あまりの多忙と気力の落ち込みで
結局、先月はまったく記事を書けなかった。
いや、書きはしてたんだけど
どれも考えをまとめることができずじまいで、中途半端に投げ出していた。
だもんだから、とりあえず近況から少しずつ。
今の職場は横浜のあるファッションビルで
ここの従業員は20~30代とかの若者ばかりでさ
50歳のわたしは、もちろん完全に浮いている。
それでも自分の居場所を確保するには、とにかく数字として結果を出すしかないと
必死に仕事に打ち込んだ結果
うちのショップが、7月の販売業績1位を獲得したんだ。
それで、朝礼での表彰式。
パラパラとテキトーな拍手を受ける中
店長代理で、わたしが表彰状を賜りました。照れた――!!
思えば
表彰状を人前でいただける経験なんて、人生で本当に初めてだ。
この年になっても初体験なんてこと、実際にあるんですね。
朝礼が終わりそれぞれが持ち場に戻るとき、2位だった売り場のオッサンが
「来月は絶対ウチがもらうから」と耳打ちしてきて
この仕事……なんか面白いかも…… と
入社5カ月にして、やっと思うことができました。
なにより嬉しかったことは
これをきっかけに
周囲の方のわたしへの対応が、至極フレンドリーになってきたこと。
今までけっこう冷たかったですから。。。。
それどころか
昨日なんて、例の福山雅治似のイケメンが、わざわざストックまで話しかけにきてくれた!!!!!生きててよかった!マジでハンサム!足長い!優しくて親切!「転勤するたび、新しい職場の人気を一人占めする」って噂は、たぶん本当。それっくらいイイ男なんだ。下のお名前は「ナツオ」というらしいです。ちょっと昭和っぽい香りもグー

そういえば、このナツオはお客様からの「好感度従業員アンケート(←こーゆーの、やってるんですよ
)」で1位を表彰されていたな。ナツオと5分ほど話し込んで持ち場に戻ると、あの巨大なスズキが
「ナツオと何を話していたんですか」とすごい目つきで問い詰めてきた。スズキは彼の一番のファンだからねえ。。。。
「それは~~♪ナイショ~~
楽しかったわァ~♪」とかわすとスズキはあからさまに悔しがりわたしは優越感に浸ることができた。
っていうか
「防災訓練の注意事項を受けていました」って正直に話すのはつまんないじゃん?
ブログをさぼっている間に
「路線バスの旅」はゴールを迎えた。
DAIGO~頑張ったね~お疲れさま~!
ここで「いつも抱きしめて」が流れたおかげで
これがさくらとの旅の間に書かれた曲だったんだってことにようやく気付いたよ。
「寒空の下始まった」旅で
「寄り道も楽し」くて、そして
「いつも抱きしめて」たもんね!うんうん!
んもぅ~
最初に言ってくれたらいいのにぃ~わたし、この曲の歌詞って全体を通して抽象的なのに
なんで「ピンクの花が咲いてる」ってところだけ具体的な描写なんだろ?て疑問に思ってたのよ?
ペンペンといい
さくらといい
DAIGOに曲を書いてもらえるなんて果報者だ。
いやいや、特に捧げてもらわなくったっていい。
「この曲はキミを思い浮かべながら作ったんだ」って言われたら
どんなに幸せだろう って思います。
「ミュージックドラゴン」も見ました。
タカアンドトシさんとフリースロー対決。。。。
4投目までグダグダは続いたけど
最後の最後にDAIGOが見事シュートを決めたとき
「やっぱりコイツは持ってるな」っていう
DAIGO=稀有なスター の公式をあらためて確信させてくれた。
スターといえば何年も前に、大御所キムタクも同じような場面で
最後の最後にキメていたなあ。なんの勝負だったか忘れたけど。ボーリングだったかなあ。
そのとき、周囲は「さすがキムタク!スターは違う」って唸ってましたわ。
どうなるどうなるって見ている者をハラハラさせて
結果的には一番盛り上がる終わり方を演出してしまうっていうのも
これは間違いなくスターの証だァ
惚れ直した

覚えておいでの方も多いかもしれませんが
昔、お正月の特番で
「スターかくし芸大会」というのがありまして
その中でも、わたしが一番楽しみにしていた出しものは
当時のトップスターたちが出演する「芸能人英語劇」でした。そういうのがあったんですよ。
とにかく全部英語。英語字幕が出るんだけど
子どものわたしでも内容を理解できていたから
たぶん日本語字幕も出てたんだろうと思う。
日本人はまだまだ英語に大きなコンプレックスを抱いていた時代でね。
その頃は、今で言う帰国子女なんて芸能界にはいらっしゃらなかったし
ホント、この出演者たちが苦手な英語を必死で覚えたんだろうなあっていう感じの下手くそさで
逆に、そのぎこちなさがすっごく面白かったんだ。
で、その英語劇が終わって司会者が
英語ペラペラのアグネスに
「誰の英語の発音が一番上手でしたか?」と質問したところ、彼女はなんの迷いもなく
「藤圭子さんです」とお答えになった。
それが強烈に記憶に残っていまして
この藤圭子さんが何年か後に渡米なさったニュースを聞いた時
「あ、よかったな」と思ったことを覚えています。
彼女はのちに一人の天才少女を出産しましたが
公私ともども、いろんなトラブルに悩んでおられたようです。苦しかったことでしょう。
享年62歳。
短くて長かった一人の女性の人生に
静かに祈りを捧げます。
