- ネットとリアルのあいだ―生きるための情報学 (ちくまプリマー新書)/西垣 通
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「ネットとリアルのあいだ 生きるための情報学 西垣通 ちくまプリマー新書」
学生時代の、この先生との出会いが、私に学ぶということがどういうことなのか考えさせてくれて、今に続く”考え事人生”への転機となったのだが、今回また救われる事になるとは思ってもみなかった。
本書は今の日本を覆う閉塞感の原因の一つである、物質的に豊かなのに満たされないという”心の貧困”の問題を、そもそも心とは何かというところから捉え直し、情報化社会の中でリアルな人の心をどう処するべきかについて論じた本である。(と私は読んだ。)心をどう処すべきかというのは、情報化社会の中で、とかく「情報処理を行う部品」のように扱われる人間、その人間の心の尊厳を、どのように扱うべきか?ということを指す。
こう書くと、チャップリンがモダンタイムズで問題提起して以来、一般に多く語られてきた近代化と人の心に関する論と一緒にされてしまいそうだが、この人の人間の心に対する考察はちょっと深い。もともと人工知能の研究開発をしていた人らしく、知能を人の手で作ろうという目線から「人の心とは何か?」を考えているのだ。この前置きが分かっていないと、今更この人の本を読んでみようという気にはならなかった。
私を含めて多くの働く人にとって、仕事とは「情報処理を行う部品」として労働力を提供して対価を稼ぐ行為だ。また、その行為で如何に高いパフォーマンスを発揮するかが評価される場でもある。他の人でもできる程度のパフォーマンスしか発揮できないと、「お前の代わりなぞ、いくらでもいる」と交換可能な部品扱いされ脅され、しまいには本当に交換されてしまうことすらあるという場面を我々は度々目にしてきた。会社で言えば、判断する側であるはずの部長クラスも上から「交換可能」と見られる重圧の中で頑張っている。だから我々は交換する側を恨むのでなく、交換されないように努力し続けなければいけない。この抜けられないループの中で生き続ける為に、今日も心を擦り切れるまで酷使して我々は働く。この消費され続ける連鎖の中で「心」をどこに置くべきか?この問いに対する様々な解の素が本書にはちりばめられている気がした。
まず、「心」に対する誤解を自分がしている事に気づかされた。私は心とは脳内に限定された出来事だと思いこんでいた。この本の中に米国の著名な人工知能学者の発言として
「大切なのは脳です。サルにピアニストの脳を移植したとすれば、サルもちゃんとピアノを弾くでしょう・・・」
というのが紹介されており、著者はこの発言に強い違和感を示している。どちらかと言えば、私はこの人工知能学者が言うように心とは脳の中だけの現象だと思い込んでいたが、どうやら違うらしい。ピアニストの脳が発する、この指でこの程度の力強さで、この鍵盤を押して音を出しなさいという命令は、サルの指の力に調整された命令ではないからだ。(この辺、あくまで私の解釈ですが)サルの身体感覚にマッチした命令を脳が発しないとサルは上手にピアノを弾けないだろう。ピアニストの身体感覚と脳の感覚が不可分なセットなのだ。こうした指摘に始まり、やがて心と身体が如何にして不可分なものであるのかという説明が筆者によってなされる。
これまで、心は脳の中だけの問題だと思い込んでいた愚かな私は、気分が乗らないと脳に対する気分転換だけを懸命に行って、そこから抜け出ることを考えていた。でも最も効果的なのは体の調子を整える事だという事に気づかされた。筆者が言うように「非常に大ざっぱに言えば、心の場とは「身体」であり、さらに身体状態が投影された「脳」なのだ。」という指摘どおりの順番で自分の心の浮き沈みも制御しなければいけなかったのだ。
ここ数ヶ月、非常に仕事が繁忙を極めており、重要案件が複数重なっている中で睡眠を削り、常に脳が興奮気味で眠りが浅く偏頭痛を発症してしまった。この本で得た指摘に従って仕事が終わらなくても適度に身体を動かし、脳と身体を休ませる時間をとることにした。そうしたところ、非常にいろいろな事がうまく回るようになった。何より心が少し前向きになってきた。まぁ前向きになると仕事を辞めたくなってしまうというお馴染みの副作用はあるが、非常にありがたい転回が出来た。
家族が起きて来たので今日はこの辺で・・・。