「秀希さんの予定は取れなかったんですか」

女優の第一声は驚くほど低かった。

 

初対面でこのセリフか―――。聖也の中でピクリと誰かが呟いた。初めて自分に会ってこんな態度をとる女を今まで聖也は知らなかった。

「すみません、高田秀希は別のスケジュールで今はロンドンにいるんです。進行のトラブルで帰国が大幅に遅れることになってしまって。代わりに今日は僕が精いっぱい勤めさせていただきますので、よろしくお願いします」丁寧に頭を下げる聖也をちらりと見ると南沢ルミは「よろしく」とひと言発して鏡の前に雑誌を広げたきり、まったくの無言になってしまった。

 

聖也の心にじんわりと灰色の雲が広がり始めていた。初対面というのにニコリともせず挨拶もそこそこで、女優とはこんなに失礼な人種なんだろうか。あれは俺をまるっきりバカにしている態度だろう。あの秀希さんの緊急の穴埋めだからこそ俺は休日を返上してやってきたけれど、やっぱり来なきゃ良かった。

しかしその雨雲の隙間から、まったく逆の想いが胸のうちに差し込んでいることに聖也は抗うことができなかった。

 

それにしても美人だーーーー。

 

世の中には彼女を大根大根とそしる者もいるらしいが、ひとたびこの美しさを目の当たりにしてしまうと、むしろ女優に演技力などまったく必要ないのではないかとさえ思ってしまう。

ここまで均整の取れたプロポーションと勝気な顔立ちの美女はえてして嫌われることも多い。しかしそこにあえて彼女は関西弁を巧みに用いて気取らぬ言動や豪放な性格をメディアに打ち出し成功を遂げていた。それならそれで十分じゃないか。いやそれこそが大事だろう。そうだそれしかない。

 

聖也は不思議で仕方なかった。

ルミの美貌を見ていると、今まで自分が付き合ってきた女たちはいったいなんだったのだろうと思う。彼女たちが束になってもルミの美しさにはとうてい太刀打ちできない。今まで彼女と遊んだ男はどんな言葉で彼女を喜ばせてきたのか。しかし鏡の前でむっつりとページをめくる女優に、彼は取りつく島もなかった。

 

そこへ監督の脇田がせわしげにやってきた。

無表情だったルミの顔がぱっと輝く。

「脇田さん!おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

聖也は驚いた。

彼女は機嫌が良いとこんな笑顔になるのか。仏頂面になったり可愛くなったり、なんて不思議な人なんだ。冷たい態度に傷つけられた自尊心などもう完全に記憶から消え去り彼の心は感動に満たされていた。

 

脇田はしきりにルミに話しかけては彼女を笑わせている。

「ルミちゃん、今日は特別に可愛いよ!なあ、聖也くん。あれっお二人は初対面だったよね。ルミちゃん、どう?聖也くんもイケメン美容師で有名なんだよ」

ルミは無邪気に笑いながら鏡の中の聖也の顔を見た。

「聖也さんのことはテレビで知っていました。でも、もっと面白い人だと思ってたわ」

 

聖也の手が止まり脇田の顔が凍り付いたことを、ルミには気づく気配もなかった。

 

 

                       つづく