告訴団弁護団の訴えに、
東京地検が2度も不起訴処分にした、
東電の勝俣恒久元会長ら旧経営陣の3幹部、
勝俣恒久・元会長(75歳)
武藤栄・元副社長(65歳)
武黒一郎・元副社長(69歳)の3人。
しかし、2月29日、検察審査会からの基礎決議を受け、
ついに、検察官役の指定弁護士から、
業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴された。
「検察審査会」とは、
各地方裁判所の管轄区域に1つ以上設けられ、
有権者から、くじで選ばれた11人の検察審査員で構成される。
「強制起訴」とは、
検察審査会の11人の審議員のうち8人以上が賛成すれば、
起訴議決となり、
それの起訴議決が2度出て、初めて「強制起訴」となる。
要するに、8/11が2回続かなければならないので、
「強制起訴」に持ち込むのは非常に難しいことだが、
これに成功した。
検察官役の指定弁護士は、
権力と闘う弁護士が多いと言われる、
「ニベン」第二東京弁護士会が推薦して、
裁判所が決定した3人の弁護士は、
告訴団弁護団の海渡弁護士によれば、
「望みうる最高の布陣」と評している。
山内久光:検察審査会のアドバイザーとして審査補助員を務め
この事件について熟知している
石田省三郎:ロッキード事件、リクルート事件に携わった重鎮
神山啓史:東電OL殺人事件のネパール人再審無罪の弁護
この世紀の裁判は、
この検察役の最強の弁護士3名と、
原発ムラ弁護士との闘いとなる。
◆津波を予見・防潮堤建設案を幹部3名が反故
2度目の起訴議決で、焦点となったのは、
東京電力は、「津波の危険性を予測していなかった」というのは、
虚偽であり、下記①~⑤のように、
予測し検討し具体的な計画を立てて反故にしていた―
この事実が明らかにされたからである。
①2007年12月、福島で大地震による津波が発生することを前提に
津波対策を取らねばならないということを決定していた。
(津波対策の部局が決定・武藤栄・元副社長も参加)
②2008年3月、シュミレーションを行った。
15.7メートルの津波の発生するという計算結果がでた。
(実際の福島は全域で14 m - 15 mに達した。)
③2008年3月末、耐震バックチェックの中間報告をした際、
最終報告までに津波対策を行うことも報告する予定になっていた。
(県に出すQA集をまとめていた。これは社の方針である)
④2008年6月、15.7メートルの津波に対する対策案がまとまる。
10メートルの地盤の上に10メートルの防潮堤を築くというもの。
これを部局の土木対策チームが武藤氏に提出。
⑤2008年7月31日、武藤栄・元副社長は、
この対策をやらないことを決めた。
武藤栄・元副社長もこれに加わっていた。
数百億の予算、防潮堤を作ることによって原発が危険なものだと
認識されることを避けるためだ。
この問題は先送りし、土木学会で調査検討してもらうことにし、
丸投げ、塩漬けにした。
この一連の中越沖対策会議には、東電の天皇のような存在である、
勝俣恒久・元会長が必ず参加していたため、
御前会議と呼ばれていた。
◆検察庁・政府事故調による隠蔽
問題はこれでは終わらない。
この記録は、検察審査会が、検察の記録から見つけたものである。
つまり、このことは検察庁も知っていた、ということ、
さらに、その元を辿ると、政府事故調も知っていたはずでなのである。
推測としては、2011年夏頃には、
検察庁も政府事故調の手元にこの情報は手元にあり、
これを表に出したら大変なことになるということで
重要事実を抜き隠蔽したということ。
これは、もう一つの事件として、
この世紀の裁判で、裁かれることになる。
◆東電・武藤の部下2名、津波審査・保安院3名の事件関与
東電・武藤の部下2名とは、土木学会の委員と幹事、
土木学会の調査グループのヘッドとサブの山形秀之、堺孝司。
津波審査の経産省原子力安全・保安院3名とは、
森山善範審議官、名倉繁樹審査官、野口哲男課長。
この5名は事件に深く関与した。
これにより合わせて強制起訴を勝ち取った。
幹部3名の他に、この5名の刑事責任も同時に審議する。
津波対策の見送りは、原子力安全・保安院が事業者の言いなりとなり、
プルサーマル実施を優先した。
プルサーマルの推進過程で津波対策をやらないという決定には、
保安院との間で当時の内堀雅雄・福島県副知事(現知事)が
関与していた。
*これに関しては、共同通信科学部・鎮目宰司氏が
綿密な調査を行っている。岩波の月刊誌「科学」で、
論文『漂流する責任: 原子力発電をめぐる力学を追う』を連載。
*また一連の津波対策の資料発掘に貢献したのが、
元朝日新聞記者・ 国会事故調の調査委員に入っていた添田隆氏。
著作に『原発と大津波 警告を葬った人々』がある。
◆メルトダウン隠し
2016年2月24日、
東電は、社内マニュアルに「メルトダウン」を判定する基準が
明記されていたが、5年間気づかなかった―と謝罪した。
しかし、事故直後、3月12日、
原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(工学部・原子力工学の知識あり)は、記者会見で「炉心溶融が進んでいる可能性がある」
つまり「メルトダウン」を認めた。
この記者会見以降、菅直人首相と枝野官房長官によって
彼は広報の任務を更迭され表に出なくなった。
その後、メルトダウンを隠し続け、事故から2か月後の5月に、
やっと正式に認めた。
中村幸一郎審議官は、一定のマニュアルから判断して、
「これはメルトダウンである」と判断したはず。
原子力災害対策マニュアルには、
「炉心の破損が5%を超えれば炉心溶解と判断する」と明記されており、
1号機55%、2号機35%、3号機30%の破損だった。
これは明らかな炉心溶解(メルトダウン)。
東電は(政府も)事故直後からメルトダウンしたことを知っていた。
それを5年間隠していたのである。
◆逃げて見殺しの無能無策
東電は、社員が全面的に撤退した事実はなかったと
現在も主張している。
しかし、事故時、福島第一原発では、数千人の所員が働いていたと
言われているが、残っていた所員は、720人であった。
しかも、1Fの所長であった吉田昌郎氏は、
1F(福島第一原発)の線量の低い当たりで待機するようにと
いうTVシステムを用い指示を出したが、これが徹底されず、
2F(福島第二原発)の方に、
GMクラスの者を含む650人が退避してしまい、
一時は、1Fに残った所員は70(69)名で、
放射線量が異常に高いため、「免震重要棟」に避難を余儀なくされ、
中央制御室には誰もいなかった。
末端所員に指示が行き渡らなかったかもしれないが、
GMクラスの中間管理職はこれをTV会議の指示を聞いてはずであり、
所長の指示に従わなかった者がいたということだ。
従って、原子炉の温度も圧力も分からない状態であったのである。
そして、東電も政府も人的物的両面で現場を孤立させていた。
たった69人で4基同時の多重災害に対応できるはずがない。
福島第一原発は、
大地震発生の翌日12日午後に、1号基が水素爆発。
続いて3号基が注水に失敗し14日午前に爆発。
その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない。
あわやメルトスルーの事態に陥った。
チャイナシンドロームを予感させる吉田所長が直面した最大の危機だ。
15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を
陸上部分にまき散らした。
同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。
もしそうなっていればさらに多くの放射性物質が
まき散らされるところだった。
このとき、4号基爆発は、2号機のものだと思われ、
720人に出された指示とその混乱が上記のものだ。
事後「政府事故調」は、772人の関係者から聴き取りを行った。
「聴取結果書」である。
その一環で吉田所長の聴き取りも全7編約50万字一問一答形式に
とりまとめた。これが「吉田調書」と言われるもので、
これを朝日新聞がスクープ。(ここで全文読める。)
この報道は作業員の名誉を傷つけたとしてバッシングの対象となり、
朝日新聞は記事を取り消し謝罪した。
しかし、この報道は、誤報などではなく正しかったのだ。
吉田昌郎氏は2012年7月30日、脳出血のため倒れ緊急手術、
2013年7月9日、食道癌のため死去。享年58歳。
因みに福一に「免震重要棟」があったことは、
大変重要なことだが、川内原発は「免震重要棟」がないまま、
再稼働されている。