△東北放送の番組表

駒田は番組で「『なぜ、今まで言わなかったのか』と思うかもしれませんが、相手にも人生があるわけですから」と言った。この発言に対しては、疑問を抱いた人が多かったようだ。5ちゃんねるのスレッドには「だったら、相手のためにもっと早く言ってやらないと」という書き込みが相次いだ。
私自身は、駒田の話を次のように解釈している。
披露宴に出席した人は、あの噂がデマであることを知っている。妻のお腹を見れば、できちゃった結婚でないことはすぐに分かる。出席しなかった元妻の友人知人も、デマであることを知っている。
相手はプロ野球選手である。ゴールデンタイムに視聴率20%をとっていた球団の若手である。「○○が巨人の駒田と結婚したんだって!」と話題になったはずだ。
当時はできちゃった結婚が珍しかったので、仮にそうなった場合は相当な話題になっていた。体に出るから、隠し通すのは不可能だ。しかし、そんな話は皆無だった。離婚してから15年後(1989年→2004年)にネットで「2人はできちゃった結婚だった」という書き込みを目にしても、釣られる友人知人はいない。

一方、あの噂を事実と受けとめた人は、元妻がどこの誰だか分からない。名前も知らないし、顔も分からない。バスや電車で顔を合わせたとしても、気づかない。同じサークルのメンバーだったとしても、本人が言わない限り、分からない。だから、元妻に実害はなかったと言える。気分は悪いだろうが。
みんなが知っているのは、元妻ではなく、駒田である。実害が受けたのは、駒田の方だ。あの噂によって、「浮気癖のある女とできちゃった結婚した情けないた男」というイメージがついた。それでも駒田はずっと沈黙していた。

沈黙の理由はいろいろ考えられる。デマの発信源が、週刊誌やスポーツ紙ではなく、ネットであること(相手の顔が見えないので、どう対応していいのか分からない)。現在の家族ではなく、15年前に別れた元妻であること(他人になった自分が勝手にしゃべっていいものか)。ヘタにしゃべれば、かえってデマを広めること(寝た子を起こすことになる)。

駒田の番組を聴いていたのは、いくつかの幸運が重なったからだ。どれか1つでも欠けていたら、聴き逃していた。巡り合わせがよかったとしか言いようがない。
私はテレビなしの生活をしているので、家にいるときは基本的にラジオを聴いている。プロ野球シーズンの平日夜は、東北放送のイーグルスナイターを聴いている。もちろん、楽天ファンだからである。
中継が終了しても、東北放送にダイヤルを合わせている。午後9時台に楽天の応援番組が放送されているからだ。パーソナリティは東北放送のアナウンサーが中心。その日の試合を振り返り、「勝敗のポイントはあのプレーだった」という話が多い。

ただ、2016年以降はラジオ福島も聴くようになった。同じ午後9時台に「駒田徳広のミュージックブルペン」が放送されているからだ。
駒田がミュージックブルペンのパーソナリティになったのは、2012年のことである。前任の栗山英樹が日本ハム監督に就任し、番組を降板。その後任に起用されたのが駒田である。
駒田は4年後の2016年、高知ファイティングドッグス(四国アイランドリーグplus)の監督に就任した。これが番組を聴く決め手になった。
なぜ、そうなったのか。福島ホープスが2015年にBCリーグへ参戦し、私は独立リーグに関心を持つようになった。そのタイミングで駒田が高知監督になったので、番組を通じて独立リーグの情報収集をしようと考えたのだ。

駒田は「闘犬・駒田の独立リーグだより」というコーナーを新設した。その話を聴いていると、独立リーグの日常がぼんやりと見えてくる。選手に厳しい指摘をすることも多い。それがおもしろいので、番組のファンになった。
ただ、独立リーグだよりの開始時間は一定していない。野球中継が延び、その影響で放送時間が短くなると、やらないこともある。楽天の応援番組も聴かなければならないので、私は両番組を行ったり来たりするようになった。
聴取時間の比率は、概ね楽天の応援番組が6で、駒田の番組が4だった(2018年は東北放送が楽天の応援番組をやめて、駒田の番組を放送するようになった。このため、両番組を行き来することはなくなった)。

2016年9月16日は、楽天の試合がなかったので、東北放送はニッポン放送の巨人対ヤクルトをネットした。ラジオ福島も同じカードをネットした。中継が終わると、東北放送は楽天の応援番組、ラジオ福島は駒田の番組に移行した。最初は楽天の応援番組を聴いていたが、その日は振り返る試合がなかったので、パーソナリティの話が散漫だった。退屈だったので、途中から駒田の番組に乗り換えた。そこで耳にしたのが、冒頭の話である。私はすぐにメモをとった。
ずっと沈黙していた駒田がなぜ、あの日に事実を明かしたのか。それは分からない。想像すらつかない。ただ、2016年以降でなければ、私は番組を聴いていなかった。2012~2015年の4年間だったら、ほぼ100%聴いていなかったし、記事を書くこともなかった。それは、はっきりしている。だから、この場を借りて「グッドタイミングだった」と駒田にお礼を言いたい。

※2018年9月14日は、駒田監督の56歳の誕生日だった。

【文】角田保弘






△ラジオ福島の番組表

元プロ野球選手の駒田徳広は2016年9月16日、自らがパーソナリティを務めるラジオ番組『駒田徳広のミュージックブルペン』で次のような話をした。
「情報化社会になると、嘘の情報も出回ります。僕についての情報もインターネット上にいろいろと出回っています。最初の妻が産んだ子どもが云々かんぬんとか…。そういった話はデマです。子どもを産んだ事実さえありません。『だったら、なぜ、今まで言わなかったのか』と思うかもしれませんが、相手にも人生があるわけですから…。嘘の情報に惑わされないようにしていただきたいと思います」
この話をもとにして、私は本ブログに「駒田監督(元巨人)がラジオであの噂を『デマ』と明言~子どもが生まれた事実さえない!」(同年9月19日)を書いた。続いて、スポーツ紙に掲載された関連記事を確認した上で「駒田監督(元巨人)と元妻に関する噂を具体的に検証すると~根拠は何もなし、デマを見破る能力が必要」(同年9月20日付)を書いた。
それから2年がたった。この間、多くの人に両記事を読んでいただいた。翌2017年12月になると、前者の記事をソースにして5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)にスレッドがたった。まさか、自分の記事が巨大掲示板のネタになるとは思わなかった。

それが原因かどうか、最近はあの噂をネットに書き込む人が減ったように思う。この2年間、私の記事に対して「デタラメを書くな!真実はこうだ!」などと真っ向から反論してきた人もいなかった。あの噂はデマという認識が広まった結果だと受け止めている。
あの噂がネットに出回ったのは2004年のことである。最初はネタ的な扱いを受けていたが、引用や転載が繰り返されているうちに、事実と受けとめる人が雪だるま式に増えた。「その話はデマ」と指摘する人もいたが、根拠を示さなかったため、噂の独り歩きを止めることはできなかった。

とはいえ、あの噂もリアリティに欠けていた。駒田と元妻が結婚した時期は不明。元妻が出産した病院の情報もなし(立地地域くらいは明記できる)。基本的なことを飛ばしたまま、最後になって、突然、現場に居合わせたようなことが書いてあった。駒田が口にしたとされる「とりあえずお疲れ」の一言だ。
それに対して、元妻はどんなリアクションをとったのか。何と回答したのか。気になるところだが、それは書いてなかった。書けば、「とりあえずお疲れ」の一言がオチにならないからだろう。

元妻は福島県出身である。私も同県出身なので、あの噂はずっと引っ掛かっていた。当時はスポーツ紙をよく読んでいたので、「できちゃった結婚ではない」「スピード離婚だったが、1年は持った」ということは記憶していた。だから、あの噂はデマだと分かっていた。元妻と同郷だったこともあり、「ひどいことを書くやつがいるな…」と憤った。
無実を証明するために、「この話をいつかブログの題材にしたい」と思った。ただ、きっかけがなかったので、先伸ばしになった。2人の間に子どもがいたのかどうか、確認できなかったことも先伸ばしの理由になった。

できちゃった結婚ではないとしても、結婚生活が1年以上続けば、子どもができた可能性もある。記事を書く上で、2人の間に子どもがいたかどうかは重要な要素だ。それを確認したいと思ったが、確認する術がなかった。
その状況で駒田本人の「子どもが産まれた事実さえない」という話を聴いたので、「急いで記事を書かないと」と切羽詰まったような気持ちになった。
翌17日に図書館に行き、司書に昔のスポニチと日刊スポーツと週刊ベースボールを出してもらった。披露宴の記事を読んで、「できちゃった結婚ではない」ことを再確認。「離婚したのは1年4カ月後」であることを確認。離婚の記事に「親権」の文字がないことも確認した。その上で書いたのが、前述した両記事だ。ずっと書きたいと思っていたので、書いたときはスッキリした気分になった。

【文】角田保弘



8月になると、ラジオのリクエスト番組でよく流れる曲がある。井上陽水の『少年時代』だ。「八月は夢花火 私の心は夏模様」という歌詞が印象的なので、8月の曲というイメージが定着した。「風あざみ」「宵かがり」など陽水得意の造語が散りばめられているため、それをどう解釈するかが、ファンの間でよく話題になる。
作詞は陽水、作曲は陽水と平井夏美。1990年8月に公開された映画『少年時代』の主題歌として制作された。翌9月に陽水の通算29枚目のシングルとしてリリースされたが、当初はオリコンチャートを賑わすようなヒット曲ではなかった。翌10月にリリースされた陽水の通算13枚目のオリジナルアルバム『ハンサムボーイ』にも収録された。

シングル発売から1年経った1991年にソニーのハンディカムCCD-TR105のCM曲に採用された。また、同年夏に放送されたTBS系列『ギミア・ぶれいく』内のドミノ倒し特集のエンディングでも使用された。この2つによってお茶の間に浸透し、ヒット曲の道を歩み始めた。1997年7月に日本レコード協会からミリオンセラーに認定され、陽水の代表曲と呼ばれるようになった。

『少年時代』の「原形」とも言える曲がある。陽水が作詞・作曲し、自ら歌った『夏まつり』だ。1972年12月にリリースされた陽水の2枚目のオリジナルアルバム『陽水Ⅱセンチメンタル』に収録された。翌1973年7月にリリースされた『陽水ライヴ もどり道』にも収録された。少年時代に妹や友だちと出掛けた夏まつりを回想するという曲だ。

「10年はひと昔 暑い夏 おまつりは ふた昔」という歌詞からすると、20年前の話ということになる。
この曲に「自転車のうしろには 妹が ゆかた着てすましてる」という歌詞がある。陽水が『陽水Ⅱセンチメンタル』をリリースしたのは24歳のときだ。24歳から20年を引くと、4歳となる。4歳の子どもが自転車の後ろに妹を乗せるというのは、現実的でない。実際は15年くらい前の話だろう。

では、『少年時代』はいつの話だろうか。…などと書くと、「何を寝ぼけたことを言ってるんだ! 少年時代の話に決まっているだろ?」とツッコミが入るかもしれない。
ならば、質問したい。歌詞のどの部分が少年時代を連想させるのかと。8月(夏)をテーマにした曲であることは分かるが、それ以外に時期を特定する単語はない。曲名が『少年時代』なので、何となく「10歳前後の話なのでは?」と思い込まされているだけだ。

陽水が『少年時代』をリリースしたのは42歳のときだ。過去に41回の8月を経験したわけで、その意味では『中年時代』という曲名でもおかしくなかった。

では、なぜ『少年時代』という曲名をつけたのか。その謎を解く記事が『週刊現代』2018年7月21・28日号に掲載された。「熱討スタジアム・井上陽水『少年時代』を語ろう」という鼎談だ。川原伸司(音楽プロデューサー)、来生たかお(シンガーソングライター)、ロバート・キャンベル(日本文学者)の3人が『少年時代』を語り尽くすという内容。
川原(ペンネームは平井夏美)は陽水と共に『少年時代』を作曲、来生はレコーディングでピアノを演奏、キャンベルは熱烈な陽水ファンとして知られる。

この記事で、川原は曲づくりの過程を明かしている。
陽水は川原に「映画『少年時代』の主題歌を制作してほしいという話が来ている」と言ったが、それについて具体的に動く気配はなかった。これとは別に、2人の間で「凛として清楚な曲をつくろう」という話が盛り上がった。ビートルズ『レット・イット・ビー』やサイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』のようなピアノで伴奏する曲を制作し、誰かに提供しようと考えたのだ。
「提供相手は荻野目洋子」が定説となっている。ただ、この記事で川原は個人名を口にしなかった。未知の「誰か」と言っただけである。

レコーディングの時点では『夢はつまり…』という曲名になるはずだったという。陽水の母校である西田川高校(福岡県)に曲を寄贈するという話もあった。
その後、陽水は「映画『少年時代』の主題歌に向いている」とひらめき、映画制作者の藤子不二雄A(漫画家)に曲を聴いてもらった。それがイメージ通りの曲だったので、藤子はとても喜んだ。かくして、曲名は『少年時代』に変更され、同名映画の主題歌になった…。

『少年時代』は、歌詞の内容から思い付いた曲名ではない。完全な後付けである。むしろ、前述した『夏まつり』の方が『少年時代』という曲名にマッチしている。「映画『少年時代』の主題歌を制作してほしい」という話が来ていなかったら、予定通り『夢はつまり…』という曲名になっていたはずだ。

『少年時代』の歌詞を改めて検証してみよう。「夢が覚め 夜の中」「永い冬が」「夢はつまり 想い出のあとさき」「夏まつり 宵かがり」「八月は夢花火」「目が覚めて 夢のあと」などからすると、夢の中に「夏まつり」「花火」といった夏を連想させる光景が出てきたと解釈できる。
目が覚めると、現実は夜の暗闇だった。「永い冬が」から判断すると、夢を見たのは晩秋から初冬の時期だろう。永い冬を通過すれば、また夏がやって来る。「想い出のあとさき」は、めぐる季節を意味しているのではないか。

歌詞は「長い冬」ではなく「永い冬」となっている。冬はその年だけでなく、年齢の分だけやって来る。これからも、生きている限りやって来る。それを表現するために、「永い冬」と記述したのではないか。

『少年時代』は少年時代を振り返る曲ではない。堪え忍ぶ季節(冬)に華やかな季節(夏)を夢の中で想い出す曲だ。人生はいいときもあれば悪いときもある。山もあれば、谷もある。今は悪いときかもしれないが、いずれいいときがやって来る。いいときを想い出しながら、頑張って生きようではないか…。そんな曲なのではないかと思う。

【文と写真】角田保弘