【高尾山登山・チーム安倍と統一教会】類は類を呼ぶ〜カルト政権 | ☆Dancing the Dream ☆

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安倍政権というのは、まったく悍ましい政権だった。
国民の抗議運動をゴリゴリ踏みつけていく、まるで石の車輪のついた装甲車のような楽車の上で、ウソと誑かしと威嚇を繰り返し踊り狂った”チーム安倍”。
第二次安倍政権が孵化する過程を知れば知るほど、反社会的なのは統一教会だけでなく、”チーム安倍”なるもの自体、反社会的な存在だったのだと思わざるを得ない。
彼らは彼らで山の神にすがらねば息もできないほど死にもの狂いの権力抗争を繰り広げてきたのだろう。

なんなのだ? この害虫共は!




@高尾山 チーム安倍with🏺 
2012年4月30日


安倍晋三元首相@高尾山
2012年4月30日、高尾山を登り終えた安倍晋三元首相。




【後方一列】長谷川榮一、萩生田光一、✔︎関係者(小川榮太郎:白シャツリュック )







@伊勢神宮  小川榮太郎with🏺

小川榮太郎、🏺小林幸司


桜を見る会 🏺

🏺小林氏は、2013年〜2016年の「桜を見る会」に4回連続で招待



小川のような人間のクズ、
社会のダニが表舞台に

『新潮45』廃刊の真相と小川榮太郎氏の正体とは(前編)
出版業界に衝撃!ネットの炎上が止まらない理由

適菜 収 2018.10.02
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/9680/
(抜粋)
”杉田原稿の余波
 歴史あるノンフィクション雑誌『新潮45』が廃刊になった。私も長年にわたり愛読していたし、連載執筆陣の一人でもあった。
 原因は文芸評論家を自称する小川榮太郎という男(51歳)が描いたトンデモ記事が誌面に掲載され、社会問題になったからだ。 (小川榮太郎氏の「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」が掲載された『新潮45』10月号)”
" 2018年9月21日、新潮社の佐藤隆信社長は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」と談話を発表。9月25日、編集体制の不備を理由に休刊(事実上の廃刊)が発表された。
 評論家の宮台真司は、「安倍晋三さんの提灯記事で知られる小川榮太郎氏の文は特にクズ」「クズにはクズと罵倒するのが正しい」と言っていた。まったくその通りだが、小川のような人間のクズ、社会のダニが表舞台に出てくるようになった原因と、現在のわが国の腐り果てた状況との関係を急いで明らかにする必要がある。それが『新潮45』に対するせめてもの供養になると思う。"
” 小川榮太郎という名前を初めて聞いたのは5年くらい前のことだ。当時私は産経新聞に連載を持っていたので、『正論』や『WiLL』といった雑誌の人たちとのおつきあいもあった。 こうした界隈の連中からさえ、自己評価が異常に高い変な男ががいるという話が伝わってきた。宗教団体の生長の家や統一協会と関係があるという話は聞いたが、特に興味はなかった。”
” 安倍のヨイショ本をアルバイトで書いたら大金が入ってきたので、のぼせあがってしまい、自分を「伝統保守主義者」「文豪」と思い込むようになった。普段は『正論』『WiLL』『Hanada 』といった特殊な雑誌に妄想を連ねていたので、特に問題になることはなかった。”
” しかし、今回は『新潮45』という一般誌にひょっこり登場したので、当然問題になったというだけの話だ。それで、最終的にワイドショーでも報道され、お茶の間にもバカがばれた。小川の正体が世の中に伝わったという点においては、今回の件も意味がないとは言い切れない。”


新潮社出版部文芸@Shincho_Bungei
声明を出しました。

午後5:31 · 2018年9月21日·Twitter for iPhone


岸田はおかしくなっている!
性差別発言や統一教会擁護の極右安倍応援団・小川榮太郎をブレーンに 
国葬も小川の進言か
LITERA 2022.09.23
https://lite-ra.com/2022/09/post-6229_4.html







🏺阿部正寿
”世界戦略総合研究所会長。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「12双」の一人であり[2]、教団の広報委員長を務めた。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿部正寿
2010年2月6日、世界戦略総合研究所は、都内で開いたシンポジウムに安倍を講師として招き、安倍は「保守再生」をテーマに講演を行った。
2012年4月30日、世界戦略総合研究所は、同年9月の自民党総裁選を見据えイベントを企画。安倍、妻の安倍昭恵、側近の今井尚哉、世界戦略総合研究所長の阿部、同事務局次長の小林幸司、同筆頭理事の加藤幸彦らは高尾山に登り、安倍の捲土重来を祈願した
同年12月の衆院選を経て安倍が首相に就任すると、阿部は翌2013年2月、エマヌエル阿部有國の筆名で『安倍政権の強みがわかる―日本 [精神] の力』(平成出版)を出版。同書においてこう記した。
何とか保守政権を樹立すべく私なりに努力してきた。そしてその中心人物は安倍晋三氏でなければならないと決めてきた。これは単に相応しい人物というより、天の摂理から見て安倍晋三氏であるべきだと感じたからである。
2014年12月の衆院選に際し、阿部と小林は、世界日報社社長の木下義昭、同政治部長の早川一郎、世界平和女性連合の東京第六連合会の事務局長らとともに文部科学大臣の下村博文を支援した。”https://ja.wikipedia.org/wiki/世界戦略総合研究所
 




🏺一般社団法人世界戦略総合研究所
日本の保守系シンクタンク。日本国家戦略研究所を前身とする。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連政治団体である。
概要・沿革[編集]
統一教会の広報委員長、国際勝共連合の事務総長を務めていた阿部正寿は「『統一原理』が人生の根本問題を解決する真理であることをわかりやすく説いていく」ことを中心に据え、宗教ならびに政治活動を行っていた。そして2000年に小林幸司とともに日本国家戦略研究所を設立。
2008年、世界戦略総合研究所へ名称変更。
安倍政権との結びつき
2009年8月の衆院選で民主党が大勝し、自由民主党が下野。自民党の野党時代に世界戦略総合研究所と安倍晋三との関係が深まる。2010年2月6日、世界戦略総合研究所は、都内で開いたシンポジウムに安倍を講師として招き、安倍は「保守再生」をテーマに講演を行った。
2012年2月、世界戦略総合研究所の阿部と小林は、安倍の側近と言われた下村博文と交流する勉強会に参加。
同年4月30日、世界戦略総合研究所は同年9月の自民党総裁選を見据えイベントを企画。世界戦略総合研究所長の阿部、同事務局次長の小林幸司、同筆頭理事の加藤幸彦らは、安倍、妻の安倍昭恵、側近の今井尚哉とともに高尾山に登り、安倍の捲土重来を祈願した。
同年7月30日、「新しい政治の潮流」と題したシンポジウムを憲政記念館で開催。パネリストとして安倍、中川秀直を招いた。11月1日、一般社団法人世界戦略総合研究所に組織変更。
安倍は9月26日に行われた党総裁選で勝利をおさめ、12月の衆院選を経て首相に返り咲いた。下村は文部科学大臣に就任した。小林幸司は「内閣総理大臣に対し、各界において功績、功労のあった」者として、2013年から2016年まで「桜を見る会」に招待される栄誉に浴した。
2014年12月の衆院選に際し、阿部と小林は、世界日報社社長の木下義昭、同政治部長の早川一郎、世界平和女性連合の東京第六連合会の事務局長らとともに、下村を積極的に支援。翌2015年8月の教団の名称変更の実現に寄与した。
安倍晋三銃撃事件以後
2022年7月8日、安倍晋三が奈良市で銃撃され死亡。7月11日午後から、日本でも、統一教会と政治家との繋がりが大手メディアで取り沙汰されるようになるが[14][、7月30日、世界戦略総合研究所の阿部正寿会長は「当研究所はどの団体、人物からも一切の干渉を受けない独立した研究所である」「世界平和統一家庭連合からは、協力、支援、援助を受けたことはない」「また、当法人から世界平和統一家庭連合に対して、協力、支援、援助をおこなったことは全くない」「私は国際勝共連合の事務総長を努めていた」との声明を発表した。統一教会のダミー団体であることを否定し、『2011年2月、「立て直そう日本・女性塾」の定例会に講師として呼ばれた私は、主催者である伊藤玲子先生と深く意気投合、また、教育評論家の小林正先生、現在当団体の副会長を務めるK氏等と共に、交流会を重ね、これをベースに現在の世界戦略総合研究所の法人化が推進されたのです。』と説明した(「立て直そう日本・女性塾」は「建て直そう日本・女性塾」の誤字と思われる)。事務局長の小林も『文藝春秋』の取材に対し、同様の回答をした。



【高尾山 新春宣伝】「安倍政治を終わらせよう」小池晃書記局長が宣伝/ 笠井亮・宮本徹・吉良よし子・山添拓衆参議員も
日本共産党東京都委員会 Byjcp-tokyo 1月 3, 2019
https://www.jcp-tokyo.net/2019/0103/30649
9条改憲ノー, 吉良よし子, 宮本徹, 小池晃, 山添拓, 清水ひで子, 笠井亮
日本共産党の小池晃書記局長・参院議員は1日、東京都八王子市の高尾山の登り口で、笠井亮、宮本徹両衆院議員、吉良よし子、山添拓両参院議員、清水ひで子都議、5人の八王子市議・市議予定候補とともに、春の地方選で共産党の躍進を勝ち取り、市民と野党の共闘で参院選を勝利し「力を合わせて安倍政治を終わらせよう」と呼びかけました。

高尾山登り口で訴える(左から)宮本、山添、笠井、小池、吉良、八王子市議・予定候補の各氏ら=1日、東京都八王子市(「しんぶん赤旗」提供)
新春の初詣に行き交う人が次々に足を止め、写真を撮る人の姿もありました。
小池書記局長は、安倍政権が今年狙う消費税増税について「ポイント還元や商品券で戻すぐらいなら、増税しなければいい」と批判。
平成の30年は消費税の30年でもあったと指摘し、庶民と中小企業いじめの政治を転換し、大企業・富裕層に応分の負担を求め、軍事費を福祉に回し、「平和で憲法が息づく政治を実現しよう」と訴えました。
参院選で東京選挙区予定候補の吉良議員は「働き方」改悪法はじめ、安倍政権の悪法強行により、「傷つく人が出ている」と強調。
「一人ひとりの命が守られる政治を実現しよう。共産党の議席は、政治を変えて命を守る議席だ」と訴えました。
笠井議員は、朝鮮半島で平和の取り組みが進む中で、安倍政権による大軍拡、9条改憲の動きを批判し「戦争への道を許すな」と呼びかけました。
(2019年1月3日付「しんぶん赤旗」より)



『首相官邸の2800日』長谷川榮一
安倍との高尾山 チーム安倍 


【平井文夫の時事チャンネル】安倍長期政権を支えた官邸広報」長谷川榮一氏 Part3「側近が見た二度の辞任~傑出したリーダーの苦悩と山登り」 #平井文夫 #長谷川榮一 #長谷川栄一 #官邸広報 2022/05/18

長谷川榮一(経産官僚。元内閣広報官・内閣総理大臣補佐官)
トーク アバウト文字起こし

第一回目は、実は私と当時は安倍善総理、SPさん2人、4人だけですから。
私も安倍さんが退院されてまだ間がないので、まず黙々といこうということで行けるところまで行って。
むしろ途中で休憩とりますか?という合いの手みたいなのはありましたけど。
(じゃあ黙って登る?)
そうですね。そうしたら偶然で山頂近くでお弁当を食べるところで、成蹊の安倍総理の一年後輩が4人来てたんですよ。
…12月初めのまだあったかい紅葉があるじきだったので…
次のエレベーター待ちで100人ぐらいの方が待ってるんですが、その時にあるご婦人が「あ、安倍さん元気になられたんですね。よかったですね」というちょっと高い声がすごく響いたんです。それが安倍さんにはジンと来て「俺はあんな辞め方をしたのにこういうふうに言ってくれるんだ」という、まあそこから始まるんですが。
本当は「行こうよ」と言ったのは安倍さんなんです。
(チーム安倍が浪人する5年間を象徴するようにもみえる)
2月に今度は秘書官に声をかけていくんですけど。
あの東日本大震災がおこるわけですね。
山登りにまいりましたのは2009年の12月で、2010年から春秋、春秋と始まるんですが
それから約一年ですか経って、2011年の3月、東日本大震災が勃発するわけですね。
私は当時もう役所を辞めておりましたけれども、とにかく悔しくて、安倍さんの自宅に押しかけて、こういうのを発表してやっぱり東北の復興策、政治家としてはぜひやって下さいというのを持ち込むんですね。
2011年6月くらいから金融を中心にした勉強会のヘッドになり始める。(山本幸三→長谷川→安倍)
(2回目の総裁選で勝ったのは結局金融緩和ですよね?)
2011年6月でしょ。総裁選が2012年9月じゃないですか。だから経済は付け焼き刃じゃなくて勉強したんだと思いいます。ぼくはその勉強会に出てないので。
NCネットワークのチャラさん(中小企業の30代40代)が集めた全国大会で(安倍が)演説をして付き合いが始まる。
(2020年になってコロナで大変でしたと。9月16日をもってチーム安倍は解散しました、とだけしか書いてないんですね)
僕は体調管理とか周りの職責というのじゃありませんので、これは今井秘書官の担当で、彼がその辺の管理をきっちりして。
慶応のお身体をずっと知っている先生と連絡をとりながらやってましたので。
ついに休みを取ると言い始めて、僕も郷里に帰ってあるメディアの方から「慶應病院に行ったんですけど、あれなんですか?」って「え?言っちゃったの?」みたいな感じだったんですね。僕知らなかったんで。その日はだいぶ遅くまで病院にいましたよね。
だけど8月っていうのは官邸は結構忙しい月で、6日、9日、15日という、やはり日本国民としては疎かにできない行事がありますから、それをやって、その隙間をみて病院に行かれたんだろうなと。それにしても長いなと。検査は普段から病状見て大体分かっているから、先生が時間をかけなければいけないやり方だったんだろうなということなんですが。
ただね、たしか8月28日に辞めるという会見をするんですけど。当日の朝刊に会見とでるんですが、こういうトップの進退に、あるところがトクダネを抜くっていうのはあまり良くないんですけど、それは安倍さんがキッチリ管理をされて、28日の午前中に
副総理とか二階幹事長とか、官邸に来てもらって、まあ急な印象はあったかもしれませんね。
https://www.nhk.or.jp/politics/souri/2020/08/28.html
(総裁としての任期を一年残していて、まあ一年後には辞めるんだと。そのときには岸田さんなのか、石破さんなのか、だれなのか分からない状況だった。任期を一年残して、懸案が二つ残っているなかで辞めたということはチーム安倍としては志し半ばの辞任なのか、それともやれることはやったという思いかどっちか?)
できなかったこと、残っていること、いっぱいあるんだけれども、それは日本国として責任を果たすべきなんで、自分ではない方が総理に就いたほうがいいという判断なのだろうと思います。
ーー
第2回の「平井文夫の時事チャンネル」は、元内閣総理大臣補佐官・内閣広報官の長谷川榮一氏を迎えた映像版オーラル・ヒストリーです。
二度の安倍政権を計8年余りにわたって支えたチーム安倍の一員として、歴代最長となった安倍政権の総括と官邸広報の役割、内政・外交含む数々のエピソードを語っていただきます。
📝目次 
05:07 野党で迎えた3.11、無力感とやるせなさ
08:31 金融を中心とした超党派勉強会と中小企業経営者との交流
12:08 安倍首相、二度目の辞任
17:53 三度目の登板はあるか




安倍晋三を高尾山に誘った男 
森功「新・現代官僚論」
文藝春秋digital
2019年12月10日 18:00
https://bungeishunju.com/n/nc6a25c21f89a
 経産省OBの長谷川榮一は潰瘍性大腸炎のせいで政権を投げ出した安倍晋三を誘い、高尾山の登山を提案したという。その逸話が政官界で語り草になってきた。政権へのカムバックを訴え、2012年の自民党総裁選で安倍の背中を押した菅義偉とともに、長谷川は第二次政権発足最大の功労者の1人に数えられる。第一次政権のとき内閣広報官に就き、第二次政権で首相補佐官に起用された。

 2度の政権にわたり、似たような顔ぶれの側近で固める安倍政権は〝お友だち内閣〟と揶揄されるが、権力者が寝首を掻かれる恐れのない忠臣を傍に置きたがるのもまた世の常である。その伝で行けば、1年生議員の頃から仕えてきた長谷川は、安倍が自ら政権の座につくとき、うってつけの役人だったといえるが、ここまで首相から絶大な信頼を得るようになった理由もある。

「長谷川さんが広報官として認められたポイントは、海外の新聞や雑誌への人脈づくりでした。日本国内に滞在している外紙の特派員たちはもちろん、総理といっしょに外遊すると、その先々の現地記者を接待してきた。外紙の記者たちと仲よくなり、首相インタビューを実現させる。それが得意でした」

 長谷川の後輩経産官僚がそう解説してくれた。外遊から帰国した長谷川は、馴染みの全国紙の政治記者に耳打ちした。

「今度、ワシントンポストにインタビューが出るから、その内容を君のところだけ特別に教えておくよ」

 もとより政治記者はそこに飛びつく。それで長谷川は国内のマスコミをコントロールし、外遊効果をPRできた、と首相の安倍は長谷川を高く評価していった。そうして安倍がずっと傍に置くようになったのは、想像に難くない。

 実は、難病の安倍に高尾山登山を企画した当時、長谷川は自らの官僚人生においても苦しい時期といえた。

「私は安倍さんに拾われた身だから恩返ししたいんだ」

 長谷川は第二次政権の発足とともに首相補佐官に抜擢されたとき、後輩の経産官僚たちにそうも話した。「拾われた」というその意味は、もとより自分自身の境遇を指している。本人のざっと経歴を拾うと、長谷川は07年8月の第一次安倍政権の崩壊後、08年6月まで経産省の経済産業研究所上席研究員を務め、そのあと中小企業庁長官に就任する。ところが2年後の10年7月に退官し、霞が関から去った。

 まだ58歳になったばかりだ。ちなみに安藤久佳も中小企業庁長官を経験しているが、そこで中小企業の税率優遇策を主導してステップアップした。新原浩朗との事務次官レースに臨み、今年7月に次官の椅子を射止めたのは前に書いたとおりだ。

 一方、長谷川の場合は中小企業庁長官としてあまり注目政策がなく、そのまま役所を離れてしまう。自民党が下野していた民主党政権時代のことだ。ボストンコンサルティンググループ・シニアアドバイザーや明大の経営学部客員教授、東大公共政策大学院教授などとなり、なかば官僚人生の幕を閉じようとしていた。

 ところが、この間、かつて仕えた安倍に変化が訪れる。09年にゼリア新薬から発売された潰瘍性大腸炎治療薬のステロイド「アサコール」を飲み始め、症状が見る見るうちに改善していった。高尾山登山に挑戦できるようになったのは、この画期的な劇薬のおかげだとされる。そして安倍は長谷川とともに、政権へのカムバックに望みをかけ、それが実現したのである。

 長谷川は広報官に復帰しさらに第二次政権では政策企画担当の首相補佐官に抜擢された。政策企画担当補佐官は文字どおり、首相のあまねく政策をサポートする立場である。剛腕と名高い筆頭首相秘書官の今井尚哉でさえ、経産省の先輩官僚にあたる長谷川のメンツを立て政策を推し進めてきたという。従来、外務省が担ってきたロシア外交、わけても北方領土の経済活動分野などは表向き今井が長谷川に譲ってきた。

 ところが、長らく続いてきたそんな安倍一強政権で権力構造に変化の兆しが見え始めている。その一つが長谷川の処遇だ。今年9月の内閣改造にともなう官邸人事により、長谷川は政策企画担当の任を外され、代って秘書官の今井がそのポストを兼務するようになる。長谷川には、形ばかりに北方領土の経済交流と広報の任務が残っているが、事実上、仕事をとりあげられてしまったかっこうである。

 桂太郎を抜いて憲政史上最長となった安倍政権は、いつごろから「経産省内閣」と呼ばれるようになったのだろうか。むろん第一次政権のときは俗称が生まれるような特徴ある内閣でもなかったが、第二次政権がスタートしてほどなくし、霞が関でそう称する官僚がポツポツ出てきた。それは、首相の分身として寄り添ってきた秘書官の今井が目立ち始めた2014年ぐらいからだろうか。

 祖父の岸信介以来の悲願である憲法改正、今の自衛隊を国防軍として看板を付け替えたい首相は、必ずしも経済に明るかったわけではない。そこを第二次政権でアベノミクスなる景気対策でカバーしてきたのが、今井に代表される経産省出身の官邸官僚たちだ。わけても首相の筆頭秘書官として霞が関を睥睨する今井は、安全保障関係法制の制定に向けた15年の強引な通常国会の運営により批判が高まるや、「一億総活躍社会の実現」や「GDP600兆円の達成」といった新たなアベノミクスを前面に打ち出し、内閣支持率の回復を図った。その経済政策づくりの実働部隊が後輩の経産官僚たちだ。(敬称略)



【うわぁ…】「持続化給付金」の委託先に、長谷川榮一首相補佐官が顧問を務めていた会社(TOW)が!「アベ友企業最優遇」の構図がさらに明確に!
https://yuruneto.com/hasegawaeiiti/