【信介・戦犯放免〜晋三・暗殺】岸信介・講演録 @統一教会本部 1973/ 南平台の家 | ☆Dancing the Dream ☆

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西郷伯爵家も南平台の家が、まさかこんな顛末になるとは想像しなかっただろう。


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『朝日ジャーナル』1978年8月11~18日号
(1/10)〜(10/10)
https://mobile.twitter.com/B4Btv/status/1545558775717072896

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@B4Btv
「岸信介元首相が、東京・渋谷にある統一教会(世界基督教統一神霊協会)本部で講演を行った。1973年4月8日のことである。「アジアの危機と青年の使命」と題したその講演記録は、統一教会の内部機関誌に収録された。普通の公式コメントと違って、岸と統一協会=勝共連合の関係を知りうる上で→
(1/10)
引用ツイート
Simon Lee Loves Books🤌🍕
@B4Btv · 7月9日
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午前9:01 · 2022年7月9日·Twitter for iPad



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Simon Lee Loves Books🤌🍕@B4Btvさんのスレッド
https://mobile.twitter.com/B4Btv/status/1546439271439282176
「自民、勝共連合と協力関係、首相が認める」『毎日新聞』1978年4月4日、東京朝刊、2頁、4段目





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南平台の土地について
https://mobile.twitter.com/B4Btv/status/1547928183143829504

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@B4Btv
「岸が自身の邸宅に隣接する往年の名女優・高峰三枝子の500坪の土地と屋敷をそっくり借り受け、2軒合わせて自宅兼迎賓館として使い出したのは56年夏のことだ。ヨチヨチ歩きの2人の孫と岸が戯れる芝生は高峰が映画人らを招き華やかなパーティに酔いしれた場所でもあった」(松田賢弥『絶頂の一族』14頁)
午前10:15 · 2022年7月16日·Twitter for iPhone




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nem@yo_nemさん調べ
https://mobile.twitter.com/yo_nem/status/1547183955925139457

シロクロつけるパンダ@applideveloper 7月13日
統一協会の本部はかつて渋谷区南平台町にあった
西郷隆盛の弟が住んでいた邸宅が、戦後岸信介総理公邸として利用されるようになる
この一等地を統一協会の旧本部のために提供したとの情報があるのですが、土地の登記簿謄本でわかったりしないでしょうか?

nem@yo_nem
南平台サニーハイツの接道(南平台町45番2・公衆用道路)が西郷従徳名義で残っていました。西郷従徳は西郷従道(西郷隆盛の弟)の次男のようです。45番台の閉鎖登記簿を繰れば出てくるでしょう。
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午後8:39 · 2022年7月13日·Twitter for Android

nem@yo_nem
西郷従徳名義公衆用道路の隣地公衆用道路は勝田主計(1869年10月19日-1948年10月10日)名義だった。
東京法務局渋谷出張所の不動産登記コンピュータ化指定が平成4年2月20日なので、昭和39年法律第18号附則第4項により平成4年2月19日登記となった。
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午後3:44 · 2022年7月16日·Twitter Web App

シロクロつけるパンダ@applideveloper
返信先: @yo_nemさん
渋谷区南平台町45番地
西郷隆盛の弟の家

女優高峰三枝子の私邸

その邸宅を、高峰邸隣に居住する #岸信介 が総理大臣私邸兼迎賓館として借受けた

1964年11月1日岸の退陣後
統一教会本部教会を約1年間住んだ世田谷区代沢から、#統一教会 が #岸信介 と入れ替わりで入居
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=7790
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午後10:33 · 2022年7月13日·Twitter for iPhone


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南平台町について
https://shibuya-nanpeidaicho.tokyo/history/index.html
”「南平台」という名称は1889年(明治22)小字名からで、後の度重なる町名・区画改編などを経て、今日まで続いていきます。 この時の大字中渋谷 南平台及び豊沢の各一部づつの地域が、現在の南平台町となります。
この時代、位置的には江戸の後背地であり、西郷伯爵家の所有地、西郷山(現 西郷山公園)と隣接していたことからも畑や木々の広がる場所だったことは想像に容易く、 地理に由来した地名、つまり”南側の台地”にあったからとも考えることもできます。”


西郷山公園(さいごうやまこうえん)Wiki
東京都目黒区青葉台にある目黒区立の公園。
歴史
当地一帯は幕末には豊後国岡藩主・中川家の抱え屋敷であったところであり、特に当家の回遊式庭園は名所として当時の地誌にも載っており知られていた。明治時代になって、西郷隆盛の実弟・西郷従道が兄隆盛の再起を願って当地付近を購入した。しかし、西南戦争により隆盛が他界したためそれが実現されず、当地は従道自身の別邸として利用されることになった。当地にはフランス人でお雇い外国人の土木建築技師レスカスの設計による洋館と書院造りの和館が並んでいた。のち、西郷家は1941年に渋谷に移転したため、当時の鉄道省(戦後の日本国有鉄道)の手に渡った。なお、移転前の1933年に川俣初太郎が起こした貰い子殺人で当地の雑木林が遺体の埋め場所として利用されてしまっている。渋谷移転後は第二次世界大戦による空襲により和館が焼失するなど、次第に西郷邸があったころの面影は薄くなっていった。残っていた洋館は1963年に愛知県犬山市にある明治村に移築され、現在は国の重要文化財に指定されている。
第二次世界大戦終了後は、1950年代に日本国有鉄道(国鉄)傘下の日本プロ野球の国鉄スワローズ選手合宿所として使用されたこともあったという。
その後、邸宅跡地の一部分が公園として整備され、当地付近の通称であった「西郷山」(西郷従道にちなんでいる)の名を付した西郷山公園として1981年5月28日に開園し、現在に至っている(なお、かつて西郷邸の和館や洋館があった場所は近接してある菅刈公園付近にあたる)。