銀座に「CHERRY」というバーがある。
並木通りからは3ブロックほど離れたフレンチレストランの2階にひっそりとたたずむ。30年も前から営業しているこの店は、限られた常連が隠れ家のように大事に通う秘密の名店である。
店内は薄暗く照明が落とされている代わりに、カウンターに置かれたいくつかの小さなステンドランプがけなげな明るさを灯している。
普段から秀希はこの店でモヒートを注文する。ラムベースのカクテルにたっぷりのミント。仕事を終えた疲れた体と乾いた喉に気持ち良く沁みこむ、その冷たい感覚が好きだった。
彼が二本目のメンソールに火を点したとき
「お待たせしてすみません」
保志の声がした。
「お疲れさま。呼び出して悪いね」
「いえ、僕も秀希さんとゆっくりお話ししたいと思っていたんです。…あ、僕はギムレットを」保志はバーテンダーに声をかけながら秀希の隣に腰をかけた。
「今日、ついに来ちゃったね」静かに煙を吐き出しながら秀希がのんびりと口を開いた。
「ド派手なオーラでしたね。さすが女優です」保志も苦笑いする。
「聖也には厳しく注意したんですが、逆効果でした。わざわざ二人の仲を見せつけに来たようなものでしたから。シャンプーの時も周囲が見ていられなかったほどで…。僕の指導が行き届かず申し訳ありません」
「別に良いんだよ。でも、直前のお客さんはもう何年も聖也に入れ込んでいた方だったからね。彼女が現れた途端、あそこまで露骨に聖也の態度が変わったとなったらお得意さまならなおさら不機嫌になるだろうな」秀希の声は穏やかなままである。
「…帰り際に『もう二度と来ない』とおっしゃいました…」押し殺した声で保志はうなだれた。
「困ったね…。そもそも南沢さんから予約が来たらお断りをするはずじゃなかったの?」
「予約受付担当の鬼河原翔平には言っておいたんですが」
「なぜ受けちゃったんだろう」
「ナマの南沢ルミをどうしても見たかったそうです。どうも前から聖也にさんざんノロケを聞かされていたようで」
「このままじゃまずいね」言葉とはうらはらに秀希は静かに微笑んでいる。
「秀希さん、これと決めたらわき目もふらず没頭してしまうのは聖也の欠点でもあり良さでもあるんです。そうでなかったらあいつはこの業界でここまでやってこれませんでした。」
「彼の素質を最初に見抜いたのは保志くんだったもんね」
「だから責任は僕にもあります。僕がなんとかします」
「いや」吸殻を灰皿に押し潰しながら初めて秀希が怖ろしい顔になった。
「聖也くんにはすぐに店を辞めてもらう。」
つづく