそれぞれ結婚した。アナウンサーやタレントと結婚した選手は少ないが、いることはいる。実例を紹介しよう(OBやコーチも含む)。

△美馬 学とサントス・アンナ(タレント)
△銀次と旭 夏子(タレント)
△岡島豪郎と岡村真由(タレント)
△永井 怜と木谷真美(モデル)
△田中将大と里田まい(タレント)
△森山 周と滝口ミラ(タレント)
△川口隼人と神内友希(ホッケー選手)
△今江年晶と栗原幸子(レースクイーン)
△与田 剛と木場弘子(アナウンサー)
△川岸 強と高山香織(アナウンサー)
△牧野 塁と大平素子(アナウンサー)
△後藤光尊と斉藤ますみ(タレント)
△梅津智弘と若林翔子(タレント)
△栗原健太と田部聖良(カープホームランガール)
△松井稼頭央と菊池美緒(タレント)
△中村紀洋と村上浩子(バレーボール選手)
△福盛和男と福元英恵(アナウンサー)
△関川浩一と家森幸子(アナウンサー)
△一場靖弘と安田芽衣子(タレント)
△田淵幸一とジャネット八田(タレント)

美馬、銀次、岡島、永井、田中、森山、川口の7人は、楽天在籍時に結婚した。一場は楽天入団が決まったときにできちゃった結婚(ヤクルトに移籍した後に離婚)。他の選手は、楽天に入団したときは既婚者だった。
選手の妻が、夫の名前を後ろ楯にしてタレント活動を始めたケースもある。田尾安志の妻・宏子は「マダムレイ」として歌手活動を始めた。野村克也の妻・芳枝は「野村沙知代」としてタレント活動を始めた。細川亨の妻・眞紀子は「細川稀叶」として会社経営や講演活動を始めた。

プロ野球選手の妻というと、アナウンサーを思い浮かべる人が多い。楽天では前述した5人がそのパターンだが、与田と関川の2人は中日、牧野は広島、福盛は近鉄在籍時にそれぞれ結婚した。
微妙なのは川岸だ。中日在籍時に高山(名古屋テレビアナウンサー)と知り合い、2006年に婚約。しかし、シーズン終了後に戦力外通告を受け、宙ぶらりんの立場になった。楽天の秋季キャンプに出向き、入団テストを受けて合格。その後に高山と結婚したので、楽天在籍時に結婚したとも言える。一方で、中日在籍時に出会い、婚約したので、楽天在籍時に結婚したと断言することもできない。
高山は結婚後も名古屋テレビで働いていたが、2008年に退職して夫のいる仙台市へ移住。当初はフリーアナウンサーだったが、2015年に名古屋テレビと同じテレビ朝日系列の東日本放送(仙台市)に入社した。2017年に退職して、再びフリーアナウンサーへ。川岸は2012年に引退し、その後は球団職員(少年向けのジュニアコーチ)を務めている。

楽天が球界に参入したのは2005年のことである。それから13年が経過したが、在仙局のアナウンサーと結婚した選手は1人もいない。元東日本放送アナウンサーの用稲千春が2005年にプロ野球選手と結婚したが、相手は二岡智宏(巨人)だった。日本ハムの田中賢介は2012年に西森千芳(札幌テレビ)、ソフトバンクの馬原孝浩は2007年に畑野優理子(テレビ西日本)と結婚。楽天の選手も頑張ってもらいたいものだ。

【文と写真】角田保弘