【石丸の末期症状】伝説の知事・片山善博に❓「じゃあやってみろ!」石丸は誰に向かって吠えている❓ | ☆Dancing the Dream ☆

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知らないって怖いですね。
本当に知らないの?
ちょっと調べれば分かるだろう。
なんというのだろう?こういうの。
夜郎自大というか、身の程知らずにも程がある。恥ずかしすぎる。

よくもまあ、伝説の名知事・片山善博氏に対して、公然とこのような暴言を吐けたものだ。
片山・元鳥取県知事こそが、2000年10月に発災した鳥取西部地震において、日本で初めて、被災者のための住宅再建に300万、補修には150万という”公的支援による個人補償”を決行した首長だ。
既存の住宅支援の調査や調整に駆けずり回り、国の圧力を受けながら、結局、ダム建設を中止した分も含めて県の貯金を使って、なんと発災から10日ほどで住宅支援策を決定し発表した。 現場の声をじかに聞き、被災者救済を第一に断行された地方自治改革の金字塔と言える。
これを受けて、国の「被災者生活再建支援法」が被災者の住宅再建費用の支出ができるように改正される。

石丸は、産経新聞に石丸市政について批判的なコメントを寄せた識者(つまり、片山善博氏)に対する怒りを会見の席でぶちまけ、こう吠えた。


”有用な対立とは何ですか? 
どこにあるんですか? 誰がやってるんですか?
どの自治体で見れるんですか? ないじゃないですか?
そんな識者の見解に価値があるとは思えません。
じゃあ、やってみろですよ!
1人の有権者でもいいから投票に行かせてみろ!
1人の候補でいいから立たしてみろ!”

”実用的でない識者の見解というのは、紙面を埋めるにはちょうどいいのかもしれないんですが、結果、読者が誤解をします。勘違いを、下手したらさせます。
それはむしろ社会にとって害悪です。 断じておきます!”


何を言っているんでしょうね。
片山知事は、災害支援だけでなく、まさに「やってみせた」地方自治の改革者である。
だからこそ、国民の圧倒的な支持を受ける伝説の知事となったのだ。
片山氏は他県の知事との連携だけでなく、勉強会を主催。全国の市町村長を含む首長が鳥取に足を運んだのである。これぞリーダーだ。
今尚、知恵を授かるために地方自治の第一人者として片山氏の元には人が集まる。
メディア、首長、国会議員、地方議員、学者、市民団体、あらゆる人々が。
大型台風が接近している時に、市長たるものがトライアスロン競技に参加するために市を遠く離れるような大馬鹿者には、その知恵の価値は分からない。




安芸高田市定例記者会見(2024年2月)2024/02/27

(20:24〜)

続いて、もう1社。先日というか、昨年の秋なのですが産経新聞からインタビューを受けました。で、今年の2月に入って記事が出てました。
何人かの方は産経新聞、取ってなくてもネットでご覧になった方もあるかと思い ます。
で、いくつか鍵がかかってる会員登録しないと見れないのもあるので、ここでは フリーのものだけに言及しておきます。

が、はっきり申し上げて非常に落胆しました!
がっかりしました!
産経新聞は、もう少し骨のある新聞社ではないかなと従前、思ってたんですが、あれだけわざわざインタビューに答えて、最後、出来上がったのがこの記事だというのは残念です。

何が残念かと言えば、こちらの言っていること、ひと通り書いてあるんですが、その真意、大事なところが、なぜか、識者の薄い見解、それをさらに薄切りしたものによって覆われてるからです。
個別に、個人的にというか、存じ上げてる西田准教授なんかのコメントも載ってるんですが、こんな一般論で済ませて何の足しになるんですか。

あとは、どなただったかな? 
あの大学の教授の方。教授かな?
いらっしゃったかと思うんですが、元政治家で。
あの〜、ね、「無用な対立を招いている」だとかいうコメントですよ!
何を持って「無用」とするのか!
無用ではないというのを この3年数ヶ月、主張し続けてます。
なぜ、その大事な核の部分、コアの部分が記事に載っていないのか!

じゃあ、代わりに聞いてみますが、
有用な対立とは何ですか? どこにあるんですか? 誰がやってるんですか?
どの自治体で見れるんですか? ないじゃないですか?
だから、ここ安芸高田市でその実態を様子を広く国民に伝えてるんです。
この ”高いところから物を言うスタンス" ‼︎
別に悪いとは言わないんですが、じゃあそれで何かの足しになったのかですよ。
政治が再建されたのか? 投票率上がったのか? 立候補者が増えたのか?
変わってないじゃないですか!

そんな識者の見解に価値があるとは思えません。
じゃあ、やってみろですよ!
1人の有権者でもいいから投票に行かせてみろ!
1人の候補でいいから立たしてみろ!

実用的でない識者の見解というのは、紙面を埋めるにはちょうどいいのかもしれないんですが、結果、読者が誤解をします。勘違いを、下手したらさせます。
それはむしろ社会にとって害悪です。
断じておきます!

以上の見解に対して、また何か異論反論あれば、さっきの西田先生でもいいんですが、いくらでも対話の機会を持ちます。
それこそ、新聞社、テレビ局でもいいんですが、対談の機会をセットしいていただいても結構ですよ。私いくらでもいきます。侃侃諤諤、議論やろうじゃないですか。
それを受けずして、識者として、これをまた繰り返しますが、「遠くから石を投げるというのは随分卑怯だし、臆病な存在だな」と見下げます。
是非気骨がある識者の方、私と相対してくださるのを願っています。
以上が、産経新聞に対する見解です。

(※以下略 〜以下はまた次の機会に)


石丸流改革、無用な対立の元 片山善博大正大特任教授
産経新聞 論点視点 2024/2/11 09:30
https://www.sankei.com/article/20240210-FJQCL32P3RLVBKARABQ5QZYKZY/
広島県安芸高田市議会での石丸伸二市長と議員との辛辣なやりとりが動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開され注目を集めている。地方議会を巡っては有権者の無関心、議員のなり手不足などが指摘されているものの、改善の道筋は見えない。議会への厳しい姿勢を交流サイト(SNS)で発信する取り組みは、地方議会改革につながるのか。元鳥取県知事の片山善博大正大特任教授に聞いた。

(石丸氏のやり方は)少なくとも、地方議会を正常に戻すための手段ではないと思う。議員を萎縮させたり、反発させたりして議会と無用の対立、混乱を生むのではないか。根回しをしない、なれ合いの議会運営をやめることは、とてもいいことだ。私も原則、そうして議会と向き合ってきた。ただ、議員と罵(ののし)り合ったり、居眠りしている議員を世に知らしめるようなことはしなかった。議会での議論は激しくていい。しかし、感情的な争い、相手をあげつらうといったことは一切しない。
安芸高田市が全国公募した副市長候補案を市議会が否決した件があった。いかに公募した優秀な人材であっても、最終決定権は市長にない。決定権があるのは市議会。市長が決められるのに、抵抗勢力の市議会が妨害したというイメージが伝わる。それはまったくの間違い。(以下有料)


「燃やせるものは何でも燃やす」 地元メディア批判でSNS大反響、安芸高田市長の狙い
2024/2/1 08:00
https://www.sankei.com/article/20240201-FP5KE6FJPVJHNKEGFJA4D44QJA/
”メディアと政治の関係に詳しい東京工業大の西田亮介准教授は「最近は一種の論破ブーム。普段、批判する側の記者が言い負かされる姿に喝采が集まっている。新聞を読んだり、テレビを視聴したりする人の数が減り、メディアの影響力が低下していることも背景にある」と話す。
一方で、「議会対応を含め、市長の言い分に納得できるものもあれば首をかしげるものもある中、常に記者や議員が悪者扱いされているようにみえる。人間なので言動のすべてが正しいというのはありえないにもかかわらず、市長に支持が集まるのは、論破ブームに乗った見せ物としておもしろいという脊髄反射的な大衆の反応ではないか」と指摘する。
西田准教授は「市長は世論を意識し、自分の見せ方を分かっているが、肝心の施策面で何をしたいのかがよく見えない。この点は政策実現のためにメディアを利用することもあった橋下氏との違い。ネットでの発信に加えて、政治家として何をしたいかを明確にし、政策を磨くことも期待される」と話していた。”


国民から圧倒的支持 全国1位
片山知事が敬愛された訳







伝説の名知事 片山善博
「高岡発ニッポン再興」その136「地域を守る」住宅支援を独自で
2024/2/25 出町譲(高岡市議会議員・作家)

能登半島地震で現場の声を聞くのが重要だと思っています。私自身、何人もの、液状化の深刻な伏木地区や吉久地区の方々の声を聞きました。将来の不安を少しでも取り除けるのか。それが政治家の仕事だと思っています。その中から政策を打ち出す。そんな行動を教えてくれたのは、これまでの大災害で陣頭指揮をとったリーダーです。私は彼らの仕事ぶりを見て、現場第一主義を確信しています。
尊敬するリーダーの1人は、鳥取県知事だった片山善博さんです。もともと、総務官僚で、私がニュースデスクだったテレビ朝日の報道ステーションによく出演してもらいました。鳥取西部地震が起きたのは、2000年10月です。片山さんは就任して1年半しかたっていません。
その時の奮闘ぶりは伝説的ですね。現場の声を聞いて、わずか11日で、住宅再建に300万円支援する制度をつくりました。国の反対を押し切ったのですからすごいですね。

片山さんは地震が発生してから連日、被災地に出向かれました。当初は命が助かったことで、被災者は明るかったそうです。しかし、しばらくすると、落ち込んでいる人ばかりになったのです。「これからどうしよう」と不安になったというのです。残りたいけど、家を直すお金がない。東京にいる子供のところに行こうという人が次々に現れたのです。
その時、片山さんは地域が崩壊すると、懸念を抱きました。そして、ピンときたのは、住宅支援です。「住むところをどうしよう」という住民の不安を解消する必要があると思ったのです。被災した鳥取県西部は高齢化率の高い地域です。ローンを組むのも簡単ではありません。
道路や橋などは、政府が支援してくれていますが、当時、住宅への支援はなかったのです。住宅への公的支援をしなければ、住民がどんどん地域から離れていくと、片山さんは考えました。そこで、鳥取県は独自に住宅再建の支援をしようとしました。それに反対したのは、国です。税金を住宅という個人の財産に使ってはいけないと主張したのです。
片山さんはこれに毅然と立ち向かいました。道路や橋を直しても、そもそもそこに住む人が土地から去っては元も子もないと主張し、押し切りました。
そして、片山さんは独自に、住宅再建に300万円支援する制度を設けたのです。国からの支援を受けず、県の貯金を使ったそうです。大英断ですね。住宅再建支援策ができたのは、地震が起きてから11日目です。その後、被災地の皆さんが元気になったそうです。メンタルケアに当たった精神科医も、住宅再建支援策について「最大のメンタルケアになった」と話していました。
私は地震のことばかり考えています。今も数多くの被災者と話しながら、政府関係者、被災自治体関係者などと議論しています。復興の道筋を探しているのです。片山さんではないのですが、地域が崩壊するのではないかと懸念しているのです。何より大切なのは、「地域を守る」ことです。震災対応が最優先なのです。来月開催される高岡市議会3月定例会、私は強い思いで、質問します。


住宅再建の独自支援「地域守るため」 片山前知事に聞く
朝日新聞 聞き手・角谷陽子 長崎緑子2020年10月8日 9時30分
https://www.asahi.com/articles/ASNB777KDNB7PTIB00Q.html

「首長は自分事として備えを」 住宅再建を県独自に支援、元鳥取知事
能登半島地震

朝日新聞 聞き手・野平悠一2024年1月31日 18時58分
https://www.asahi.com/articles/ASS1065CFS1YOXIE00D.html


鳥取県知事の講演を聞いて
神戸復興委員会 「上筒井から」vol.10(July 2001)

https://www.kobe.ywca.or.jp/sinsai/NEWSLETTER/vol10/tottori.html
「個人補償は財産私有制度に馴染まない」「個人の家は個人の財産、その復興には自助努力が原則。公的資金を個人の財産には投入できない」。
 私を含む大勢の被災者が、苦しい生活再建に個人補償を求める声を挙げたとき、返ってきたのはこんな言葉の数々だった。アメリカや台湾では個人補償的な支給があったと伝えられても、それは外国での出来事。公的資金投入による個人救済は法律違反とでも言わんばかりの行政や政治家たちの姿勢に、「日本では個人補償は叶わない」と信じた人は多かったろう。
 それでもあまりの声の多さにようやく実現した「被災者生活再建支援法」は被災者の実態からほど遠く、また適用にも多くの制限が付けられていた。さらには、むしろこれができたために実質的な個人補償制度を要求しにくくなったという側面さえある。

 2000年10月6日、鳥取県西部地震が起きた。震災から間もなく、いともあっさりと出てきたのが、住宅再建に300万、補修には150万という公的支援による個人補償だった。記事を見たときには、おどろいた。なぜそんなことができるのかと疑問符が飛んだ。
 住宅再建・補修支援の措置は、片山鳥取県知事の決断だった。片山氏がどこかの講演で「個人補償を禁じる法律はない」「復興資金を注ぎ込んで道路や橋が立派になってもそこに住んでいる人がいなくなっては本末転倒」と述べたとも聞いた。この人の話を聞いてみたいと思ったのは、当然だろう。だから、4月に神戸で片山氏をゲストとする震災関連の集会があると知人が知らせてくれた時には、すでに入っていた予定を繰り合わせて、聞きに行った。

 とにかく驚きの連続だった。

 まず現場主義の大切さを説く。現場のことは現場の県や市町村に任せてくれればいいのだと言い切る。「災害があったときに、まず国にお伺いを立て、国が示してくる制度や措置を被災地に当てはめようとするから、現場とズレが生じる。国に期待するのは物心面でのバックアップ」と言う。
さらに鳥取では、知事を初めとする鳥取県の幹部たちが現場を見るため、またなにが必要かを見るために、ヘリコプターで被災地に日参したそうだ。幹部が動くというのは片山氏が就任したときからのスタイルで、従来の「上は下からの報告を待ち、下は上からの指示を待つ」お役所スタイルではなく、幹部が自ら視察に出向き、毎日災害本部に帰ってきて会議をして、どんどん迅速にことを決める。
 そして件の住宅支援策も、避難所でのお年寄りや、実際に被災者と向き合う役場の窓口担当職員とのやりとりから、すなわち当事者の思いや現場の声をじかに聞いてこそ、必要性を実感したのだという。
 「皆さん、地震直後はむしろほがらかでした。1週間後の方が不安は大きくなっていました」。住み慣れた土地を出ていかないといけないのかという不安、「息子が一緒に暮らそうと言ってくれるが、ここにいたい」「でもあの人が出ていくなら私も」というお年寄りの声が、知事に住宅支援の重要性を認識させた。視察先の役所で、話をしたいと呼び出した担当職員の女性は、「人々が何かないかと聞いてくる。何もないとうことをどう説明できるのか」と泣いたそうだ。
 個人補償については当然、公的なものを個人に使うことについての疑問がある。この点についても、「税金はパブリックだから個人に使うものではないというのは見識」としながら「しかし、道や橋ばかりを直しても肝心の住民がいなくなってしまったら、ルール守って地域守らずの笑い話になってしまう」と言われると、「この人は何が本当に大切かということがわかっている」という印象を受ける。公的支援のあり方について、「現場の必要性を踏まえながら政府が常識的に考えていくことが大事、パブリックというルールは常識から外れてきている」とまで明快に言われると、うれしくなる。 仮設にしても「個人の敷地に建ててはいけない、200万円もかけて建てて、またお金をかけて壊さなければならない、おかしいでしょ」と、まさに私たちが阪神大震災の被災地で「おかしいやん」と言い続けたことが、「知事」という職にある人の口からポンポンとでてくるのだ。
 さらに見逃せないのは、人々が、特に高齢者が育んできた生活を大事にしなければという意識だろう。「お年寄りにはそれまでの人間関係や生活リズム、見慣れた光景が大切。お年寄りにとって隔絶はすごいストレスとなり、居住地を変えるのは大変。このまま安心して住める環境を守ってあげたい。」という一連の発言を聞いたときには、この人が阪神大震災の時に兵庫県知事だったら、こちらの復興はどれほど違ったかと思わずにはいられなかった。震災の規模が違うので一概には言えないが、少なくともあれほどの数のお年寄りが、遠い仮設に、さらに住み慣れない復興公営住宅に抽選でバラバラに入れられるということは、避けられたかも知れない。こちらの仮設や復興公営住宅で、どれほどの孤独死がでたことか。当世はやりのコミュニティだが、「はい育てましょう」で育つものではないのだ。
 もっとも住宅再建支援はスムーズに決まったわけではないらしい。
 知事はまず、既存の住宅支援について調べるように指示をした。ところが何も出てこない。兵庫県に聞いてみても、何もない。自力再建のための制度はいくつかあったが、これらは「借りた人への支援」であって「借りられない人への支援」ではない。あるのは建物自体を供給する仮設や復興住宅ばかりだ。
 では個人への支援についてどうかというと、手本がない。兵庫県に訊ねてみると、「政府からそういうことはやってはいけないと言われた」という答えが返ってくる。こんな状態だから、住宅支援をやろうということについては、はじめ役所のみんなもいやがった。しかしこのままでは人口は流出し、地域・集落が崩壊してしまう。何が何でも住宅支援が必要だということは明らかだった。最初は「やれるかやれないか別で考えてみよう」と呼びかけたという。
 政府の反応も冷たかったらしい。知事はあちこちの省庁を回って理解を求めたが、知事の出身省である自治省でさえ、はじめは「できる訳ないでしょ」と言われたそうだ。しかし当時の自治大臣が最終的に「そうですね、やらざるを得ないでしょう」と言ったというのは、よほど片山知事の熱意が大きかったのだろう。もっとも「政府には、支援は無理だろうが、少なくとも妨害しないでほしいと訴えた」と言うから、知事もなかなかしたたかだ。
 ちなみに知事によれば「個人補償をしてはいけない」という法律はない。「それは憲法違反だ」と言った役人がいたので「憲法何条だ?」と聞き返すと、相手は黙ってしまったというのには笑ってしまった。それでも個人支援が動き出したときには、「個人補償ができない」理由となる書類がドサッと届いたり、「財政のルール」や「個人の財産」に関するFAXが次から次へと送られてきたり、あの手この手での圧力はすごかったらしい。さすがに発表前日は不安でよく眠れなかったと知事は笑っていた。
 結局10月17日、実に地震から10日そこそこで、地域での再建を条件に、再建に300万、補修に150万という住宅支援策が発表された。背景には、地震の半年前に公共事業のダム建設を中止、その分が100億円くらい県の財政で浮いていたということもあったという。
 実はこの中止も、片山県政の情報公開のたまものだ。治水に関する事業なのだが、河川敷の整備よりダムのほうが安いという試算についてよくよく担当者に聞いてみると、ダムの建設費140億円というのは昭和47年当時の計算で、今ならおそらく240億円くらい。一方、河川敷の整備は、非常に立派な石を使うという前提で試算していて147億円、これは通常の材料なら30~40億円。これらの情報を公開して、ダム建設事業は中止となったという。
 今回の震災でも、情報公開は徹底している。会議をする対策本部と同じ部屋に、壁も作らず、メディアが同居していたというのだ。記者たちがいるところで会議をするから過程がオープンになり、発表の段階になってもいちいち了解を取ったり説明をする必要がない。「ときどきは聞かれないように声を低くした」「記者は聞いてないような顔をしながらしっかり聞いている」などと聴衆を笑わせながら、知事はガラス張りの政策決定に自信を見せた。

 首長が違うとこうも違うものかと溜め息が出た。鳥取と阪神淡路とでは、地震の大きさ以外にも、人口の密集する都市部と過疎化の進む地方、死者のありなしという違いがあるだろう。しかし両者の復興政策における決定的な違いは、いかに「被災者のもとの暮らしを大切にするか」「現場の声を汲み上げようとするか」の程度の違いであり、また「国を背景に当事者にもの申す」と「当事者の思いを背景に国に要望する」の差だろう。
 私は西宮市内の比較的大きな避難所で3週間を過ごし、ここでは情報やうわさも割によく入ってきたが、当時の西宮市長が避難者の話を来たという話はとんと聞かなかった。神戸市庁舎では市長室のある階にエレベーターが止まらず、一般市民が市長との面会を求めても叶わなかったと聞いた。任期半ばでいきなり辞意を表明した兵庫県知事は、「復興の足場はできた」「被災者も好意的に判断」というコメントを出し、いかに我々、個々の当事者との認識のズレが大きいかを露呈している。こちらの被災地では、市長にせよ、県知事にせよ、本当に被災者が何を求めているかを見極めよう、さらにそれに応えようという姿勢があったとは、一被災者の立場からすると、残念ながらなかったように思う。

 鳥取被災地での復興は、雪のために工事がむずかしい冬を越して、暖かくなった4月からまた進みはじめ、すでに3分の1から半分が支援金の交付を受けたそうだ。問題は、地元の工務店を優先しているので工務店の数が足らずに順番待ちになっているということで、人口流出はほとんどないという。「一緒に暮らそうと息子が言うが、ここを離れたくない」と言った老人も、「150万も出るならもらわないと損、補修費の残りは出してやると息子が言ってくれた」と、もとの家に住み続けることになった。
 住宅支援施策があれこれ反対を受け、孤立無援かと思った知事にとって一番の励ましになったのは、メディアを通じて伝えられる神戸の被災者からの「支援」の声だったという。「大きな援軍だった。今日はそのお礼を言うためにも来たのです」という言葉には、ちょっと感動した。あれで霞ヶ関の雰囲気が変わり、最後には「いいことをしましたね」とまで言われたそうだ。政府も初めは冷たかったが、年度末特別交付税ではちゃんと鳥取県の台所事情を考慮してくれたとのことだ。
 まだ希望はあるかも知れないと思ってしまった1日だった。
 この講演の記録を見たいと思い、主催者に問い合わせた。記録は今、知事の確認を待っているところだそうだ。発表できる状態になったら冊子にして発行するというので、ぜひ入手したいと思っている。