【衆院選結果】『自由からの逃走』町山氏+川上先生/難波文男の『やわらかな制御』バタフライエフェト | ☆Dancing the Dream ☆

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何となく喋ってみた(2026.2.8)難波文男

 

『自由からの逃走』について〜町山さんと川上先生

 人間は中世的な束縛、封建制、教会の権威などからの自由を求めて闘争し、自由を得た。

ところが、自由を得たら自由とセットの孤独や責任を受け止めることに耐えられなくなり、自由から逃避してしまう。自動的に皆と同じ考え・同じ行動・同じ価値観に溶け込み多数派に従う。自分の無力さを誤魔化すための破壊によって力を錯覚する。強い権力に身を委ね従ってしまう。

このようにしてナチズムに呑まれていく人々の心理を分析し、社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、『自由からの逃走』を著した。

 

 フロムが説く、人間の「自由からの逃走」の3つの逃避パターン(1. 権威主義的逃避、2. 破壊性、3. 機械的画一性・自動的同調)のうち、

町山さんは、特に⒈のパターンを強調し、「人間はほうっておくと権力に従う」と。

日本のポピュリスト右派の高市政権、衆院選の自民党の圧勝予測を懸念されての分析だったのだろうと思う。

 

 町山さんも解説しているように、自由主義、民主主義の「近代的主体」は、義務教育によって育つということのはずだが、日本の場合、実際はそのようにできていない。

むしろその逆で「群れに従う」ことを学ぶようにできている。戦後も日本の学校は制服の詰襟、セーラー服が象徴するように「軍隊」が元となっていて、校則も欧米にないような異常な形式的なものが多い。空気を読み、和を乱さないことを要求する同調圧力があり、主体性や批判的思考を阻害する。

よってエリートはその教育システムに最適化していく。官僚システムはその骨頂。企業のエリート社員も残業も休日出勤も厭わず猛烈に働く。

 結局のところ、国体を解体し天皇は国家元首ではなくなり、国民主権とされているけれども、事実上、天皇のいた位置に米国が座り、大日本帝国システムの「骨格」が残った。

日本の民主化・非軍事化は、冷戦勃発で日本を反共の砦とする「逆コース」を辿り、なし崩し的に警察予備隊→保安隊→自衛隊創設と再軍備された。

 こうして、個人主義・自由・平等の重視、個人の尊厳を重んじ真理と平和を希求する人間の育成という教育基本法の精神は、絵に描いた餅になった。

 

 一方、ゼブラフィッシュを使って研究をしている神経科学、分子生物学の研究者の川上浩一先生は、

⒊のパターンの「人間は多数派に従う」について指摘。しかも人間ばかりではなく、「生物は多数派に従う,群れに従う」という生物の"群れ"の特性があるのだと。

 

 人間の生物的本能は「群れに従う」ものだということ。

魚の群れの動き、移動は、目的や意志を持って動いているのではなく、周囲の動きを即座にコピーするような反応で、個体レベルでは「本能的な同期」なのだというが…  これに似たような動きを見たことがないだろうか…。

ネット上のエコーチェンバー(似た意見が反響し、異論が排除される現象)だ。アルゴリズムによって似た意見が優先的に表示され、無意識に「群れ」に溶け込んでしまう。

 

 

難波文男さんの『やわらかな制御』バタフライエフェクト

 冒頭にあげた26年2月8日の衆院選開票日の難波文男さん。

兵庫県の斎藤元彦知事の定例会見への「歩道橋プロテスト」を一人で始めた人。

難波さんは2025年4月23日に一人で歩道橋の上から声を届けるプロテストをスタートした。

事前の大計画や組織化などはなにもなく、個人の信念に基づく即興的な行動だ。

彼がトラメガから繰り出す言葉は、ユーモラスでありながら論理的で思わず笑いを唆るようなもの

彼の暴力性を排し遵法精神に則ったユニークな抗議活動は、男女年齢関係なく誰でも参加しやすく、

集いの連鎖を生んだ。今では100人ほどが毎週歩道橋に集まる。最近では女性のよく通る声のリードが

定例会見場に響き、記者質問に呼応した言葉が記者たちを励ましている。

 

 彼のプロテストの報告などの一人語りのYoutubeを時々見るが、彼は再生回数を稼ぐことや収益化をする気もなく、編集もせず、思いつくままを淡々と語り、話しながら時々、クスクスと笑う。

ブログにはあげてこなかったが、彼が散歩しながら自分の愛読書(詩集など)などについて思いつくままに語る動画が好きで「哲学の道」をひととき共に散策しているように感じている。彼の歩調で映し出される静かで穏やかな町の映像と彼の言葉が心を落ち着かせてくれるのだ。

 

 衆院選の開票日、この日の彼の「何となく喋ってみた」の動画で、ふと思い出したのが、安冨歩先生の著書『複雑さを生きる やわらかな制御』。

難波さんの活動は、安冨歩氏の言う「複雑さを生きるやわらかな制御」なのではないか。

 「やわらかな制御」とは何か?

とても難しい本だが、「やわらかな制御」とは、複雑なシステムを無理に計画的に支配しようとせず、柔軟に、間接的に、流れに沿って影響を与えていく 生き方、制御の方法ということのように思う。

従来の「計画制御」は、事前に詳細な計画を立て、官僚的なルール作り、厳格なマニュアル、予測に基づく長期計画のように、原因、結果を直線的に制御しようとする。
けれども、複雑系では小さな変化が予期せぬ大きいな波及を起こすため、かえって混乱を増大させたり、硬直化したりする。
例えば、ハラスメント対策で細かいルールを増やしても、かえって人間関係がぎくしゃくしたり、形骸化したりする。

やわらかな制御とは、直接ではなく間接的に、力を入れて押さえつけるのではなく、関係性や流れを微調整しながら行う。硬い計画や権力的な支配ではなく、間接的・柔軟にシステムの流れを変える方法だ。例えば、孫子の「戦わずして勝つ」やリデル・ハートの「間接的アプローチ」に近い感じ。 

トラブルが起きてもすぐに柔軟に対応できるように、事前の過度な計画を捨てる。計画を廃止し、即応性を大事にする。

複雑な世界では「知っていること」より「感じていること」 が重要なのだ。

全体のつながりを敏感に察知し、小さな介入で大きな変化を生む。 自分自身の感覚・暗黙知を信じよう。社会は人と人との相互作用で常に変化する「網の目」なので、固定化せず、共生的価値を生み出すように振る舞おう。…と、こんな感じ?

 

難波さんの活動は、一人の声がXやYouTubeで拡散され、共感を呼んで人を集め、「柔らかな制御」のバタフライエフェクトを生み出しているのではないかと感じている。