カンバンワ!今日のパコ、「青空まいける」は、
imimさんとそのお母様に捧げます。
とびきり明るい青空を、早く見ることができますように・・
本日は、「HIStory」を聴きながら、ジャケ絵について
考えています。
HIStory: Past, Present and Future – Book I
当初は1枚のベストアルバムの予定で新曲は4曲であった。しかし1994/10月の発表を延期し、結果的に新曲を15曲にまで増やし、ベストアルバムとオリジナルアルバムの2枚組の構成にし、1995/6/20に発表した。複数枚のディスクをセットにしたアルバムとしては史上最高の売り上げを記録。
「彼の物語:過去、現在そして未来 - 記・その1」 ・・・・
1995年6月20日、リリース・・ですから、
マイケルの死からちょうど14年前のリリース。。
そして、今は、このアルバムからいうと・・「未来」・・という事になるんでしょうね。。
このジャケ絵は、南アフリカで撮影されたそうです。
背景の空は・・「アフリカの夜明け」・・であると思われます。
アフリカの巨大な太陽が、登ってくる・・
人類の、生命の・・夜明け・・
これには、マイケルの深く熱い思いが込められていると感じます
過去記事にも書きましたが、「Remember The Time」 「Break Of Dawn」など・・
そして、彼の死の直後、リサのマイケルファンへの呼びかけで、
「向日葵の花」が彼の代名詞となったように・・
彼は、月の人であると同時に、私たちの「太陽」でいようとしてくれました。。
さて・・
マイケルの巨大像が立つ足元にある建物は何でしょう??
このアルバムは、Book I ーーーー ?
そう、マイケルの歴史が詰まった本なのだから。。
それが保管されるべき場所は・・
誰もが自由に利用できる 『図書館』・・ではないかしら?
絵の中では、人々が自由に出入りしているのが見えます。
いや、彼の作品自体が、
語られない本当の歴史をギュッと凝縮した図書館そのものなのでは?
昨日、「ぶらっど」のジャケ絵についての記事でも少し触れましたが・・
古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の首都として栄えた港町、
「世界の結び目」と呼ばれた 『アリクサンドリア』・・
1992年、アレクサンドリア沖で、
水中考古学者のフランク・ゴディオ氏率いるチームによって、海底で1600年間以上
眠っていた、二千年前の古代エジプト王宮跡が発見されました。
この海底遺跡からは、小型のスフィンクス、ファラオ像や女神像、宝飾品、コインな
どが引き上げられ、クレオパトラの宮殿跡ではないかと考えられています。
広大な湿地に囲まれた地中海沿いのこのアレクサンドリアの街の一部が、
すっぽりと沈んでいたのですね。
古代の人々は岩礁の点在するこの場所を埋め立てて都を建設したのです。
つまり、海を埋め立てた場所だけが地盤が弱かったために、
大地震によって海中に沈んでしまったというわけです。
伝説のアレクサンドリアは、巨大な人工都市だったのですね。
古代、この街には・・
↓このような建築物がありました。
この学堂(ムセイオン)では、
コペルニクスよりずっと前に地動説が生まれ、
地球の円周も計算され、一年の長さを正確に算出し、
蒸気機関の原理も発明されていたというのですから・・(@_@)
「アレクサンドリア図書館」CG再現
最古の学術の殿堂、古代最大にして最高の図書館。BC3世紀頃、プトレマイオス1世によって、エジプトのアレクサンドリアに建てられたムセイオン(=Muse学堂)の付属機関であった。
多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵し、その蔵書はおよそ70万巻。
アルキメデスや、エウクレイデスら世界各地から学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。5世紀頃には崩壊(崩壊の理由は諸説あり、未だ不明)。
「アレクサンドリアの大灯台」 「大灯台跡地のカーイト・ベイ要塞」
BC3世紀頃、エジプトのアレクサンドリア、ファロス島に建てられた灯台、アレクサンドリアの大灯台。高さ134メートル。当時は地球上で最も高い人工物の一つだった。14世紀の二度の地震によって全壊。跡地に灯台の残骸を利用して建造された、カーイト・ベイ要塞。現在は、軍事博物館として解放。
古代オリエントとギリシアの文化が融合したヘレニズム文化が生んだ
アレクサンドリア図書館、大灯台など・・
マイケルは、抑圧を受けない自由な学術、技術の粋が結集された建造物を
アフリカの大地に蘇らせる・・という夢を描いたのかもしれませんね??
子供病院を建てたかったマイケル・・
アフリカに、こんな 「マイケルジャクソン・ムセイオン」を建てて、
子供たちが、伸び伸びと学べる場所を作りたかったのかもしれない・・
私は、そんな想像をしています・・・
■よかったら、ご参照ください♪
*Break Of Dawn思い出して~そして、夜が明ける(2011-09-09 http://secret.ameba.jp/et-eo/amemberentry-11012533459.html
*Remember The Time MJは本当の歴史を語る
htp://secret.ameba.jp/et-eo/amemberentry-10856318068.html#main
*親指トム将軍vsバベッジ(Remember The Time 再考の備考)・続編http://secret.ameba.jp/et-eo/amemberentry-10858858857.html#main
このアルバムは驚くようなプロモーションが行われました
しかし、巨大な像を作ったものです。
高さ10m・重さ4.5トン・・
当時、バカバカしいほどの~大きさ、という形容詞付きで報道されました。。
「ティーザー」はナチズムを彷彿とさせるという批判も・・。
彼は、「政治的なものでもファシズムでもドグマでもない、純粋な愛なんだよ」・・と
否定していました。。
この像は、ロンドンのテムズ川に浮かべ、タワーブリッジ付近に展示されました。
圧巻ですね・・
なぜ、タワーブリッジなのでしょう??
かつてテムズ川に架かる唯一の橋は、ロンドン橋でした。
ロンドン橋の東側が港として栄え、いつくかの橋がテムズ川に新たに建造されましたが、それらは、すべてロンドン橋の西側に架けられたものでした。
19 世紀には、ロンドンのイーストエンド地域で、橋がないために徒歩や乗り物での対岸への移動が何時間もよけいにかかるため、ロンドン橋の東側に橋を新設することが求まられました。
水上交通を妨げることなく、下流に橋をかける・・公募され、決定したのが、大きな船舶を通すことのできる跳開式のデザインの橋、タワーブリッジでした。
イースト・エンドは、ウエストエンドに対して、テムズ川の北側に位置する下町。
かつてはロンドンの最貧地区として知られ、貧民層、移民層が集中し、貧困、人口過密、病気、犯罪の代名詞となり差別された地区でもあるのです。
また、このタワーブリッジは、第二次世界大戦では、幾度かドイツ空軍の爆撃目標とされ、実際に、翼とジェットエンジンで飛行するミサイルの始祖、V1によって、被害を受けたこともありました。
こういう背景から、マイケルの意図を読み解くと・・・
閉ざされた格差や差別空間を破る架け橋としてのタワーブリッジ、
闘いの中、暴力を受けて尚今も、架け橋として立つ、タワーブリッジ・・
この橋の歴史は、
ある種、マイケルのHIS(s)toryに似ています。
彼の歴史を語るのに、ふさわしい場所だったのではないでしょうか?
愛に満ちた、
大きな夢をもって努力し続けた人・・・
いつかアフリカに マイケルジャクソン・ムセイオンを・・・
お読みいただきありがとうございました