昭和天皇 ~"脛の傷"は今も痛む | ☆Dancing the Dream ☆

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孫崎享先生は、
満州事変から真珠湾攻撃へ至る経緯を、
軍部、政治家、政府、社会の記録で裏付けながら浮かび上がらせた
著書『日米開戦の正体』を解説するIWJのインタビューの中で、
歴史を読み解きながら、
今日現在の日本の政治にも影響を及ぼす、昭和天皇について、
非常に、興味深いことを語られていました。

以下は、自分の学びのためのメモです。

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日本の傀儡政権として中華民国の大元帥となった張作霖が、
操り人形でいることを拒否し、
1928年、河本大作によって、張作霖爆殺事件が計画立案実行された。

犯人は軍人であるなら軍法会議にかけるべきだとする
首相・田中義一の命は、天皇の意向でもあったが、
陸軍は拒否。田中首相は天皇の叱責にあって辞任した。
日本は、陸軍に牛耳られていた。

1931年、9月19日、満州事変が勃発。
河本大作が左遷された後、参謀となった石原莞爾が、
暴走したものであると言われているが、
真実は、陸軍中央が関東郡に振り回されている芝居をし、
追認していたのである。

河本大作、板垣征四郎、永山鉄山、
東条英機、石原莞爾など陸軍エリート幹部らがいた
陸軍内部で結成された一夕会。
満州事変初期は、一夕会の「満州問題は武力よって解決すべし」という
認識によって行われていた。

一夕会のメンバーのうち、関東軍の板垣、石原によって、
満州事変は実行された。
若槻内閣が倒れ、傀儡・満州国皇帝として溥儀の担ぎ出しに
中央も同意。
政治家は、軍に逆らうと殺されるという恐怖から、
軍をチエックする意欲を失ってしまった。

1931年、「血盟団」によって、日本の中枢へに暗殺が開始される。
アンダーグラウンド右翼のテロによって
政治経済界の指導者の連続殺害事件である。

血盟団の四元義隆は、血盟団事件で殺人罪で
懲役15年の実刑判決を受けるも、
1940年に他の団員と共に恩赦で出所し、
戦後は政界の黒幕的な存在となった。
1955年から田中清玄の経営していた三幸建設工業の社長となる。

戦後の政治史のひとつのキイマンである中曽根康弘の
「影の指南役」と言われるのも、四元義隆である。

さて、孫崎氏は、
中曽根が、戦前のアンダーグラウンドの人物とつながっていたということから、
導き出されるのは、
戦後の政治の特徴的な「ある構造」を見出す。

戦後政治の主流・中曽根は、
「右翼のふりをしながら、アメリカべったり」
かつ、戦前の「テロの右翼」の人々と連携しており、
これが、現在までつづいている
のではないか、というのである。

戦後の重要なポイントは、
「戦争の中枢部にいた人たち」というのは、戦争が終わったら、
彼らの多くが、「アメリカに使われた」ということである。
そして、「アメリカに使われること」によって「生き延びる」
この構図は、少なくとも「表舞台」には明らかにあることが解る。

「表舞台」がそうでなければ生き延びられなかったということは、
四元のような戦前の「テロの右翼」、つまり、「裏舞台」が、
生き延びるには、同様に「アメリカに使われること」が
必須であったはずである。
たとえば、戦前、軍の協力者であった日本財団のアメリカと近い
笹川良一などが、その例である。

一般論として、
スパイなど、植民地で利用されるものは、「弱者」である。
つまり、「罪を負っている者」「弱みを握られている者」。
弱みのない人間は、利用しようとしても、
いつ何時、離反するか解らないが、
弱みを握られている人間は、永続的に服従するだろうということだ。

「脛に傷を持つ者」、
「処刑を免れる代わりに無期限隷属を選んだ者」、
そういう犯罪者が、日本の戦後史を作っているのである。

その代表が、残念ながら、
「昭和天皇」である。

敗戦後、昭和天皇は、
本来なら、絞首刑になってしかるべき存在であり、
「アメリカに従属することによってのみ生きられる」ということが
解ったのである。

岸信介のみならず、最も、対米従属が強かったのが
昭和天皇だったのだ。

アメリカは「天皇制」を維持したいという意思はあったが、
「天皇制の維持」ということと、
「昭和天皇が天皇であり続ける」ということは別である。
本来は、「昭和天皇は退位」するのが筋だった。

そして、昭和天皇、以下の者の筋の通らない身の処し方は、
尽く、敗戦後の日本の姿を歪めることになった。

戦後、重要な日米関係の局面で、昭和天皇が、深く関与し、
昭和天皇の古傷の痛みを肩代わりさせられ、
最も犠牲となったのが、基地の問題、沖縄である。


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なかなか、虚を衝かれるような、凄い話ですね!

結局、天皇を筆頭に、
戦時の中枢にいた戦犯らは、
罪を償わなかった「弱み」をアメリカに握られ、
服従してのみ、生き延びることを許され、
戦後も植民地国・日本の中枢で
任務を与えられていたわけです。

そして「表舞台」の系譜の人々と共に、
「裏舞台」の系譜の人々も
今も生き残って、影で連携しているのだということです。
それが、戦後史の正体だというのですから、
恐ろしいことです。

孫崎さんは、
『戦後史の正体』の中で、
昭和天皇の戦後の日米関係への関与について、
明瞭に書かれています。

『戦後史の正体』より、天皇の沖縄への関与について、
概要を記します。


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日本国憲法では、第一条で「天皇は日本国の象徴である
第四条で「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行ない、
国政に関する権能を有しない
」としている。
したがって、
我々は、天皇は象徴で、政治に関与しないと思ってきました。
しかし、昭和天皇は、戦後、日米関係の核心に深く関与しています。

進藤榮一筑波大教授が1979年に、
米国の公文書館から驚くべく文献を発掘し、雑誌「世界」に
「分割された領土」という論文を発表しました。
GHQが保管していた文書とは
天皇の側近、寺崎英成氏が、GHQマッカーサーに接触して
伝えた沖縄に関する極秘メッセージによって
昭和22年に、寺崎氏が沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるものでした。
その内容は、およそ、次のようなもの。

米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう
希望していると言明し、
さらに天皇は、沖縄にたいする米国の軍事占領は、
日本の主権を残したままでの長期租借
―25年ないし50年あるいはそれ以上―の
擬制にもとづくべきであると考えている。

手続きについて、寺崎氏は、
沖縄および他の琉球諸島の軍事基地権」の取得は、
連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、
米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。
寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じが
あまり強すぎて、将来、
日本国民の同情的な理解を危うくする可能性がある。

ここで昭和天皇はGHQ側に対して、
「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えているのです。
そしてさらに驚くべきことに、
実は沖縄の現実はいまでも基本的に
この昭和天皇の要望通りになっているのです。
昭和天皇は戦後の日米関係を構築するうえで、
ここまで深く直接ダイレクトにかかわっていたのです。

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また、
昭和天皇は、鳩山政権下で試みられた
不平等な日米安保の改定、米軍撤退についての外交に関して、
口を差し挟んでいました。そのあらましを記します。


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1955年、第二次鳩山一郎内閣は、
改憲・軍備増強・米軍撤退・国連加盟と安保条約の対等化を
基本政策として掲げていた。

同年8月末、鳩山内閣の外務大臣・重光葵が訪米し
ダレス国務長官と会談。
安保改定構想、米軍基地の撤退、安保条約の改定を求めた。
天皇は、重光に国政の報告をさせ、
「日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」とし、
駐米大使に、「アメリカの軍事的・経済的援助が
戦後日本の生存に重要な役割を果たしてきたことについて
深く感謝し、この援助が継続されることを希望する」、
「日米関係が緊密であることを望み、
それが両国にとって持つ意義を十分認識している」との
メッセージを、ダレス国務長官や米国要人に伝えるよう命じたのである。 

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「生きて虜囚の辱を受けず」
天皇への忠誠を唱え、
忠義や滅私奉公、国家のためには死をも厭ぬよう、
自決や玉砕を国民に強制してきた人々が、

敗戦と同時に、
自らが生き延びるために、
徹底したアメリカ従属の操り人形となって、
売国行為を行ってきた。

戦時下に、
国内外の多くの無辜の民を虐げ、
血を流させた者たちが、罪を逃れ、
敗戦後には、アメリカの配下で、
国民を欺いている。

この歴史の事実を見つめ、
現在、"脛に傷もつ"系譜の子孫らが、
また、私たち自身が、
どのような認識を持ち、どのような振る舞いをしているのか?
目を見開かなければなりませんね。


つづく・・