7月20日、『虚像 石丸伸二研究』の堀治喜さんのインタビューを見た。
陽光と風と土の匂いのするような温かい笑顔、素朴な中に風格のある語り口。思った通りの素敵な方だった。
もしかして、米国のワシントンポストもが取材にやってきたという掘さんたちが手作りでつくった安芸高田の球場とは、ここなのだろうか?
泣きたくなるような青空、夕焼け空が広がるグラウンド。
物語が始まりそうな美しい写真が並ぶ。
なんと、調べてみて驚いた。
それはまさにこの場所だった。
そして、私が堀さんのインタビューを見て、この美しい球場の在処を知ったのは、偶然にも、彼らに愛されたカープの炎のストッパー津田恒美投手の命日だった。
『わしらのフィールドオブドリームス』の3年をかけて広島県県北・安芸高田市高宮町原田の休耕田に手作りされ1995年9月に完成した球場「ドリームフィールド」は、やがて使われなくなって野に還ってしまった。しかし、その後、2010年9月、復活。少年野球チームのホームグラウンド「ドリーム球場」として蘇っているのだという。
不死鳥のように蘇ったフィールドオブドリームス…
世代を超えて受け継がれて行く野球小僧たちの夢のような物語の第二章はもう始まっていたのだ。
https://mftp.blog.jp/archives/52314875.html
ああ、ワクワクする。
子供心のままに何かに夢中になり、湧き立つような情熱を分かち合い仲間たちと何かを作り出すことの面白さ。
事の大小に関わらずそんな体験の喜びを知っているならば、胸が熱くなるだろう。
堀さんの『わしらのフィールドオブドリームス』を読まずにいられようか。
堀さんの文工社の新書の方は、いま売り切れになっていたので、古本の単行本の方を購入した。
もう一冊、興味があるのは、同じく堀治喜さんの『誰が、市民球場を壊したのか?』だ。
解説文にはこのように記されている。
”「広島市民球場」。その名のとおり地元財界が資金を提供し市民に寄付した「市民の球場」であり、被爆から立ち直った「復興のシンボル」でもあった世界でも類のない野球場が解体された。市民の多くが望まず、正当な理由もないまま、なぜ市民球場は解体されることになったのか。市民の奉仕者であるはずの行政が市民の財産を破壊するという愚行がなぜ計画され、実行されてしまったのか…。その謎は、現在のサッカースタジアム建設問題の闇にも通じている。”
石丸のサンフレとの関わり方に、スポーツを政治利用する不純なものを直感的に感じていた。
石丸が最終的に狙っているのは広島県知事選だと言われるなかで、巨大汚職事件で焼け野原となった広島政界と、広島のスポーツビジネス業界、マスメディアの関係性を知る糸口になるかもしれないと思っている。
『虚像 石丸伸二研究』の著者堀治喜さんに聞く 安芸高田時代の"実像"
西葛西出版【ながら作業に最高なラジオを発信する国内最弱出版社】 2024/07/19
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堀 治喜「酔頓楼からの遠吠え3」
月命日に。
by suitonrou3 | 2013-09-20 10:58 | 楼人日記
https://suitonrou3.exblog.jp/19685201/
↪︎(転載)
津田恒美の月命日。
部屋の資料を整理していたら、こんなものが出てきた。
かつて広島の県北で野球場をつくって草野球を遊んでいたころ、その会員組織であったとうもろこしの会のスポーツ紙として発行していた「とうスポ」。
その「津田恒美追悼特集号」だ。
没後9年、10回忌にあたって津田恒美と、その野球場遊びとの縁をさらりと書いている。
1993年。津田が旅立った夏に、ぼくたちは休耕田をお借りして野球場をつくりはじめた。
ときを同じくして、ある人物がこの世を去り、あるコトがはじまっていたことに、あらためて縁を感じている。そんな述懐を吐露したものだ。
しかし、このときはウカツにもまだ認識していなかったのだけれど、津田が逝ったその日に、野球場の用地の賃貸契約は結ばれていた。
野球を失った元プロ野球選手がこの世を去っていったとき、野球というゲームをするための場所をつくろうという遊びがスタートしていた。
まるでバトンタッチでもするかのように、ふたつのことがつながっていたのだ。
あのとき彼の10回忌にあわせておもいを書いていたじぶんが、没後20周年にはかれをモデルに「天国から来たストッパー!」という本を上梓した。
あらためて縁というもの、めぐりあわせの妙をしみじみ感じている。
追記のひとりごと
いまあらためてこの投稿を読み直して愕然とした。
この津田恒美追悼特集号の発行日は7月20日ではなくて、9月20日ではないか。
その11年後の同じ日に、A3版のプリントは雑多な資料のなかからぼくの目の前にあらわれたのだ。
まるでだれかが、これを忘れてるよとでもいいたかったかのように…。
炎のストッパー・津田恒美の直球人生
NHKスペシャル「もう一度投げたかった
~炎のストッパー津田恒美の直球人生~1994:(平成6年)5月15日放送
津田恒実 火の玉ストレート 球宴でオールストレート三者三振
【炎のストッパー】津田恒美生涯最後の登板1991/4/14巨人戦
この登板の翌日体調不良を訴え病院に緊急入院。
その後の検査で脳腫瘍だと発覚、懸命の治療も虚しく2年後の1993年7月20日逝去、享年32。
文工社
https://bunkosha.shopselect.net/about
「わしらのフィールド・オブ・ドリームス」
アメリカの片田舎、アイオワ州に青々と広がるトウモロコシ畑をつぶして野球場を作ってしまった男がいた。
「それを作れば、彼はやってくる」
どこかから聞こえてきた声を信じて、彼は荒唐無稽にも思えることをはじめてしまった。
もちろん世間は、彼の行為を冷笑し非難した。
しかし彼は夢に殉じるように、とうとう野球場を完成させてしまった。
すると、彼が信じた声は現実となり、本当に「彼」はやってきた。
プロ野球選手になる夢を諦めて、失意のうちに死んでいった父親が。
そして彼が憧れていた伝説の名選手が…。
野球というカテゴリーを超えて、親子の信頼、家族の愛を描いて多くの人々に感動を与えた映画「フィールド・オブ・ドリームス」。
その感動と興奮に背中を押されるように、実際に手づくり野球場「ドリームフィールド」を完成させてしまったおかしな連中がいた。
コピーライター、デザイナー、建築家、木工アーチスト…。
それぞれの夢を野球場に託して、彼らが広島県の県北の休耕田で悪戦苦闘した、笑いと涙の3年間のドキュメンタリー。