そりゃ…孤立する
高市早苗 記者会見 2026年7月27日
https://www.youtube.com/watch?v=7h5euJ4GFqg&t=2542s
「中国は重要な隣国でございます。
中国との間で、戦略的互恵関係を包括的に推進して、
建設的かつ安定的な関係を構築していくという方針は私の総理就任以来、
一貫しております。
その上で、日中間に懸念と課題があるからこそですね、
あらゆるレベルで様々な機会に対話を行い、意思疎通をしていくことが重要であると
考えております。
茂木大臣を含めですね、今、様々なレベルで、対応をいたしております。
今後も中国側と意思疎通を継続しながら、
国益の観点から 冷静かつ適切に対応を行ってまいります。
APEXの首脳会議、楽しみにおります。」
”虎の尾”踏んだ高市マターは 習近平直轄案件
2026.08.06
”「高市政権では台湾有事発言ばかりがクローズアップされてきました。ですが、それよりむしろ厄介なのは、これが習近平主席直轄の問題になっていることです」
習近平の怒りを招き、チャイナセブン(政治局常務委員)の側近たちでさえ手に負えなくなっているという。そんな事態を招いた原因が、高市のX投稿写真だというのである。
「高市政権ができた当初のことです。APEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議が韓国で開かれ、総理が参加しました。そのとき習主席との会談を設定すべきだと日中双方が考えた。中国の王毅外務大臣や(呉江浩駐日)大使もそうお考えになられ、会談がセットされました。で、両首脳が実際に会ったまでは、よかった。ところが、そのあと総理が自分自身でSNSに写真を投稿してしまいました。それが国際儀礼に反している、と問題になったのです」
(中略)
「外交にはさまざまな取り決めがあります。たとえば首脳会談の写真を政府広報としてSNSで公表するときは、相手国の了解をもらわないといけないルールがあります。ところが高市総理は、相手国の知らないあいだに個人的に写真を流してしまった。これ以来、日中関係問題が習主席の直轄になり、他の幹部もここへ簡単に口出しできなくなったのです」
まさしく幼稚な投稿というほかない。そのあとの台湾有事発言は、Xの投稿写真に加えたダブルパンチとなったわけだ。”
Trump on China:
— Clash Report (@clashreport) July 8, 2026
I think China treated us right.
He never went into the war. He never supplied equipment to Iran.
Xi was great. I am a big fan of President Xi. pic.twitter.com/2fqBnEO6OM
【プーチン大統領「安倍元首相は日露接近に尽力した、だが日本は変わった」】
— Sputnik 日本 (@sputnik_jp) August 12, 2026
露極東サハリン州を訪問中のプーチン大統領は、「日本はウクライナ紛争の原因を検討することなく、対露制裁を科した」と述べた。… https://t.co/WMVCL72Cie pic.twitter.com/hgUTOrMUkS
靖国参拝 高市 口だけ番長
途中で止めるから相手がつけあがる
>途中で参拝をやめるから相手がつけ上がる
— 水島 醉(博史)マインドフルネス学習法® 『人道に対する罪』には時効がありません! (@MizushimaYou) August 15, 2026
>どんなに批判されても淡々と続ける、それが主権国家を代表する者として当たり前
ネトウヨ、涙拭けよ🤣https://t.co/RjtvQlLOg5
1:37:25付近から pic.twitter.com/mI0b0ySUc5
首相動静 2026年8月15日
午前10時51分、公邸発。
同11時、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑着。献花。同3分、同所発。
同11時9分、東京・北の丸公園の日本武道館着。
同18分から同19分まで、東京・九段北の靖国神社に向け遥拝(ようはい)。
同11時51分から午後0時45分まで、全国戦没者追悼式。
同53分、同所発。同1時1分、公邸着。
https://www.asahi.com/articles/DA3S16527287.html?iref=pc_rensai_long_256_article
高市早苗首相は15日、全国戦没者追悼式が行われた日本武道館に到着した際、
数百メートル離れた靖国神社に向かって「二拝二拍手一拝」を行った。
首相周辺は「靖国神社に向かって遥拝した」と説明した。
全国戦没者追悼式、天皇陛下のお言葉全文 「深い反省」「苦難語り継ぐ」https://t.co/c0yyqceDPv
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) August 15, 2026
高市首相、「反省」「不戦の誓い」触れず 戦没者追悼の式辞 https://t.co/FEYtJZ0Qeq
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) August 15, 2026
終戦の日の15日、東京・日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式に、高市早苗首相は就任後初めて参列し、「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。
ありがとうございます!「繰り返さない」(「せ」が無い)、首相官邸ポスト。もともとはこのように作成されていたポストに対して誰かが後から介入して「せ」を書き足させた。きわめて意図的で、そのプロセス全体がくだらないと同時に邪悪 https://t.co/lhyCTFPYt2
— 本田由紀 (@hahaguma) August 15, 2026
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
日本遺族会
英霊にこたえる会
高市見送り…閣僚ら靖国参拝 26.8.15
【終戦の日】高市首相の“思いを体して“ 自民幹部が「異例」そろって靖国参拝 小泉防衛相ら閣僚も…首相は「遥拝」2026/08/15 #終戦の日 #靖国神社 #高市首相
0:00 8月15日朝 靖国神社開門
0:30 小泉防衛相
1:19. 黄川田沖北相
2:57 自民党・有村総務会長
3:16 自民党・西村選対委員長
3:36 自民党・鈴木幹事長
8:49 参政党・神谷代表
9:45 自民党・萩生田幹事長代行
10:05 日本保守党・百田代表
10:49 超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」
11:31 城内成長戦略相
12:46 千鳥ヶ淵戦没者墓苑では高市首相が
超党派約90人が靖国参拝 2026/08/15
高市内閣・閣僚らの靖国参拝に中国・韓国が反発 「日本側に厳正な申し入れと強い抗議をした」中国外務省 「時代錯誤的な行為に嘆きを禁じ得ない」韓国外務省|TBS NEWS DIG 2026/08/15
◇ ◇
これは、すごいな。
— Dr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSR (@YAMASHITAnoID) July 25, 2026
高市氏が、満州事変から日中戦争までを、「自衛のための戦争」だと述べて、田原総一郎らに怒られている。 pic.twitter.com/NtNl0OO56q
昭和天皇の悔恨
『富田メモ』
富田朝彦氏は昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。
日記は同庁次長時代も含む75〜84年まで各1冊、手帳は86〜97年の20冊が残されていた。
〜日本経済新聞社2006年7月21日〜
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、
「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ。」と、
当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが、
日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。
昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、
理由は明らかにしていなかった。
昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、資料としての歴史的価値も高い。
また、同記事では長男の証言による筑波藤麿の言葉を紹介している。
B、C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。
自分が生きてるうちは合祀はないだろう。
公開された富田メモの一部は以下の通りである。靖国神社についての発言は、1988年(昭和63年)4月28日(昭和天皇の誕生日の前日)の日付が書き込まれて手帳に貼り付けられたメモの中にあった。
手帳の同じページに同日付の一連の4枚のメモが貼り付けられていて、その中の一番下4枚目の紙片である。
|
『拝謁記』
また、田嶋道治氏が、宮内府宮内庁長官時代に昭和天皇への600回あまり(期間は長官就任から8か月後となる1949年2月3日から長官として最後の拝謁となる1953年12月16日まで)にのぼる拝謁の様子を「拝謁記」と題し、資料を残していた。
この文書は2019年に遺族がNHKに開示し、その結果、これまで明らかにされてこなかった昭和天皇の発言などが明らかになった。
のちに『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録』(岩波書店、全7巻2 021年12月〜2023年5月)が刊行された。
特にサンフランシスコ平和条約発効による日本の独立回復を祝う式典(1952年昭和27年5月3日開催)で、昭和天皇がおことばの中に
戦争への深い悔恨と、
二度と繰り返さないための反省の気持ち
を盛り込もうとしたものの、当時の吉田茂首相の反対意見を受けて削除を余儀なくされたことが明らかになった。
「張作霖爆殺事件」は「下剋上」
なぜ戦争に突き進んだのか…昭和天皇が残した言葉‟下剋上”とは
『every.特集』
『拝謁記』中に、昭和天皇と田嶋道治長官が、再び戦争にならないよう過去を振り返る会話が残されている。
昭和天皇の言葉(田島道治「拝謁記」)
陛下
「張作霖事件のさばき方が不徹底であったことが、
今日の敗戦に至る禍根のそもそもの発端ゆえ。」
(1951年)
陛下
「張作霖事件の処罰を曖昧にしたことが後年、陸軍の紀綱のゆるむ始めになった。
信賞必罰はしなければならぬ。」
(1952年)
陛下
「張作霖爆死を厳罰にすればよかったのだ。」
(1953年)
田島
「陛下の思し召しはいかがでございましょうか?」
陛下
「やはり、張作霖爆殺事件まで戻らねば駄目で、そこから始めた方がいいだろう。」
昭和天皇は、張作霖爆殺事件をきっかけに、軍をコントロールすることができなくなっていったと言う。それを示すかのように『拝謁記』の中で、昭和天皇はある言葉を仕切りに口にします。
その言葉とは…? 「下剋上」
当時、天皇は陸海軍を統帥する立場だった。
(1953年)
陛下
「何と言っても、下剋上の勢いが、いつの間にかできたから。」
(1951年)
陛下
「私が ”もっとはっきりした態度が取れたはずだ”
というような意味を言ってるけれども、
それは事実と相違するので。
”下剋上”でどうすることもできぬ。」
「軍部大臣に言っても、どうとも動かぬ。
私など戦争を止めようと思っても、どうしても勢いに引きずられてしまった。」
事件当時、昭和天皇に使えていた人物(岡本愛祐・元侍従)のインタビューも日本テレビに残されていた。
岡本愛祐(元侍従)インタビュー(1981年)
岡本元侍従
「陛下の御前へ出ましてね。
張作霖の爆死事件をご報告したんですよ。
”誠に残念なことであるけども、これは日本の軍人がやったことで、誠に申し訳ないこ
とだ” と。」
「今度は、陸軍大臣が出てきたんです。
”あれは日本の軍人でなくて、支那側(中国側)の実はやったことでございます。”とい
うこと申し上げたんですよ。」
Q:もうその頃から軍部に押し切られるという形が、
そろそろ始まっていたということでしょうかね?
岡本元侍従
「始まったと思いますね。ええ。」
自民党会見草案 第一章 天皇






