【牛島司令官 自決の日】日本国旗を抱きながら「海ゆかば」を歌う少年 | ☆Dancing the Dream ☆

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第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。
第32軍・牛島満司令官が降伏し自決した1945年6月23日までが「表の戦争」。

 

北部ではゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続く。

少年ゲリラ兵、軍命による強制移住とマラリア地獄、やがて始まるスパイ虐殺……。

連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われたのは9月7日。

 

陸自第15旅団は、2004年から18年間、牛島司令官の慰霊塔を「集団参拝」していた。

また15旅団のホームページには、牛島司令官が自決直前に詠んだ辞世の句を掲載していた。

これは憲法違反であるなど大きな批判を受け、昨年末に渋々取り下げた。

 

ところが、牛島司令官の辞世の句は、当時大本営により改竄されていたことが判った。

本土決戦に向けて国民の戦意高揚を図る文言に変えられていたのだという。

陸自第15旅団は、その改竄された辞世の句をホームページに掲げていたことになる。

 

悍ましいことに、今年も牛島司令官の慰霊塔で「海ゆかば」を歌う者たちが現れたのだという。

なかには、子供もいる。

オカリナ奏者の演奏を真剣に見つめながら日の丸を抱え、

海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
顧みへりみはせじ …と歌う少年の姿が痛ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海行かば (レアバージョン)戦前音源 (日本軍歌・準国歌 歌詞字幕(CC)付き・60FPS FHD) If I go away to the sea (Umi Yukaba)

 

 

 

 

琉球放送 6/23(月) 20:16

 

今から80年前、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官が自決する直前に詠んだとされる「辞世の句」。

軍中央によって戦意高揚につながる文言に書き換えられていたことが、沖縄戦研究者の調査で明らかになりました。 

書き換えられた句と本来の句は下記の通りです。 

 

▼牛島司令官が読んだとされていた辞世の句(書き換えられた句) 

「秋を待たで 枯ゆく島の青草は 皇国の春に甦らなむ」

 

 ▼牛島司令官が大本営に送った辞世の句(書き換えられる前) 

「秋をも待たで 枯れゆく島の田草は 帰る御国の春を念じつつ」 

 

牛島司令官が自決前の自らを取るに足らない存在だと例えた「田草」が、国民を表す「青草」に。

徹底抗戦を呼びかける意味合いが強まっています。 

公文書を調べ、書き換えを突き止めた研究者、吉川由紀さんはー。

 

 ▼吉川由紀さん(沖縄国際大学 非常勤講師)

 「青草がよみがえる、よみがえってほしいとあたかも牛島が言ったかのように書き換えた。

軍の中央部で、この中身では本土決戦に向けて国民の戦意高揚に役立たないと思われる文言について は、ことごとく書き換えがされたという理解です

 

 吉川さんによると「辞世の句」と共に陥落寸前の沖縄の戦況を伝えるために送った「決別電報」も、複数の言葉が書き換え、あるいは消されて報道されたことも判明しました。

 

 ▼吉川由紀さん(沖縄国際大学 非常勤講師)

 「正しい情報が伝わらないわけですから、沖縄の住民がこれほど犠牲になっているという認識はまず伝わりません」 

 

沖縄の陸上自衛隊第15旅団は「資料によって記述が一部異なっていることは承知している」として、

書き換えを認識していることを認めていますが、書き換えられた辞世の句は現在も旅団のHPに掲載されています。 当時の軍が改ざんした資料の掲載を続けることについては、各種記録などを踏まえ、引き続き掲載内容を検討していくとしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝日新聞 2024年7月6日 7時00分

 

 月がこんなにも明るく、頼りになるということを久しく忘れていた。

 午前4時、沖縄戦最後の激戦地となった沖縄県糸満市、摩文仁(まぶに)の丘の「てっぺん」を目指し、急な階段を上がる息もあがる。たどりついた「黎明之塔」には多くの報道陣らが集まっていた。

 まつられているのは、沖縄戦を指揮した牛島満司令官と長勇参謀長。本土防衛のための「時間稼ぎ」に沖縄をつかい、住民の犠牲を膨らませた責任者だ。

 もともとは、2人を埋葬したと思われる場所に木柱の墓標が立っていただけだったが、1950年代に元部下たちが整備したという「黎明之塔」。それを、2004年から18年間、那覇市を拠点とする陸上自衛隊第15旅団が「集団参拝」していた。制服を着て、両氏が切腹したとされる6月23日の明け方に合わせて。陸自側は「私的な参拝」と説明してきたが、一昨年と昨年の参拝は見送られた。理由ははっきりとはわからない。

 さて、今年はどうかと構えつつ、前日会った牛島司令官の孫・牛島貞満さん(70)を思い出す。集団参拝をどう思うか尋ねた時の、少し意外な答え。

 「なんというか、滑稽なんで…

 

 

 

沖縄戦を指揮した牛島司令官の「辞世の句」 陸自第15旅団のHP掲載めぐり中谷大臣は「平和を願う歌」と独自の解釈 「平和教育」と「短歌」それぞれの有識者の見解は?2025/04/25

 

「秋を待たで 枯れゆく島の青草は 御国の春に よみがえらなむ」

 

 これは、旧日本軍で沖縄戦を指揮した牛島満司令官の「辞世の句」です。

陸上自衛隊第15旅団のホームページに掲載されているこの句について、中谷防衛大臣の発言が波紋を広げています。 「平和教育」と「短歌」、それぞれの有識者の見解を通してこの問題について考えます。 2025年4月25日(金)

 

 

陸自15旅団 Webに旧日本軍牛島司令官の「辞世の句」掲載/識者「旧日本軍とのつながりを意識させる」2024/06/04 

 2024年6月4日 放送  識者は、「旧日本軍とのつながりを意識させる」と指摘しています。陸上自衛隊・第15旅団のホームページ上で旧日本軍の司令官が自決する前に読んだ句を掲載していることが分かりました。  

 陸上自衛隊・第15旅団がホームページ上に掲載しているのは、沖縄戦を指揮した旧日本軍・第32軍の牛島満司令官が読んだとされる「辞世の句」です。

  沖縄の本土復帰に伴って配備された15旅団の前身である臨時第1混成群の桑江初代群長が本土復帰時に行った訓示に連なる形で掲載しています。

  木原防衛大臣は2024年6月5日、国会でホームページの記載について問われ部隊史を基に作成したことを説明した上で、「情報発信の主旨が正しく伝わるよう努める必要はある」と述べました。

  日本の防衛政策を研究してきた中京大学の佐道明広教授は、陸上自衛隊が旧日本軍との違いを強調してきた歴史を踏まえ、疑問を呈します。

  中京大学・佐道明広教授は「自衛隊はかつての旧帝国陸軍とは違うと遠隔地での急病患者の搬送とか不発弾の処理とか、地道に活動して、沖縄の人たちに時間をかけて受け入れてもらった。15旅団を師団化をするという話しがある中で、自衛隊の存在に対して、地域住民の関心が高まりつつある中で、旧軍との連続性を表に出すのはどうなんだろう。住民のことをもう少し考えたほうがいいのに、住民への意識が欠如しつつある」と話しました。  また佐道教授は、自衛隊と県民の認識のズレについても指摘しています。中京大学・佐道明広教授は「世代も変わってきている。沖縄戦の悲惨さとか、沖縄に住んでいる方々が、どんな思いで平和教育をやっているのかということとはだんだん距離が空いてしまっている」と述べました。

 

 

 

琉球新報 公開日時 

 

 沖縄戦を率いた日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を陸上自衛隊第15旅団がホームページに掲げていた問題で、15旅団は31日、ホームページを見直す考えを示し、辞世の句の掲載を取り下げた。

 辞世の句を掲載していた沿革紹介のページで明らかにした。その説明の中で「旅団の様々な活動は、地元の皆様のご理解が不可欠」としている。

陸自は取材に対し、見直しの理由について、掲載していた情報が古いという認識があったと説明。リニューアル後の、辞世の句の取り扱いは「検討する」としている。

 辞世の句の掲載は6月に本紙報道で表面化。沖縄戦体験者や平和団体から、多くの住民を犠牲にした沖縄戦を指揮した司令官に対する県民感情を無視するものとして、抗議や削除を求める声が相次いだ。