後期ラテン語の「zelus」から来ており、
"keen やる気満々、zealous 熱心な、avariciou 強欲 "を意味し、
'envy 羨望'する感情は、悪意のある注視を基にした
敵対的な力として表される。
しかし、また一方では、
"ardor 情熱, eager rivalry 熱心な競争,emulation 張り合い"
という別の意味を持っています。
嫉妬 Jealousyとは、
Ambivalence conflict
愛と憎しみ、尊敬と軽蔑など、
矛盾する感情が葛藤している精神状態なのでしょう。
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jealousy に関して言えば、
私自身の、もっとも古い記憶としては、
母を独占したいという気持ちから、
父に、その次が、姉弟に対して感じた感情ですね。
1歳未満?の赤ちゃんの頃の記憶なのでしょうか?
母に抱かれて授乳されているときに、
傍にいる父を睨みつけたいような感情を抱いたことを
憶えているのです。
二者間の甘いひと時を、第三者に邪魔されるのが嫌だったんでしょうね。
面白いことに、年々、新しいことは、少しも記憶に留まらないのに、
なぜこんなに古い記憶があるのか、理解できませんが、
人の心とは、不思議なものだと思います。
「jealousy 嫉妬」という感情について、
また、嫉妬という感情に向き合い
創造的に転換していく付き合い方について、
精神科医の北山修氏は、次のように語っています。
北山修さんの話には、
ちょいちょいマイケルジャクソンのことが出てきます。
上の著書を紹介しながら語られる動画でも、
(22;50~)マイケルの名前が挙げられています。
九州大学を退官する際の最後の授業に、TVカメラが入り、
NHK教育テレビで放映されましたが、その内容をまとめた
『最後の授業―心をみる人たちへ』という本の中に
「セルフモニタリングの時代」の到来についての解説があります。
そして、マイケルが例に挙げられています。
北山氏は、『THIS IS IT』とは、徹底してセルフモニタリングが
行われている映画である、という分析をされています。
セルフモニタリング【self-monitoring】とは、
自分の行動や考えや感情を自分で観察記録することです。
たしかに、マイケルは、リハーサルをカメラで撮り、
すべてを把握しようとしています。
マイケルが、日常的にプライベートでも自分をカメラに収めていたこと、
また、メモ魔で、頭に思い浮かんだことを常に、
そのへんの紙切れに書き記し、重要と思われるメモをバスルームの鏡などに
貼り付けていたことなどは、よく知られていることです。
「あれだけ自分の表をモニターできるとなると、
自分が自分の表を操作することになってしまって、
自分は自分の操り人形となってしまうでしょう。」
「そうすると、素顔はどこへ行ってしまうのか。」
そして、マイケルと同じような傾向が、
現代人全体にも進んでいるのではないかと言うのです。
具体的には、例えば、デジカメで撮った画像というのは、
醜い自分は、簡単に削除して、写りのいいものだけを残していくことができ、
それによって、セルフイメージがあがるかもしれないが、
それは、すなわち、セルフモニタリングが
「自惚れ鏡」になってしまうことでもあるのです。
「私たちは、私たち自身でつくりあげていく自分の仮面と、
自分の本来の醜い姿、あまりさらけ出したくない姿との間で葛藤する、
あるいはそれが進行して引き裂かれている。そいう時代に入った。」と。
「仮面と素顔」つまり「うさぎとカメ」の間の落差が
大きければ、大きいほど、ある日、その矛盾に気づくとき、
置き去りにした「素顔・カメ」を探し、
人の心は、引き裂かれるものなのかもしれません。
マイケルジャクソンは、その「素顔・カメ」のことを、
作品中では「My baby 私の子供」と表現し、
あまりにも幼い頃から高速で走り続けることを強いられ、
遠く「私の子供(素顔・カメ)」を見失ってしまった苦悩と、
それを取り戻そうとする闘いを多くの作品に描いています。
私たちの「子供(素顔・カメ)」とは、無意識の中に存在するもの。
誰にとっても、在るはずなのに、見えにくいもの。
「自分の本来の姿を、やっと見出した!」と思って、
一時、居心地の良さを感じても、
それは、やはり、「子供(素顔・カメ)」と「他者(社会)」を結ぶ役割をする
「渡し(私)=(仮面・うさぎ)」であったということを知るという、
永遠の「かくれんぼ」「鬼ごっこ」の繰り返しを
経験するものなのかもしれません。

北山修氏は、
マイケルジャクソンという人物を、
「セルフモニタリング」の罠に嵌まり込んでしまった顕著な例として、
取り上げていますが、
彼がそのことに無自覚だったわけではありません。
大変パーソナルな心情がよく表された彼の詩集、
『Dancing the dream』の中の、
The Elusive Shadow という詩を読むと
彼が自分の状態や、自分の心を、
他の誰よりも冷静に見つめる眼差しを持っていたことに
驚かされます。
その詩を、下に、和訳とともに掲載します。
マイケルが行った徹底した「セルフモニタリング」は、
ある意味、世界で最も注目を浴びるアイコンであるがゆえの、
防衛策でもあったことでしょう。
60年代の日本の芸能界の寵児となった北山氏でさえ、
襲撃されるのではないか?と、
身の危険を感じるほどの他者から受ける凄まじい注目。
その中でも人から受ける「嫉妬」は、恐ろしいものだったと言います。
マイケルは、いったいその何倍を一身に受け続けていたでしょう?
つまり、彼は、常時「他者からモニタリング」されていたのです。
この異常な状況を彼はどう感じていたのか?
それは、あの怪物曲『Thriller』の歌詞に
よく表されていると思われます。
"against the thing with forty eyes"
"40個の目をもつ者に対峙し"
彼は、少年期からずっと、マスコミニケーションという
バケモノと闘っていたのです。
また、一方では、彼の 生業の性質上、
entertainment が「意識を惹きつけ続けること」という意味の語源をもつように、
逆に、人々の注目を集めマスコミニケーションを
操る技も身につけていたでしょう。
彼は、名実ともに稀代のエンターティナーだったのですから。
"That it's a thriller, thriller night
Because I can thrill you more than any ghost would dare to try"
"これはスリラー、スリラーの夜なのだ
なぜなら、どんなゴーストが挑むようなことよりずっと
僕は君をゾクゾクさせることができるのだから"
彼は、そのせめぎ合いの中に身を置く自らの宿命を
誰よりも自覚しており、
肉体をもつ自分の命が、短いことを悟っていました。
だからこそ、自分の作品がサバイブし、永遠の命を持つことを願い、
かくも熱く全人生を仕事に献身したのでしょう。
Fortuna (運命の女神)
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The Elusive Shadow
Even tho I traveled far
The door to my soul stayed ajar
In the agony of mortal fear
Your music I did not hear
Thru twisting roads in memory lane
I bore my cross in pain
遠く旅をしていてさえも
僕の魂への扉は、ずっと半開きのままだった
致命的な恐怖の苦痛の中で
君の音楽は、僕には聞こえなかった
思い出の路地の曲がりくねった道を通り抜け
僕は痛みの中で自分の十字架を背負ってきた
*tho=though *Thru=through
It was a journey of madness
Of anguish born in sadness
I wandered high and low
Recoiled from every blow
Looking for that stolen nectar
In my heart that long-lost scepter
In all those haunted faces
I searched for my oasis
それは、悲しみから生まれた苦悩の
狂気の旅路だった
僕は、あらゆる逆風に晒された
高く、また、低い地を彷徨った
奪われた「甘露」、消息不明の「王笏」を
僕の心の中にさがし求めながら
それら幽霊の様に出没する顔の全てに
僕は自分のオアシスを探し求めていた
*nectar・・ギリシア神話におけるネクター。
神々が常食とする生命の酒・不老不死の霊薬である薬酒・滋養のある飲み物
*scepter・・王笏(おうしゃく)。君主が持つ象徴的かつ装飾的な杖。
ギリシャ神話では、王笏には鳥の装飾が先端に付いている。
In a way it was in a drunken craze
A cruel hysteria, a blurry haze
Many a time I tried to break
This shadow following me I could not shake
Many a time in the noisy crowd
In the hustle and bustle of the din so loud
I peered behind to see its trace
I could not lose it in any place
It was only when I broke all ties
After the stillness of the shrieking cries
ある意味では、それは酔った熱狂の
残酷な病的興奮、不鮮明な靄の中にいたということだった
何度も、僕は、振り払うことのできない、付き纏うこの影を打ち破ろうと試みた
何度も、声高の騒音の押し合いへし合いのを喧しい群衆の中に
通り過ぎたそれの足跡を見るために、僕は後ろを注意深く見たのだ
僕は、それを、どんな場所でも見逃さなかった
それは、金切声の叫びの静けさの後の
僕が全てから解き放たれた、その時のだけことだった
In the depths of those heaving sighs
The imagined sorrow of a thousand lies
I suddenly stared in your fiery eyes
All at once I found my
The elusive shadow was my soul
それら、吐き出された溜め息達の底深くに
想えば千の悲しみが横たわる
僕は、不意に、君の炎のような瞳に、目を見張ったのだ
突然に、僕は自分の目的地を見出した
その巧みに姿をくらます捕えどころのない影は、僕の魂だったのだ
*elusiveの語源・・=ex- "out, away" + ludere "to play"
つまり、「鬼ごっこ遊び」や「かくれんぼ」のようにふざけて逃げまわり、
神出鬼没で、「捕まえにくい、捉えどころのない」というような意味。