マイケルジャクソンが、時空を超えて、
人類の「世界の歴史」を物語った歌、
「Black or White」 「REMEMBER THE TIME」![]()
神話や民話に思いを馳せ、マイケルが、故郷アメリカから、
時を越えて地球を一巡りする魂の旅を見せたように
日本から、銀河鉄道に乗って、同じく、魂の旅を描いたのが、
宮沢賢治だと、私には、思われる。
彼らは、流され、忘れられた精霊の魂が、
ぼぉっと火となって灯る鬼火の姿を、見せる。
彼らは、自らその火になって魅せる語り部なのだ。
そこで、
今日は、ググッと、視点を「日本の歴史」にズームしてみたいと思う。
ググッと、古代へ。
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Black or White Written and composed by M. Jackson
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REMEMBER THE TIME
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《関連過去記事》
*Black or White~人類の旅 2012年09月11日(火)
*続・あなたを忘れない~REMEMBER THE TIME2012年08月30日(木)
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■アラハバキは鬼か?
アラハバキとは「荒吐」「荒脛」と綴る正体不明の“反権王”のこと。
アラハバキは「荒い脛穿(はばき)」だから、脛巾のこと、すなわち
脚の脛(すね)に巻きつける服装品の一種だ。
虫やいばらの類から脚を保護し、雨雪をはじき防寒にもなる。
農作業や山仕事のほか、旅や雪中や雨中の歩行にも用いられたものだ。
このような装具を身に付けていた者の象徴としてナガスネヒコがいる。
つまり、アラハバキの正体とは、ナガスネヒコ(長脛彦)なのだ。
長い脛(すね)の持ち主という意味だから、大男ということで、
ダイダラボッチ型の巨人伝説の一人ということになる。
ナガスネヒコは神武以前の奈良盆地にいた割拠リーダーの一人だった。
「浮田の杜」といって、かつては足が地につかないほどの浮き土であった荒れた土地を開墾管理していたか、いずれにしても処置しにくいことを収められる荒っぽい一族だった。
「日本書紀」では、ナガスネヒコの一族は、神武(イワレヒコ)の軍勢が大阪湾から難波・河内・大和のルートに入ろうとするときに、これを阻止して暴れた一族なのだ。そのためナガスネヒコは大和朝廷のために、物部の祖先のニギハヤヒに殺された。とある。
しかし、「古事記」ではナガスネヒコは、死なずに、生き延びた。
ナガスネヒコを大和朝廷の先触れたちが利用しようとし、なんらかの摩擦で
北へ向かい、国家の統治の及ばない地方の「化外の人」となったのだ。
しかし、ナガスネヒコは、そもそも北のに蝦夷(エミシ)王国の者で、
その一部が流れて畿内あたりに来ていたが、故郷に帰ったのだと言う説もある。
九世紀まで、東北地方は大和ノ国ではなかった。東北には大和の国境線があり、ここより北は「蝦夷」の統治する別世界であった。
蝦夷とは、大和朝廷の侵略により歴史の彼方に消えてしまった謎の民族である。その生活形態・風習・文化水準などのほとんどが未だ解明されていない。
(2012年9月14日)
1939年から56年にかけ、北海道大学(北海道帝国大学)は北海道・千島・樺太の各地より研究の名目で1004体のアイヌ式の供養がなされた遺骨を収集し、時には遺族に無断でアイヌ民衆を警察により排除しての発掘が行われていた。アイヌ民族の子孫らは、収集の遺骨返還求め北大を提訴した。
蝦夷という呼び名も「夷」は大弓を、「蝦」は、エビ、ガマガエルを意味する別称である。
■ニニギノミコト天孫降臨
大和朝廷を作りあげた一族は、天孫降臨した一族だということになっている。
空中から人が降りてくるわけないのだから、これは海の彼方から日本列島にやってきた一群だということになる。
侵略者とはかぎらない。騎馬民族ともかぎらない。馬に乗ったまま来られるはずもないから、なんであれ波浪を操れる一群とともにやってきた。
この一群のリーダーの名は、記紀神話では「ニニギノミコト」となっている(正式にはヒコホノニニギノミコト)。
このニニギから何代も下って、血統を受け継いだのが、イワレヒコ、つまりカムヤマトイワレヒコ、すなわち神武天皇。
ニニギは、九州のどこかに上陸し、アタツヒメという女性と出会い、これを娶ったのである。
■アタツヒメ
ニニギと契ったアタツヒメは、一夜ですぐに妊娠したというので、その貞操が疑われたという女性だ。
この女性は誰かというと、薩摩半島の西の野間半島にある阿多という地域があり、その阿多の女だという。よって、アタツヒメとなった。
阿多は、大豪族アタのハヤト(隼人)が君臨していた。
アタツヒメは俗称で、別名は、コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜)だ。
絶世の美女で、姉はイワナガヒメという醜女だったという。
■コノハナサクヤヒメ
阿多の野間半島の野間神社には、東宮にコノハナサクヤヒメが、
西宮には「娘媽神女」が祀られている。
娘媽は、「ろうま」と読み、中国出身で、福建省や広東省などの華南地方の海岸部一帯で信仰されている海の民の女神のことをいう。
東シナ海・南シナ海を動かしていた海洋一族に深い関係がある。
この蜑民(たんみん)とよばれる中国南部の水上生活民は、地元に派手な媽閣廟(マカオ=道教の廟)を構え、船の舳先にはこれまた極彩色の娘媽神を
飾って遠海に船出していく。
この娘媽神にまつわる海の一族が、ニニギが薩摩に上陸したときの、協力者で、ニニギがその一族のグループの一つだった可能性もある。
ニニギが娶ったアタツヒメ(=コノハナサクヤヒメ=娘媽神女)は、同じ一族の流れなのである。
アタツヒメとは、実はワタツヒメの音の変化で、ワタツミ(海津見・綿津見)の一族だ。ワタとは海のことをいう。
要するに、ニニギはワタツミ一族とともに九州のどこかに“降臨”し、
そこで子孫をふやしたのである。
整理すると、コノハナサクヤヒメ=アタツヒメ=ワタツヒメ=海の民となる。
出雲神話では、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹は、オオヤマツミノカミ(大山津見)の娘だということになっている。
オオヤマツミは、字義通りでいえば山を司る神のようなのだが、それだけの意味ではない。「伊予国風土記」によると、「オオヤマツミは和多志(ワタシ)大神」であり、この神は「百済国より渡り来坐して」海を渡ってきた神だ。
つまり、オオヤマツミ(山の司祭)の原型は、オオワダツミ(海の司祭)で、
中国南部の水上生活民が、海を渡り、九州に上陸し、列島の内陸に入っていって、山をも圧えたということだ。
同じく、コノハナサクヤヒメも、本来は娘媽神型の海女神であったのが、
山の花を象徴する陸上型の美女に変身していったのだ。
また、他方、「日本書紀」では、ニニギが娶ったのはカアシツヒメ(鹿葦津)で、その別名がコノハナサクヤヒメだったと記している。
日本の各地の祭りで、例えば信州の最高峰の穂高には、船が祀られ、舟を山に上げる祭りがおこなわれている。
また、安曇野という地名は、もとは渥美(アツミ)半島から北上して山地に入ったアヅミ一族の名残りの地名なのである。アヅミとはアマ族のこと、つまり海の民たちの総称。
これらは、古代、海の民が山に到達し、そこにコロニーをつくった証なのだ。
■天道童子
「天道童子縁起」によると、
天道童子を生んだ母親は、ウツロ舟に中で日輪を飲み込んだときに懐妊した。天武天皇が没した686年に9歳だった天道童子は、故郷の対馬を出て都(藤原京)に上って巫祝の修行を積み、やがて帰島した。
その後、霊亀2年(718)に元正天皇が重病に罹ったとき、陰陽博士が占ってみると、対馬に天道法師という者がいて、これを召して祈らしめよと卜占に出た。
知らせをうけた天道童子は都に飛んで、病気平癒をなしとげた。
こうしてその後は、その誉れを称えられて、天道童子は母とともに対馬の多久頭(タクツ)神社に祀られているという。母子神になったのだ。
これから読めるのは、対馬と朝廷の関係は、対馬が交易に絡み、海の民の能力が用立てられたことだ。ウツロ舟というのは、古代の海の民が乗っていた丸木舟のことで、
「天磐楠舟」(あめのいわくすふね)とか「天鳥船」(あめのとりふね)と言われるもの。これは、楠などの内側を刳り貫いたのである。
つまり、ウツ=虚ろ、洞ろなるウツロの舟だ。
天孫降臨の一族はこのウツロ舟で、その舳先にサルタノヒコを案内役としてやってきた。
また、タクツ神社の意味は、「タクツ神」=「謫つ神」であり、「謫(たく)」とは、罪によって遠方に流された者、流竄の者のことをいう。
天道童子は「流された者」なのだ。
このころ朝廷は罪人や問題人を対馬に流して、そこで管理させていた。
これは、二つ以上の勢力の機能や職能による協力と権力対立があったと言うことが推測される。
■水の神・女神
水にまつわるいっさいの女神のことを、日本ではミヅハノメ(罔象女・弥都波能売)という。「罔象」という字義は「形、小児のごとき水中の妖しき女」という意味をもつ。和名では「水の端の女」という意味だ。
このミヅハノメはおそらく日本で一番多く祀られている女神で、そこから水分神(ミクマリ)、丹生明神(ニブツヒメ)、貴船神、宗像三神、水垂明神、淡島様、
竜女神、弁天、トヨタマヒメ、乙姫などが次々に“分派”し、どれも水々しい神々で、水源や河川や海辺に深い関係をもっていて、しかも女性の姿を象っている。
これら水の女神は、シャーマニックな呪能や職能に富むばあいが多く、
どこかで必ずや「禊」(みそぎ)とかかわっている。
水に流れていくものたちの運命や宿命、あるいは蘇生や流産もかかわっていたということなのだ。
「根の国・底の国に坐すさすらふものの姫」というような言い方し、そこには水子のイメージも重なっている。とくに淡島(淡島様)はウツロ舟に乗せられて流されるという儀式を必ずともなっている。
流し雛とは、そういう儀式なのだ。
もうひとつは、日本の伝承や伝説の多くには、幼児を流すときにたいていこのウツロ舟が使われているということだ。あとで説明するが、実はこれはヒルコ伝説につながっていく。
■水の神・男神
男神で水や海に関係が深い神々も多く、オオワタツミ(大綿津見)や海幸彦や宇佐八幡や八幡神、このほか塩土神やアドベノイソラなどがいる。
イソラは海中から出現した神で、顔中にワカメのようなものが覆っている。それが形象化されて、顔に布を垂らして舞う芸能ができたほどだ。
また、エビス神やヒルコ神がいる。
二神は名前が違うが、まったくの同一神だ。
足が萎え、流謫されている。つねに漂流しつづける神様だ。
しばしばウツロ舟で流される。
この神が流される理由は、他勢力への不服従によるものなのだ。
天道童子(タクツ神)は、このヒルコ伝説に結びつく。
■アマテラス
日本列島が海に囲まれた国で、夥しい漂流漂着がある。人も流れ着く。
先に定着していた一族たちのことを「国津神」といい、あとからやってきた連中のことを「天津神」という。このあとの連中が天孫降臨族である。
ナガスネヒコが先に来ていて、あとからニギハヤヒやイワレヒコがやってきたとも言い換えられる。
国津神の一族には服属をした者たちもいたし、抵抗した者たちもいた。
服属できず、抵抗した者たちの物語は、徹底的に貶められ、換骨奪胎されて、地方に流された者の物語に、あるいは山中に押し込められた者の物語になっていった。これらが、「鬼」の物語になったのだ。
このような宥和服属の関係が、主に記紀神話に記された物語になっている。
それらは、事実をリアルに記録されていない。
また、国の歴史は子孫を誰がつくる母になる者たちの歴史が加わるが、婚姻し、子孫を生めば、たいていのばあいはそこで名前がすげ替えられた。
女性たちが、娘媽神、弁天もミヅハノメもコノハナサクヤヒメも、 オオヤマツミの子供たちも、いくつもの名の娘になっているのは、このためだ。
記紀や風土記で名前や係累が異なっているなんてのは、当然のことなのだ。
しかも、蘇我氏によって、記紀以前の古い史書がみんな焼かれてしまった。
語り部も史部(ふみべ)も、それらの伝承者も、どこでどんな相手に話をするかで、いろいろ苦心しヴァージョンを変える話法を身に付けてしまった。
しかし海からやってきた者たちの歴史、陸地を支配した者たちの歴史、排斥されていった者たちの歴史、忘れられていった者たちの歴史。
これらの流れのいくつかは、地名や神名や神社名に、未だ残響している。
そこには、そもそもアマテラス信仰にまとめられた系譜の物語の原型は、
実は海の一族が最初にもってきた物語だったという残響が唸る。
それは、アマテラスは、「海を照らすもの」という意味だという響きだ。
■本当の精霊流し
日本神話の中核部分の原型は、ことごとく「海」にまつわり、
物語はつねに改竄され、奪われ、変更され、失われてきた。
その後も神仏習合や本地垂迹をうけるなかで、大半の“流され王”たちが、
まったく別の様相のなかに押し込められ、ときに悪鬼や悪霊のような、
すなわち鬼の扱いとなった。
鬼というのは、このように語られなくなった者たちの物語であり、
精霊流しの、悲哀の水の流れに浮かぶうつろ舟に点された灯火である。
鬼の火、精霊とは、忘れられていった者たちの語り得ない魂なのだ。
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昔から日本では「出雲の阿国」に代表されるように、古代から土地に
縛られないさまざまな芸能の民が、能や歌舞伎、文楽などの伝統芸能を育んできたと言われている。
一般的には耳慣れない言葉だが、「傀儡師(くぐつし)」または「傀儡師(かいらいし)」と呼ばれる人々も、かつて日本に存在していた謎の芸能集団のひとつなのである。
彼らは俗に言う「さすらい人」で、人形を操ったり、神社やお寺などの境内や聖域で(時には天皇の御座所でも)舞いながら自由に諸国をさまよい、暮らしを立てていた。
塊儲(くぐつ)たちの集団は、日本が近代化し始めた頃からいつのまにか姿を消してしまうのだが、その伝統芸能は一子相伝の口伝えでひそかに伝えられていた。
。。。例えば、それは…
民族芸能の源流を研究する鈴鹿千代乃氏が
出会った「幻の筑紫舞」
太古からつづく労働、自然、日々の営みが、ダンスとなって交響する
ケイ・タケイの世界。
文化人類学的視点から、ダンスをとらえ、日本的、ひいては汎アジア的
身体性を探求する。
踊りの魂と感覚は、完結できないと言う宿命をもって、
世界中で終わらない旅を繰り広げる。――「Light シリーズ」

