【開戦=安倍政権】 〜孫崎享『日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件』インタまとめ | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

特別高等警察部(特高)がどのようなことをやったか?

共産主義者(壊滅)~リベラリスト~宗教家~民族派右翼と
次々と弾圧した。
治安維持法にはかからない者であっても調書をつくる。
「調書をつくる」=「拷問する」ということ。

尾崎秀実
(朝日新聞記者・共産主義政党の国際組織コミンテルンのスパイ)
共産主義者であることを一貫して認めている確信犯である。
特高に逮捕されロシア革命の日に
巣鴨拘置所でリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された。
特高に連日激しい拷問を加えられ、やせ衰え白髪となり、
留置場にはパンツ一枚で、血みどろ、
四つん這いでなければ帰れない状態だったという。

特高の警察官全てが、拷問を行ったというわけではなく、
狙われている者達がその名を聞けば震え上がるような
有名な拷問をする刑事ABCが存在した。
彼らは、調書を作るためなら、
どんな残酷な拷問も行った。

彼ら拷問要員ABCの名前は、
警察の名簿から消えている。
内務省が名前を消したのか、
本人が名前を変えてしまったのかは解らない。
しかし、東条内閣を批判し特高に逮捕され
割腹自殺した中野正剛の東方会の残党は、
戦後、仕返しするために特高憲兵を追いリンチを加えた。

名の残る人間性を失った特別に恐ろしい人物として、
小林多喜二を拷問死させた、
「赤狩り安倍」と言われた安倍源基・特高部長、
以下、毛利基、中川成夫・山県為三。
安倍源基の元では19人が拷問死している。
安倍源基は、免罪されたA級戦犯の一人で、
岸信介・木村篤太郎・安岡正篤らと共に
右翼団体「新日本協議会」を結成、代表理事に就任した。

治安維持法のような弾圧立法の中では、
必然的にこのような人間を生むのである。

安倍内閣のもとで成立した
特定秘密保護法にも、
特高のような役割を担う
機密を調べる警察官が設けられ、
今後、市民的な権利が侵害された社会になれば、
拷問もあり得る。

司法、警察の中に社会病理的な現象が
含まれていると言うことである。

日本は、そういう危険なことを
やりかねない国であることを自覚すべきである。

       〜保阪正康 講演より
        2013年 特定秘密保護法が閣議決定された直後〜

__________________________________________________

以下は、
2017.8.12 IWJ 新刊『日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件』
孫崎享先生の4時間10分の超ロングインタビューを
数日かけて聞き取りまとめた自分用メモです。
_________________________________________________


【ゾルゲ事件は冤罪】
ゾルゲは、対ソ戦争に影響を与えたソ連のスパイとして極刑に処されたが、
実際に何をしたかが具体的に裁判で審議されないままの冤罪だった。

定説では、ソ連は、日本軍が対ソ参戦に向かうのか、
イギリス領マラヤやオランダ領東インド、
アメリカ領フィリピンなどの南方へ向かうのかを探り、
ソ連の優秀なドイツ人スパイ・ゾルゲからの
日本軍は南方を選ぶという情報を得て、
ソ満国境に配備した冬季装備の充実した精鋭部隊を
ヨーロッパ方面へ移動させることができ、
対独戦に勝利したということになっているが、
事実はそうではなかった。

独ソ戦において、ソ連の最も大きな勝因は、
アメリカによるソ連への大量な武器供与を行なっていたからである。
ドイツはソ連にアメリカからの物資援助があったことを
知らなかったことが、冬将軍の問題以前に、敗戦の原因だった。

日本は、アメリカの中国への物資支援のビルマルートを破壊するために
インドシナ に入っていったが、
日本も、ドイツがアメリカのソ連援助を見誤ったのと同じく、
すでにアメリカがビルマ物資援助ルートを強固にする段階で
アメリカが実質的に戦争に入っているという変化を
計算できなかったのである。
イギリスはドイツの暗号を解読していたが、
日本もアメリカに暗号を解読されていたのである。

【ゾルゲとは何者か?】
Sorge Richard
[生]1895.4.10. バクー [没]1944.11.7. 東京
ドイツのジャーナリスト。父はドイツ人,母はロシア人。
幼少時をベルリンで過し,第1次世界大戦では軍隊に志願入隊。
1920年ドイツ共産党に入党した。
コミンテルン要員としてモスクワに行き、24年ソ連共産党入党。
29年ソ連赤軍第4部 (諜報) 本部員となり、30年中国に入った。
上海で朝日新聞特派員尾崎秀実と知合う。
32年まで中国で活動しドイツへ帰国。
33年にドイツの『フランクフルター・ツァイトゥンク』紙特派員として来日。
駐日ドイツ大使オットーの私設情報官として同大使館に出入りし、
41年スパイ活動が露見して検挙され 巣鴨拘置所で刑死した。
著書に『獄中記』がある。

ゾルゲがソ連に送っていた情報は、
基本的に日本のドイツ大使館の情報であり、
日本の軍情報はもっていなかった。
尾崎から得ていた情報も満州の研究所で出版された公用文書に過ぎなかった。
ソ連の内務省は、むしろゾルゲはドイツにも使われている
ダブルエージェントではないかと疑われていた。

ドイツは結果的には独ソ不可侵条約を破って
ソ連を侵略攻撃して来た。
ドイツがソ連に侵攻する情報をゾルゲは確かにスターリンに送ったが、
ソ連側は、ゾルゲ情報よりも前に、
イギリスの情報機関がドイツの暗号を解読しており、
英チャーチルからスターリンにドイツのソ連侵攻情報は伝えられていた。
ゾルゲはチャーチルと同じ程度の情報を遅れて送ってくるなどからも、
ゾルゲ情報は低レベルだとしてソ連から評価されていなかった。

ソ連は、ゾルゲ情報以前に、
日本軍が東から上進してくることよりも、
首都モスクワに迫る勢いの西側防衛が先決であると判断していた。


【ゾルゲはドイツのソ連侵攻を止めようとしていた】
その時、ゾルゲは…
アメリカのヘラルドトリビューンの記者・ロシア系ユダヤ人記者
ジョセフ・ニューマンに、
ヴケリッチを通じてドイツのソ連侵攻情報を渡し、これは記事になった。
ヴケリッチとはゾルゲのアシスタントとして手足になり
情報を渡す役割をしていた人物で、
ヴケリッチは日本人の山崎淑子と結婚し一児(山崎洋)をもうけたが、
ゾルゲ事件に連座して逮捕され獄死した。
ニューマンという記者は、
渋沢栄一の息子(三男の正雄 渋沢財閥)に接触をうけて日本に呼ばれ、
日米開戦のときには日本で活動し、
終戦後は、モスクワで活動させられている
非常に謎めいた人物(米・軍産複合体のスパイ?)である。
ニューマンは日本の警察にマークされるが、
突然、10月15日 ハワイ旅行に行くということで逃がされた。
ニューマンは、日本の軍から親米 の財界の大物(渋沢)を通じて
逮捕直前に逃がされたのである。
ニューマンは、真珠湾攻撃2日前にハワイ脱出。
開戦後ニューヨークで一気にGoodbye Japanを書いた。
危機一髪の脱出は偶然だったのか?
ニューマンが捕まると、軍、財界に手が伸びるばかりでなく、
ゾルゲ事件の筋書きが狂ってしまうからである。
渋沢正雄は樺山愛輔伯爵(白洲正子の父)をニューマンに紹介している。
戦後処理に白洲次郎がかかわるのも偶然ではないことが分かる。

では、ゾルゲは、なぜアメリカに情報を渡したのか?
ゾルゲは、ソ連のスパイであると同時に、
アメリカ情報を渡すアメリカのスパイだということは、
どういうことか?
ゾルゲは、《ドイツのソ連侵攻を止めたい》と考えていたのである。

ゾルゲは、アメリカのニューマン記者だけでなく、
フランスの記者 ロベル・ギランにも同じ情報を渡していた。
ロベル・ギランといえば、アバス通信社の特派員として、
日本軍の上海事件、上海占領、南京大虐殺も目撃した。
その後アバスの支局長に就任し、戦後は、ルモンドの記者になり、
極東の総局長活躍した大ジャーナリストである。
ギランは、日本は世界一麗しい国、日本人は世界一素晴らしい、
と書いたが、日本人の暴力と残虐性にも気づき、
日本の暗黒と光の二面性を感じ取っていた。

1939年9/4 英仏の宣戦布告の翌日、
偶然、ギランはゾルゲと鉢合わせ、ドイツに対する怒りを爆発させる。
「ドイツ野郎め。またやりあがったな。お前たちは火付け役なんだ。
血を見るのが好きな残酷無比のやつらなんだ」
沈鬱に聞いていたゾルゲは静かにギランに言った。
「ギラン、食事をしませんか。ゆっくり話がしたい。」
ゾルゲと語り合ったギランは、
〈ゾルゲは、あらゆる軍事的行動に参加することを拒否する
徴兵忌避者のように、絶望的なまでに平和を愛する
一人の人間に感じられた〉
〈ゾルゲはヒトラーにもスターリンにも
同調できなかったのではないか〉回想している。

孫崎「ゾルゲをソ連の諜報員としてリクルートした
ロシア人上司は暗殺されており、
ゾルゲには当局からソ連に帰るように通達があったが、
ゾルゲは帰らなかった。
同じ諜報員のフィンランド人女性は帰国命令に応じて、
シベリア送りになっている。
ゾルゲがニューマンに情報を提供したときは、
アメリカに亡命するつもりがあったからかもしれない。」

【敵国・米に日本を売った本当のスパイは?】
西園寺公一は、尾崎に情報を与えているとしてマークされて
家宅捜査を受けるが、軍の機密文書が出て来た。
ところが、警察は軍から西園寺にリークがあることを隠す必要から、
この件を隠蔽する。(金庫に保管され終戦の時に焼けたという筋書き)
スパイ ゾルゲのソ連密通というストーリーが崩れ、
それどころか、軍の中にも密通者がいるということになるからである。

ニューマンは、最も機密情報に近いルートであったはずであるが、
触らずにいるということはどういうことなのか?
軍や財界の大物との関係があるとなれば、
そこは、アンタッチャブルなのである。

さて、改めて日米開戦において、
日本にとっての一番の敵はどかというと、当然、アメリカである。
…ということは、誰がアメリカとの関係を持っていたかが
最も重要であるはずである。
日-ソ連(ゾルゲ)よりも、
日- 米(ニューマン?他 不明)のスパイからの情報漏洩が
最も警戒されなければならない。
そこが全く手付かずなのである。

戦前から、岸伸介などは、
駐日大使のグルーとゴルフ仲間であったのだ。
グルーは、日米開戦にいたるまでの激動の10年の間、
深く日本に入り込んだ外交官である。
(Ten Years in Japan 滞日10年の日記に基づく著書はベストセラーになった)

岸伸介は、A級戦犯として巣鴨プリズンから出所したあと、
アメリカのエージェントになったというのが定説であるが、
戦前からアメリカと通じていたのである。

_____________________________________________


そして、ゾルゲ事件は、
戦争プロパガンダに 2度使われた❗️

①日米開戦のプロパガンダに利用された。
 対米戦争に反対した近衛内閣を潰し、
 戦争に突き進む東条内閣の成立に使われた。

②戦後冷戦の プロパガンダに利用された。
 アメリカの赤狩りのキャンペーンに、
 反共の砦・日本の共産党非合法化に使われた。

【東条の近衛降ろし謀略】
たかが中将の東条ごときは、首相になれる地位にはなかった。
序列を重んじる組織である軍において、
陸軍大学受験に2度も失敗した東条は
軍人として出世コースに乗っておらず、
首相になるのは異例なことであった。
にもかかわらず、東条が、力をつけたのは、
満州で、関東軍参謀長(特務機関)になり、
関東軍のダーティワークによる違法な裏金(ケシ栽培 麻薬/ 偽札)と
人材を操れたからであり、
その金で政界に影響力をもったのである。

東条は、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長(特高)であったが、
憲兵隊は軍内部で地位の高いものではないが、
憲兵隊+特高の合体によって、
軍内部の邪魔者を粛清したりすることができることに気づき、
コミンテルンの影響を受けたとして関東軍将校を多数検挙し、
圧力をかけるなど、軍内抗争に長け、全権を握った。
「2・26事件」の際も関東軍内部での混乱を抑え、
皇道派関係者を検挙した。

人を逮捕する特権を持つ者が、
このポストを過激に使えば、
一気に権力を拡大し、とんでもないことになる。
ドイツのゲシュタポのゲーリングや、ソ連のベリア、
イラクのフセインなどが、それである。

これと同じパターンなのが、
現在の安倍政権。
内閣副官房長官は、
警察、元・内調である。

満州で権力もった軍・財・官の5人。「弐キ参スケ」
東條英機(1935年 - 1938年、関東軍参謀長)
星野直樹(1932年 - 1940年、国務院総務長官)
鮎川義介(1937年 - 1942年、満業(満州重工業開発株式会社)社長)
岸信介(1936年 - 1939年、総務庁次長)
松岡洋右(1921年 - 1930年、1935年 - 1939年 満鉄総裁)
彼らは、グループを形成してヤクザ顔負けの
ブラックマーケットを展開した。
満州で〈阿片を生産売買〉〈贋金づくり〉などで
巨万の闇金を作り、その金で日本国内政治でも権力をもった。

東条は、法的根拠が薄弱でも躊躇せず、
社会運動を粛清し検挙していき、
2.26事件の皇道派検挙で、
面の階級は中将でありながら、
軍内部で決定的な権力を握る。
近衛内閣で陸軍大臣を務めた。(対満事務局総裁も兼任)

そして、東条は、
日米開戦はすべきでないとする近衛辞任を謀るのである。
東条は、ゾルゲ事件ばかりでなく、
皇室の東久邇宮の名を利用する。

東条は近衛に東久邇宮を首相にしようと持ちかけ、
近衛は開戦に反対意見を持つ東久邇宮が首相になるならと
退陣を納得する。
一方、東条は右大臣(木戸幸一)に東久邇宮を首相にしては
皇室に戦争責任が問われるとした。

【治安維持法を推進した「思想検事」】
検察の中に「思想課」が設けられた。
「思想検事」とは、特高を動かす存在である。
「治安維持法」を改正した人物で思想課長だった太田耐造は、
「近衛グループを弾圧すべし」とし、
「不逞分子は転向しない限りは一生拘禁すべし」などと
徹底的に思想犯を弾圧した。

この「治安維持法」は、
現在の安倍政権で成立した「共謀罪」にも相当する。

ゾルゲ事件を担当し、
重大な冤罪を犯した検察官は、
戦後、検察のトップになった。
井本台吉、布施健は、戦後 検事総長になる。
ゾルゲ事件では主任検事の吉河光貞は「思想の吉河」の名をたかめ、
戦後,法務庁特別審査局長,公安調査庁長官をへて
広島高検検事長になった。
井本と吉河は、
「砂川事件」の担当検事だった。
布施健は、
「下山事件(国鉄総裁轢死事件)」の主任検事でもあった。
また田中角栄が逮捕された「ロッキード事件」の時は検事総長であった。

______________________________________________________

【特高外事課・大橋秀雄の自費出版 告発本】
ふたつのポイント
・《送致意見書の改ざん》
 大橋はゾルゲ送致意見書に「相当の刑を科せられたく」と書いたが
 きつく叱られ、上司は「その罪極めて重く極刑の要あり」と
 訂正して送致した 。
・《尾崎検挙の日時の改ざん》
 尾崎の検挙は1941年10月14日であり、尾崎をブレインとしていた近衛は、
 東条側に辞任を迫られ近衛は辞任を固めた(10月15日)。
 大橋は上司の命令で、ゾルゲ事件を利用した近衛潰しを隠すために
 尾崎を逮捕し検挙日は15日とするように
 尾崎や尾崎の家族にも圧力をかけて日にちを改ざんした。

実際にゾルゲ事件を担当した外事課の警察官・大橋は、
ふたりの警視総監から本を出す許可を受けた。
しかし、ベストセラー間違いなしの
ゾルゲ事件は冤罪であったということの証明を著した本の出版を
数社の出版社に断られた。のちに自費出版された。
(さらにのちに出版社から発行されたが冤罪のポイントは伏せられた)

【『偽りの烙印』渡部富哉 (著)】
(尾崎検挙の日付の改ざんの証拠)を発見した著作。
渡部氏は、アメリカに没収されていた特高の文書が
日本に返され、10000ページもの文書を読み解いた。
・定説では、近衛のブレイン尾崎の検挙は、
 「近衛の辞任決意のあとの(15日)」であるとされていたが、
 実は尾崎は14日早朝に検挙され、
 近衛は東条側から辞任を迫られ近衛は辞意を固めたのが事実だった。
 近衛はゾルゲ事件と近衛辞任は無関係であることにするために、
 尾崎検挙日を改ざんしたことが、特高の記録文書に残されていた。

【クラウス・メーネルト】
父親はロシアのドイツ人お雇い将校で革命が終わってドイツに帰って来た。
1920年 ワイマールの新しいドイツになって最初のアメリカ留学生になり、
アメリカで日本人とも交流し来日したこともある。
ドイツがナチの時代になってハワイに亡命し、
ハワイ大学の教授になる。
メーネルトはゲオポリティックに
「どこかの国が真珠湾を攻撃すればテロは成功する」と書き、
真珠湾の父と言われ、
日本の真珠湾攻撃はメーネルトの入れ知恵であると言われた。
孫崎が直にメーネルトから聞いた話によると、
メーネルトは、戦前、東京に行ったときはゾルゲの家に泊まっていた。
つまり、メーネルトは、ナチから逃げてアメリカ ハワイ大学教授として
アメリカの軍事を研究し、アメリカと通じていたが、
同時にゾルゲと親しくしていた。
背景には、アメリカの世論は強く戦争に反対していたが、
チャーチルは対独戦 欧州戦線へのアメリカ参戦を熱望しており、
メーネルトはナチから逃げてハワイに行ったわけであり、
亡命ユダヤ人など、日本を動かして
アメリカに参戦させたいと考えていた者は沢山いた。
日本が戦争のきっかけを作ることは好都合であったはずである。
孫崎氏は、「真珠湾攻撃は、アメリカに仕組まれたのではないか
という仮説」をもった。
その仮説をイギリスの情報機関MI6の副長官
(孫崎イギリス時代に情報官養成学校でロシアを学んだ同窓生)になる友人に
語ると、一冊の本を紹介された。
その本には〈西側が日本人をイタリアのソレントに送り、
イギリス空軍がイタリア海軍を攻撃したことを見せ、
空軍の時代の到来を示唆し、真珠湾攻撃のヒントを与えた〉
内容が記されていた。
同時に、〈アメリカには中立法がありアメリカ国民も戦争に反対していたが、
戦争に反対する政治家のスキャンダルをみつけて
追い落としを工作した事件〉についても記されていた。

【メーネルトと外交官・孫崎享】
メーネルトは、中国、ソ連の専門家として
共産党研究の著書を書いてベストセラーになり
ドイツの黒い森に豪邸を建てるほどの大富豪になった。
1970年代、日本の外務省分析科は中ソ専門家としてメーネルトを呼び、
孫崎氏はメーネルトの京都案内などのお付きをし、
酒席などでメーネルトから、
〈ゾルゲ事件は定説とは異なる〉ということを仄めかされ、
以来、ゾルゲ事件研究は、長年のメインテーマとなり、
新著『日米開戦へのスパイ 東條英機とゾルゲ事件』に結実した。