来年の1月で傘寿を迎えるとは思えない若々しさとバイタリティーに驚く。
真剣な眼差しが、笑顔になると人懐こい子犬のように可愛らしく緩むのがなんとも魅力的でヤバい。
振り返れば、国民から絶大な人気を誇る田中真紀子のあの真紀子節が炸裂する応援がなければ、小泉純一郎は総理にはなれなかった。
結局のところ、「小泉劇場・小泉旋風」ではなく、
「真紀子劇場・真紀子旋風」が起こした風の魔法の浮力があっての
小泉人気だったのだろう。
女性初の外務大臣になった田中真紀子が、外務省と対立し更迭された事件があった。
あるNGOが、アフガニスタン復興支援国際会議への参加を外務省に拒否された問題。
結局のところ、田中真紀子の言い分が正しかった。
後年、このNGOの代表が真相を明かしている。
鈴木宗男がこのNGOを排除しようと外務省に圧力をかけ、
外務官僚はそれに従ったのである。
その事実を隠蔽したのは、鈴木宗男、外務官僚の方だったのである。
田中真紀子は真実を述べていた潔白の身であるにも関わらず、更迭された。
これが2002年のこと。
その後、2009年政権交代。
普天間飛行場移設先について「最低でも県外」を掲げた総理大臣の鳩山由紀夫。
鳩山を虚偽の「極秘文書」で騙し、失脚させたのも外務官僚だった。
【ノーカット】田中眞紀子氏らが緊急会見「今こそ政治改革~政治とカネ」
―― 政治ニュースライブ(日テレNEWS LIVE) 2023/12/08 にライブ配信
Makiko Tanaka: Former Minister for Foreign Affairs
日本外国特派員協会 2018/03/14
「小泉劇場・小泉旋風」ではなく「真紀子劇場・真紀子劇場」だった
真紀子人気が生んだ小泉政権
”「小泉旋風」の原動力となったのが、田中真紀子元外相だ。
田中氏が小泉支援の理由を振り返る。
「森さんの国民主権を無視するような発言や自民党政治の驕りに対し、当時の有権者は政治に疲弊していました。私は国民の政治離れを食い止めるためには、まず、国民の目を政治に引き付ける必要があると考えていました。ある日、神奈川選出の先輩議員が私の国会事務所に来て、『純ちゃんと真紀ちゃんがタッグを組めばドリームコンビになる。頼むから小泉陣営の旗振り役をやって』と言われ、小泉事務所を訪ねて総裁選の立候補を打診すると、小泉さんは『冗談じゃない。絶対出ない』と。そこで、仲間の若手議員たちと二度三度と押しかけて、『選挙期間中、私がずっとついてまいります。小泉総理誕生のため、母となり、妻となり、娘となります。必ず圧勝させます』と口説いたのです」”
” 国民の政治に対する関心は高まった一方、小泉政権は米国型の新自由主義を進め、格差社会が拡大。その路線を踏襲する形で安倍政権が誕生した。田中氏がこう言う。
「小泉さんが『ぶっ壊す』と訴えていた派閥政治は今も続いているし、財政再建も進んでいない。原発問題や安全保障、拉致問題など、森内閣、小泉内閣の頃と今も何ら変わっていない。『壊す』は言葉だけで、結局、何ひとつ壊れていませんね」”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252981
田中真紀子外相を更迭 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/田中眞紀子
2001年の小泉純一郎首相誕生に際しては総裁選での応援を買って出るなど大きく寄与し、外務大臣に就任した(女性初)。
外相更迭と議員辞職
ターニングポイントとなったのが、事務方との対立に起因する、2002年1月30日の外相更迭であった。当時は世論の圧倒的多数が更迭に反対して田中を支持、小泉内閣の支持率が一時的に急落するほどであった(読売新聞では下げ幅が30.7%に及んだ)。
2002年8月9日、自身の公設秘書給与の流用疑惑の責任を取る形で、議員辞職。2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に当選し国政へ復帰。院内会派「民主党・無所属クラブ」に加入。今度は以前に所属していた自民党に対して厳しい批判を繰り返すようになった。
民主党入り
衆院選を目前に控えた2009年8月15日、新潟県長岡市内で記者会見し、夫の田中直紀参議院議員とともに民主党入りを表明。民主党入りの理由について「確実に二大政党(の時代)になる。有権者に約束してきたことを実現するためには、組織に所属しなければならない」と述べ、選挙後の入党という選択肢については「それでは有権者に対して失礼」と否定した。鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた。


質問本文情報
平成十四年二月一日提出
質問第一二号
田中眞紀子前外務大臣更迭の理由に関する質問主意書
提出者 長妻 昭
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a154012.htm
田中眞紀子前外務大臣更迭の理由に関する質問主意書
平成十四年一月三十一日の参議院予算委員会で、福田康夫官房長官は、田中眞紀子前外務大臣の更迭の理由について「外務省内の問題で国会審議が紛糾いたしました。そういうような事態を一日も早く打開するため」「国会正常化のため」という答弁がなされました。
一 田中前外相は、NGO参加拒否問題に関して、問題発言はしておらず、田中前外相を更迭しなくても国会正常化は可能であったと考えられるがいかがか。
二 これを踏まえて、改めて田中前外相の更迭の理由を問う。
三 政府はNGO参加拒否問題で、田中前外相は、問題発言をしたと考えているのか。考えているとすればどの発言のどのような問題か。
右質問する。
答弁本文情報
平成十四年二月八日受領
答弁第一二号
内閣衆質一五四第一二号
平成十四年二月八日
内閣総理大臣 小泉純一郎
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b154012.htm
衆議院議長 綿貫民輔 殿
衆議院議員長妻昭君提出田中眞紀子前外務大臣更迭の理由に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員長妻昭君提出田中眞紀子前外務大臣更迭の理由に関する質問に対する答弁書
一から三までについて
アフガニスタン復興支援国際会議への非政府機関の参加に係る外務省内の問題で国会の審議が紛糾したことから、こうした事態を一日も早く打開するために、平成十四年一月二十九日深夜、小泉内閣総理大臣が田中元外務大臣に対し、国会の審議の正常化のために協力を要請したところ、田中元外務大臣は、更迭を了解し、辞任することとなったものである。
したがって、今回の田中元外務大臣の更迭は、田中元外務大臣の個々の発言を理由とするものではない。
外相と事務当局真っ向対立
NGO排除 鈴木議運委員長の関与問題
「政府見解」でも矛盾解けず
2002年1月29日(火)「しんぶん赤旗」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-01-29/04_0201.html
外務大臣の答弁を、事務次官が国会の場で正面から否定―アフガニスタン復興支援非政府組織(NGO)国際会議への一部NGOにたいする出席拒否問題で自民党の鈴木宗男衆院議運委員長の関与があったかどうかをめぐって二十八日、閣僚と事務方トップが対立するという前代未聞の事態がおきました。
鈴木氏が圧力をかけてNGO排除したと主張する田中真紀子外相、関与を否定する野上義二外務事務次官がお互いに相手の言い分を真っ向から否定。どちらかが虚偽の答弁をしているという異例の事態に、衆院予算委は、審議中断を繰り返し、最後は与党による補正予算案強行採決という暴挙という事態に発展しました。
第1幕
田中外相VS重家局長―「記憶が定かでない」
第一幕は、田中外相と外務省・重家俊範中東アフリカ局長の“対立”です。
田中外相は、同日の予算委での答弁で、二十一日朝の重家局長との電話でのやりとりを、自分のメモをふまえて紹介。
田中外相 (一部NGOの参加を拒否したという)話を聞いたが本当かと聞いた。そのときにそういう(鈴木氏の)名前を出して「これは事実だ」と(重家局長が言った)。なぜ私にいわなかったのかと聞いたときに、具体名が出た。
重家局長が鈴木氏の関与に言及したことを明言したのです。ところが、当の重家局長は、最初の答弁で「鈴木先生の名前を含めてお話ししたということは、私の記憶に関する限りない」と鈴木氏の関与を否定。ところが、引き続く野党の追及に答弁を若干修正しました。
重家局長 いろいろ会議もやっていて、記憶が定かでない。(田中)大臣がそういうふうに言っているので、そういうこともあるかもしれない。
これをみて田中外相は「局長はよくやっている。しかしまだ迷っている」と“評価”しました。
第2幕
田中外相VS野上次官―鈴木氏関与否定「それ以上の会話はない」
第二幕は、田中外相と野上事務次官の対立です。
田中外相は、同日の答弁で、二十一日午前十一時すぎの野上外務事務次官との電話のやりとりを紹介。「野上さんは非常に不機嫌になって『鈴木さんは難しい人だ。前からの経緯もある。鈴木さんの言うことを聞かないわけにはいかないので、絶対に出席させられない』と(言った)。野上次官は『どうしてもそれ(一部NGOの出席)はできない』と電話で言った」と野上次官が言及したことを再度強調しました。
野党側は、真相解明のために、野上次官と鈴木氏を委員会に参考人として招致するよう要求。同日夜に再開した委員会に急きょ参考人として出席した野上次官は、今度は鈴木氏の関与を全面否定したのです。
野上次官 田中外相からは「たいへんなことをしでかしてくれたわね」といわれました。私は「なんのことですか」と聞いたところ、(田中外相から)「排除したNGOを会議に出席させなさい、あなたの職をとしてやりなさい」と言われた。私は、経緯もあるようだから、難しいかもしれないが、やってみようと答えたと明確に記憶している。
野上氏は、会話の詳細まで紹介し、「それ以上の会話はしていない」と断言したのです。
しかし、田中外相は、野上次官とのやりとりをメモした紙片を片手に、再度答弁。
田中 この紙にたまたま走り書きした。「鈴木氏は難しい」「前からの経緯があり…」ということを(野上次官が)言ったことは、私は走り書きしている。(野上氏は)自分の言ったことは何も正確に伝えていない
外相と事務次官が真っ向対立する前例のない事態になったのです。
福田康夫官房長官は「同じ省内で意見が食い違うことは誠に遺憾。政府として統一見解が出せるように努力したい」と発言し、委員会は二度目の休憩。同日の委員会に「政府見解」を提出する事態となりました。
与党は強行
ところが、政府が深夜提出した「見解」は、理由も示さず、「特定の議員の主張に従ったことはない」とのべ、田中外相と野上次官との食い違いも「事実関係の確認に努める」というだけのものでした。
野党が納得せず、各党に持ちかえっていたところで、与党側は予算委での審議時間を二時間あまりも残しながら、第二次補正予算案の採決を強行するという暴挙に出たのです。
NGO排除問題政府の統一見解(全文)
政府が二十八日夜の衆院予算委員会理事会で示した非政府組織(NGO)拒否問題に関する統一見解は次の通り。
一、昨年来NGOの在り方については与党も含め各方面の議論がなされ、その過程で外務省に対してもさまざまな意見表明がなされたことはある。
一、アフガン支援国会議へのNGOの参加決定にあたり、特定の議員の主張に従ったことはない。
一、本件に関して、一月二十四日の予算委員会における田中外務大臣の答弁と外務省事務当局の答弁との間に相違があるが、政府としては、引き続き関係者の申述等を聴取し、事実関係の確認に努める。
一、よって、現下の経済状況にかんがみ、第二次補正予算の一日も早い成立をお願いしたい。
【大西健丞】今なら話せる「鈴木宗男事件」の真相
2017/3/1
https://newspicks.com/news/2085497/body/
(抜粋)
” なぜ宗男さんが怒ったのか
大西 う~ん。まぁ、『NGO、常在戦場』にも書いたので、読んでもらえたらと思うんですけど。僕らは米国の9.11のテロの前からアフガンにも関わってたんです。
その当時はタリバンのことを実際に知っている人間なんて日本に少なくて、それでメディアに取り上げられたりしていたんです。鈴木宗男さんからすれば、「この若造はなんだ、チョロチョロしやがって。外交とか国際協力は俺の分野だ」とおもしろくなかったと思うんですよ。まずそれがベースにあったと思う。
それで次に宗男さんが「難民を助ける会」というNGOをいじめだしたんです。僕はその事務局長がいわれもないことでボロクソに言われているのを聞いて、ちょっと座視できなかった。
でも僕はね、そもそも、文句を言いに行くんじゃなくて、緩衝材として入ろうとしたんです。
坂之上 でも逆に発火物になってしまった?(笑)
大西 そうなんですよ。番号を教えたこともないのに、いきなり僕の携帯に電話をかけてきて、僕が出た瞬間、「貴様ー!!」って怒鳴られて。
坂之上 突然にですか?
大西 そう。ビビらせて黙らせようと思ったんじゃないかな。NPOの若造だし。
坂之上 でも大西さんは政治家と対立するつもりはなくて、むしろ外務省と経済界とNGOがバラバラに活動するのは効率が悪いから、3者をまとめようとしていたんですよね?
大西 そうです。その3者が結びついたのが「ジャパン・プラットフォーム」ですね。今も活動しています。
坂之上 じゃあ大西さんの何がそんなに気にさわったのでしょう?
大西 発端は、僕が取り上げられた朝日新聞の「ひと」欄の記事です。取材を受けていろいろしゃべっているうちに、「どうして大西さんはイギリスの大学院まで出たのに、国連とかオーソリティーな組織に入らなかったんですか」と聞かれて、正直に答えてしまったんですね。
坂之上 正直にって?
大西 「僕が育った大阪市北区というのは、右手には大塩平八郎中斎先生の記念碑、左手には山片蟠桃(やまがた・ばんとう)という町の中で最初に市民といわれた人の墓があったところですから、もともとあんまりお上を信用しない土地柄です。
だから官に就職するというのは頭にありませんでした」と答えたら、「お上の言うことは信用しない」というところを強調したタイトルの記事にされてしまったんです。それを見た宗男さんが怒ったわけです。
自分の庭を荒らしている
坂之上 そんなことだけで怒んないでしょ~。
大西 う~ん、でも事実そうだったみたいなんですよね。その少し前には毎日新聞にも、僕の名前が出たということも影響があったかと思います。塩崎恭久さん、河野太郎さん、下地幹郎さんという3人の政治家がタリバン政権崩壊後のアフガニスタンに行きたいというので、現場を案内したんですよ。
坂之上 案内したって……。そんな簡単そうに(苦笑)。
大西 そのとき彼らがアフガニスタン北部を占領していたドスタム将軍という人と会いたいというので、僕が仲介したんです。彼は伝説の将軍で、当然、タリバン政権崩壊の寸前まで反政府側だったので、外務省も大使館も一切連絡したことがなかった。
でも僕は彼を知っていたので、その場で本人に電話して、「OK出ました、行きましょう」という調子で引き合わせたんです。それで河野太郎さんが毎日新聞の記者に、「NGOの大西は外務省も知り得なかったドスタムの携帯番号を知っていたばかりか、外務省が無理だといった面会を電話一本で可能にしてしまった」という話をした。
それが僕の知らないうちに毎日新聞にデカデカと出てしまって、それを見た宗男さんがまた気分を害されたみたいです。これは後から聞いた話なんですけど。
坂之上 それは、つまりメンツをつぶしてしまったような?
大西 まあ、自分の庭を荒らしている、ってことだったんでしょうね。
坂之上 う~ん。
大西 でも僕たちは、新聞に出たことも、彼が怒っていることも気にかけず、政府主催のアフガンの復興会議に先立って、「アフガン復興NGO会議」というものを開いたんです。
外務省も非常に良いと言ってて、「復興にはNGOも重要な役割を果たすから、外務省の草の根予算でアフガンのNGOたちを呼ぼう」ということになったんです。ところがこれも、また宗男さんが途中で介入してつぶしてしまおうとしたんです。
「そんなことは前例にないだろう、まかりならん」って。
でも僕らとしてはもうアフガンのNGOを呼んでしまっている。今やめると言ったらグローバルで信用を失ってしまう。だから2000万円ぐらいかかりましたけど、われわれピースウィンズが負担してアフガン復興NGO会議を決行したんです。それがテレビや新聞で大きく取り上げられたんですよ。
坂之上 なんとなく、それ毎日のニュースだったような気がします(笑)。
大西 そう。今思えば、若造がつっぱってた部分もあります。でも、僕らからしたら、「日本のためにもなることなんだから応援してくれよ、足を引っ張るなんて、逆だろう」と思って、理不尽な話じゃないか!ととらえてたんです。
坂之上 それはそうですよね。
大西 ともかく、翌日に政府主催の会議を控えた夜中の1時半に、いきなり外務省の担当者から電話がかかってきて、「君の出席はやめてもらう」と言われてしまったんです。僕は当然、「そんなことはできません」と抵抗しました。
坂之上 それ怒るの当然ですよね。
大西 はい。ここで白旗を揚げたら、少なくともこの先10年間は日本のNGOの存在が消えてしまうだろう。だから、負けるわけにいかないと思ったんです。
坂之上 そもそもこじれた原因は、大西さんが生意気だったから? 本当にそれ以外の理由はないんですか?
大西 まともな理由は聞いたことがないですね。本当に理由にならない理由しか聞いたことがない。当時の外務省の人たちは、「大西君が間違ってるとは思わない。でも鈴木さんは理屈が通じない人だから、頼むから言うとおりにしてくれ」と言ってました。外務省からすればトカゲの尻尾切りで一件落着かもしれないけど、ここで屈服したらNGOがすたると思いましたね。
国籍を捨てる覚悟だった
坂之上 そんなに鈴木宗男さんの権力はすごかったんですか?
大西 まあ、当時は、影の外務大臣とも言われてたし、外務省は鈴木さんの言うことはどんなことでも基本的にノーと言えなかった。人事をいじられて何人かクビになってますし、それぐらい外交分野、特にODAでは実力者でした。”