7年物の29インチ(というのが当時はあった)の液晶テレビを上の子が素手で破壊してしまったので、新しいテレビを買いました。

同じ32インチのシャープのアクオスが、Y電機さんとKデンキさんで台数限定特価品として35,500円前後でチラシの目玉品として出てました。同じ機種をamazonで見てみたら、33,500円でamazonが2,000円ほど安かった。この2,000円がかろうじて既存の電気屋さんの付加価値なんだなという事を思うとき、二つのことを考えました。

1つは、店舗を持って展示をして、説明員をつけるということの対価が2,000円というのは妥当かなと。

もう1つは、随分、消費者にとって公平性が分かりやすいプライシングになっているのだなということでした。これはシャープさん自身が操作しているんだろうか?ハタマタ公正な価格競争が極限まで進み、こうした誰が見ても自然に見える値段に3者のプライシングが落ち着いているのだろうか?という疑問も同時に沸きましたが。

その真相は分かりませんが、結局買ったのはパナソニック製の37インチです。電気店の店頭で説明してくれた人がパナソニックの人だったからという単純な理由です。夏にそろそろ買い換えようかと思って見に行ったときは同じ店頭にSONYの人が立っていて、SONYがいいなと思いました。思えば7年前に、今回壊れたTOSHIBAの液晶テレビを買ったときは東芝から派遣された人が説明してくれました。

結局、そんなモンなんです。テレビなんて。ハードも(さっき書いた)ソフトも。
くらいのオチにしておきましょう。
若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ (集英社新書 515B)/筑紫 哲也

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衆愚の時代 (新潮新書)/楡 周平

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この2冊を同時に読みました、2冊とも2回目の読了です。

 まず、筑紫哲也さんの方ですが、1回目に読んだ時は筑紫さんファンとしては“若き友人たち”の中に自分が含まれている事を信じて疑わずに読みましたが、今回はもう少し冷静に読めて、これはマスコミ志望の若者達に向けた彼のダイイングメッセージなのか?と感じました。

 (久米さんの引退が先だったので)筑紫哲也以降、私はニュースを見なくなりました。いわゆるテレビの世界の人で、耳を傾けるに値する言葉を吐き出している人は彼以降、皆無です。真面目にテレビの外で研究などされている先生が、たまにテレビで話すのは好きなので、TBSのサンデーモーニングは大好物です。(サンデージャポンではありません!)なので、この筑紫さんの遺言めいた本は、私にはテレビによる報道の遺言のような気がしました。内田樹さんの『街場のメディア論』と合わせて、マスコミ志望の若者には読んでいただきたいです。

 本当にマスコミは死にかけている気がしてなりません。大人の事情は理解しますが、戦うべきときに戦わないことを続けていると、生きる場所って狭くなっていくばかりですよ。戦うときに備えて爪を研いでいるのならいいですが、獲物を追うときに走れもしないんじゃないかと心配する事はあります。戦うマスコミの最後の世代だったなぁと筑紫さんの事を懐かしく思うわけです。彼の歴史認識は少し疑問ですが。(あれほどの知性が、なぜあのような歴史観に立脚したままなのかについて、別の機会に調べてみたいと思っています。単に朝日新聞出身だとああなるのか?)

 どのような立場の人であっても、私は「知性的である」=「自省的である」だと思っているので、テレビの世界の人にはテレビに批判的であってほしい。「テレビがこんなことを言うのはナンですが、こうあるべきだと思います。」という言説がテレビから消えてしまったというのが筑紫哲也を失った事の意味だと、今更ながらに思うのです。


 それと楡さんの本ですが、私と同じ感覚で筑紫さん以後のテレビに対して批判をされているので、読み返してみました。だからこうあるべきというところまでは論じられていないのが残念なのですが、彼の指摘は正しいと思います。身体感覚を持ち合わせた作家さんなので、今後も注目したいと思います。



すごく間が開いてしまいました。

この間に、今まで慣れ親しんだ営業をやめ、同じ会社の中で企画部門に異動になりました。
異動自体は社内公募という制度を利用して希望した部署への異動が叶ったという、非常に恵まれた形での異動だった訳ですが、実務をする上ではいろいろ戸惑っていて、この三ヶ月というもの生みの苦しみを楽しんでいます。

営業時代は「仕事」は取りにいったり受け取ったり、何かしらの塊になったものをパスしたりパスされたりするという感覚でした。具体的に言うと目の前にコンペがあったり、失注の危機があったり、お客様の問い合わせや要望があり、それを淡々と処理してきたという感覚であったのですが、今の部署はその辺の勝手が違っていて、会社にとって自分がその仕事をやる事の意義というのまで含めて自分が生み出さないと、仕事が立ち上がらないという、今まで経験したことのない感覚で、すごく新鮮です。仕事を依頼する大元の部署にいる訳です。

こんな時代ですから、どこも人手が足りない中で仕事を回しています。そんな中で、みなさんの仕事を増やす仕事をしているという事で、そこには相応の哲学とか情熱とか合理性が無いと、納得はしてもらえないのです。なので今まで塊として見えていた仕事を、もっと大きい問題の山の中から切り出してきて、塊として仕上げて送り出すという作業を延々とやってます。この大きい問題の山の形やら規模やらを把握するところからが仕事なので、結構遣り甲斐があります。

そういう意味では扱う塊が大きくなって、自分の視座からは一望できないという、そういう状況なのかも知れません。企業人としては非常に喜ばしい、挑戦し甲斐のある状況に追い詰められているんだと思います。

あと、英語。

仕事で扱う文書の、大げさでなく6割が英語。

これも非常に有難いです。今まで、希望しても仕事で英語を使わせてもらえなかったので。
対して得意ではありませんが、きっと仕事で使っていれば、使えるようになる、そんな自信はあります。だって言葉なんだから。