【#おつじともみ 逸材❣️】自民党から飛び出して無所属で闘う!父・尾辻秀久の「虫の目」継ぐ  | ☆Dancing the Dream ☆

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最高だ! 

 

おつじともみ

「私の父、尾辻秀久は、

 与謝野先生と一緒にいた東大の吉川教授にむかって、

 ”このバカモン!!”と言った。

 東大教授にバカと言った バカです。」

 

小粒の金太郎さんのようなピカピカの健康美、

この張りのある声! 鹿児島弁のイントネーションがなんとも可愛い。

 

何もかもが壊れていくような悲壮感が漂うこの日本で、

どこよりも明るい空気が満ちた選挙を戦う鹿児島選挙区のおつじともみさん、がんばれ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾辻朋実

 

尾辻朋実(おつじ ともみ、Otsuji Tomomi、1981年1月17日 - )は、日本の政治家。立憲民主党推薦の無所属候補として、2025年の参議院選挙鹿児島選挙区から立候補している。現場主義を掲げ、「虫の目」視点で社会の課題に取り組むことを重視する政治姿勢で知られる。自民党の元参議院議長・尾辻秀久の三女。44歳。

 

経歴

 

生い立ちと学歴

尾辻朋実は鹿児島県鹿児島市に生まれ、1981年1月17日生まれで、2025年現在44歳である。地元の公立中学校を卒業。早稲田大学政治経済学部を卒業。

就職氷河期世代にあたる彼女は、雇用の不安定化が進んだ時代に社会に出た経験から、政治への関心を深めたとされる。

 

職歴

 

大学卒業後、2003年から2007年まで日本を代表する五大商社の一つ、三井物産に勤務した。その後、2007年から2019年の間に弁護士事務所で勤務した経験を持つ。2013年2月から8月まで、父・尾辻秀久参議院議員の秘書を務め、2019年から再び同氏の私設秘書として活動を開始。2022年からは参議院議長秘書を務めた。2025年3月下旬に秘書を辞職し、参議院選挙への立候補準備に専念した。

 

政治活動

 

尾辻は、すべての世代が安心して暮らせる社会を目指し、現場主義を徹底する政治姿勢を強調。特に「鳥の目」(大局的視点)と「虫の目」(細部への注意)を政治に取り入れる必要性を訴えている。2025年の参議院選挙鹿児島選挙区(改選数1)に無所属で立候補し、立憲民主党、連合鹿児島、社民党県連などから推薦を受けた。当初、自民党の公認候補選考に応募したが選ばれず、立憲民主党に入党(2025年1月11日)し、無所属での出馬を決意した。選挙活動では、「令和の世直し」を鹿児島から始めることを掲げ、国民皆保険・皆年金の堅守や弱者に光を当てる政策を重視している。

 

家族

 

尾辻朋実は、自民党の元参議院議長・尾辻秀久(1940年10月2日 - )の三女である。父・秀久は鹿児島県出身の政治家で、参議院議員を6期務め、2022年から2024年まで参議院議長を務めた。彼の父(朋実の祖父)・尾辻秀一は、太平洋戦争中に駆逐艦「夕霧」の艦長として戦死した海軍少佐である。秀久の妹(朋実の叔母)・尾辻義は、鹿児島県議会議員を務めた。

 

政策とビジョン

 

尾辻の政策は、雇用の安定、世代間の公平な社会保障、子育て世代の支援に重点を置いている。特に、就職氷河期世代の経験を背景に、働きやすい環境の整備や子供たちの未来を支える施策を重視。政治において「谷間に光を当てる」ことを目指し、弱い立場にある人々の声を反映する姿勢を貫いている。鹿児島県内の選挙区選出の女性国会議員が憲政史上ゼロであることを踏まえ、女性の視点から「子供たちが未来に希望を持てる社会」を目指すと訴えている。

 

 

 

尾辻秀久

 

誕生~学生時代

 

昭和15年10月2日、鹿児島県生まれ。

3歳の時に、ソロモン群島沖の海戦で父を亡くす。
父・秀一は、駆逐艦「夕霧」艦長(海軍少佐)。享年32歳。
高校時代は陸上部に所属。800mで県大会優勝するなど、活躍した。
その後、進学した防大でも箱根駅伝に出場。
(一区をトップでスタート、最下位でたすきをつなぐ)

防大在学中、20歳のときに母・智が41歳の若さで急死。
当時高校在学中だった妹を進学させるため、退学して鹿児島に戻る。
酒屋のアルバイトなどでお金を貯め、妹を無事大学へ進学させる。
なお、妹・義は、日本女子体育短期大学卒業後、教職につき、母校である純心女子高校の新体操部を11年連続日本一に導いた。現在は鹿児島県議会議員、平成23年4月より7期目を務めている。

 

再度進学~海外行脚

 

その後、勉強し直す為に昭和39年23歳で東大へ再度進学。
しかし、せっかく入った東大も学園紛争で授業はほとんどなし。
昭和41年、国産車1台と当座のお金だけを持って、海外へ行くことを決意。
25歳のときフランス郵船の船で出発。
5ヵ年をかけて世界77ヵ国を巡り、30歳で帰国。

 

帰国~政治の世界へ

 

帰国後、青年活動などを行うも、高校時代の友人に勧められたこともあり、また、直接声をあげたいという思いから、鹿児島県議選に出馬。
県議を2期務めた後、平成元年7月、参議院比例代表選挙に初当選。
以降平成7年、13年、19年と連続当選し、現在に至る。

これまでに、厚生労働大臣や参議院副議長を歴任。

 

 

与謝野勉強会で尾辻参院議員会長が激怒.wmv 2010/03/12

 

 

産経新聞 2010.3.11 19:19

 

 11日に開かれた自民党の安心社会研究会(与謝野馨会長)の初会合で、副会長の尾辻秀久参院議員会長が、講師として招いた吉川洋・東大大学院教授に罵声(ばせい)を浴びせる一幕があった。

 尾辻氏は、会場に入るなり、吉川氏を見つけると「何であんたが来るんだ」「いい加減にしろ」などと一方的に怒鳴り散らし、与謝野氏の説得を振り切って開会直前に退出した。

 吉川氏は小泉内閣の経済財政諮問会議のメンバーで当時、社会保障費の毎年2200億円の抑制をとりまとめた。

 尾辻氏は厚生労働相経験者として社会保障費抑制に反対してきた経緯から、主張が相いれない吉川氏を研究会に招いたことに、怒りを爆発させたとみられる。

 

 

 

【追悼演説プレイバック】「あなたは参議院の誇り」がんを告白し政策を前に進めた“戦友”へ…語り継がれる二人の名演説

 

 

 

参院議長や厚生労働相を歴任した尾辻秀久参院議員(84)=鹿児島選挙区=は7月28日の任期満了をもって政界を引退する。

弱者に寄り添う「虫の目」に徹し、ドミニカ移民問題の解決などに尽力。

6期36年間の経験を踏まえ、「温かい政治が大事だ」と語った。

 

 -最後の通常国会が6月22日に閉幕した。 

 

「スーツのポケットに辞表を入れ、いつでも辞める覚悟で仕事してきた。理由はともかく、最後は辞表をたたきつけて辞めると思っていた。静かに引退を迎えることができて感慨深い」  

 

-特に印象深い仕事は。  

 

「ドミニカ移民問題だ。厚労相になり、それまでの役職は辞めたが、(移民訴訟の原告を支援する)超党派議員連盟の会長だけは続けた。政府の一員でありながら裁判も傍聴した。それくらい思いは強かった」 

 

 -ドミニカを訪問した際、総理大臣の書簡を読まずに土下座でおわびした。 

 

 「移住者は長年にわたって労苦を余儀なくされた。とても言葉で謝って済むような問題ではなかった」  「(移住者に一時金を支給する)ドミニカ法案のほか、がん対策基本法や自殺対策基本法など、表現は大げさかもしれないが、歴史に残る法律をつくることができたのはよかった」  

 

-怒りが原動力だった。

 

 「私は感情的ですぐにカッとなる性格。(政府を批判するような)完全野党の質問を通告したら幹事長室に呼び出され、離党届を出したこともあった。それを青木幹雄先生(故人)なんかは大目に見てくださり、好きにやらせてもらった」  「(面倒見のいい)先輩たちは頑張っている若手をうれしそうに見守ってくれた。最近は当時のような温かさやおおらかさがなくなっている気がする。古き良き時代に学ぶこともある」  

 

-先の大戦から80年。世界で戦禍が広がる中、戦没者遺族として何を思う。  

 

「最初からけんか腰で、いきなり殴り合いを始めてしまっている。戦争はとにかく悲惨だ。平和だけは守らなくちゃいけない」 

 

■ おつじ・ひでひさ  1940年10月、南さつま市出身。3歳の時に父をソロモン諸島海域で亡くした。東京大学中退。県議を2期務めた後、参院6期(比例代表4期、鹿児島選挙区2期)。財務副大臣、厚労相、参院副議長、参院議長、日本遺族会会長などを歴任。

 

 

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