【戦費爆増 軍拡反対❗️】日本国憲法前文〜政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやう | ☆Dancing the Dream ☆

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明石市長 泉 房穂(いずみ ふさほ)@izumi_akashi
“増税”を平然と『進めていきます』という感覚が理解できない。『国民の責任』を『われわれの責任』と修正すればすむという感覚も理解できない。『責任』を負っているのは、“国民”ではなく、“政治家”であり、その最高責任者が“総理”だ。総理、まさに『あなたの責任』です。


小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
首相の「国民の責任」発言→「われわれの責任」に修正 自民HP
本当に救いようがない。「批判が強いので、修正しておきますね」で本気で済むと思っている。もう遅い。自民党は真相を隠蔽するために言葉で誤魔化すことを散々繰り返してきている。完全に国民を馬鹿にしている。


立川談四楼@Dgoutokuji
「岸田首相の防衛費増額の財源を巡る発言『国民の責任』を自民党が『われわれの責任』と修正』」姑息だねえ、後の祭りなんだよ。公約でもなく使途も示さず国民に押し付けたじゃねえか。大きな反発に慌てて修正したのがバレバレなんだよ。なぜ防衛費増額ありきなんだ。それがそもそもの間違いなんだよ。


米山 隆一@RyuichiYoneyama
国民の生活を守るのは国の責任です。「防衛費倍増」を決めた以上、「増税」であろうが「国債」であろうが、その分だけ国民の生活は犠牲になります。そんな大切な事をいきなり「防衛費倍増」ありきで決めておいて、あたかも「増税」だけが悪いかのように言い募るなんてやり方は間違っています




“防衛増税”広がる波紋 岸田総理「国民の責任」 (2022年12月14日)
2027年度までの5年間で防衛費43兆円
1年1兆円強の増税:法人税、たばこ税、復興税






「反撃能力」保有で自民・公明が合意 
安全保障政策の大転換…“いつの間にか合意”懸念の声も
|TBS NEWS DIG 2022/12/03
自民・公明の両党は相手国にあるミサイル発射拠点などを叩く反撃能力について、保有することで合意しました。日本の安全保障政策の大転換ですが、懸念する声もあがっています。
■「反撃能力」保有で自公合意 なぜ必要?
社民党 福島みずほ党首
「実際は日本の国が攻められてないのに敵基地叩くんじゃないですか。
これはまさに先制攻撃、専守防衛に反するじゃないですか」
岸田総理
「専守防衛の姿勢もしっかり守ってまいります。先制攻撃ということにならないように、しっかりと新しいシステムについても考えてまいりたいと思ってます」
専守防衛とは「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使する」こと。戦後日本が掲げてきた安全保障政策の大原則です。
それが大きく変わるのでしょうか。
12月2日、自民・公明の両党は相手国にあるミサイル発射拠点などを叩く、「反撃能力」について保有することで合意しました。
これにより、ミサイル攻撃などの兆候があったとき、発射前に相手国にミサイルを撃ち込むことが可能になります。
「反撃能力」の保有を積極的に訴えてきたのが安倍元総理でした。
安倍総理 2022年4月の発言
「基地に限定する必要はない。向こうの中枢を攻撃するということも含むべきなんだろうと思っております」
では、なぜいま、「反撃能力」が必要なのでしょうか。
自民党・安全保障調査会 小野寺五典会長
「弾道ミサイル一つとっても、従来のミサイル防衛だけでは十分でない場合もありうる。とすれば、より重層的に国民を守るためには日本を攻撃するミサイル等をり防ぐための能力を持つべき」
北朝鮮や中国が相次いで行うミサイル発射実験。これらのミサイルを迎撃することは技術的に難しく、発射拠点への攻撃が欠かせないという理屈です。
自公は「反撃能力」の“歯止め”として「万(どうしても)やむを得ない必要最小限度の措置」という表現を盛り込むことで合意しています。
■スタジオで解説 「反撃能力」保有の懸念は?
国山ハセンキャスター:
「反撃能力」とは何なのか、改めて見ていきます。自民党が当初「敵基地攻撃能力」と呼んでいたものでして、相手国にミサイル攻撃などの兆候があったとき、発射前に相手国に攻撃することが可能となることです。ただこの反撃能力を保有することで、懸念点もいくつか生まれます。
与党の中で焦点となっていたのが、反撃のタイミングと対象です。タイミングについては国際法で禁じられている相手国への先制攻撃とみなされる恐れがある他、対象についても相手のミサイル基地以外の司令部などにも攻撃できるのか、線引きが曖昧となっています。
そんな中で、自民公明の両党は反撃能力の保有について12月2日、合意に至りました。
ただ懸念されていた反撃のタイミングと対象については基準は示されず、個別のケースで判断していくこととなりました。
小川彩佳キャスター:
そして反撃という理屈があるにしても相手国にとっては攻撃であることは間違いないわけで、そうした中でどういった懸念が他には上がっているんでしょうか?
国山キャスター:
他には日本が反撃することで、相手国の攻撃がより激しくなるのではないかという懸念の声も上がっています。11月29日の予算委員会で野党側は日本が反撃した途端、5倍10倍返しの攻撃を受けるなどと指摘しました。
それに対し岸田総理は、あくまで抑止力を高めてミサイルなどによる攻撃の可能性を一層低下させるのが基本的な考え方などと答えるにとどまりました。
スペイン戦の熱狂の裏でというのは、穿ちすぎかもしれませんけれどもそう感じてしまうぐらいに、いつの間にか合意に至っているという、そうした感覚がありますよね。
ただ、これは安保政策の大転換に繋がっていくわけですから、国民にとって不都合な部分も含めてきちんと示されるべきだと感じます。



反撃能力保有、立民が一部容認へ 
談話案判明、着手段階の一撃否定
2022年12/13(火) 21:42配信 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a3f3d070f901ae303c36ecf80c5bf74db019a14
 政府が安全保障関連3文書を16日にも閣議決定する際、立憲民主党が発表する談話の原案が判明した。敵の射程圏外から攻撃可能な「スタンド・オフ・ミサイル」について「防衛上容認せざるを得ない」と明記し、反撃能力の保有を一部認めた。「着手段階での第一撃は撃つべきではない」とも記し、先制攻撃の恐れがある反撃能力は否定。政府が想定する反撃能力に関しては「これまでの政府見解と異なり、専守防衛の枠を超える」と批判し、一線を画した。
 党関係者が13日、明らかにした。泉健太代表らは一定程度、現実的な安保政策を示したい意向。装備容認を盛り込み、反撃能力自体は全否定しない方向だ。


政府の「反撃能力」容認せず 立民、安保政策で素案
時事通信 2022年12月14日16時09分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022121400822&g=pol
 立憲民主党がまとめた安全保障政策の素案が14日、判明した。政府の掲げる「反撃能力」(敵基地攻撃能力)は容認できないとの考え方を明記。党内手続きを経て、早期の正式決定を目指す。
 素案は、反撃能力について、日本への攻撃着手の判断は現実的に難しく、先制攻撃と誤認されるリスクが大きいと指摘。日本から「第1撃は撃たない」と宣言する必要性を盛り込んだ。



ーーーーーーー 違憲・戦争法  ーーーーーーー
          ふりかえり


⭕️安倍政権の歪んだ人事
2代「番犬」法制局長官


賛成派ずらり、
7年越し念願=安保法制懇
The Wall Street Journal 2014 年 5 月 15 日 18:57 JST
https://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304408504579563430801840634
 安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が集団的自衛権の行使を認める報告書を打ち出した。座長の柳井俊二国際海洋法裁判所長(元駐米大使)らメンバーは、第1次安倍内閣の2007年に設置された当時とほぼ同じ顔触れで、首相は7年越しの念願をかなえた形だ。
 第1次政権では、公海上での米艦防護など4類型を議論。08年6月、集団的自衛権の行使を可能にするため憲法解釈変更を求める報告書を取りまとめたが、首相は既に退陣しており、大幅な外交・安全保障政策の見直しに慎重だった福田政権により提言はたなざらしとなった。
 第2次安倍内閣の安保法制懇は13年2月に再始動した。メンバーは柳井氏のほか、岡崎久彦元駐タイ大使ら首相の政策ブレーン、防衛省・自衛隊OB、保守系の学者ら、憲法解釈見直しに積極的な論者で占められ、計7回の会合で、行使容認に反対を唱える声は皆無だった。


謝金に飛行機代も…“憲法破壊”御用会議の目に余る税金浪費
日刊ゲンダイ 公開日:2014/05/17 07:00 

(抜粋) ”暴走首相の意向に従って、ハナから結論ありきで憲法9条破壊のヘリクツをまとめた「安保法制懇」。複数のメンバーが「単なるお飾りだった」と認めるほど、十分に仕事をしてこなかったクセに、我々の血税で日当や交通費を賄ってきた。安倍の「私的な会議」に税金を投入する根拠は不透明で、欧州在住の座長は高額フライト代まで付け回ししていた。
 平和国家ニッポンを捨て去る重大な提言をしながら、安保法制懇はあくまで首相の「私的な会議」なので、設置根拠となる法律や閣議決定は存在しない。昨年2月から今年2月まで計6回の会議を開いたが、議事録では発言者も分からない。
 ないない尽くしの会議が、とにかく不透明な手続きで安倍のためだけに「憲法破壊のヘリクツ」をまとめたわけだが、こんないい加減な会議にも、国民の税金が使われていたことが判明した。
 社民党の福島瑞穂参院議員の質問主意書に対し、安倍内閣が13日の閣議で決定した答弁書によると、会議を開催するたび座長に2万900円、他のメンバーに1万8000円の謝金を支給。12、13両年度に総額約140万円が渡っていた。
「驚いたのは、謝金が内閣官房の一般会計から支出されていたことです。安倍首相の『私的な会議』で、設置の法的根拠すらアヤフヤ。てっきり首相のポケットマネーか、機密費で経費を賄っていると想定していました。税金投入の根拠はサッパリ分かりません」(福島瑞穂事務所)
■内閣官房は「首相の私的諮問機関」を否定
 日刊ゲンダイ本紙の取材に内閣官房は「安保法制懇は俗に『首相の私的諮問機関』などと称されているが、政府は一度もそのように表現していない。一般会計から謝金を支出するにあたっても適切な手続きを踏んでいる」(国家安全保障局)と答えた。”


法制局長官に小松大使 
集団的自衛権解釈見直し派
2013年8月2日 11:02
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0200S_S3A800C1MM0000/
安倍晋三首相は2日、内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、後任に小松一郎フランス大使を充てる方針を固めた。8日にも閣議を開き、正式に決める。首相は集団的自衛権を巡る憲法解釈の見直し議論を進めており、小松氏は見直しに前向きとされる。法制局長官は内閣法制次長が昇任するのが慣例で、異例の人事となる。
小松氏は外務省で条約課長や国際法局長を務めるなど国際公法に精通している。山本氏は先月19日に最高裁判事を定年退官した竹内行夫氏(元外務次官)の後任に起用される見通しだ。
小松氏は第1次安倍内閣が設置した、集団的自衛権の行使を可能にするための検討をする有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の実務に携わった。懇談会は日米が共同で活動する際、危険が及んだ公海上の米艦船の防護など4類型を検討し、解釈変更を求める報告書をまとめた。小松氏はこの立案にかかわった。
首相は第2次安倍内閣の発足に伴い、懇談会を再始動させたが、2月に1度開いただけだった。8月後半から議論を再開する方針で、憲法解釈をつかさどる内閣法制局の人事の刷新と合わせて、懇談会の議論を加速させる。今回の人事は集団的自衛権の行使容認に向けた地ならしを進める狙いがあるとみられる。
菅義偉官房長官は2日の閣議後の記者会見で「人事は白紙」と断ったうえで、政権の人事は「順送りでなく、適材適所で行っている」と強調した。
小松 一郎氏(こまつ・いちろう)72年(昭47年)一橋大法中退、外務省へ。国際法局長、11年9月フランス大使。神奈川県出身、62歳。
山本 庸幸氏(やまもと・つねゆき)73年(昭48年)京大法卒、旧通産省へ。内閣法制次長、11年12月内閣法制局長官。愛知県出身、63歳。


小松法制局長官、24日登庁へ 
検査入院から1カ月
産経ニュース 2014.2.18 07:53
https://web.archive.org/web/20140219063011/https://sankei.jp.msn.com/politics/news/140218/plc14021807540003-n1.htm
 検査入院中の小松一郎内閣法制局長官が21日に都内の病院を退院し、24日から登庁する見通しであることが17日、分かった。複数の関係者が明らかにした。
 小松氏は体調不良のため1月23日に入院し、政府は翌24日付で横畠裕介内閣法制次長に内閣法制局長官事務代理を発令していた。小松氏の不在中、横畠氏が国会で集団的自衛権の行使容認に関する憲法解釈などについて答弁していた。
 政府は当初から小松氏の入院期間について約1カ月との見通しを示し、菅義偉(すがよしひで)官房長官は14日の記者会見で「1カ月をめどに何らかの形で明らかにできるのではないか」と語っていた。


2014/03/05 小松一郎・内閣法制局長官 


横畠裕介
2011年12月には法制局ナンバー2である内閣法制次長に就任した。
それまで内閣法制局長官は内閣法制次長からの昇格が続いており、横畠も長官就任が確実視されていたが、第2次安倍内閣は集団的自衛権の行使を可能とするよう憲法解釈を変更するために、行使容認派の小松一郎を2013年8月に長官に任命し、横畠は次長を続投することになった。2014年1月に小松が腹部の腫瘍のため入院したことにより、横畠は長官事務代理に就任。小松はいったんは退院して集団的自衛権行使容認の閣議決定に道筋を付け、同年5月に長官を退任(その後6月23日に死去)。横畠が後任として長官に昇格した。
2019年 (令和元年) 9月、第四次安倍再改造内閣発足により、内閣法制局長官を退任。
2020年 (令和2年) 5月27日、国家公安委員会委員に就任。


横畠内閣法制局長官に執着する安倍政権

週刊金曜日 西川伸一|2018年4月26日6:43PM
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2018/04/26/seiji-42/
内閣法制局でまた興味深い人事が行なわれた。近藤正春内閣法制次長の定年を来年3月末まで1年延長するというのだ。人事院規則で内閣法制次長の定年は62歳と決められている。より正確には、62歳に達して最初の3月31日が定年退官日となる。
近藤氏は1956年1月生まれなので、この3月31日に定年退官するはずだった。同日付の発令で、決め手は「来年4月30日に予定される天皇陛下の退位に関する憲法問題に精通しているため」とのことである(3月31日付『中国新聞』)。
私は今回の人事には別の理由があると考える。以前の当コラムで紹介したように、内閣法制局幹部の出世コースは慣例的にこう決まっている。総務主幹→第二部〜第四部(審査部)のいずれかの部長→第一部(意見部)の部長→次長→長官。次長は必ず長官に上がる。次長以下の職員は一般職国家公務員なので定年がある。一方、長官は特別職国家公務員ゆえ定年はない。定年を延長しなければ、近藤氏は長官になれなかった初の次長になってしまう。
実は次長の定年延長には前例がある。安倍晋三政権が上記の慣例を破って、駐仏大使だった小松一郎氏を長官に抜擢したのは、2013年8月のことである。当時の次長は横畠裕介・現長官である。1951年10月生まれの横畠氏は、14年3月31日で定年退官を迎えてしまう。
そこで同日付で定年を1年延長する人事が決められた。健康面での不安を抱える小松長官を支えるという理由付けもできた。その小松長官が14年5月に退任し、横畠氏が長官に、第一部長の近藤氏が次長に就いた。

近藤氏は定年延長によって来年3月までに長官に上がればよく、横畠氏はそれまで長官に留まれる。すると5年近くの異例の長期在任になる。
憲法解釈を変更し集団的自衛権行使を可能にした「功労者」である横畠長官に、政権が寄せる信頼は厚い。内閣法制局の中では「昭和の高辻、平成の横畠」と言われているらしい。高辻正己長官は7年8カ月在任し、佐藤栄作政権を支えきった。安倍政権も横畠氏を手放したくなかろう。
ただ、横畠氏の長期在任によって幹部人事が滞るのではないか。ところがそれはない。農水省出身の林徹・現第一部長は次長になれないからだ。内閣法制局には「四省責任体制」という慣行がある。長官・次長には法務省、旧大蔵省、旧通産省、旧自治省のどれかの出向者がなるというものだ(牧原出編『法の番人として生きる 大森政輔元内閣法制局長官回顧録』岩波書店)。
したがって、林氏を今年中に第一部長から退かせて、第二部長〜第四部長の3人の中から1人を第一部長とし、近藤氏の長官昇格に伴って次長に上げる人事が予想される。3人の部長のうち北川哲也第三部長は旧郵政省出身なので外れる。岩尾信行第二部長(法務)と高橋康文第四部長(大蔵)が残る。入省年次により高橋氏が上がるとしよう。1959年5月生まれの高橋氏は定年に達する2022年3月までには長官になろう。言い換えれば、近藤氏は19年4月に長官に就いても3年程度は在任できる。標準的な在職期間となり、近藤氏は面目を保てる。
横畠長官への政権の執着と近藤氏の名誉保持の観点から、今回の人事は練られたのではないか。
(にしかわ しんいち・明治大学教授。2018年4月13日号)


2015 09 04 参議院平和安全特別委員会 
小西洋之議員 vs 横畠法制局長官

1:26:00〜



⭕️決定的証拠❗️
S47年政府見解
集団的自衛権行使=違憲


2015/05/21【スクープ!】追加有_「集団的自衛権行使容認の閣議決定」が覆る決定的根拠! 「昭和47年政府見解」の知られざる真実を小西洋之議員が暴露!!


もう1つの昭和47年見解 岩上安身による小西洋之参議院議員緊急インタビュー(2015年9月19日)


参院安保特委・公聴会:濱田元最高裁判事
「今は亡き法制局」 強引な読み換え「法匪」


元最高裁判事・濱田邦夫 「今は亡き内閣法制局」と批判「採決強行は問題」2015年9月15日公聴会
法匪である。

✔︎国会議事録
第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会 第1号 平成27年9月15日

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118913930X00120150915&current=9
公述人(濱田邦夫君) 弁護士で元最高裁判所裁判官の濱田邦夫でございます。
 私は、今、坂元公述人が言われた立場と反対の立場を取るものです。その理由についてこれから申し上げます。
 まず、私の生い立ちというか、ちょっと御紹介したいんですが、七十年前、私は九歳の少年でした。静岡市におりまして、戦災、戦争の惨禍というか、その状況をある程度経験しておりますし、それと駐留軍が、占領軍が、米軍が進駐をしてきて、その米軍の振る舞いというか、それも見ております。また、いわゆる戦後民主主義教育の言わば第一陣の世代ということでございます。
 その後、日本は戦争をしないということで経済的に非常に成長を遂げ、その間、私自身は弁護士として、主として海外のビジネスに携わって国際経験というものを積んでおります。最高裁では、私のような経歴の者が最高裁に入るのはちょっと異例ではございましたけれども、それなりにいろいろ貴重な経験をさせていただきました。
 今回、こちらの公聴会で意見を述べさせていただくバックグラウンドというものを一応紹介させていただきました。
 安倍総理大臣がこの特別委員会で申されていることは、我が国を取り巻く安全保障環境が著しく変わっていると、そのために日米の緊密な協力が不可欠だということをおっしゃっています。そのこと自体についてはいろいろ考え方があり得るので、戦後、昭和四十七年に政府見解というのが出ておりますけれども、その当時は日中国交回復、沖縄返還に続いて日中国交が回復したというような状況で、冷戦体制というものがありましたので、その状況と比較してもう全然違うという認識がよろしいのかどうか疑問があるところだと思います。
 それから、その次に安倍総理がおっしゃっていることは、今の子供たちや未来の子供たちへと戦争のない平和な社会を築いていくことは政府の最も重要な責務だと、平和安全法制は憲法第九条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くために不可欠な法制であるとおっしゃっているのですが、趣旨は全く賛成でございます。
 私も四人孫がおりまして、今日ここにいるというのも、この四人の孫のみならず、その世代に自由で平和な豊かな社会を残したいという思いからでございますが、憲法九条の範囲内ではないんじゃないかというのが私の意見でございます。
 その根拠としては、一つ挙げられることは、我が国の最高裁判所というところは、成立した法律について違憲であるという判断をした事例が非常に少ないと。ドイツとかアメリカは割合頻繁に裁判所が憲法判断をしておるわけですけれども、日本はしていないということを海外に行きますとよく聞かれます。その理由は、日本の最高裁判所は、アメリカの最高裁判所と同じように具体的な事例に基づいての憲法判断ということで、抽象的に法令の合憲性を判断する、いわゆる憲法裁判所とは違うということにあります。
 なぜ日本では裁判所に、司法部に憲法判断が持ち込まれないかというと、これは、今はなきというとちょっと大げさですけれども、内閣法制局というところが六十年にわたって非常に綿密に政府提案の合憲性を審査してきたと。この歴史があったがゆえに、裁判所の方はそういう判断をしないでも済んだということがございます。
 今回の法制については、聞くところによると、この伝統ある内閣法制局の合憲性のチェックというものがほとんどなされていないというふうに伺っておりますが、これは、将来、司法判断にいろいろな法案が任されるというような事態にもなるのではないかという感じがします。
 それと、今の坂元公述人のお話を聞いていますと、大丈夫だ、これで最高裁は違憲の判断をするわけないとおっしゃっていますが、私がここに出てきた一つの理由は元最高裁判所裁判官ということですけれども、これは、裁判官、私も五年間やりましたが、そのルールというか規範として、やはり現役の裁判所裁判官たちに影響を及ぼすようなことは、OBとしてはやるべきではないということでございます。
 私がこの問題について公に発言するようになったのはごく最近でございます。それは、非常に危機感がございまして、そういう裁判官を経験した者の自律性ということだけでは済まない、つまり日本の民主社会の基盤が崩れていくと、言論の自由とか報道の自由、いろいろな意味で、それから学問の自由、これは、大学人がこれだけ立ち上がって反対をしているということは、日本の知的活動についての重大な脅威だというふうにお考えになっているということがございます。
 それで、本来は憲法九条の改正手続を経るべきものを内閣の閣議決定で急に変えるということは、法解釈の安定性という意味において非常に問題がある。つまり、対外的に見ても、なぜ日本の憲法解釈が安定してきたかということは、今言ったように、司法判断がありますが、それを非常にサポートするというか、内閣の法制局の活動というものがあったわけですけれども、これが一内閣の判断で変えられるということであれば、失礼ながら、この内閣が替わればまた元に戻せるよということにもなるわけです。その点は、結局は国民の審判ということになると思います。
 法理論の問題としては砂川判決とそれから昭和四十七年の政府見解というのがございますが、砂川判決については、御承知のように、元最高裁判所長官の山口繁さんが非常に明快に述べておりまして、それと、私自身もアメリカ・ハーバード・ロースクールで勉強した身として、英米法の論理のレイシオ・デシデンダイという、つまり拘束力ある判決の理由と、それからオビタ・ディクタムという、つまり傍論、そういうことは、日本に直接は適用がなくても、基本的には日本の最高裁判所の判決についても適用されると思っておりまして、砂川判決の具体的事案としては、駐留軍、米国の軍隊の存在が憲法に違反するかということが中心的な事案でございまして、その理由として、自衛権というものはあるという抽象的な判断、それから統治権理論ということで、軽々に司法部が立法府の判断を覆すということは許されないということが述べられておりますけれども、個別的であろうが集団的であろうが、そういう自衛隊そのもの、元は警察予備隊と言っていた、そういう存在について争われた事案ではないという意味において、これを理由とするということは非常に問題があるということでございます。
 それから昭和四十七年の政府見解につきましては、お手元に、重複になるとは思いましたけれども、お配りした資料というのがございますが、それを見ますと、カラーコピーで赤い判こが出ていますけれども、この関与した吉國長官とか真田次長、総務主幹、それから参事官、そういった方々が国会でも証言しているように、このときには、海外派兵というか、そういった集団的自衛権というものそのものは政府としては認められないと。それと、内閣法制局なりその長官の意見というのはあくまで内閣を助けるための判断でございまして、そのアドバイスに基づいて歴代の内閣が、総理大臣が決定した解釈でございます。
 それで、今回私も初めて目にした資料が、そのとき防衛庁というところが「自衛行動の範囲について」(小西洋之・質問注意書、小西ブログhttps://ameblo.jp/konishi-hiroyuki-524/entry-12554845402.html 」という見解をまとめて、それを法制局の意見を求めたということでございまして、手書きのところには防衛庁とありますが、ワープロに打ち直したところは防衛庁という記載がございませんけど、いずれにせよ、これは防衛庁のものとして認められて、そのとき国会にも出されております。
 この四十七年の政府見解なるものの作成経過及びその後の、その当時の国会での答弁等を考えますと、政府としては、明らかに外国による武力攻撃というものの対象は我が国であると。これは日本語の読み方として、普通の知的レベルの人ならば問題なく、それは最後の方を読めば、「したがって」というその第三段でそこははっきりしているわけで、それを強引に外国の武力攻撃というのが日本に対するものに限られないんだというふうに読替えをするというのは、非常にこれは、何といいますか、法匪という言葉がございますが、つまり、法律、字義を操って法律そのもの、法文そのものの意図するところとは懸け離れたことを主張する、これはあしき例であると、こういうことでございまして、とても法律専門家の検証に堪えられないと
 私なり山口元長官が言っていることは、これは常識的なことを言っているまでで、現裁判官、現裁判所に影響を及ぼそうということじゃなくて、普通の一国民、一市民として、また法律を勉強した者として当然のことを言っているまででございますので、私は、坂元公述人のように、最高裁では絶対違憲の判決が出ないというふうな楽観論は根拠がないのではないかと思っております。
 それで、時間が限られておりますのでそろそろやめなければなりませんが……(発言する者あり)大丈夫ですか。
 このメリットとデメリットのところで、抑止力が強化されてということですけれども、御承知のように、韓国、北朝鮮、中国その他、日本の武力強化等については非常に懸念を示しております。そういう近隣諸国の日本たたきというか、根拠がない面がかなりあるとは思いますが、それは国内的な事情からそれぞれ出てきている面が非常に強いわけですから、それに乗っかってこちらがこういう海外派兵、戦力強化というか、こういう形をしますと、それを口実にして、それらの近隣諸国たちが自分たちの国内政治の関係で対外脅威を口実として更にそういった挑発行動なり武力強化をすると。
 つまり、悪循環になるわけで、これは今の中東で問題になっておりますところのイスラミックステートに米国始め有志国が束になって爆撃をしてもすぐに収まらないということを見ても分かるように、このようなものは戦力で解決するものではなくて、日本は、この戦後七十年の中で培った平和国家としての技術力とか経済力とか、それから物事の調整能力ですね、これはつまり戦力によらない形で世界の平和、世界の経済に貢献していくと。この基本的なスタンスを守る方がよほど重要なことでございまして、今回の法制が通った場合には非常に、在外で活動している、人道・平和目的のために活動している人のみならず、一般の企業も非常にこれはマイナスの影響を受けるということで、決してプラスマイナスをした場合に得になることはないというふうに思います。
 それで、英語では政治家のことをポリティシャンステーツマンという二つの言い方がございまして、御承知のように、ポリティシャンというのは、目の前にある自分や関係ある人の利益を優先すると。ステーツマンというのは、やはり国家百年の計という、自分の子供、孫子の代の社会の在り方というものを心して政治を行うと。どうか、皆様、そういうスタンスからステーツマンとしての判断をしていただきたいと思います。
 国際的には、今度の法制についても、その論理的整合性とかそういうことが問題にされ得るわけですから、まして、日本人の中でまだ全体が納得していないような状況で採決を強行するということは、日本という国の国際的信用の面からも問題があるのではないかと。
 私は、政治家の皆様には、知性と品性とそして理性を尊重していただきたいし、少なくともそれがあるような見せかけだけでもこれはやっていただきたいと。それは、皆様を選んだ国民の方にも同じことだと思います。
 そういうことで、是非この法案については慎重審議されて、悔いを末代に残すことがないようにしていただきたいと思います。
 ありがとうございました。



⭕️平和憲法
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第二章 戦争の放棄第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



⭕️憲法前文の解釈
「法の番人」吉國法制局長官

✔︎国会議事録
第77回国会 参議院 予算委員会 第9号 昭和51年5月7日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=107715261X00919760507&spkNum=5&current=3

○源田実君 朝令暮改は私も賛成ではございません。しかしながら、非常に重要な問題が長い間にわたって国論の分裂というようなことを生じておるような場合には、これは特別にまた考えなきゃならぬと考えます。
 ところが、この憲法の中で——私は大体旧制中学四年修了程度、一般学力はそれしかありません。あとは専門的な部門に入ったもので、こういうものに対して旧制中学四年修了程度の学力、しかし、そういう非常に学力の程度の低い者が見てもどうにも解釈のできない問題がある。というのは、この前文の第一項の中に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」ということが書いてあります。この「政府の行為」ということによって戦争の惨禍が起きることがないという、この「政府」というものの解釈は、四日に外務大臣がアメリカの広範な意味の政府ということを言われましたが、これは行政府を指すのか、それとも立法府、司法府、こういうものを全部含めた大きな意味のガバメントを指すのか、この点は、法制局長官、どうお考えですか。

○政府委員(吉國一郎君) 憲法の前文の第一段にございます「政府」の言葉は、これは狭い意味の行政府を指すのではなくて、国家の統治機関全体を指すものというのが、これはもう学界の通説であろうと思います。

○源田実君 そうすると、この広い意味の政府——狭い意味でも同じようになると思いますが、現在の憲法下において、国民の意思に反して戦争に入るということは、どう考えてもないと思うのです。そういう危険があるのかどうか、この点ひとつ、これはやはり総理にお伺いしたいと思いますが、それとも法制局長官、どちらでもよろしいです。

○政府委員(吉國一郎君) この前文の第一段で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」と書いてございますのは、ただいま申し上げましたように、戦争の主体が国家である、戦争を起こすことの決定は国政の運用に当たる国家機関によってなされるということに着目したからであると考えられるのでありまして、その趣旨といたしますところは、要するに、わが国民がかつて体験したような戦争の惨禍が起こることがないようにするという日本国民のかたい決意を表明したところにあると考えられまして、これは憲法の基本原則の一つであるところの平和主義を強調したものであるというのが現在の前文の解釈であろうと思います。

○源田実君 それならば、なぜここに政府の行為によりという文句が必要なのかどうか。日本国民は再び戦争というものをやらないという決意をここに表明するだけで、その方がむしろすっきりする。政府の行為によると言うと、戦争をやるのは、政府というものがあって、これはうっかりできないものである、よほど監視しなければ危ないことをやる存在である——これはアメリカの独立宣言の中にちょっとそういう文句がありますが、そういうようなアメリカ流の考え方であって、日本では政府が独断で勝手に戦争をやることはもちろんできない。そういうものが、これを見ると、やるかもしれないような疑いを持つようになりますが、この点どうお考えになりますか。

○政府委員(吉國一郎君) それは、その前文のその言葉の次に、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書いてございますが、憲法制定の当時における考え方は、従来の、過去の戦争が国家機関の手によって行われ、その惨禍を日本国民がひとしく受けたというところに着目をいたしまして、どうしてもそういうことが起こることがないようにしよう、そこで国民主権ということを確立することによって過去のそのような例が起こることがないようにするというかたい決意を表明したものであるということが大方の憲法学者の解釈でございます。私もそのとおり考えております。

○源田実君 そうすると、もう戦後三十年たった。そうして今後また三十年なり五十年なり百年なりたった場合には、もう実績が十分出れば、こういう、政府に対して重大な疑いを持たせるようなことは、自分らが選んだ政府であって、それをみずから疑うというような形のものについては再検討を要すると思いますが、いかがでしょうか。

○政府委員(吉國一郎君) この憲法の前文にしろ、まあ他の法律にも前文が入っているものがございますが、憲法なりあるいは重要な法律を制定するいわば動機となった立法者の意思を表明するものでございまして、日本国憲法制定が昭和二十一年の十一月三日に行われましたが、そのときにおける日本国民の理念を表明したものでございまして、過去の事実であるということになればそのとおり過去の事実であるかもしれませんが、日本国憲法制定の原由となった考え方を示すものでございまして、新たに憲法を制定するということになればこれは別問題でございますが、日本国憲法が存続する限り、この憲法制定の由来を示した前文はそのまま存置して何ら差し支えないものであると思っております。

○源田実君 次に、ここに憲法制定の原理が書いてあって、それから、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」というのがあります。ところが、私は、ちょっとこれは法律的には問題ないかもしれないが、道義的な意味から言いまして、旧憲法七十三条によって新憲法が制定された。ところが、新憲法ができると同時に旧憲法は排除する。旧憲法というものを、これを新憲法を生む道具として使って、まあ俗な言葉で言うと、腹は借り物というような考え方がここにあると思うのですよ。これは神聖な憲法を扱う場合に、腹は借り物的な概念を与えるようなこの表現方法は、はなはだどうも納得できないんですが、納得できるでしょうか、これは。

○政府委員(吉國一郎君) 新憲法の制定と申しますか、日本国憲法の制定が法理論的にどういうものであるかということについては、いろんな学説があることは御指摘のとおりでございます。ただ、政府といたしましては、これはあくまでも旧大日本帝国憲法第七十三条の改正手続によって旧大日本帝国憲法が改正されて、その改正された後の姿として日本国憲法ができたものであると考えておりまして、その間、法理的に何ら矛盾はないものであると考えております。

○源田実君 私は、いまも言いましたように、法理的には矛盾はないかもしれません。しかし、道徳的というか、七十三条だけ使って、でき上がったらすぽっと親の方は切り離してしまうという、こういう考え方はわれわれ日本民族の伝統的の考え方の中にはないと思うんですがね、これはいかがでしょうか。

○政府委員(吉國一郎君) ただいま申し上げましたように、旧大日本帝国憲法第七十三条では、憲法の改正手続を定めております。その改正手続によって、もちろん旧憲法は欽定憲法でございましたので、その改正手続も天皇が発議をされて、それで当時の帝国議会が審議をして、それをさらに天皇が裁可されるという形で改正が行われたわけでございます。改正が行われて新しい憲法の基本原理は国民主権ということにあることは御承知のとおりでございます。そこで、人類普遍の原理である国民主権に反するような一切の憲法、法令及び詔勅を排除するということを言っただけでございまして、大日本帝国憲法第七十三条の規定によって改正手続が行われ、その改正が行われた結果、国民主権というものが確立をされた。国民主権が確立される以上は、それに矛盾抵触するようなあらゆる法令、詔勅は排除されることは当然でございまして、法理的のみならず、一般の理念としても何らそこに矛盾するものはないと私どもは考えております。

○源田実君 こういう問題、長く、よく私が納得できるように説明していただく時間もありませんから、ここらでこれは切りますけれども、この新憲法ができたのは旧憲法七十三条であるが、その七十三条には「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要」云々と、これ、条項なんですね、条項であって、全部変えるということはここには規定がありません。
 それからもう一つは、七十五条には、「憲法及皇室典範ハ攝政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」、占領中日本は、これはポツダム宣言でも言っておるように、日本の統治権というものは一時たな上げ、陛下の統治権というものはたな上げになっておったんじゃないか、これは占領軍の最高司令官が握っておった、こういうことになっておるんじゃないでしょうか。これはいかがですか。

○政府委員(吉國一郎君) 御指摘のように、新憲法が連合国軍の占領下というきわめて異常な事態の中で制定されたということは事実でございますけれども、当時、旧憲法第七十五条にございましたように、摂政が置かれていたわけではないのでございますから、旧憲法第七十五条に矛盾するということは全くございません。法理論上は特に問題はないものと思っております。
 それからもう一つ、旧大日本帝国憲法第七十三条には、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ」云々とあって、この憲法全体を改正することはできないのではないかというような御議論がございましたけれども、これは一条項、つまり数個の条なり数個の項を改正することのみを言っているわけではなくて、基本的に旧大日本帝国憲法全文を改正することも、この第七十三条の規定によってできるものと私どもは考えております。

○源田実君 次に、前文の第二項の中に、「日本国民は、恒久の平和を」云々とありまして、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」と、こうあります。「人間相互の関係を支配する崇高な理想」、これを深く自覚する、この「人間相互の関係を支配する崇高な理想」というのは、具体的に言うとどういうことになるでしょう。

○政府委員(吉國一郎君) 憲法の前文の第二項と申しますか、第二段は、本文の第九条及び第九十八条第二項の規定と相まちまして、わが国は平和主義、国際協調主義の立場に立つことを宣明したものであると思います。そこの中に、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」という文言がございますが、これは、たとえば友愛でございますとか、信頼でございますとか、あるいは協調というような、民主的な社会の存立のために欠くことのできない人間と人間との関係を規律する最高の道徳律を言うのだというのが、これまた大方の憲法学者の説明でございます。私もそのように考えております。また、「深く自覚する」ということは、わが国が他から押しつけられて受動的にこの平和主義の原則を宣明したということではなくて、人類の崇高な理想を深く自覚した結果、みずから進んで、他から押しつけられたものではなくて、みずから進んで決意したということを示すものとして「深く自覚する」という文言を使ったものと解釈をいたしております。

○源田実君 次に、第十一条及び九十七条についてお伺いしますが、十一条では「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」となっております。この「与へられる」は、これはだれから与えられるか。それをどうお考えになりますか。

○政府委員(吉國一郎君) これは、わが国におきましては、いわば自然権——自然権と申しますか、自然法という考え方がございます。この自然法に基づいて付与される権利が自然権である。天賦人権の思想というものがございますが、そういうような考え方が基礎にあるものでございます。この基本的人権がだれによって与えられたかということは、宗教思想が深く浸透している国におきましては、三位一体である神あるいは天地創造の主というようなものによって与えられたというような解釈をする国もございますけれども、わが国においてはそのような考え方ではなくて、いわば自然権、天賦人権の思想というようなものによってこれが付与されたということに相なると思います。

○源田実君 それで、自然権として一応了解しますが、そうすると、九十七条。九十七条には、「これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」、こうなっておる。十一条は与えられたんで、これはいただいたものである。こっちは信託された。信託というのは、この意味は与えると同じ意味なのか。この日本文の憲法を英文に直したのを見ると、やっぱりイン・トラストという言葉が使ってある。そうすると、もし信託なら、信託銀行みたいに預けたものを返してくれというようなことも考えられるんですが、ここはなぜこの表現がこう変わらなきゃならぬのか、お聞きしたい。同じではいけないのかどうか。

○政府委員(吉國一郎君) 御指摘のように、憲法第十一条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」、その後に、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と書いてございます。また九十七条では、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、」——途中を省略をいたしまして、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」。その間に、「与へられる」という言葉と「信託」されるという言葉が違っておることは御指摘のとおりでございます。いずれにいたしましても、基本的人権は、人が生まれながらにして持つ人間の本来享有すべき天賦の権利であるという自然法的な考え方のあらわれでございまして、格別の差異は認められないと思いますが、強いて申し上げまするならば、第十一条は基本的人権の享有の基本規定でございまして、第九十七条は基本的人権の本質をさらに念を押してうたったもので、そこで、「信託された」という言葉の中には、ただいま御指摘がありましたように、預かったものであるというニュアンスがございますけれども、その預かりものとして大切にすべきである、また一般の、自分自身ばかりでなくて、一般の福祉のために活用しなければならないというような積極的な意味を持っているものであるという、憲法学者の中にもそういう説がございます。強いて、与えられるという言葉と信託されるという言葉の違いを指摘をして説明をすれば、まさにそのとおり、第十一条においては、いわば消極的にそういう権利が付与されるということを言っているだけに対して、第九十七条は、信託されたものである、預けられたものであるから大切に保持をして、自分自身のために使うばかりじゃなくて、一般の福祉のために使わなければならないという理念を秘めたものであると解釈することも一つの考え方であろうと思います。