Black or White Written and composed by M. Jackson
Yes we're one and the same
Now I believe in miracles
そうさ 僕らは ひとつで同じなんだ
まさに 僕は奇跡を信じているよ
超アバウト・人類の旅のおはなし
世界の三大人種をネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドと呼び、それぞれ主な居住地域から、「アフリカ人」、「ヨーロッパ人」、「アジア人」という呼び方でも分類されている。「アフリカ人」は、ホモ・サピエンス誕生以来ずっと故郷の地に暮らし続ける肌の黒い人々。「ヨーロッパ人」はアフリカを旅立ったのち、東に向かったわれわれの祖先たちと別れ、欧州に住み着いた人々を指す。そして、太陽の昇る方向を目指して長い旅を続けた集団を「アジア人」と呼ぶ。
ともにアフリカを出発し、西に進路をとる「ヨーロッパ人」と東の「アジア人」が別れたのは、遺伝学の分析によると今から五万年前から六万年前のことである。
「ヨーロッパ人」と別れて東に向かった一団は、大きく二つのルートに分かれる。故郷アフリカの温暖な気候を求め進んだ「南回廊」と、極寒のシベリア平原を進んだ「北回廊」である。
「南回廊」は西アジアから南アジア、インドネシアを経由しつつ、中国南部から朝鮮半島を抜け対馬海峡を越えるか、柳田国男の唱えた「海上の道」、つまり琉球諸島を北上するルートをたどる。
一方、「北回廊」はシベリアを越え、サハリンから北海道へと到るか、モンゴル、中国北部を経由しながら朝鮮半島を通って日本へ到達するか二つのルートをイメージしてもらいたい。詳細に見れば四つのルートだが、大きくは「北回廊」と「南回廊」という二つの道である。
二つの道を別々に歩んだわれわれの祖先たちは、それぞれ旅の途中で人類史上に燦然と輝く偉大な記録を残している。北回廊を歩んだ人々は、温暖地方でしか生きられなかった人類にとって初めての「寒冷地克服」という快挙を成し遂げた。そして南回廊にコマを進めた人々は、陸地しか移動できなかったヒトが、初めて海を渡るのに成功するという「海洋適応」を果たしたのである。
この二つをともに成し遂げたのが、いわゆるモンゴロイド、つまり私たちアジア人の祖先たちである。そのうち、一部がベーリング海峡を渡ってアメリカ先住民の一派となった。アメリカ先住民の一派なども広い意味の「アジア人」つまりモンゴロイドである。
北京原人やジャワ原人などのいわゆる原人は、百五十万年前に生誕の地アフリカを離れて世界に拡散したが、それらの末裔はいつしか遠い昔に絶滅してしまった。
現代人の直接の祖先は、二十万年前に、やはりアフリカで誕生したホモサピエンス(新人)である。世界各地の考古学上の成果から、ホモサピエンスは十万年余りもアフリカを離れなかったことがわかっている。
彼らがアフリカを離れて「はるかなる旅」を始めるのは十万年前頃である。
アフリカを離れたホモサピエンスの一団はまずはヨーロッパに定着する。約五万年前のことである。それがクロマニヨン人といわれる「ヨーロッパ人」の祖先である。そして、それら「ヨーロッパ人」と別れてさらに東に向かった一団は、「南回廊」と「北回廊」に別れて別々に旅を続けるのである。
では、なぜ、ある一群は、難関の「寒冷地」を行く「北回廊」を辿ったのか?
マンモスは、氷河期を代表する哺乳類である。身の丈3・5メートル。見た目には恐ろしげだがふだんはおとなしい草食動物である。当時の人はこれを好んで食べたと考えられている。。脂からは燃料、毛皮からは衣服の生地、骨からは道具の材料と、捨てるところがない。一頭を仕留めれば十人の集団がゆうに半年間食いつなぐことができたという。
このマンモスが棲息した唯一の場所が、氷河期のシベリアからヨーロッパにかけての地域であった。氷河期にも比較的温かい時期がある。その時期、この地域にマンモスなどの大型動物の成育にもっとも適した植生帯が広がっていた。
人類がシベリアに進出した理由はここにあるようだ。
約二万年前を中心に数千年間は、氷河期でももっとも寒い時期であり、シベリアの多くは不毛の大地と化した。この気候変動に追われるようにマンモスは南へ南へと移動を始める。それを追って人類の大移動が始まった。
その一部は日本列島にもやってきたと考えられている。