この歌は、普通に訳すと、
例えば、現実的に 何らかの事件に巻き込まれて、
"行方不明になってしまった子供たちの無事を祈る歌" という解釈になり、
you tubeなどに和訳版が流され、
巷では殆どがこのように解釈されているようだ。
しかし、マイケルが歌う The Lost Childrenとは、
個人的には、もう少し、哲学的な意味を含んだ
"失われた子供たち"なのだと思う。
誰もが、かつては無垢な赤ん坊であり、
おギャ~!と産声を上げて、初めてこの世に誕生した赤ん坊は、
初めから金の亡者や、大量殺人者、
残酷な独裁者になろうとしたはずはない。
赤ん坊の無傷の玉のように輝く魂は、
外部からどのような影響を受けて育っていくのか?
愛情に育まれ、心の中の魂は益々磨かれ輝きを増し幸福な人生を歩むのか?
あるいは、愛情、躾、教育、常識という名を借りた虐待を
親や学校、社会から受けて傷つけられ、
その魂はその人の心の中心から離れ、
彷徨える魂となるのか?
マイケルが歌う The Lost Children、"失われた子供"とは、
後者のような魂について歌っているのだと思う。
最近、地下鉄サリン事件から20年ということで、
上祐が、色々なところでオウム事件について語る場を与えられているようだ。
その中で注目するのが、
オウム事件の根本的な原因について語った
上祐の発言である。
上祐は、オウム事件は、
「麻原の生い立ちからくる、家族や国家への憎しみ」に起因する
というようなことを述べ、
自分自身が麻原を盲信して行った理由は、
「子供時代に浮気をして家族を捨てた
父親の代わりを麻原に求めた」ためである。
という内容のことを語っている。
このような事象について、
マイケルは、The Lost Children によって起こると明言している。
マイケルジャクソンは、あらゆる機会に、警告を発していた。
例えば、彼はこう述べている。
「この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。
子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、
関心をもたれないことに 体を震わせ、
注目してほしいと叫び声をあげているのです。」
2001/3/6 Heal The Kidsオックスフォード大学・講演
「現在の世界の問題の多くが、スラム街の犯罪から
大規模な戦争、テロ、超満員の刑務所にいたるまで
それらは彼らが子ども時代を奪われてしまった事実の結果なのだと
私は明確に理解しています。」
1993 Grammy Legend Award(特別栄誉賞)スピーチ
つまり、麻原も上祐も、
マイケルジャクソンのリアライズに当てはまる
正に The Lost Children ということになるだろう。
しかし、マイケルジャクソンは、
自分自身もまた The Lost Children なのだと告白している。
それどころか、マイケルは、子供の頃から自由を許されず、
働き詰めに働き、成功を手にした自らを
"失われた子供"のオーソリティーであると自称していた。
そして、生涯を通じて"自分自身を取り戻す闘い"、
あるいは、"自分自身で在り続ける闘い"を
自伝的とも言える作品に克明に表し続けたのである。
これらの作品に触れるにつけ、
私たちもまた、"失われた子供"と無縁でありようがないと思わされる。
生まれ落ちると同時に新自由主義の台頭する競争社会の中に放り込まれ、
その価値観の中の、勝者になるにしろ、敗者になるにしろ、
"失われた子供"の性質を帯びずにはいられないだろう。
その結果、閉じられた機械的な日常に埋没し、現在の悪政を許し、
危機的な日本を形作っている加害者の一人であることを
自覚せざるを得ないのだ。
もうすぐ統一地方選挙が、行われるが、
日本の選挙では、約50%の人が選挙に行かない。
腐敗政治にあきらめてしまっている人々が覚醒すれば、
自民党政権のもつ30%の大企業の組織票に
勝てる可能性があるにも関わらず。(山本太郎・弁)
後藤健二さんは、過去のツィッターでこうつぶやいた。
「のんきに見せかけてずるい日本人。
自分も含めて。
2012年8月15日 22:16」
後藤さんは、無知、無関心であることに甘んじていることは、
加害性を帯びるということを自覚しているのだ。
そして、おそらく、
自分自身も、"The Lost Children 失われた子供"であるという
自覚がある人物なのだろうと思う。
後藤さんも、上祐と同世代であり、同じく離婚家庭に育っている。
後藤さんが、5歳の頃に母親は家を出たということのようだ。
後藤さんが、生母の石堂順子さんとの関係を
どのように捉えていたかは、
本人でなければ解るはずもないが、
後藤さんが、危険を顧みず、ライフワークのように
「戦争の中の子供たち」を撮り続けていたのは、
やはり、彼の生い立ちに関係して、
子供たちに対する何らかのシンパシーがあったのではないかと想像する。
この動画の初めに後藤さんが語っているのは、
――若者たちが歌った歌は 歌を作った人間に、
また、その歌に感動する側に、そうできる「素地」があるからであり、
中東の戦禍の中で生きる子供たちは、それが奪われている。
けれども、彼らも本当は、そんな歌が歌いたいのだ。――ということだ。
彼の言う「素地」こそ、
マイケルジャクソンが言う「子どもの魂」なのだと思う。
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では、マイケルの『The Lost Children』の和訳を~


The Lost Children
―― 和訳・byてん
We pray for our fathers, pray for our mothers
Wishing our families well
We sing songs for the wishing, of those who are kissing
But not for the missing
僕たちは、お父さん達やお母さん達のために
家族の無事を願って祈る
僕たちは、その願い事についての歌や
キスしてる恋人たちの歌は歌う
でも、(あるはずなのに失くして)見つからないものついては歌わない
[CHORUS 1]
So this one’s for all the lost children
This one’s for all the lost children
This one’s for all the lost children, wishing them well
And wishing them home
だから、この歌(one=song)は、すべての迷子の魂のため
この歌は、すべての迷子の魂のための歌だよ
この歌は、彼らの無事を願い
そして彼らの帰省を願う
すべての迷子の魂のための歌だよ
When you sit there addressing, counting your blessings
Biding your time
When you lay me down sleeping and my heart is weeping
Because I’m keeping a place
あなたが、どれほど恵まれているかを数え上げて自分に言い聞かせながら
時機を待って ただそこに座っている時
あなたが、僕を眠らせようと横たえる時
僕の心は、泣き濡れている
何故なら、僕が、迷子の魂が還る場所をずっと守っているのだから
[CHORUS 2]
For all the lost children
This is for all the lost children
This one’s for all the lost children, wishing them well
And wishing them home
すべての迷子の魂のため
この場所(one=a place)は すべての迷子の魂のため
この場所は 彼らの無事を願い
そして彼らの帰省を願う
すべての迷子の魂のためのものだよ
Home with their fathers,
Snug close and warm, loving their mothers
I see the door simply wide open
But no one can find thee
彼らのお父さん達、
包み込むように心地よく温かい、愛する彼らのお母さん達がいる故郷
僕はそのドアが簡単に大きく開くことを知っているよ
だけど、誰も汝(の魂)を見つけられない
[CHORUS 3]
So pray for all the lost children
Let’s pray for all the lost children
Just think of all the lost children, wishing them well
This is for all the lost children
This one’s for all the lost children
Just think of all the lost children
Wishing them well, and wishing them home
だからすべての迷子の魂のために祈っておくれ
すべての迷子の魂に祈ろう
ただ、すべての迷子の魂のことを考えておくれ
彼らの無事を願いながら
これは、すべての迷子の魂に捧げるんだ
この歌は、すべての迷子の魂の為の歌だ
ただ、すべての迷子の魂のことを考えておくれ
彼らの無事を願いながら
そして彼らの帰省を願って
*******************
14:55~
辛坊「オウム真理教がしたかったことは?ということで
皆さんに書いていただいています。
この中で、当たっている。あるいは近い。というのはありますか?」
上祐「麻原の個人的な生い立ちを考えると、
田島さんの"憎しみ"というのはあると思います。
彼のお兄さんは全盲で、彼は視覚障害なんですが、
お兄さんの手記によりますと、子供の時は目が見えていた。
目が見えなくなったのは、水俣病の結果ではないかと考えて
お兄さんは水俣病の申請をしたということがありまして、
だから、子供の時から、国家とか企業が自分にとって
"敵"という意識があった。
さらに、家族も敵というのがあって、
麻原彰晃は全盲ではないが視覚障害者として、
親元を離されて、寮制の盲学校に行かされたのですが、
その時に、彼に出る政府からのお金を
生活が苦しかったのだと思いますが、両親が生活費に流用し、
それを学校の教師に咎められるということがあった。
そういうことから、家族に、国家に、
強い憎しみを抱いて育ったのかな。というようには思います。」
****************
上祐が主催している『ひかりの輪』のホームページで、
「スタッフが、親との交流を回復、
親の介護を行い、団体が支援していること
「ひかりの輪」スタッフが両親等と関係回復した事実」として、
上祐史浩のケース(↓) が記されています。
****************
上祐は、大学教授の指導により内観を実践した後、母親への劇的な心境の変化が起こり、母親と十数年ぶりに再会し、関係が回復しました。心境の変化や母親との交流については、以下の通り上祐の自著ならびに雑誌のインタビュー記事に記載されているので、ご紹介します。
●『オウム事件17年目の告白』(扶桑社)より
○父親の悪口を言わず、褒め称えた母親
次に、母親について。子どものときに私が母親に感じたのは、まじめでいい人だが、辛そうな様子も覗かせるため、身勝手で(誇大妄想的なまでに)上昇志向の強かった自分には、理想像とはなりにくかった。父親にも母親にも、子どものときの私は真の尊敬を持っておらず、だから、理想の親のイメージを麻原に求めたのだと思う。
しかし今思えば、父親が家を去り、頑強とは言えない体で家計を支え、さらに弟の持病の世話をしていたのだから、辛そうにしていても無理はないだろう。少し大げさに言えば、貧・病・労の三重苦であったのだ。
その中で私がなしたことと言えば、母親が何も言わないのをよいことに、高校は私立を選択し、大学は(奨学金をもらったが)大学院の修士課程まで遠慮なく行くという幼稚さ・自己中心であった。
当時を内省して印象深く思い出したのが、父親の浮気に対する母親の言動だった。私が記憶する限り、母親が、浮気した父親を悪く言うのを聞いたことがないのである。悲しんでいたことは多少なりとも記憶があるが、どう思い出そうと、悪口は聞いたことがないのだ。
聞いていれば覚えているはずだから、実際に言わなかったのだと思う。それどころか、前に述べたように、母親が、父親が養育費の支払いについては責任を持っていることを私の前では褒めて強調していたことが印象に残っているのである。
これは、偉大だと思う。自分を捨てた人間を褒めているのだから。
それを聞いた内観の先生(ひかりの輪の外部監査人の一人)は、「子どもを守ったんですね」と言った。 自分を捨てた人間を、自分が育む対象を守るために褒めるということは、当然のことのようでいて、とても難しいことだ。
私もいろいろな人から個人相談を受ける中で、よく感じるのは、夫婦が離婚ないし別居となる際には、当人同士も辛いだろうが、一番辛いのは子どもであるということだ。だから子どもに最大限に配慮することが非常に重要なのだが、実際はなかなか容易ではない。
私の場合、両親は離別したが、遠くから支える父親と、父親の非ではなく愛を強調した母親のおかげで、父親に捨てられたという恨みを抱えずに済んだ。離婚はしたが、その中で最大限子どもの心を守る点においては、両親は心を一つにしていたのではないか。
○母親が、私を重罪から救っていた
麻原は、両親に恨みを抱いていた。そして、その親への恨みは、自分を育む者全体への恨み、すなわち、社会や国にまで及んだ。それが彼の心に、強い誇大妄想と被害妄想という人格障害を形成する一因となった可能性がある。
私は、麻原の影響を相当に受けたが、麻原の被害妄想には、完全には共鳴しなかったと思う。それが、オウムの活動のいろいろな場面で、私と麻原の運命を分ける結果になったのではないか。
麻原と同じように、親や社会に対して被害妄想を抱いていたら、坂本弁護士事件に加わり、選挙の陰謀説を盲信し、地下鉄サリン事件のあとも、破壊活動の停止を麻原に進言せずに戦い続け、ロシア人による麻原奪還テロを止めずに逆に後押ししていたかもしれない。それは自分の死刑と無数の被害者を生み出したことを意味する。
麻原は、自分を認めない存在、捨てた存在を否定し、悪業多き魂と位置付けたり、陰謀論さえ唱えたが、私の母親は、自分を捨てた父親の悪口を言わなかったことで、麻原に完全に共鳴することから私を守ってくれた。
その意味で、まさに命の恩人であった。
そして、父親と同様に、母親も、今後の私の見本だと思う。 今私は、前に述べたように、親への感謝を深めるように、会員や縁のある一般の人たちに、感謝や内観の実践を推奨している。それは、自分に与えられていないものばかり見て不満を言う傾向の強い現代社会において、親から与えられている恵みに気づいて感謝することがエッセンスだ。それを私の母は、私が出家する前から、私のために、私に代わって実践してくれていたのだ。
彼女は、私が父から与えられていないことばかりを見て恨むことを避けるために、父親の悪口は言わず、父が私に与えているものを意識できるように、父親の扶養の責任感など強調した。
これは、内観における感謝の実践の、まさにエッセンスである。 こうして、出家前は尊敬の対象ではなかった母親は、実際には、出家以来25年経って私が始めた感謝の実践の先駆者であり、私の見本であったのだ。
●『circusMAX』(KKベストセラーズ)2013年2月号より
[◎両親への感謝の気持ちが、麻原との決別のきっかけに]
かつて上祐は、麻原の存在を問われ、「目標であり、父親だ」と雑誌のインタビューで答えている。そんな彼が、麻原への盲信から抜け出し、実の両親との正常なつながりを求めているという。
「(中略)父は、私が小学校高学年になる頃に浮気をして、
家には帰らなくなりました。今思えば、身勝手で上昇志向
の強かった私は、父親の変わりとして、麻原を理想の親と
してのイメージを膨らませていったのだと思います」
17年ぶりに再会した母親は、上祐の現状を受け入れてくれた。
「母親は私のせいで、ずいぶん辛い目にあったようですが、
それを責めることなく『自分は我慢できるから』と言うだけです。
それは「あなたもこれから何かあっても我慢しなさい」という私
への訓戒だと受け止めています。親はいつまでたっても親。
無償の愛を与えてくれる人が身近にいたのに、私は長い間
気がつかなかったということだと思います」
そんな母親との出会いから、上祐は父親のあることを思い出す。毎月10万円の養育費を支払い続けてきたこと。そして父を恨まなかったのは、母親が父の悪口や愚痴を一切口にしなかったことだと気づくのだ。
(中略)
「私たちにお金を送ると、手元に残るのはわずかで、同棲
していた女性の収入で生計を立てていたようです。
それでも地道に稼いだお金を送り続ける。
今、『ひかりの輪』として被害者への償いのために賠償金
を支払う立場になって、初めて父の苦労を知ったと同時に、
父は私を捨てたのではなく『遠くから支えてくれていた』の
だと、ようやく考えられるようになりました。」
*****************
私個人は、上祐のこの手記には、なんの説得力も感じない。
人間的な足掻きや怒りや悲しみを感じさせない「親との和解」は、
どうにも腑に落ちない。
彼は、自分のネガティブな感情を最も恐れているのかもしれない。
彼の感じ方や、理解は、彼の心の頑強な蓋の上をすり抜けて、
イミテーションの結論を導き出しているように感じる。
またもや「ひかりの輪」信者など、
人様に向かって、誤った模範を示したがっているようだ。
私には、彼はいまだに即席の偽りの「解脱?」に
逃げ込もうとしているように見える。
麻原も、上祐も、
後藤さんも、マイケルも、
私も、おそらく大半の人々が、The Lost Childrenなのだと思う。
けれども、
後藤さんのカメラも、
マイケルの歌も、
生涯、"失われた子供"を求め続け、
真理を問い続けた。
そこから早々と「解脱」宣言をするのが、
麻原、上祐のように
自分を偽る弱虫なのだ。