
△「男・村田」の野球人生は続く
プロ野球にFA(フリーエージェント)制度が導入されたのは1993年オフのことである。一定の要件をクリアした選手は、希望する球団に移籍できるというものだ。この制度を活用して、毎年のように有力選手をかき集める球団がある。「球界の盟主」を自任する巨人だ。
過去に獲得した選手は次の通り。
1993年は落合博満(前中日)、1994年は広沢克己(前ヤクルト)と川口和久(前広島)、1995年は河野博文(前日本ハム)、1996年は清原和博(前西武)、1999年は工藤公康(前ダイエー)と江藤智(前広島)、2001年は前田幸長(前中日)、2005年は野口茂樹(前中日)と豊田清(前西武)、2006年は小笠原道大(前日本ハム)と門倉健(前横浜)、2009年は藤井秀悟(前日本ハム)、2011年は村田修一(前横浜)と杉内俊哉(前ソフトバンク)…(これ以後は省略)。
巨人にとって、FA選手は外国人の助っ人と同じである。獲得に動くときはチヤホヤするが、力が衰えて来ると、容赦なく切り捨てる。だから、前述した選手の多くは不本意な形で巨人を去った。より正確に言えば、追い出された。ハッピーエンドにならないのが、巨人に入団したFA選手の宿命だ。
巨人で6年間プレーした村田修一もその1人。移籍初年度の2012年5月1日に4番打者として打席に立った。2013年11月に原辰徳監督に選手会長に指名され、移籍組としては初めてその座に就いた。原の本命は長野久義だったが、固辞したため、日本大の先輩である村田に役が回ってきた。
しかし、選手会長を務めても、FA選手はやはり助っ人に過ぎなかったようだ。村田も最後は「チームの若返りを図るので、来季は多くの打席を与えることができない」「通算2000本安打まで135本に迫っているので、他球団に移籍した方がよい」として、巨人を追い出された。


△グランドで素振りを繰り返す
通算2000本安打を達成した選手は、名プレーヤーが集う「昭和名球会」に入会できる。プロ野球選手として箔がつく。引退後は野球解説者として声がかかったり、講演の仕事が入る。だから、通算2000本安打が視界に入った選手は、何とか達成したいと思うようになる。
「ヤワラちゃんの夫」として知られる谷佳知は尽誠学園高、大阪商大、三菱自動車岡崎を経て、1997年にドラフト2位でオリックスに入団した。チームの中心選手として活躍したが、2006年11月に鴨志田貴司、長田昌浩との交換トレードで巨人に移籍。新天地でもレギュラーポジションを獲得したが、次第に代打での出場が多くなった。2013年11月に戦力外通告を受けて、退団が決定。この時点で通算1921安打で、2000本安打まであと79本に迫っていた。

△凡打してベンチに引き返す
ここで救いの手を差し伸べたのが、古巣のオリックスだ。2000本安打達成を後押しするため、谷の獲得を表明。これにより、谷は8年ぶりにオリックスでプレーすることになった。しかし、すでに40歳になっていたため、2014年は2安打、2015年は5安打に終わった。
通算1928安打で引退。大学・社会人を経て通算2000本安打を達成したのは古田敦也(ヤクルト)、宮本慎也(同)、和田一浩(西武・中日)の3人だけ。谷は4人目になることを目指したが、達成できなかった。
労組日本プロ野球選手会第7代会長を務めた新井貴浩は、広島工高、駒澤大を経て、1999年にドラフト6位で広島に入団した。プロ3年目の2001年にレギュラーに定着。2007年11月にFA宣言し、兄貴分の金本知憲の後を追うように阪神に移籍した。
2010年4月18日に金本がスタメン落ちしたため、初めて阪神の4番に。これ以降も4番が指定席となり、同年は自己最高の177安打、112打点を記録した。2013年は127安打。しかし、2014年は代打での出場が多くなり、わずか43安打に終わった。

△栃木ゴールデンブレーブスのバス
阪神は、契約更改の席で新井に年俸7000万円を提示した。前年は2億円だったので、一気に65%減となる。これは野球協約で定められた減額制限(年俸1億円以上の場合は40%)を超える金額だった。この年俸を受け入れれば阪神に残留できるが、来季も代打に回されるのは必至。「野球選手としてもう一度勝負がしたい」と考えた新井は球団に自由契約を申し入れて、退団することを選んだ。
この時点で通算1854安打だった。2000本安打まであと146本。この状況で古巣の広島が獲得を表明し、新井は再入団を決めた。年俸は2000万円で、前年の10分の1になった。
広島で復活し、2015年は117安打を放った。2016年4月26日のヤクルト戦(神宮)で2000本安打を達成。同年は136安打、19本塁打、101打点を記録し、アメリカ帰りの黒田博樹と共に広島の25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
村田と新井は境遇がよく似ている。大卒でプロ入りし、優勝から遠ざかっているチームの主砲となった。背番号は共に25。FAで人気球団に移籍し、4番の座に就いた。しかし、チームの若返りでレギュラーの座を奪われ、居場所がなくなって退団。違うのは、ここから先だ。新井は広島に出戻ることができたが、村田は獲得に動く球団がなかった。新井は広島市出身なので、戻れた面もある。
村田が巨人を退団したとき、「移籍先はすぐに見つかるだろう」という見方がもっぱらだった。しかし、現実は厳しく、村田はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団せざるを得なくなった。年俸は2億2000万円から推定240万円へ。新井は広島に出戻りしたことで年俸が10分の1になったが、村田はほぼ100分の1になった。
なぜ、村田は受け入れ先がなかったのか。ネットの掲示板では「性格に問題がある」という説が有力になっている。清原和博や中村紀洋と同じタイプだというのだ。見た目は確かにそんな感じもするが、実際はどうなのか。

△巨人時代のユニホームにサイン
週刊現代は2018年2月17日・24日合併号に「実力はあるのにどこからも声がかからない…『わが社の村田修一くん』」という記事を掲載した。一般社会にも自分の実力を過信して独善的な態度をとり、居場所を失う社員がいるという内容だ。この記事に次のような記述がある。
《村田にそのイスが用意されない理由のひとつに、性格的な部分も邪魔しているという話もある。
「人柄は悪くないですが、決して面倒見のいいタイプとは言えません。勝ち越しタイムリーを打った後に、投手が打ち込まれ逆転を許すと、不貞腐れた表情を出すこともたびたびありました。これでは若手投手が萎縮してしまいます」(スポーツ紙記者)》
…とあるが、移籍先の巨人で選手会長を務めたことを考えると、そこまで性格に難があるとは思えない。一方で、控えに回ることが多くなった2017年4月22日、日本テレビ系の情報番組「ズームイン!!サタデー」に出演し、「暇すぎて!まじで暇すぎるんですよ!」と口走った(4月18日に熊本で行われたヤクルト戦の前に収録された映像)。本人は冗談のつもりだったかもしれないが、巨人以外の球団に「扱いづらい選手」と受けとめられた可能性もある。
生え抜きの選手は、村田のような扱いを受けることはない。200勝や2000本安打が現実的になると、戦力としては微妙であっても、球団は契約を継続する。監督もできるだけ試合に出して、記録達成を後押ししようとする。
西武の西口文也は2012年に5勝を挙げ、通算182勝となった。大卒投手が200勝すると、村山実以来の快挙となる。しかし、2013~2015の3年間は未勝利に終わり、2015年9月に引退を表明した。西武一筋21年。ピーク時は2億7000万円だった年俸も2500万円まで下がったが、球団は西口との契約を打ち切ろうとはしなかった。引退後の西口は、球団職員、2軍投手コーチ、1軍投手コーチというコースを歩んでいる(広島の黒田博樹が2016年7月に日米通算200勝を達成。大卒では村山以来46年ぶりの200勝投手となった)。

△ファンが差し出した色紙にサイン
ロッテの福浦和也は今季、プロ25年目に突入した。千葉県習志野市出身で、習志野高からドラフト7位でロッテに入団。そのまま在籍し続け、24年間で通算1962安打を放った。今季の開幕時点で2000本安打まであと38本。近年は代打での出場が主なので、今季のうちに達成できるかどうかは微妙だ。6月3日の時点であと23本。ロッテは6月14日の横浜DeNA戦(ZOZOマリンスタジアム)を『ALL for CHIBA習志野デー』と命名。当日は福浦の母校である習志野高の吹奏楽部が来場し、私設応援団と共に外野スタンドでロッテを応援する。
村田が横浜一筋の野球人生を歩んでいたら、通算2000本安打を目前にして自由契約になることはなかっただろう。ただ、巨人にFA移籍しなければ、優勝を経験することはできなかった。どの道を選択してもプラスとマイナス面があったので、第三者が「こうすれば良かった」と断言することはできない。
村田は栃木ゴールデンブレーブスを経由して、NPB球団に復帰するというシナリオを描いている。移籍期限は7月末なので、残された時間は約50日。4月13日の試合で右太ももを痛めた村田は、コンディションが万全とは言いがたい。打撃成績もNPB球団が着目するレベルではないが、懸命にプレーしていることはスタンドから見ていても分かる。その姿を通じて「扱いづらい選手」というイメージを払拭できれば、仮に選手としてNPBに復帰できなくても、指導者として声がかかるだろう。
【文と写真】角田保弘

















