備忘録:ロマン・ポランスキー① | ☆Dancing the Dream ☆

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 以前から、素晴らしい映画を撮り続けているポランスキー監督のあの事件は、
 一体、何がどうなっているのか? 気になっていたのですが…

 マイケルジャクソンと交友のあったブレット・ラトナーが、
 ロマン・ポランスキー監督のドキュメンタリー映画の続編を撮る---
 数年前には、そんな話もあり。。。
 レンタル新作の「おとなのけんか」を観たこともあり。。。
 
 思い出したように、ポランスキー監督について
 備忘録的に調べてみることにしました。


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Roman Polanski, 1933年生。
ポーランド人映画監督。

ロマン・ポランスキー監督プロフィール
ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランス・パリ生まれる。
第二次世界大戦時は、3歳の時転居したクラクフに作られたナチによるユダヤ人ゲットーに押し込められた。
ゲットーのユダヤ人が一斉に逮捕される直前、父親はゲットーの有刺鉄線を切って穴を作り、そこから息子を逃がした。父母はドイツ人に別々に連行された。母親はアウシュビッツでドイツ人に虐殺された。父親はドイツ人により採石場で強制労働をさせられ、終戦まで生き残った。
また自身も、ドイツに占領されたフランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡した。
第二次世界大戦終結後にポーランドへ戻り、生き延びた父親と再会。
その後は映画に興味を持ち、冷戦下の1950年代にポーランドで俳優として活動を始める。いくつかのポーランド映画に出演後、自由な表現活動を求めてフランスに移った。
1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。共産党一党独裁体制のポーランドでは黙殺されたが西側諸国で絶賛された。
1963年にイギリスに渡り映画『吸血鬼』(同作に出演した女優シャロン・テートと結婚)などを製作する一方で、アメリカのヒューストンに居を構える。
1969年8月9日に、チャールズ・マンソン率いるカルト教団にテートを惨殺されるという悲劇に襲われる。テートは殺害された時、ポランスキーの子を身ごもっていた。
1977年に少女への淫行の嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決(実刑 懲役50年以上という換算)を受ける。
ポランスキーは法廷の外では無実を主張、これは冤罪であり、本人は少女とその母親による恐喝の対象になっていたと述べている。
その後、保釈中にアメリカを出国し、ヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ1度も入国していない。1978年にフランスに移り市民権を取得した。
2009年9月、チューリッヒ映画祭の「生涯功労賞」授与式に出席するためスイスに滞在中、前述の少女への淫行容疑に関連してスイス司法当局に身柄を拘束された。アメリカは身柄引き渡しを要求したがスイスはこれを拒否、2010年7月12日に釈放を決定した。(↓下記詳細)

日本で知られる代表作は、
ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby (1968)
チャイナタウン Chinatown (1974)
戦場のピアニスト The Pianist (2002アカデミー監督賞を受賞) など。
「ゴースト・ライター」(英国題: The Ghost)2011年8月日本公開。
「おとなのけんか(Carnage)」2012年2月日本公開。
新作はフランスで起きた冤罪事件、ドレフュス事件の映画化作品『ディー(原題)/ D』になる。


少女淫行事件・新たな告発 :2010年記事
映画「戦場のピアニスト」「チャイナタウン」などで知られるロマン・ポランスキー監督が窮地に陥っている。1977年に起こした少女淫行事件で拘束され、スイスで軟禁下にある同監督だが、2010年5月、新たに英女優のシャーロット・ルイスさん(42)が「私も被害者の一人」と、70年代にポランスキー監督から性的虐待を受けた事実を明らかにした。

ルイスさんの告白は、ポランスキー監督に馴染みの深いカンヌ映画祭のさなか、映画関係者らが監督の身柄を米国に引き渡さないよう嘆願書を公表した直後の出来事だった。新たな事件の発覚は、70歳を超えた監督の晩節をさらに汚してしまったのか。

 「彼は私が16歳のとき、最悪のやり方で性的な乱暴を加えました」

米ビバリーヒルズで会見したルイスさんは、用意した文書を記者団らの前で読み上げた。
ルイスさんは1980年代、ポランスキー監督の作品に出演。
86年のThe Golden Child「ゴールデン・チャイルド」では、エディ・マーフィーと共演していた。フランス通信(AFP)などによるとルイスさんは当時、パリ市内の監督のアパートで虐待を受けたという。虐待の詳しい状況は明らかにはされず、ルイスさんに対する記者の質問も受け付けなかった。会見には、タイガー・ウッズの愛人と報じられた女性2人の代理人を務めた弁護士グロリア・オールレッド氏が同席した。

ポランスキー監督は77年、当時13歳の少女に対する淫行の罪で逮捕され、有罪を認めている。しかし量刑言い渡し直前の78年にパリに逃亡。以来、欧州で暮らしていた。2009年9月には米当局の要請に基づきスイス当局が再び同監督を拘束。現在、スイス国内で軟禁状態に置かれ、米国への移送を拒否する監督側と、米当局側で激しい綱引きが行われている。



欧米の監督らは、ポランスキー氏釈放求め嘆願活動していた :2009年記事
映画監督のロマン・ポランスキー(Roman Polanski)氏が、1977年の淫行事件に絡みスイスで身柄を拘束されたことを受け、2009年09月、欧米の映画監督らが同氏の釈放を求める嘆願書に署名した。フランス映画界の組合SACDが同日、明らかにした。

「われわれはロマン・ポランスキー氏の迅速な身柄釈放を要求する」と書かれた嘆願書には、約110人が署名した。ウディ・アレン(Woody Allen)氏、デヴィッド・リンチ(David Lynch)氏、マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)氏ら米国の有名監督も参加している。

「フランス、欧州、米国、そして世界中の映画関係者は、この決定に落胆している」

「現代の偉大な映画製作者の1人であるポランスキー氏に敬意を表した国際的な文化イベントを、警察当局がそのポランスキー氏を拘束するために利用したことは許容できない」と嘆願書は訴えている。

以下は、嘆願書に署名した主な人物(敬称略)。

マイケル・マン(Michael Mann)、ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)、ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodovar)、ダーレン・アロノフスキー(Darren Aronofsky)、テリー・ギリアム(Terry Gilliam)、ジュリアン・シュナーベル(Julian Schnabel)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(Alejandro Gonzalez Inarritu)、ウォン・カーウァイ(Wong Ka Wai)、ウォルター・サレス(Walter Salles)、エットレ・スコーラ(Ettore Scola)、ジョナサン・デミ(Jonathan Demme)、ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)、モニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)、アーシア・アルジェント(Asia Argento)。(c)AFP


事件の経過

▼1977年
-3月10日:当時43歳だったポランスキー氏が、米ハリウッド(Hollywood)にある俳優ジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)さんの自宅に13歳の少女を誘い、ファッション写真の撮影を行う。ニコルソンさんは不在。ポランスキー氏は少女に酒と薬物を勧め性行為に至る。

-3月25日:少女の両親が警察に届け出る。

-4月15日:暴行やアナルセックスなどの罪で起訴されたポランスキー氏の裁判が開廷。同氏は当初、無罪を主張。

-8月8日:ポランスキー氏は司法取引を行い、未成年との違法な性行為の罪のみを認める。カリフォルニア(California)州の施設で3か月間の精神鑑定を受けるよう命じられるが、映画撮影があったため年末まで延期される。

▼1978年
-2月1日:ロサンゼルス(Los Angeles)近郊にあるチノ刑務所(Chino Penal Institution)で47日間過ごしたが、残る容疑に対する重刑を恐れ米国を出国。出生地であるフランスに移住し、市民権を得る。以来、同国で暮らす。

 通常、自国民の身柄引き渡しを行わないフランスは、カリフォルニア州当局からの身柄引き渡し要求を拒否している。

▼1994年
-8月:ポランスキー氏が被害者の女性に慰謝料を支払うことで合意するも、カリフォルニア州検察当局は起訴取り下げを拒否。

▼2003年
-3月23日:『戦場のピアニスト(The Pianist)』でアカデミー賞監督賞を受賞。

 被害者女性はポランスキー氏を許したというコメントを出し、同氏が授賞式に出席できるよう訴えたが、逮捕を恐れた同氏は出席せず。

▼2008年
-12月2日:ポランスキー氏の弁護士が、事件に誤った処理があったとして検察当局に対し起訴取り下げを請求。

▼2009年
-5月7日:ロサンゼルスの裁判所は、起訴取り下げ請求を棄却。

-9月26日:映画祭出席のため訪れたスイス・チューリヒ(Zurich)で身柄を拘束される。米国からの身柄引き渡し要求が待たれている。

▼2010年
-5月14日 ↑上記の告発

-7月12日 アメリカは身柄引き渡しを要求したが、スイスは拒否。
      この日釈放となった。