心の弦をかき鳴らせ‼︎ ✨流浪のギタリスト Estas Tonne ✨〜移民の子供 | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

Estas Tonne …衝撃的です!
エスタス・トンネ…というギターリストに完全に殺られました!

世界中を旅し、
路傍で、
小さな酒場で、
また、各地のフェスティバルで、教会で…
独立してライブを行い、
現代のトルバドゥール(吟遊詩人)と称され、
完全に業界システムの搾取構造から自由な音楽活動を行なっています。
2003年から2007年の間だけで、
約50,000枚のCDを売ったというのですから、
以降は、推して知るべし。

2011年YouTubeに投稿された
ドイツのFestival Stadtspektakel Landshutでのパフォーマンスが、
2016年までに2400万回を超えています。

インディレーベルといわれるものは、
音源を募集して、篩にかけ、
規模が小さいだけで、さほどやっていることは大手と変わらない
鵜を買う鵜飼のような構造で、
インディのミュージシャンと言っても
インディペンデントとは言い難いわけですが、
ネットというツールが、本当にヒモなしのスターを
彗星のごとく出現させることを可能にしましたね。
昨年グラミーを受賞したThe Weekndなどが、その例でしょうが、
彼の場合は、メジャー契約の足掛かりにネットを用いた格好で、
結局、巨大なシステムの中に入っていったのですね。

エスタス・トンネは、
そこのところが違うようです。
音楽の素晴らしさもさることながら、
既存のシステムに依存しないという哲学をもっているようです。
それは、彼自身の経験だけではなく、
彼の中に流れる血の記憶が彼に教える哲学なのでしょう。
本当に生き方そのものがカッコいいアップ
掟破りの驚異的なミュージシャンです。

ウェブサイトから彼のアルバムを買うことができますが、
アルバムの値段は、
「name your price あなたの値段で♡」
つまり、ウェブ上でも、ストリートミュージシャンの意気地。
値段の決まっていない祝儀制なんですね!
お金はないけど買いたいという人は、それなりのお値段で結構。
どーんと気風の良いファンもいることでしょう。
それでいいのだ!経済の原点回帰、理にかなっていますよね。

エスタス・トンネは、
1975年 旧ソ連 ウクライナ生まれ。
現在41歳。
とても幼い頃、祖父から、先祖はエストニアから来た…
という話を聞いたと言います。
彼の本名は、Stanislav Tonne ですが、
本名のStanislav スタニスラフではなく、
彼が名乗っているEstas エスタス という名は、
Estonia エストニア に由来するのかもしれませんね。

エストニアか…
エストニアと言えば、
フィンランドのバルト海を挟んだ向かい側の
バルト三国のいちばん北の国で、
ヘルシンキからタリンへは、船で2時間ほどで行けますね。
因みに、トーベの小屋の島Klovharun と、ヘルシンキ、タリンは、
半正三角形定規を当てた形で位置しています。
毎年、寒さに飽き飽きする晩冬を持ち堪えるために、
ベッドの脇にトーベを積んで、毎度お馴染みのいち頁いち頁、
チョコを摘むように美味しく読み、
エストニアの癒し、アルヴォ・ペルトや、
ラトビアのミッシャ・マイスキーや、
リトアニアの天才、ヤッシャ・ハイフェッツ、
はたまた、ラトビアのCOSMOS(現 Instrumenti)を聴いて、
北ヨーロッパの魂の世界に潜り込み、冬の愉しみとするのですが、
今年は、エストニアのEstas Tonne のギターの炎で、
冬の夜の寝室が、暗い森で薪を炊いたように暖かい‼︎
闇の中に、弦をかき鳴らす彼の指と、揺れ乱れる髪が、
焔のように踊り狂う夢を見ながら眠るのです。

エスタス・トンネのインディペンデントな精神の背骨は、
どのように形作られたのでしょう?
日本では、ほとんど知られていませんし、
彼の経歴については、海外ネット情報も本当に薄いのですが、
知れる範囲で言うならば、キーワードは、「移民」
彼の人生からは、人間のconquest and liberty(征服と自由)の物語が
見えてきます。

彼が生まれ、少年時代を過ごしたウクライナは、
旧ソ連下で、本当に酷い目に合って来ましたね。
スターリン時代は、計画的なウクライナ人の殲滅のために、
軍と秘密警察がウクライナの穀物蔵の農産物を差し押さえ、
人工的に起こされて飢饉で、ほんの2.3年の間に
1000万人ものウクライナ人が飢餓によって虐殺されました。
第二次世界大戦では、ウクライナは激戦地となり、
ウクライナ人はドイツをソ連からの解放者として支援して戦いましたが、
ドイツは彼らを利用した挙句、彼らを劣等人種として支配し、
ドイツが敗走した後は、ソ連がウクライナ人を大量殺戮して
退却していったのです。
そして、ウクライナは、あのチェルノブイリ原発事故を経験します。

彼は、ウクライナで子供時代にクラッシックギターを6年間習い、
ソ連崩壊目前の1990年 15歳で家族と共にウクライナを離れ、
イスラエルへ移住。
以来、11年間ギターを手にすることなく、
イスラエルやヨーロッパなどを転々とし、
ドラッグに染まり、ギャングなどと共に暮らしていたそうです。

しかし、2001年、転機が訪れます。
彼は、9.11の悲劇の直後にニューヨークに渡り、
自分の道に覚醒したのです。
彼がドラッグを断ち切った切っ掛けがどのようなものだったか、
については、下段の動画↓(和訳しました)の
彼自身の言葉を聞いてください。
ニューヨークの地下鉄でストリートミュージシャンをしていた
モスクワ出身のヴァイオリニストのマイケル・シャルマンと組み、
2002年9月11日にニューヨークのユニオンスクエアで
再び、6弦のアコースティックギターを手にし、
9.11一周年ライブを行いました。
その後、アメリカ、メキシコ、インド、イスラエル、ヨーロッパ全土、
世界中を旅し、世界中の人々の魂を揺さぶり、
彼の灯火の火は人から人へ譲り渡され続けています。


"In old times, traveling musicians spread the Light through their music
and storytelling. Because we all have a choice,
I choose to live my life in accordance with this timeless tradition"

"むかし、旅芸人は、
音楽を奏で、そして、物語ることで、
その灯火を広げて来たんだ。
私は、この 時を超越した伝統に従って
自分の人生を生きることを選んだのさ。"



メガヒット?グラミー賞?ビッグな俺?
そんな音楽の本質とは無関係な
虚構の経済システムに関わるつもりは全くないようです。
メインストリームと言われるものは、
何かしらアーティストの魂の焔の純度を穢す
銭ゲバ供の仕掛けた無駄なものが、
ぶら下がり過ぎているように感じます。
これをも凌駕するほどの才能と圧倒的なカリスマ性を持つ
特別なスーパスターというのは、
必ず苦難を強いられ、悲劇的な運命を辿っていますね。

既存のシステムとは、全く異なる領域で、
彼の音楽が、この空の下、この惑星のどこかで、
鳴り響いていることに、胸が熱くなります。


Estas Tonne
Birth name Stanislav Tonne
Born April 24th, 1975 (age 41) Ukraine
Genres Folk, Jazz, Fingerstyle guitar, Flamenco
Occupation(s) Guitarist
Years active 2002-present
Website http://estastonne.com/
https://www.youtube.com/user/Estastonne



The Song of the Golden Dragon


Internal Flight


Spontaneous Nostalgia in Tallinn


Today, I’m Brave のブレイブストーリーに登録

「私の名前は、エスタス・トンネ。
束の間、音楽を奏で、この惑星を旅しています。
私はストリートて育ち、自分の道を見出せず、
学校や社会のシステムに組み込まれることに馴染まず
自分を反逆者だと感じていました。
私は、イスラエルで育ちました。
私の家族が旧ソ連から移住したからです。
私は、沢山のドラッグや喧嘩など、
ストリートの人生を経験してきました。
そして、私はアメリカに行きました。
アメリカは一つの夢だったのです。
私は要するにジャンプしなければなりませんでした。
なぜなら、映画を作る夢をもっていましたし、
全てを断ち切る切っ掛けが必要でした。
そして、アメリカに行ったのです。
その頃、すでに、ギターに触れずにいた長い空白を経て、
再び演奏を始めていました。
私が孤独や絶望を感じる瞬間があります。
その時、もちろん、当初、私ができることは空虚さを埋めること、
もちろん、当初私のイスラエルのバックグラウンドなどを知っている
麻薬ディラーの元に行くことでした。
彼は、チュニジアから来たアラブ人でした。
彼は、ドアの階段のところで私を見て、いくつかの事を告げたのです。
要するに彼は、私に麻薬を売ることは止めた、と言うのです。
彼が言ったことはただ一つ、
"自分は君がヴェニスビーチで毎日演奏するのを見てきた"と。
"君は演奏を続けなければいけない"ということだと思います。
そして、"もう君には何も売らない"と
それは、自分の頭が10億の欠片になって爆発するのを感じた瞬間でした。
この生のためのより大きな絵があります。
なぜなら、善悪を超えて、
それぞれの魂は、それ自身の目的をもってここにいるからです。
ただ、私は、真実の私自身の深い内面を知ることができるだけ。
だから、私は、今日、勇気が湧くのです。
なぜなら、外からどんな波が来ようとも、
私は続けて行くことを選ぶからです。
私は、それらを通り抜けて泳がねばならないのです。」

【Today, I’m Brave とは?】
Today, I’m Brave is a registered nonprofit whose mission is to inspire individuals and organizations through Brave initiatives and by sharing Brave stories. Because the braver we are,
the more fear we can conquer. And when we conquer fear, we can accomplish anything and,together, create positive change around the world.
「Today, I’m Brave」登録された非営利団体で、その使命は、勇気ある取り組みを通じて、また、ブレイブストーリーを共有することで個人または組織をインスパイアすることです。なぜなら、恐れを克服してこそ、私たちは勇気ある者なのですから。また、恐れを克服すれば、私たちは何かを達成できます。そして、共に、世界にポジティブな変化を生み出すことができるのです。
http://www.todayimbrave.com






The Song of the Butterfly Hungary 2014
Estas Tonne & Istvan Sky Kék Ég


Estas Tonne - Bohemian Skies


Estas Tonne - Internal Flight
WINNER Cosmic Angel Short Film Award 2015

Cosmic Angel Short Film Award(宇宙映画映画祭)は、
持続可能性、意識の高さ、創造性を表象します。
この観点から、1年に一度4月に、
支持を集めた最も感動的なフィルムが、
コスミックエンジェルが選ばれます。
2015年の優勝者のコスミックエンジェルは、エスタス・トンネでした。