備忘録:ロマン・ポランスキー⑤~私はもう黙っていられない | ☆Dancing the Dream ☆

☆Dancing the Dream ☆

Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

2010年5月2日に発表されたポランスキーの声明

ロマン・ポランスキー監督は、1977年に米国で13歳の少女を強姦した容疑で逮捕され、43日間服役後フランスに逃亡した。
30年以上経った2009年9月26日、スイスに入国した際に、米司法当局の国際指名手配を受けたスイス警察によって逮捕された。12月4日に保釈金を払って、グスタードにある同監督の山荘に移送され、米国への送還いかんが決定されるまで、電子ブレスレットを装着され山荘の敷地外へは出られない状態だった。
2010年5月2日、哲学者ベルナール=アンリ・レヴィのブログに「もう黙ってはいられません」というポランスキーの手紙が掲載された。


スイス文化相から生涯功労賞をうけるために訪問したチューリヒ空港で逮捕されたのが2009年9月26日、以来7ヶ月の間、私は公にコメントを発表することを控え、弁護士にも最小限に留めるように依頼してきました。私は自分の弁護士たちと同様に、スイスと米国の司法機関に対しても、私の意向と関わりなく職務を果たしてもらいたいと考えていたのです。
私はいかなる代弁者も立てずにあなた方に直接見解を届けるため、沈黙を破る決断をいたしました。
私は誰もがそうであるように、応分の悲劇と喜びを経験しています。
私はあなた方に対して、私の人生に対する憐みを乞おうというのではありません。私はただ、誰もと同じように公正な扱いを求めたいだけなのです。

事実は、33年前に私が有罪を認め、法に基いてカルフォルニア州チノで服役したということです。特別待遇の刑務所ではありませんでした。服役期間は私の判決の全期間に相当するものでした。釈放が近付いたころに判事は考えを改め、チノでの服役期間は判決を満足するものではない、との見解を示すようになりました。私が米国を去ることになったのは、この撤回のためです。

この事件は、当時の関係者から証言を収集したあるドキュメンタリー映画作家によって30年間の眠りから覚めることとなりました。私はこのドキュメンタリーのプロジェクトについて、直接にも間接にも関わってはいません。出来上がったドキュメンタリー映画は、私が不公正な扱いによって米国を離れることとなったという事実を明るみに出しただけではありませんでした。それは、自らへの攻撃を感じて憤り、スイスからの引き渡しを求める決定を行ったロサンゼルスの司法担当者の姿を描いています。スイスはこの30年間、障害も妨害もなく私が定期的に訪れていた国でした。

私は、もう沈黙していることはできません。
なぜなら、米国当局は、同じ上訴裁判所がその逆の勧告を行っているにも関わらず、第三者が提供したあらゆる議論や証言を無視し、私を不在のまま審理することに同意しなかったからです。
私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、カルフォルニアの司法当局は、事件が取り上げられるたびに苦痛を受けてきた被害者が、これ以上の苦しみを避けるために審理の打ち切りを求めた数々の請願を却下したからです。

私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、たった今、重大な意味をもつ進展がなされているためです。去る2月26日、1977年の事件を地方検事補として担当し、既に退職しているロジャー・ガンソンが、現在事件を担当している地方検事補デヴィッド・ウォルグレン立ち会いのもと、判事メリー・ルー・ヴィラーの前で宣誓証言を行いました。ウォルグレンは自由にガンソンに対して反論や質問を行いました。証言は、1977年9月16日、リトゥンバンド判事は関係者に対し、私のチノへの収監が判決の全部を充たすものであるとの見解を示したというものでした。

私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、スイス当局に示された引き渡しの要請が虚偽に基づくものであったことが明らかになったからです。退職した地方検事補ロジャー・ガンソンは同じ証言において、チノでの服役が診断のためのものであったという、現在の地方検事が引渡し要請で述べている文言は誤りであると証言しました。
その引渡し要請は、私が米国の法機関による刑の執行を逃れるために逃亡したと述べています。しかし、私は司法取引の過程で事実認定を行い、判決に従うために米国に戻りました。裁判所に残された作業はこの同意事項を履行することだけでしたが、判事は私を犠牲にして名声を得るためにこれを拒んだのです。

私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、私の弁護士たちは30年間以上にわたり、私が判事に裏切られたということ、判事自身が偽誓したこと、そして私は判決に従ったということを繰り返し述べてきたからです。今になって、1970年代に事件を担当した当時の地方検事補、この非難を受けるところのない人物が私の主張を認める宣誓証言を行い、このことが事態に新たな局面をもたらしているのです。

私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、今になって同じことが、同じ帰結をもたらしつつあるからです。私の事件を担当し、引渡し要請を行った現在の地方検事は、彼自身も選挙に出馬するために宣伝材料を求めているのです
私はもう沈黙していることはできません。なぜなら、米国は、33年前に同意がなされている件についての判断を表明するためではなく、私を世界のメディアの餌食にするために引渡しを求め続けているからです。

私はもう沈黙していることはできません。
なぜなら、私はスイスのクシュタート (Gstaad) で軟禁状態にあり、保釈のために30年以上の間自宅として使ってきたアパートメントを抵当に入れて莫大な金銭を拠出することになったからです。また、私は家族から離れ、仕事をすることもままならないからです。

スイスが、引渡しには応じる根拠がないということを理解するという希望のもとに、こうした事実をあなた方にお伝えしたいと考えました。そして私が平穏を見出すことができ、家族と再開し、自身の祖国で自由に生きられるという望みのもとに。


===================


まとめ


サマンサさん(当時13才)の母が
娘に役をもらうために、
情事を利用し、恐喝する計画を立てていた
casting couch=(役をもらうための情事)   親が少女を売った

    ↓

ポランスキーは、少女に淫行を犯した。
「すべて私の責任だ。
 セックスは気晴らしじゃない。
 それは勢いだ。それは衝動だ。       監督の内なる
 それは人の考え方を変えてしまう。」    ロリコンおやじが罠に嵌った


    ↓

少女の両親が警察に届け出る。

    ↓

終身刑になる6つの重罪で起訴
    
    ↓

司法取引で有罪を認め(6つの内、罪の軽いものだけ)
43日間チノの刑務所に服役

    ↓

裁判所と検察官の不正な談合で
司法取引の刑の内容を変える動き 

(ロサンゼルス郡地方副検事デビッド・ウェルズは、
 最高裁判事ローレンス・リッテンバンドに      司法の支配力誇示。売名。
判決を左右する助言をしたことを、          警察の面子
ドキュメンタリー映画に出演し告白。)

    ↓

フランスに逃亡。市民権を得る。

    ↓

被害者に50万ドルの支払いで両者合意。
しかし、検察当局は起訴取り下げを拒否。

    ↓

「戦場のピアニスト」アカデミー賞監督賞を受賞。式典欠席。
検察当局、逮捕ならず。
被害者は許したコメント。

    ↓

検察当局に対し起訴取り下げを請求。
ロサンゼルスの裁判所は、請求を棄却。

    ↓


スイスの映画祭に出席。身柄を拘束される。
米国からの身柄引き渡し要求。

    ↓


スイスは拒否。
釈放。








  So take my strong advice,
  just remember to always think twice
  (Do think twice)

  僕の強い忠告を聞いてほしい
  常に 2度考えることを決して忘れないで
  2度考えろ
               ――from Billie Jean――