ここのところ静江はすこぶる機嫌が良い。
女遊びに身をやつしていた末っ子の聖也が美容院の見習いとしてようやく生き生きと働き始めたからだ。
彼女の夫は代議士の石坂正太郎である。本来ならその血を継ぐ聖也が法学や政治学をまっとうして、きたる将来には父の地盤から出馬するのがセオリーであろう。しかし静江はそんな世襲の常識などには興味のかけらもなかった。
やりたいことをやれば良い。彼自身の人生なのだから―――。
そうは言っても、無職にだけは賛成しない。
失敗するのは構わない。むしろ失敗を恐れて何にも足を踏み出せないままでいることこそ実にもったいない人生の過ごし方である。数か月前までの彼の自堕落な生活を心の底から案じていた静江にとって、今の聖也の生まれ変わったような快活さはこの上ない喜びであった。
「お母さん、秀希先輩と保志先輩は本当にかっこいいんだ」
「とにかくモテモテなんだよ。そこらへんの芸能人よりずっとカッコイイんだ。いつもいつも取り巻きに囲まれてる。俺もあんな風になりたいんだ」
食事を共にするたび聖也は熱っぽく将来の展望を語り始める。相変わらず素直な子だ。胸の内の想いすべてを包み隠さず母親の自分に打ち明けてくれる聖也に彼女はニコニコと耳を傾けていた。
なにより嬉しかったのは、聖也が単に「モテるためにはどうしたら良いのか」とハウツーばかりを考えていたころと異なり
「目の前の仕事に精いっぱい打ち込む。収入や人気はその後から勝手についてくる」という根源的な答を自ら見出した、という点だった。
聖也は精力的に「CIEL」に取り組み始めていた。
朝は誰よりも早く出勤し、店内の掃除に取りかかる。鏡も窓ガラスも曇り一つなくピカピカに磨き上げる。シャンプー液を忘れず補充しボトルの水気をぬぐい取る。タオルも完璧に洗い上げ新品同様にきちんとたたんで美しく積み上げる。雑誌のページにはさまった髪の毛を一冊ずつ丁寧に払い落とす。キャンペーン中のトリートメントの宣伝ポップはどこに張るのが効果的か工夫をこらす。客の施術カルテには「この方にはネイルをおすすめしてください。前回、雑誌のネイル特集を熱心に読まれていました」「今日はちょうどお誕生日ですのでいつもより華やかにセットして差し上げてください。この後パーティかもしれません」と、気付いたアイデアを書きつけた付箋を貼って秀希や保志に手渡した。
聖也の働きはめざましかった。秀希や保志にも気に入られ、徐々に常連客にも名前を覚えられるようになっていた。もともとすらりとした端正な美男子である。
「あの新しい見習い、聖也くんっていうの?可愛いわね」
「この前、帰り際にコートを掛けてくれて『良くお似合いですね』って言ってくれたの。ハンサムに優しくされると嬉しいわ」
「聖也くんが淹れてくれたお茶が一番おいしいのよ」と、目をかける客もすぐに現れ始めた。
「聖也にそろそろシャンプーを教えましょう。あいつは伸びますよ」
秀希に提案したのは保志だった。
つづく