関良基 「バタフライ効果はある❗️」 〜長州ポチズム vs こんな人たち民権運動 | ☆Dancing the Dream ☆

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Michael Jackson - Butterflies

バタフライ効果…

蝶のささやかな羽ばたき、
微かな振動が、大きな影響を及ぼして状況を変えることがある。

小さな個人の小さな言動が、
歴史を大きく変えることがある。

蝶の羽ばたきに似た
たった一本の新聞記事、たったひとりの勇気ある告発者の証言が、
すべてを変えてしまう…
朝日新聞の記事、前川氏の告発が
7. 1 アキバのデモ、安倍の失言につながり、
そして都議選の自民党の大敗させてしまうようなことが起こる。

安定していた旧いシステムが、
不安定になり臨界状態にあるとき、
小さな蝶の羽ばたきは、
一気に meme(人類の文化を進化させる習慣・技能・物語など
人から人へコピーされる様々な遺伝情報)を伝え、
大きな風を呼び起こし、変革をもたらすことがあるのだ。

「北京で蝶が羽ばたけばニューヨークで嵐になる」ことがある。
東京都港区南麻布4-12-9-101 の都民住宅で
蝶が羽ばたけば、Internet memeが いっせいに拡散され
モナルカ蝶の群れように旅しながら3世代 4世代と孵化し
秋葉原で蝶の羽ばたきが嵐になることがある。

ツイッター大量凍結の弾圧の中、
いわゆるキーパーソンのひとり、
とりあえず、㊗️復活ツイート‼️

菅野完 @noiehoie
めっちゃ耳かゆい。
午後7:26 · 2017年7月19日

北村直人さん出ないのか?などなど、
文句は山ほどあるが、とりあえず、
㊗️首相出席の閉会中審査 和泉補佐官、前川氏も招致7/24-25日‼️

歴史は必然ではない。
未来は可能性に開かれている。









明治維新から来年の西暦2018年で150年ということであるが、
日本には2000年の歴史があり、
パックストクガワーナの270年の平和があった。

秀吉の朝鮮侵略 侵略主義をひっくり返したのが、
家康の徳川政権なのである。
当たり前に使われる「江戸幕府」の「幕府」という言葉は、
天皇が派遣した征夷大将軍の遠征先での陣所の幕営を意味し、
日本の正統な政権ではなく、単なる出先機関だと
蔑める言葉なのだそうだ。
政権の権威を否定しようとする尊王攘夷派の長薩藩閥政権が
「王政復古=天皇主権」を正当化するために
使い始めた蔑称であり、
正しくは徳川は江戸にあった「政府(公儀)」なのである。

また、日本の近代化は明治維新に起こり、
アジアで最初の立憲主義国家になったというのも間違いで、
明治憲法は近代立憲主義ではない。
憲法は欽定(君主に命じられる)されるものではない。
明治憲法は国家神道と立憲主義を無理やり結合しようとした
ゲテモノ憲法なのだ。

また、教科書に書かれている「日修好通商条約は不平等条約だった」
というのは、なんとウソだった。
松平忠固(上田藩主 赤松小三郎の殿様)が結んだこの交易の関税率は、
不平等性のない20%だった。
忠固は、西洋諸国間のグローバルスタンダードと同じ20%の関税率を
ハリスに承諾させたのである。
イギリスが結ばせたインド5%や清2.5%などの不平等条約ではなかった。
グリードな侵略者・イギリスが迫っていたので、
急いでアメリカのハリスと結んで
忠固は、良い関税率の基準を作ろうと断行したのである。
ところが、この条約締結において、
天皇の外交権はなかったにも関わらず、
忠固が勅許なしの不敬な条約調印をしたとして忠固を攻め、
井伊直弼の計略で忠固は失脚した。
これによって、混乱に陥っていく。

ちなみに、忠固は、日米修好通商条約調印後は、
幽閉されていた佐久間象山を解放しようとしており、
吉田松蔭も解放となり米国への留学が叶ったかもしれない。
松蔭はこれを喜んでいた。
吉田松陰は、佐久間象山の門下生だったが、
ペリー艦隊への密航に失敗して松蔭は幽閉され、
象山も松蔭に密航の相談を受けて事件に連座し幽閉されていた。

佐久間象山の思想とは、和魂洋才であり、
西洋の技術は学ぶが、西洋の覇道を許さない、
東洋の魂を売りわたさない、というもの。
東洋の思想とは孔子の仁を重んじる。
儒教が説く仁義礼智信 であった。

ところが、松蔭は、牢の中で、
水戸学の書物を読み漁り、本居宣長などに傾倒して、
思想的にオカルト化していき、「幽囚録」を書く。
幽囚録は、北海道も 琉球も、満州、
台湾、ルソン諸島にも進出して覇権せねばならないと書いた。
松蔭は牢から象山に「幽囚録」を送り、
象山はこれを読み 弟子を諌める書簡を送ったという。
松蔭は二十代半ば、象山 五十代だった。
松陰は、最後まで佐久間象山を純粋に尊敬していたが、
牢の中で、いわば、狂気のネトウヨの祖、
あるいは、現代のビンラディンのような存在となり、
あろうことか、のちに松下村塾で自らの弟子にオカルト思想を吹き込み、
その弟子が敬愛する恩師、象山を暗殺してしまうのである。

本来、江戸までの知識人にとって
中国、朝鮮は、師であったので、
排外主義思想はあり得なかった。
松平忠固は息子をアメリカに行かせ、
息子はアメリカで測量器具を発明して
アメリカ横断鉄道建設に貢献した人物でもある。
仮に歴史が違っていたら、忠固によって松蔭は幽閉を解かれ、
松蔭の狂ったルサンチマン、
矛盾した歪んだ攘夷思想はなかっただろう。

忠固を排して、
長州は、孝明天皇を焚き付けて政府の貿易政策を揺さぶった。
一時期、孝明天皇の側近に
長州の息のかかった公方が潜り込んでいたのである。
そして、攘夷実行命令だとして長州が下関戦争を行なった。

長州は、下関海峡で外国船を無差別攻撃し
テロを行なったのである。
これに対し、英仏蘭米は改めて連合艦隊を組んで徹底攻撃し、
長州は大惨敗した。
イギリスは、幕府に300万ドルの賠償金を請求し幕府はこれを払えず、
代わりに貿易の関税率を5%に引き下げさせられてしまった。
象山の先見的な〈平等な交易を行い開国によって国力の増強を図る〉という
思想を理解する能のない長州テロリストたちは、
攘夷戦争に用いるための砲術知識だけを借用し、
象山を抹殺したのである。

イギリス帝国主義の某略の鉄則は、
国内の反乱分子に武器を与えて内戦を起こさせることである。
インドや中国でもそれを行なってきた。
アメリカのソ連を倒すためにビンラディンを使う、
シリアを倒すためにISを使うという作戦と同じだ。

イギリスは、こちらに対してテロを仕掛けてくる
命知らずのテロリスト長州を手懐けるという、
したたかな外交を行う策士である。
長州は、あっという間に攘夷から開国に転換し、
覇権国に従属しつつ国内では専制的に振る舞うこととなる。
長州レジウムの始まりである。
長州は イギリスの傀儡となり武器援助を受け、
テロにより倒幕した。

上田藩の赤松小三郎という先進的な憲法構想をもった天才は、
なんとか内戦を回避して平和的な新政府樹立をしようと目指したが、
薩摩の謀略によって暗殺された。
そして、のちの明治維新史の文献の記録から意識的に除外され、
完全に歴史から抹殺されていく。

赤松は、オランダ語、英語などの語学も堪能で、
オランダの航海、測量、イギリスの騎兵術などに精通し、
薩摩に招聘されたものの、薩摩藩の武力討幕計画を知って拒否した。
内戦の危機を回避しようと、薩摩の西郷隆盛や幕府の永井尚志らと
ギリギリまで交渉していたが、
出身地の上田藩より呼び戻され、
その帰国の直前に薩摩で開かれた送別会の宴の後、
中村半次郎(桐野利秋)の手によって斬り殺された。

しかし、実行犯は人斬り半次郎であったが、
赤松小三郎の暗殺の黒幕は、大久保利通、西郷隆盛だった。
赤松小三郎は薩摩藩士に影響を与えた兵学者であり民主思想家で、
薩摩に対し武力倒幕を必死で諌めていたのであるが、
西郷は自分の部下が赤松につくことが不愉快だったのである。
赤松は、薩摩の軍事機密を知りすぎ、
幕奸(幕府のスパイ)として殺されたのだ。

その裏では、
アーネスト・サトウ/(武器商人 軍産複合体)のようなハンドラーが、
西郷をけしかけ、テロリスト薩長を利用してクーデターを起こさせる
倒幕の謀略があった。

西郷隆盛は、テロの親玉だった。
戦争の原因を作るためには徳川政権 江戸幕府を怒らせる必要がある。
江戸幕府を怒らせるためには、江戸の町で騒ぎを起こして撹乱すれば良い。
西郷隆盛は、金で雇った赤報隊の相楽総三を操って、
無差別テロを行なったのである。
江戸の一般庶民に対する放火、辻斬り、強盗などの無差別テロであった。
暴漢らが薩摩に逃げ込むことから
薩摩が黒幕だとわかった庄内藩が薩摩を襲撃し、
それを契機に武力倒幕の口実にする。
いわゆる 偽旗作戦である。
のちに相楽総三は、西郷に利用するだけ利用されて、
口封じのために処刑された。

松蔭門下の伊藤博文もテロリストで殺人者である。
のちに孝明天皇を暗殺するにも関わらず、
孝明天皇廃位を目論んだというガセネタを受けて、
自らの手で学者の塙二郎を暗殺した。
そして、イギリス公使館焼き討ち、横浜焼き討ちを行なった。
明治政府は極左のテロリスト連合赤軍と同じなのである。

孝明天皇は、朝敵 長州を許さなかった。
長州には、北朝天皇を攻撃した事実がある。
松蔭を始め水戸学者らが崇拝した楠木正成は、
南北朝時代の南朝(後醍醐天皇)側の武将だった。
南朝派の長州は、尊皇と言いつつ、
北朝の孝明天皇を否定し、京都御所を襲撃したのである。

長州の神官ら5名(長州神官ファイブ)は、
長州藩政府に神仏を分離し、国家と一体になった神祇所の設置を訴え、
廃仏毀釈につながる運動も提案し、
神道と国家とを一体化させた社会革命を目指した。
国家改造計画の具体的な実践が、
山口明倫館でおこなわれた楠公祭であった。
この楠公祭は、「北朝末裔・孝明天皇の否定」を意図し
吉田松陰の遺志を継いだ楠公主義者たちが
北朝体制を根底から否定する国家改造論者になっていった
国家転覆の神事だったのだ。
楠公祭の直後、長州は京都に進撃し、
京都御所に大砲をぶっ放し、京都を火の海にするという
禁門の変を引き起こした。
木戸孝允 桂小五郎が首謀者であった。

佐久間象山は、
京都御所に長州が武力攻撃しようとしていたことを察知し、
孝明天皇を彦根城に避難させようとしていたが、
松蔭の弟子である品川弥二郎ら数人の刺客が象山を暗殺し斬首した。
この行いは、まさに ISのテロリストと同じである。

赤松暗殺は、品川弥二郎の日記に記されており、
「関三郎(赤松小次郎の暗号名)の密偵を
 内田忠之助(薩摩藩留守居役)に 依頼」とある。

薩摩藩留守居役のような職務は、内務省 警察官僚の源流である。
民権派政治家を超法規的に殺してきた。
安倍政権の元で、特定秘密保護法、盗聴法、共謀罪など
内調、公安、NSCなど警察官僚の権限が拡大している。

さらに、孝明天皇は薩長によって暗殺された可能性が高い。
京都御所で孝明天皇は崩御した。
天然痘死亡したとも言われるが、
ヒ素による暗殺された疑惑が濃厚である。
孝明天皇暗殺の疑惑も品川弥二郎の日記から推測される。
品川弥二郎の日記には、
・宮中では天皇崩御の事実は、しばらくの間、
 外部には秘密にされていたにも関わらず
 正確な日付けで天皇崩御を記録している。
・品川(長州)と西郷(薩摩)で会談している。
・薩摩は天皇の病気を知り緋い絹を見舞いの品として宮中に送っている。
 このことから、大久保利通は岩倉具視を通じて、
 岩倉具視の妹の孝明天皇の側室を使って
 毒を盛ることが可能と考えられる。

巷で囁かれる陰謀論「天皇すり替え・南朝クーデター」も
状況証拠は、かなり揃っており、事実である可能性がある。
中世の楠木正成を正当化する長州は南朝正統説の南朝主義者だった。
薩長による明治天皇の父である孝明天皇の暗殺は、ほぼ事実だ。
そして、明治天皇は北朝であるはずなのに、
明治天皇が自ら「南朝正統説」に教科書を書き換えさせているが、
これには矛盾がある。
幕末の睦仁親王は子供の頃虚弱だったが、
成人した明治天皇は強健な体躯だった。
大久保利通は、「女官に囲まれて腐っている天皇家は、
根本から替えねばならない」などと発言している。
これらの状況証拠を積み上げると
天皇すり替えはあった可能性がある。

長州は自ら不平等条約を結ばされたのに、
幕府が腰抜けで不平等条約を結ばされたと責任転嫁し、
明治政府は教科書で洗脳教育を行なったのである。
明治政府の中枢にはテロリストたちが就いたが、
実際は、徳川幕府の優秀な幕臣たち、
テクノクラートが実務を行なったのである。

人斬り品川弥二郎は、第一次松方内閣で内務大臣に就任した。
そして、国家テロを行った。
警察による弾圧 人権蹂躙国家の基礎を固めたのだ。
衆議院選挙で自由民権運動が高まると、
暴漢のサクラを仕込み これを鎮めるために見せかけ
警察を投入し、某略で市民25人の死者と300人の負傷者を発生させた。

佐久間象山を暗殺した 品川弥二郎以外の暗殺者は、
松浦虎次郎は大審院判事、
安藤源五郎も同じく大審院判事になった。
同じ暗殺者の河上彦斎は、維新後も攘夷を主張して邪魔になったので、
佐久間象山の暗殺の罪は、河上ひとりに転嫁され処刑された。

日本の初代総理大臣は、伊藤博文である。
イギリス公使館焼き討ち、横浜焼き討ちを計画したテロリストが、
めでたく総理大臣になったのである。

明治の日本は、殺人犯が国家の中枢に座る狂った国家だった。
吉田松陰は、弟子たちに「狂人になれ」とテロを鼓舞していたが、
その教育の成果として日本はテロが横行する国になった。
安倍が尊敬する吉田松蔭は、
オウム 麻原彰晃 を彷彿とするテロ集団の教祖なのである。

排外主義の尊王攘夷派の原理主義テロリストは、
赤松小三郎のような先進的な立憲体制を求めていた人々を
テロによって殺していった。

水戸・長州の尊王攘夷の原理主義テロリズムは、英仏を怒らせて、
逆に軍事介入させ、内部干渉の口実を与え 日本の近代化を歪めた。

長州レジウムとは、
テロリストが、英仏に尻尾をふる飼い犬のポチズムであり、
長州ファイブは 〈ポチファイブ〉である。

覇権国に従属しながら立憲主義を否定し
専制体制を構築しようとした。
明治を美化する安倍政権と同じである。

薩長土肥は、
文科省の前川 前事務次官のように、
優秀な江戸幕府の幕臣の行政の
上前をはねて、
自分の藩閥に誘導しようと蠢いていただけであった。

「モリカケ事件」のような
お友達利益誘導は、
長州の専売特許であった。

長州の井上馨は、
盛岡藩の銅山を国有地にして取り上げて、
長州藩士のお友達に払い下げてやった。

長州の山県有朋は、
陸軍省の金(税金)を生糸相場に投機して大損失を出した。
生糸相場で儲けようと友達の山城屋に任せて
生糸が暴落して失敗したのである。
山城屋は、公金を使い込んでパリで豪遊していた。
結局、山県は、山城屋に全部責任を取らせて切腹させ、
証拠書類は全部焼いた。

これは、安倍政権が、
株価操作のために国民年金を株式運用したのと同じであり、
財務省が6月1日に省内のコンピュータシステムを入れ替え、
森友の国有地売却をめぐる記録を消去したのと同じである。