【加計孝太郎の経歴は謎❗️】安倍と知り合ったアメリカ留学と加計役氏の出生… 計算が合わない⁉️ | ☆Dancing the Dream ☆

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加計孝太郎/生年月日
1951年7月2日 年齢 67歳

安倍晋三/生年月日
1954年9月21日 年齢 64歳


カリフォルニア州立大学ロングビーチ校(CSULB)に留学していたのは、
孝太郎だが、晋三がCSULBのTシャツを着ている。


77年〜79年、安倍晋三はアメリカ留学。
カリフォルニア州ヘイワードの英語学校
(カリフォルニア州立大学イーストベイ校?)から、
南カリフォルニア大学に移り、このご遊学中に、
孝太郎もカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に
語学留学していた。
二人はアメリカ留学中に知り合った。
晋三は、79年4月、神戸製鋼入社。

孝太郎の詳細な経歴は、公表されておらず、
留学の時期や期間も明確ではないが、
安倍との出会いが米留学時ということなので、
77年〜79年 26〜28歳の間で安倍晋三と知り合うべく
留学していたことになる。

孝太郎は、留学中に出会った女性と結婚(2009年に離婚)し、
3人の子供に恵まれたとのこと…

しかし、
長男 加計役は、1975年生まれ。 年齢 43歳…
次男 加計悟は、1977年生まれ。 年齢 41歳…
長男は、加計孝太郎24歳で誕生??
どうも計算が合わない…

少なくとも孝太郎は、74年、23歳にはアメリカに留学していて、
加計役の母と知り合っていなければならない。
そして、晋三と知り合うには、
少なくとも4年ほどアメリカにいなくてはならない。
留学中に結婚して、安倍晋三と知り合った頃には、
すでにパパだったことになる。
それとも、未婚のまま長男が誕生したのか?

しかも、加計役氏は、千葉県柏市出身…とある。
女性だけ、帰国して千葉で 長男を出産し育てていたのか?

あるいは、留学中に知り合って結婚した女性の前に、
別の女性との間に生まれた子供という可能性もなくはないが…

あるいは、「できちゃった」…が、まだ不謹慎とされる時代、
教育者として世間体を気にした加計勉が、
女性のお腹が大きくなる間、二人まとめてアメリカに留学させて、
出産は日本でするよう計らったとか?

謎だ。
加計孝太郎の経歴の情報は、
どうもチグハグでおかしい。

加計孝太郎が
加計学園の沿革に名前が出てくるのが、
平成4年1月 岡山理科大学附属高等学校第6代校長に加計晃太郎就任。
http://www.kake.ac.jp/about/history.html
1992年1月 孝太郎30歳。
孝太郎は、20代いったい何をしていたのか?
ほとんど働いた経験がないのではないのか?

…ところが、
2008年11月19日のムルワカのインタビュー記事↓
「【ムルアカ ニッポンをきく】(23)加計学園理事長 加計孝太郎さん」
に掲載された経歴には、こうある…

【プロフィル】加計孝太郎
 かけ・こうたろう 立教大学文学部卒。1971年から学校法人加計学園の要職を歴任。現在、加計学園理事長・総長、広島加計学園長、米国フィンドリー大理事、日本私立大学協会理事、岡山県国際交流協会理事、岡山県郷土文化財団理事などを務める。57歳。広島県出身。

1971年から学校法人加計学園の要職を歴任???
51年生まれの孝太郎… つまり、20歳で加計学園の要職???
後継が、若い時から帝王学を学ぶということは、ある話だが、
立教大の大学生だったのではないのか?
ネットもない時代に、岡山から離れた場所で
どんな要職をこなしていたのか?

さっぱり、解らない。


孝太郎は、広島県出身。
父・加計勉が、
1955年に大学受験予備校の広島英数学館(広島市中区小町)を設立。
孝太郎4歳の時だ。
1962年、広島から岡山へ進出。
岡山市の半田山の山麓(岡山市北区理大町)に、
学校法人加計学園、岡山電機工業高等学校を設立した。
孝太郎は、小学校高学年から岡山で育っているはずだが、
中学、高校の出身校は不明だ。