衝撃!1962年米軍は沖縄から核ミサイルを誤射する寸前だった!~共同通信・太田昌克氏の大スクープ | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

IWJ 岩上安身氏による
共同通信社・編集委員及び論説委員の
太田昌克
氏のインタビュー(2016/1/8)
は、
衝撃的な内容でした。

太田昌克氏とは、
核問題のプロ中のプロ、知られざる核問題のスペシャリスト↓です。

2007年には、現代の核問題に関する報道や、
日米の公文書をもとに731部隊の免責問題や
日米核持ち込み問題に関する
日米関係の裏面史を発掘し続けたことが評価され、
2006年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。

「歴代外務次官らが管理 日米の核持ち込み密約 経験者4人が証言」など
核密約に関する一連の報道で、
2009年度平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)受賞。


日本のマスコミは、
安倍政権によって圧力を受けて委縮していますが、
太田氏は、
「沖縄の核の脅威」についての
大スクープを発表したことによって、
なんと、現在、アメリカから、直接、圧力を受けて闘っています。


太田氏の大スクープとは、
驚くべきことに、
沖縄の米軍で、人為ミスで「核ミサイル」が発射され、
核戦争が起きる寸前であった
という内容です。

1962年10月、キューバ危機の背後で、
米軍の施政権の元にあった沖縄には、最大1300発の核兵器があり、
読谷村の米軍の「核ミサイルの発射命令」が下ったとされ、
今まさに、「核戦争」が始まる寸前でした。

ところが、この核発射命令を受けた
現場のクルーが疑問を感じ、
彼らの機転によって調査され、命令が間違いだったことが解り、
辛うじて、発射指揮官の判断で
核ミサイル発射は、回避することができました。

核発射までには、暗号確認など、
念入りにさまざまなチェックを通過なければならないように、
管理体制が敷かれていましたが、
このとき、3段階の暗号確認を通過してしまい、
クルーらのギリギリ直感と判断がなければ、
あわや、ミサイル発射となっていた事態でした。

太田氏は、この事実を、
当時、沖縄の米軍・読谷村の当・核ミサイル施設で
ミサイル技師をしていた人物(ジョン・ボードン氏)に
直接取材
し明らかにしました。

この内容の詳細は、
太田氏が運営しているサイト「47News」
連載された【核70年の黙示録】の、

▼【核70年の黙示録】(3)「沖縄とキューバ危機(下)」  脳裏よぎった文明の破滅 誤った発射命令、現場混乱 「核戦争防いだのは運」 
▼【核70年の黙示録】(2)「沖縄とキューバ危機(上)」  核戦争の深淵のぞく 62年、一触即発の発射態勢 ボタン握った米兵たち

こちら↑に詳しく書かれています。
このスクープは、琉球新報などの地方紙は大々的に報じましたが、
全国紙、TVでは全く報じられませんでした。

そして、
そればかりでなく、このスクープは、
アメリカ国防総省内で運営されている星条旗新聞によって、
太田氏は名指しで、批判され、否定されています。

太田氏は、報道の信憑性を確実にするため、
一人の証言者だけではなく、
証言を補強する、もう一人の証言者を探し出し取材しています。

日本を頭越ししてアメリカから圧力を受けている太田氏が、
ジャーナリストとして、命がけで伝えようとしているのは、
決して、過去の危機ではありません。

人間は、ミスをする!
どのように管理体制を整えても、
核兵器も、人間が扱うもの。
不完全な人間によって操作される
核兵器が、最大の「抑止力」になるという論理は、
非常に危険です。

アメリカは、沖縄で、人為的なミスによって、
核戦争を起す寸前であったのは事実!
なのですから。

以下は、IWJ 太田氏・インタビューの
「沖縄の核ミサイル発射危機」の部分の
自分用のメモです。

*********

キューバ危機
1962年10月
夏 ソ連が核基地を建設し始めた
核ミサイルを積んだ貨物船がキューバに向かっていた
アメリカが射程範囲のミサイルだった
米U2偵察機がこれを発見
JFケネディに伝えられる 10/16

キューバ危機の背後で沖縄の核ミサイルが誤射寸前だった
ケネディがそれを知る少し前から
沖縄が緊張状態が高まっていた。

沖縄は1972年以前、まだ米軍の占領下にあり、軍政が敷かれていた。
沖縄には核ミサイルが最大1300発もあった。
核のボタンを握っていた人たちが沖縄にはいたのである。
発射する訓練も行われていた。

*米のミサイル技師の証言
沖縄にはメースB核ミサイルは8発配備された基地が4つあった。
キューバ危機のとき、
沖縄・読谷村でメースB 核ミサイルの発射命令が出た。10/18未明
無線によって暗号で命令が出る。
長官・副長官・参官の3人が暗号が正しいものかどうか確認して
始めて発射される。3段階で確認する。
3つとも暗号が合致した。
そして、核ミサイル発射ボタンのパウチ(袋嚢)が開かれた。

しかし、そこで発射前に、現場で議論が起こった。
キューバ危機のディフェンスコンディションはまだ2なのに、
なぜ核戦争をするのか?
4発持っていたミサイル(射程範囲2000キロ)を持っていた。
1発はソ連、3発は中国
ソ連によるキューバ核持ち込みの危機なのに、
何故中国が関係するのか?
疑問を持ち、嘉手納の指令所に調べたところ、
指令は間違いだった。

*証言者は、ペンシルバニア在住 ボーデン氏 回想録を書いているが
 出版はされていない。 直接取材 2004/8 
 読谷村のミサイル技師 4発所管

*読谷村の他の米兵2名は、そんなことは聞いたこともない。と証言する

*シングルソースを補う裏づけ取材
その日、ゴードン氏と読谷村の基地の核ミサイルの任務についていた
クルーのうち健在の人、Aさんが一人いた。
当日出勤のクルー7人のうちの一人を見つけ出す。 
退役した時に米軍と機密情報を漏らさないという約束をしたとの理由で
完全取材拒否される。
しかし、記事にするとき、Aさんだということが特定されないように書くこと
証言を他言しないことを約束することを提案し、証言を承諾してくれた。
Aさんは「核ボタンの入ったパウチが開かれた」と証言してくれた。

太田氏の大スクープをアメリカの「星条旗新聞」が反論 2015/12/23
批判記事:
ボーデン氏とともに沖縄のミサイル施設の任務に就いた
他の6人の航空兵
そのうち、ラリー・ヘイブマンとビル・ボーンは、
「ボーデンの話は嘘だと確信していた」と証言している。

星条旗新聞から直接、太田氏に批判のメールが来た。
太田氏は、ボーデンの証言を否定している人物の取材もしているのに、
これを書かないのはジャーナリストとしておかしいのではないか。との批判。

しかし、太田氏は、以下のことからもスクープ内容の信憑性に確信を持っている。
・A氏が記事が出ても「パウチが開いた」
 (命令が来て確認作業をしていたということ)という証言は
 変わらないこと。
・ラリー・ヘイブマンは、記事がでたあと「そんなこともあったかも」と
 意見が変調していた。
・ビル・ホーン氏は、読谷村基地内にはいたが、
 ミサイル施設内にはいなかった。
・ラリー・ヘイブマン氏も、その当日は非番だったのでいなかった。
・ボーデン氏は「現場にいなかった人が
 自分たちが見てなかったからと言って、
 だからなかったとどうして言えるのか!」と言っている。
・ボーデン氏は、太田氏の取材の前に、
 ペンタゴンに書面を送り許可まで得て臨んでいる。

受け継がれてきた核武装の系譜
岸信介「自衛の本来の本質に反せないならば、原子力を用いても
    差支えないのじゃないか」1957/5/7
中曽根「日本国憲法は、防衛用核兵器を禁止していない」1971/7/8
福田 「国の武装力を核兵器で装備する決定を採択できる」1978/3/8
宮沢 「日本にとって核は技術的に可能であり
    財政的にもそれほど難問ではない」1991/9
安倍 「核兵器は違憲ではない」
   「核兵器を持ちたいなら堂々とそう言うべきだ」2002/5/13

**********

こちらも必見。

太田氏は、誰よりも知られざる核問題に詳しい専門家。
太田氏による長崎大学でのセミナー
政府の言う核の傘とは、「核廃絶」と言いながら行う「日米核同盟」である~