“首脳会談も可能 停戦合意案できた”ウクライナ側(2022年4月3日)
2022.4.1 ゲスト・松本英雄さん ウガ金
停戦へ両国実務協議に入る 新しい段階を迎えたウクライナ戦争
そもそもウクライナはロシアとどう違う?
後半の松本英雄さんのお話は、
ウクライナとロシアの関係を理解する上でとても重要だと思う。
中世からの歴史を紐解く必要がある。
9世紀後半、ノルマン人のリューリクがノブゴロド国を建国。
スラブ人の流入とともに混血が進みスラブ化されてキエフ公国と呼ばれる。
キエフ公国のウラジミール1世が「ギリシャ正教」に改宗。
その辺りから始めねばならない。
ウクライナという国のドニエプル川を境界とする東西分裂。
ウクライナ西部の捩れに捻れた宗教問題。
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宗教問題
●ユニエイト(東方キリスト教会)
正教会や東方諸教会で用いられる典礼を使いながら儀式的には正教であるが、ローマ教皇権を認めてカトリック教会の教義を受け入れ、ローマ・カトリック教会とフル・コミュニオン(相互に同じ教理を分かち合う)関係にあるキリスト教会。主教の叙任権はローマのヴァチカンにある。
西ウクライナの正教会(ポーランド寄り/キエフにも混在)は、ユニエイトである。
●モスクワとコンスタンティノープルの断交
2018年12月15日に、ウクライナ最大教派であったウクライナ正教会・キエフ総主教庁と、少数教派であったウクライナ独立正教会が統合して、新生「ウクライナ正教会」として発足した。
モスクワ総主教庁系の「ウクライナ正教会」は、対立教派として統合に参画しなかった。
「ウクライナ正教会」を名乗る教派が2つ併存している状況である。
2019年1月5日、新生ウクライナ正教会は、コンスタンティノープル総主教庁より独立正教会の地位を認めるトモス(独立正教会位の祝福の文書)に署名され、翌1月6日付けで正式に独立正教会となった。
ウクライナ正教会の独立を承認したコンスタンティノープル総主教庁に対して、ロシア正教会モスクワ総主教庁は猛反発し、全面的な断交を宣言した。この問題は、世界中の正教会を巻き込んだ深刻な対立に発展している。
●ペトロー・モヒーラとウクライナ正教会
ウクライナ正教会・キエフ総主教庁はウクライナが独立した後に設立され、1995年以来フィラレート総主教がキエフと全ルーシ=ウクライナの総主教という肩書きで最高指導者を務めていたが、2018年、新生ウクライナ正教会に合併された。しかし、この教会は「ペトロー・モヒーラ」と直接結び付いていると主張している。
正教会側からは「ペトロー・モヒーラ」は、カトリック教会からの影響が濃厚であるというる否定的評価がある。
●教会組織の基本構成
※ローマ・カトリックは、教皇(ローマ法王)〜大司教〜司教〜司祭の階級がある。
一方、ギリシャ正教会は、教皇(法王)にあたる最高位聖職者の地位はない。
ギリシャ正教会の世界の組織の基本構成は、4つの古代総主教庁(コンスタンティノープル総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁)のほか、独立正教会、自治正教会の数々で構成されている。
すべての総主教達は基本的に平等である。
各独立正教会・自治正教会の首座主教(総主教・府主教・大主教のいずれかがその任にあたる)は「同格者中の第一人者」として、他の主教達に比べて若干の特権を持って居る。しかし首座主教といえども、他の主教達・主教会議の同意が無ければ独断では行動できない(聖使徒規則34条)。
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歴史の勉強は、
ムンディ先生のワイシャツ腕まくり、
年号抜きで物語のように語られる
よく分かる黒板授業の生徒になるに限ります。


ゲルマン人の大移動
076ゲルマン人の大移動
中世ヨーロッパ=ローマ帝国の滅亡からルネサンス始まりの1000年
(AC500〜1500年)

フランク王国
077フランク王国
《クローヴィスはアリウス派に改宗でフランク王国をまとめる 解説図》

●ゲルマン人の大国・フランク王国
・メロヴィング朝
クローヴィスがアタナシウス派(キリスト教正統派)に改宗。
カールマルテル宮宰(トゥールポワティエの戦でイスラム教国ウマイヤ朝を倒す)
・カロリング朝
ピピン(カールマルテルの子/メロディング朝から王位を奪いカロリング朝を創始)
ローマ教皇(スポンサーのローマ帝国の崩壊。北からランゴバルトに圧迫されていた
↪︎ピピンがランゴバルドに攻め入りラヴェンナ地方を奪い教皇に寄進=教皇領のはじまり
↪︎宗教的権威者からクーデターを承認してもらう。)
フランク王・カール大帝〜3分裂
078カール大帝
●カール大帝のフランク王国と3分裂
・ピピンの子 :カール大帝=フランク王国の国王
↪︎カール大帝はローマ教皇レオ3世から(西ローマ)皇帝の冠を授かる。
↪︎西ローマ帝国の復活を意味する。
カール大帝の子の死後、フランク王国は3カ国に分裂。
↪︎東フランク:神聖ローマ帝国
=ローマ教皇からオットー1世が(西ローマ)皇帝の冠を受ける(後のドイツ)
西フランク:カペー朝(後のフランス)
イタリア:不安定、混乱。
ノルマン人の移動
079ノルマン人の移動
《ノルマン人の移動 ムンディ先生まとめの図》

ヨーロッパの国々の元:ケルト人、ラテン人、ゲルマン人、ノルマン人、スラブ人
●ノルマン人(ヴァイキング/NormandsのNorは「North 北の」の意)
・現住地:スカンジナビア(ノルウェー、スウェーデン)
ユトランド半島(デンマーク)
・農耕が困難な北方故に、商業、海賊、略奪行為で生計を立てていた。
●人々の移動とヨーロッパの国々
①ヨーロッパのベース=ケルト系、ラテン系
②フンの西進によるゲルマン人の移動。
③ゲルマンのフランク王国(カール大帝)〜3国に分裂。
④カペー朝(東フランク 独)、神聖ローマ(西フランク 独)、イタリア
カペー朝北部にノルマン人がノルマンディー公国を建国。
イタリア南部に両シチリア王国を建国。
⑤イングランド王国(ゲルマン系のアングロ・サクソン7王国統一)にノルマン系のデーン人のクヌートが侵入しデーン朝を建国。
ノルマンディー公のウィリアムが侵入しイングランドを征服しノルマン朝が成立。
(=ノルマンコンクエスト)
⑥ノルマン人のリューリクが、東にノブゴロド国を建国。
スラブ人の拡大
080 スラヴ人の拡大 世界史20話プロジェクト第09話
《カルパティア山脈・東西南のスラブ人の国》

●カルパティア山脈周辺のスラブ人
・西スラブ人 (ポーランド、チェック(ボヘミア))
・東スラブ人 (ロシア人) ✔︎下段にロシアの動き詳細あり
ノルマン系のリューリクがノブゴロド国を建国。
ロシア人とノブゴロド国(ノルマン系)と混血しスラブ化し、
「キエフ公国」と呼ばれるようになる。
「キエフ公国」の最盛期:ウラディミール1世が、ギリシャ正教に改宗。
(キエフ公国→「タタールのくびき」
:モンゴル帝国のバトゥがキプチャク・ハン国を建国)
スラブ系復活→「モスクワ大公国」
:イヴァン3世(ツァーリ(=ロシア皇帝)を自称)、イヴァン4世(雷帝)
・南スラブ人(スロベニア、クロアチア、セルビア)
・非スラブ人(ブルガール人、マジャール人(ハンガリー王国))
・南スラブ人、非スラブ人は、後にオスマン帝国の支配を受ける。

キリスト教の分裂
ローマカトリック ギリシャ正教
081 キリスト教会の分裂 世界史20話プロジェクト第09話

《キリスト教会の分裂のライン》

●ローマ教会とコンスタンチノープル教会の分裂
・キリスト教をローマ帝国(テオドシウス大帝)を国教化。
・ローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂。
・西ローマ帝国はゲルマン人により滅びるが、ローマ教会は残る。
・キリスト教5本山のうちローマとコンスタンチノープルが主導権を争う。
五本山(ローマ(西ローマ帝国の都)、コンスタンチノープル(東ローマ帝国の都)、
アレクサンドリア、アンティオキア(シリア)、エルサレム)
・大教皇と呼ばれたローマ教皇グレゴリウス1世はゲルマン人に布教を始める。
・ローマ教会は、文字の読めないゲルマン布教のために禁じ手の聖像を使用。
・コンスタンチノープル教会はローマ教会を批判。
ビザンツ皇帝レオン3世は聖像禁止令を出す。
・ローマ教会とコンスタンチノープル教会は分裂。
・ローマ教会は「ローマ・カトリック(カトリック=普遍、皆のキリスト教)」を名乗る。
・コンスタンチノープル教会は「ギリシャ正教(正しいキリスト教)」と名乗る。
●ローマ教会とフランク王国
・分が悪いローマ教会は、フランク王国に目をつけ、保護し保護される関係になる。
・教皇はピピンのクーデターを承認し代わりにラヴェンナを教皇領にもらう。
・教皇レオ3世はカール大帝に皇帝の冠を与える。
082封建制度
083荘園制度
ローマカトリック教会の権威 腐敗
084 教会の権威 世界史20話プロジェクト第09話(改訂版)
●教会の絶大な権力 ローマカトリック教会の世俗化
・盗賊や異民族の襲撃などから治安を守る部隊がまだなかった中世の時代。
不安な中世の時代の人々は神(教会)に救いを求めた。
・カトリック教会は金と権力にまみれた。
・教会が縦社会に階層化:階層世組織(ヒエラルキー)の成立。
ローマ教皇〜大司教〜司教〜司祭
・教会の領主化(国王や貴族からの荘園の寄進による)
・封建領主の所有する農地の農奴からも「十分の一税」を教会が徴収。
・聖職売買(賄賂を渡して出世しようとする)など教会の腐敗。
●教会改革運動 修道院による教会の立て直し
・聖職者の純粋な祈りと修行の場・修道院が各地に開かれる。
・ベネディクト修道院:6世紀、ベネディクトゥスが伊のモンテカシナに
初の修道院を開く。「祈れ、働け」がモットー。
・クリュニー修道院:積極的に教会内部の腐敗の追放運動を行なった。
●カノッサの屈辱
・叙任権闘争:聖職者を任命する権利をめぐり、
カトリック教会の教皇グレゴリウス7世と
神聖ローマ皇帝(ドイツ王)ハインリッヒ4世が対立した。
・神聖ローマ帝国は、内部の小国をまとめるために叙任権を持とうとした。
教皇グレゴリウス7世はクリュニーの腐敗追放運動の影響を受けていたので、
大司教や司教など聖職者の任命を皇帝が行うことを許さなかった。
・教皇が神聖ローマ皇帝に破門を宣言する(地獄行き)。
・カノッサ城の門前、雪の中3日間、皇帝が教皇に謝罪。
・王権よりも教皇の権威の絶対優位を決定づけた事件。
●神聖ローマ帝国内のヴォルムス協定
・教皇と皇帝の妥協(和解)。
・1人の聖職者に対して
司教の教権=儀式を行う権限を与えるのは、教皇。
俗権=領地を治め税を取る権限を与えるのは、皇帝。
神聖ローマ帝国内の聖職者は、ダブルの任命を受ける。
●教皇権の絶頂
・教皇インノケンティウス3世(13C初)教皇権の絶頂。
「教皇は太陽。皇帝は月。」と言った。
中世のロシア まとめ
116 ロシアの動き 世界史20話プロジェクト第12話
ロシアの動き 主権国家体制
●ノブゴロド国、キエフ公国
・ノルマン系のリューリクがノブゴロド国を建国。
スラブ系の流入で混血が進み「キエフ公国」と呼ばれるようになる。
・キエフ公国のウラジミール1世が、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)で信仰されていた
「ギリシャ正教」に改宗。
ビザンツ帝国(東ローマ)皇帝バシレイオス2世の妹アンナと結婚した。
・キエフ公国は、チンギスハンの孫のバトゥに支配され、
キプチャク・ハン国となる。(タタールのくびき)
・モンゴル系の支配(タタールのくびき)から抜け出したのが、
スラブ系の「モスクワ大公国」
●モスクワ大公国
・イヴァン3世が、キプチャクハン国から自立し、ツァーリを自称。
イヴァン4世(雷帝)がツァーリを正式に用いる。
雷帝と呼ばれた逸話:美しいネギ坊主屋根の「聖ワシリー寺院」の設計者の
目を潰した。他の者のために美しい建築を作らせないようにするためだった。
・イヴァン4世はシベリア(ウラル山脈の東側のロシア)を領有。
コサックの首長のイェルマークが協力した。
●ロマノフ朝
・ミハイル・ロマノフがロマノフ朝を建国。
ステンカラージュの反乱(農民の反乱)を鎮圧。
・ピョートル1世(大帝=2mを超える身長)が絶対王政の基礎を確立した。
西洋化政策(ロシア=田舎からの脱却)西ヨーロッパを視察して回る。
↪︎オランダの造船所の親方の元に身分を隠して弟子入りするがバレバレだった。
シベリア経営に力を入れる。中国とトラブルにならないように、
清(康煕帝)との国境を明確化「ネルチンスク条約」を締結。
「北方戦争」でスエーデン王カール12世を破る。
↪︎バルト海に進出し、新都・ペテルブルグ(現在のサンクトペテルブルグ)を建設。
●エカチェリーナ2世
(英語読み・キャサリン/仏語読み・カトリーヌ)
・ドイツ人のエカチェリーナ2世は、夫ピョートル3世に嫁ぐが愛人が200人いた。
愛人の1人に夫を毒殺させて、自分が皇帝の座についた。
即位の祝いに国民に酒を振る舞い三日三晩のどんちゃん騒ぎをさせた。
・啓蒙専制君主の代表。フランスのヴォルテールと親交。
・日本へラクスマンを派遣。
・プガチョフの乱(農民の反乱)の鎮圧後、絶対君主制に転換する。
・「ポーランド分割」事件
↪︎ポーランド(露と独に挟まれた地政学上不運な国)は、
・西のプロイセン(フリードリッヒ2世)と
・オーストリア(ヨーセフ2世)と
・東のロシア(エカチェリーナ2世)に、
カツアゲ「3分割」され、ヤゲヴォ朝は断絶。
ポーランドの地図から消える。